95:〔主と従者。同じキズ〕
「よっ……と」
様々な角度から迫るナイフを、地面を蹴って避けていく。
顔面と右足に迫るナイフをそれぞれかわして、
「ッ!」
――右手と左足に現れた鋭い痛みに、僕は思わず顔をしかめていた。
『そこには無かった』はずのナイフが僕に当たるのは、これで五度目。右頬に一回、あとは四肢に一回ずつだ。
「ナイフ捌きもさることながら、反則だろその能力」
「避けられない訳じゃあないでしょう? 現に、あの巫女は避けていたわ」
「あんな才能の塊と一緒にしないでほしいな」
片手に五本ずつナイフを携えながら、自然体で宙に浮かぶ相手――十六夜咲夜。
彼女を見上げながら、僕は右手の甲の傷口をペろりと舐めた。痺れるような痛みが、直に頭を麻痺させる。全身の毛が逆立ち、痛みが僕から逃げ出した。
「……貴方だって人のことは言えないじゃない」
吐き捨てるように言った咲夜は、僕が動き出すよりも早く両手のナイフを投擲。瞬間、僕の周りに現れたナイフのカーテンは、一見脱出不可能のように見えた。
が。
「こんな穴だらけのカーテン、誰も買っちゃあくれないよ」
「!? ぐっ!!」
右手で咲夜の首元をわしづかんだ僕は、そのまま床へとたたき付ける勢いで急降下。僕の右手にナイフを突き刺した咲夜は、決死の表情で僕を睨みつける。
その痛みに顔をしかめながらも、僕はその手を放しはせずに、咲夜の後頭部を地面に叩きつ――
「――――ッ!!」
「わぁびっくりした」
――いきなり飛び起きた咲夜に、とりあえず言葉だけでも驚いておいた。肩で息をしている咲夜に濡れタオルを渡し、座っていた椅子に更に深く腰掛ける。流れる汗をため息と共に拭った咲夜は、僕を見てからもう一度ため息をついた。
「もう止めた方がいいんじゃない? 何度も言ったけど、『トラウマ』なんて一日二日で克服出来るものじゃない。もし克服出来たとしたら、それは『トラウマ』とは言わないよ」
言いながら、咲夜に向けていた結界幻術を解除する。同時に彼女の感情を手繰りよせ、『恐怖』へと堕ちていきそうなそれを平時へと繋ぎ止めた。
「……けど、貴方と出会う度にこの調子じゃあ、仕事に支障が出るかもしれないじゃない」
「だからこうして繋いでおけばいいじゃん。出会ってすぐにどうにかなるわけでもな」
「なるから言っているの」
「…………」
間髪どころか被されて返され、言葉につまる。確かに、あの一件以来彼女の僕に対する反応は過敏なものがある。
どれくらいかと聞かれれば、姿を見れば身体を強張らせ、近付けば息が荒くなり、話し掛ければ過呼吸発症、触ろうものなら気絶確定……とまぁ、完全に彼女にとって僕の存在は害となっているわけである。
戦闘時等、気を張っている時ならばそこまでの反応は見せないが、四六時中緊張していろというのも人間の彼女には無理な話。能力も相まって全体的にハイスペックな咲夜ではあるが、どこまでいこうと人間は人間、そんな生活を続けていれば確実に異常をきたす。
「でもさぁ、やっぱりこんなことしなくてもいいんじゃない? ほら、僕が紅魔館にいなければいいだけの話だし、能力使えば君の居場所は把握できるわけだし」
「貴方の能力だって、時が止まった状態で移動している私は把握出来ない。もし、貴方がいる場所に用事があったとしても、貴方がいる限り近付けないんじゃ困るのよ」
ごもっともである。
僕の『命を感じ取る程度の能力』は、意識しなくても館全体をぼんやりと把握することが出来る。
しかし、さすがに時間軸の違う世界での命までは感じ切れはしない。二日前に咲夜の命があった場所は――とか、明日の今頃咲夜の命がある場所は――なんてことは、当たり前だが僕の能力ではわかりはしないのだから。
「でもね……僕の結界幻術の中じゃ、対象のイメージがそのまま世界を形作るんだ。確かに、夢の中で君が僕のイメージを殺すことが出来れば、君のトラウマは解消出来るだろうさ。でも、それはほとんど不可能に近い。君が『勝てない』と思っている限り、夢の中の僕は君の強さを上回る。逆に言えば、君が『勝てる』と思い込んでいれば、どんな相手にも君は負けやしないだろう。言うなれば、過程がどうであれ、たどり着く結果が既に決まっている世界……結界幻術が創り出す夢の中は、そんな世界なんだ」
夢の中で咲夜が僕に勝つには、僕に対する苦手意識を無くすことが大前提に上げられる。だから、咲夜がやろうとしていることは完全な外方、つまり裏技である。といっても、先程言ったように成功率は極端に低い。
「まだ止めないわ。まだ十回目じゃない」
「……いいけど、今日はこれでおしまい。夢の中とは言え、一日に二回も三回も死を体験するのはよくない」
本当ならこの方法自体奨められるようなものではないのだけれど。
幻術を行使する僕ですら思い付かなかった方法。パンが無いならケーキを食べればいいじゃない(ちょっと違うか)的なこの方法を提案してきたのは咲夜の方からで、その理由は、僕が紅魔館を最初に訪れた時の騒ぎが原因で生まれた『トラウマ』を解消するため。
「……やり過ぎたとは思ってるけどさ。まさかトラウマになるなんて……」
「…………」
思わず漏れた呟きに、咲夜から微妙に殺気が放たれる。悪かったよ、とパタッとベッドに尻尾を置いてやると、彼女はぷいっとそっぽを向きながらも僕の尻尾に手を伸ばす。
咲夜の弱点は、いろんな意味で僕となっている。
「……トラウマが無ければもっと触れるのに」
「急に子供っぽくなったね」
「……私だって常に完璧ではいられないの。息抜きしたい時に邪魔があるのは、誰だって嫌でしょう?」
思わぬ角度からこぼれ落ちる、彼女の弱音。
普段は完璧と言わざるを得ない立ち振る舞いを見せる彼女ではあるが、僕と二人きりになると、たまにこうしてポロリと弱音のようなものを吐くことがある。それが僕に気を許してくれているのか、はたまたトラウマのせいなのかはわからない。
ただ、弱音を吐くことが全てにおいてマイナスになるわけではない。むしろ、彼女のような人間にとってはプラスに働くことの方が多いように感じられる。
そんなわけで、僕は尻尾を触られながら、咲夜の言葉をぽつりぽつりと受け止めているのだった。
「寝ちゃった、か」
静かになったとおもいきや、聞こえてきたのは規則正しい寝息の音だった。
ちらりと横目で見て見れば、そこには安らかな表情で眠る咲夜の姿。
実は、こうして彼女が眠っている姿というのは極めて貴重なシーンだったりする。
本来時間を止めた中で睡眠を取る彼女は、端から見れば不眠不休で働いているようにしか見えない。睡眠どころか休憩しているところすら滅多に見られないのだから、無防備に眠っている彼女なんてものはレア中のレアである。カメラがあればとりあえず一枚撮っているところ。
閑話休題。
さて、そんな彼女が何故こんなにも無防備に眠っているのか。それは一重に、僕の存在が原因である。
「咲夜? ……あら、いたの」
「どうも。たった今眠ったところ」
「……そう。早く立ち直って貰わないとね。そのための休暇なのだから」
ふぅ、と小さく溜息をついたのは、この館の主であるレミリアだった。
眠っている咲夜を一瞥した彼女は、ふわりと椅子に座り込む。
「それにしても……咲夜がこんな風になるなんて」
「緊張してる時は割と大丈夫らしいんだけどね。心の準備が出来てなきゃ、前みたいになるみたい」
「……あの時は本当に驚いたわ。あんな咲夜、初めて見たもの」
レミリアの言葉に、僕は頭を掻きながら苦笑する。
異変収束後、初めて目覚めた日の翌日。僕は何気なくレミリアの元を訪れていた。
当然、従者としてその場にいた咲夜だったが、僕の姿を見た途端に彼女の様子がおかしくなりだした。
どうかしたの、と声をかければ彼女は怯えるように頭を抱え、隣にいるレミリアの声も右から左。完全に我を失っている咲夜に、僕は小さく首を傾げていた。
多少の感情の揺らぎこそあれ、昨日の彼女は普通に僕と接していた。それが何故、今日になってここまで酷く感情が乱れているのか。
そう思いながらも、とりあえずは落ち着かせようと感情を流し込もうと彼女の身体に触れた瞬間、糸が切れたかのようにパタリと倒れてしまった、というわけである。
一部始終を見ていたレミリアは、その後しばらく僕に疑いの目を向けていた。まぁ、目が覚めた咲夜から事情を聞いた後からは、またこうして普通に話すようになったのだけれど。
「もう一週間も経つのに……貴方の能力で何とか出来ないの?」
「僕が咲夜の感情を操っている内は大丈夫。けれど、根本からとなると、ね」
未だ僕の尻尾を握って離さない咲夜の手に、もう片方の尻尾をクルクルと巻き付けながら言う。
「僕の能力だって、感情ならなんだって完璧に操れるわけじゃあないんだ。しかも、今回は原因が他でもない僕にあるから……治そうにも、咲夜の方が無意識に僕を拒否してしまう」
普通のトラウマなら、もしかしたら治すことは可能かもしれない。だがそれでも『もしかしたら』の話だ。
咲夜のトラウマの原因は僕。行き過ぎなまでに刷り込まれた『恐怖』の感情は、感情を操る僕ですら持て余す程の激情。無責任かもしれないが、こればっかりは本人が何とかするしかない。
「……まぁいいわ。これから貴方がここに来る時は、先に連絡をよこしなさい。その日、もしくはそこから何日か……咲夜には仕事を休ませるから」
「そうしてくれると助かるよ。本人が望んでるとは言え、それで身体を壊したら元も子も無いから」
タン、と椅子から降りたレミリアは、眠り姫と化している従者へと視線を向ける。しかし、それも長くは続かず、やがて背を向けて部屋から出ていこうとして。
「そういえば、貴方」
後ろ髪を引かれたように立ち止まるレミリア。
背中の羽が小さく動く。咲夜に能力を集中させているために、背を向けているレミリアの感情は全くと言っていいほどにわからない。
返事をせずに、続く言葉を待ち続ける僕。少しだけ長い沈黙に、何かしたかと不安になりかけ、
「……いいえ、何でもないわ。咲夜をよろしくね」
そう言った彼女は、ドアノブに手をかけて、今度こそ部屋から出ていった。
「……?」
残された僕は、そんなレミリアに対して小さく首を傾げてみる。聞きたいことがあるなら聞けばいいのに。
そんなことを考えながら、しばらく目を覚ましそうにない咲夜の頭を軽く撫でてみる。とりあえずは、彼女が目覚めるまでここにいることにしよう。尻尾掴まれてるし。
「レミィ」
「パチェ。珍しいわね」
「彼に用があって。こぁに頼もうかとも思ったけど……? どうかしたの?」
仏頂面な魔法使いが、すこしだけ表情を変えてそう聞いてくる。そんなに、今の私は変なのだろうか。
……いいや。
「……パチェ。彼は、何者なのかしら」
異変後から抱いていた疑問を、ここで初めて打ち明ける。
初対面の時からおかしいとは思っていた。
ただの妖獣にしては強大過ぎる妖気はまだいい。
やけに人間くさく、妖怪にしてはどこか抜けているような印象もある。それもいい。
だが。
「……初めてみたわ。『運命が二つ、同時に並んでいる』生き物なんて」
「……!」
一瞬、パチェの瞳が見開かれる。紫色の瞳がこちらを貫くように見据え、それは真かと聞いてくる。
私だって信じられない。
普通、『運命』というものはひとつしか存在しない。
いずれ辿り着く結末。それに至る道を『運命』と呼べば、結末そのものを『運命』と呼びもする。
しかして、どの『運命』を通ろうと、いかなる『運命』を突き進もうと、辿り着く『運命』はただひとつ。
だが、『運命』はたったひとつだけのものではない。
辿り着く結末は、そこに辿り着くまでの道筋で幾重にも枝分かれしていく。
――あそこでこうしていれば。
――ここでやめておけば。
そんな、過去を省みる言葉の数だけ、選ばれなかった結末としての『運命』が存在する。
結果として辿り着ける『運命』はひとつだけ。しかし、選ばれなかった『運命』も、光を見なかっただけで星の数程存在する。
「ただ、それらは並んで存在することは出来ない」
例えば、道が二つあったとする。
右か、左か。
右の道を進む『運命』の道を行くか、左という『運命』の道を行くか。
どちらかを選んでしまえば、どちらかの『運命』は、選ばれなかった『運命』として闇へと落ちる。
「右を行ってから、戻って左へ行ったらどうなるのかしら。それは、二つの『運命』を選択したと言えない?」
「そうなると、また新しい『運命』の選択肢が現れるだけよ。『右を進み、しかし戻って左を進む運命』というふうにね。どう行動しても『右を進む運命』と、『左を進む運命』とは、並んで存在は出来ないでしょう? 私が言いたいのは、そういうこと。もっと簡単に、もっと究極的に言うなら……」
――右の道を行く『運命』が選ばれたとしよう。その先に待っていたのは、『死』という『運命』だった。
「ここで問題。右の道を行き、死の運命を選び取った存在。ここから彼が生き残るにはどうすればいいかしら?」
「…………」
パチェが黙り込む。仕方ない話だ。私がした質問は、矛盾を通り越して呆れてしまうようなものなのだから。
「生と死は対極。生きながら死ぬことは出来ないように、『生の運命』と『死の運命』は同時には存在出来ない。そして、この関係は全ての『運命』にも言える……だと、いうのに」
そう。だというのに。
「彼は……ミコトは、並び立つはずの無い『運命』を、二つ抱えている。『右を行きながら』『左を行き』、『生きながら』『死んでいる』……見てるこっちが混乱しそうなくらい、二つの運命が同時に存在しているのよ」
そしてその原因はおそらく、異変の最後に現れたあの女。
力こそあまり感じられず、直接手を下せば簡単に捻り潰せたであろう、あの女。
だが――。
「レミィ。顔色が悪いわ」
「……そうかしら。色々あって、疲れてるのかもね」
軽く頭を振って、甦りかけた屈辱から逃げ出した。
これ以上彼を詮索するのは、やめておいた方がいいのかもしれない。
考えれば考える程に得体が知れず、本人には記憶が無いのかそんな素振りもみせやしない。
……これでは、私が勝手に振り回されているようなものではないか。
「少し休むわ。彼に用があるなら、この部屋の中だから」
返事は聞かず、ふらつきそうになりながらその場を後にする。
――なんとなく、咲夜の気持ちがわかるわ。これが、トラウマってやつなのかも、ね。




