第12話 なんというか
「あー、知らなかったのは俺だけかよ。すげー格好悪いじゃんかー! 光永も同じクラスにいるくせに全然教えてくれないし」
頭を抱えつつも朝広は、昔のように妹と会話できるという事実に驚きを隠せなかった。一体どんなマジックを使ったというのだろう。
「お兄ちゃん、陽菜さんに『嫌いだ』って言ったんでしょ?」
「あれは! ……でも、ちゃんと謝ったんだぞ」
ふわりとカーテンが揺られた。
「……お兄ちゃんさ、初めてここにつれて来たとき、あの人の目赤かったね」
「あー、うん。ちょっとえらそうに説教しちゃってさ」
「それ」
「それって……何が?」
不思議そうに首を傾げると、結は泣きそうな顔をしてうつむく。
「お兄ちゃんに嫌いだって言われて『変わらなきゃ』って思ったんだって」
――しらねーよ、光永のことなんて。俺だってつらいことぐらいいっぱいある。光永に負けないくらいある。でも、誰かと比べてましだとか不幸だとか言ってても仕方ないんだよ。不幸だったら同情してもらうのが当然? 自分は不幸だからこれ以上いじめないで欲しい? 甘えるなよ。抜け出せる不幸に浸りながら不満を言う奴に友達なんかできるもんか!
そう言われたのだと、光永は困ったように笑いながら言った。
「結城君に言われたときは腹が立ったんだけど、それって図星だったからなんだよね。大なり小なり誰だって悩みはあるのに、自分だけが不幸だと思い込んで、一人で悲劇のヒロインを演じている気になって、『貴方は幸せなんだから私に優しくすべき』なんて傲慢な話」
そんなの押し付けられたら誰だって嫌になっちゃう。
「本当に苦しくて仕方ないなら、我がままだろうと口にすれば良かった。優等生を演じろなんて、誰に言われたわけでもないのにね」
我慢して家事や勉強をやっていると思いこんでいたけれど、耐えられるくらいのことだったのだと気づけば、本当にそれが嫌だったのかどうかすら怪しくなってくる。
『自分自身』の気持ちはどうなのだろう?
「私は人と比べて、比べたような気になっていたんだよ」
「光永がそんなことを?」
「うん」
光永の言葉に自分を重ね合わせたのか、結は少し苦いものを口にしたように語った。
「俺、そんな深い意味で言った訳じゃね―のに」
「あのときの光永さんにとっては深い意味だったんだよ。ま、お兄ちゃんの馬鹿正直すぎるくらいストレートなところが、逆に良かったみたい」
そう言って、笑う。
それは、朝広が久々に見る笑顔だった。
試験が終わってなおかつ夏休み直前の塾なんて、緊張の糸が切れた生徒しかいない。結城朝広とその親友である真野夕馬もその例に漏れず、一番後ろの席でコーラを飲みながら問題集の上に菓子を広げている。最近休みがちなもう一人の親友である比留間英明は久々に姿を見せたが、「俺、明日模擬試験だから」と勝手に勉強しだしてしまった。進学校の学生は大変だな、と他人事のように朝広は思う。
思うが、なにやら忙しそうでなかなか会えない親友がつれないと、構いたくなる性分である。
「英明ー、英明ー。俺の妹のこと知ってるじゃん? 実はさー」
相手が問題の採点をしているにもかまわず、彼は先日あったことを話した。多分、単語帳を暗記しているときであれば、問答無用で黙らされただろう。無機質な印象の親友であるが、実は大変感情豊かであることを彼は知っている。夕馬はいそいそと菓子の袋を開封していた。いざとなったら、菓子で朝広を黙らせる予定だろう。
「――ってことがあってさ」
ぐびぐびとコーラを飲みほすと、英明は問題集から目を離さずに「ふうん、良かったじゃない」と返事をした。以前の彼なら「うるさい」の一言で片付けたところであるが、新しい学校に移ってから大分性格が柔らかくなったようだ。好きな女子ができたという噂は本当なのかもしれない。
「それでさ、お礼を言いたいんだけど……なんか光永は内緒にして欲しいと結に言ってたらしくて。どーすりゃいいのかなぁ」
ややこしーのは苦手なんだけどな、と朝広は呟く。その姿に英明は、授業が始まるまでの残り1分を悩める親友に差し出すことにした。
「それは、お前のことが嫌いか、恩に着せるつもりがないかどっちかじゃないの? 大体お礼を言いたいということ自体お前の自己満足なんだから、前者でなけりゃいつも通りヘラヘラと空気読まずに言えばいい」
「ヘラヘラって……ううう。俺、嫌われてたらどーしよ」
「黙っておけば?」
頭を抱えた朝広に、夕馬は至極簡単な答を与えてコーラを口に含む。そこまで悩むことではないと思うのだ。彼女とて朝広に感謝してほしくてやっていることではないだろう。まして、朝広が頼んだわけでないならば尚更だ。
「いや、それじゃあ俺の気が済まないっていうか」
「ああ、彼女に話しかけるきっかけとして使いたいとか?」
ニヤリと悪魔のような微笑を英明は浮かべた。なまじ顔が整っているだけに迫力がある。その微笑に心の奥を見透かされたような気がして、朝広は胸に手を当ててみた。
「そうなのか? 俺」
「お前の気持ちなんだから、俺が知るわけないよ」
胸に手を当てたまま頭上にクエスチョンマークをくっつけた朝広は、夕馬の「先生入ってきたから前向きなよ」という言葉で一瞬飛んでいた思考を現実へと引き戻す。けれど、授業が始まったとたん、再び光永のことを考えてしまう。
話しかけるきっかけが欲しいのだろうか。そういえば、最後に話をしたのはいつのことだろう。2年になっても同じクラスだったから、なんとなくずっと一緒にいたような気になっていたが、よく考えてみると二人で会話した記憶はない。一方的に目で追っていただけのような気がする。
最後に話をしたとき、嫌われていただろうか?
いや、むしろ元気付けようとしてくれていたように見えた。
光永はどう思っているのだろう。
――『俺』はどう思っているのだろう。
それは多分、感謝とは別の気持ちで、尊敬とも違った『何か』で。
結局、その授業の間中考えたけれど、答えは出なかった。




