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93:〔灰に包まれた紅〕

「ルーミア。フランを連れて来てくれ」

「仰せのままに……」


 空中に漂う闇が僕の言葉に応え、立ち上がった僕にゆっくりと近付いてくる。

 少女を象った闇が差し出した両腕の上に乗り、僕が彼女を抱えて気持ち抱き寄せると、彼女を包んでいた闇が勢いよく霧散していた。


「うぅ……」


 僕の腕の中で苦しげに唸るフラン。外傷こそ見当たらないものの、圧倒的な自然治癒能力を誇る吸血鬼は多少の傷など分を待たずに治癒してしまう。そういう意味では、ルーミアが放った攻撃はどれも通じてはいなかったのだろう。まぁ、最後の一撃を除いては、の話だが。

 果たして闇に包まれたフランは、その中で何を体験していたのか。狂気に呑まれた吸血鬼をここまで衰弱させる……本当に恐ろしいのは、目の前で笑顔を絶やさずにいる彼女なのかもしれない。


「さて……」


 腕に抱いたフランを床に降ろし、僕は右手――が無かったので、左手で着物の内側を探り、一枚のスペルカードを取り出した。スペルカードといってもブランクカード――まだ何も表面に描かれていない、真っ白なもの――で、弾幕決闘には使えない。

 いきなりそんなものを取り出したものだから、隣にいる魔理沙は怪訝そうに僕の顔を覗き込んでいた。かといって、それに応える程余裕も無いのであえて反応は示さず、手に持ったスペルカードをフランの額に乗せた。滑り落ちるよりも早く、それを挟み込むように額を合わせる。


「ふぅ…………」


 目をつぶり、身体の痛みを吐き出すように息を吐く。

 僕の息がフランにかかり、それに反応するように彼女の身体が少しだけ動いた。もしかすると不快だったのかもしれないが、仕方がない。これからすることを考えると、例え僕が無傷で万全な状態だったとしても同じように息を吐いていただろうから。

 吐き出した息を吸いながら、ゆっくりと能力を使用する。

 彼女の中に未だ蠢いている狂気を、息を吸うのと同じように、少しずつ吸い出していく。

 これが僕に直接流れ込んできていたならば、僕は十秒と持たずに意識を投げ出していただろう。ただでさえ死に損ないのような身体だというのに、精神まで犯されてしまえば本当に死にかねない。

 まぁ、だからこうして、スペルカードという『別の入れ物』を使っているのだけれど。


「うぅ、ん」


 至近距離でフランの声が聞こえる。苦しいのだろうか。けれど、もう少しだけ我慢して欲しい。

 奥の奥、底辺に凝り固まっているものも全て吸い出そうとして、少し強めに額を押し当てる。

 多少の目眩がして、けれど歯を食いしばって能力を使い続ける。いくら直接取り込んでいなくとも、感情を操っていることには変わりなく。

 コンディションで言えば間違いなく最悪だと言い切れる今の状態では、気絶していないのが不思議なくらいで。

 その割に頭の中は冷静なものだな、と自分を嘲笑してしまう。

 と、不意にそこで、顔に冷たい何かが触れた。何だ、と目を開けば、そこには。


「…………猫、さん?」



 ――キョトンとした瞳で、僕を見つめているフランの顔があった。


 離れた額から『紅い』スペルカードが滑り落ち、僕はそれを左手で拾い上げる。よかった、上手くいった。


「わた、し」

「気分はどう?」

「え?」


 何が何だかわからないのか、フランは起き上がるなり辺りをキョロキョロと見回した。狂気に呑まれてからの記憶がないのか、本当に不思議そうにしている姿を見て思わず笑ってしまう。

 後ろでは、緊張の糸が切れたのか、魔理沙がペタンと座り込んでいた。その隣ではルーミアが薄ら笑いを浮かべている。気味が悪いから止めてほしい。


「あっ……」

「?」


 不意に声を上げたフラン。それに反応して彼女を見ると、ぐいっと右腕を引っ張られていた。思わず顔をしかめてしまうが、それを見たフランの悲しげな表情を見て、すぐに表情を引き締める。今更我慢しても全く意味は無いのだけれど。


「……あの」

「何?」


 何でも無いように聞き返して上げると、フランは何か言おうとして、しかし口をつぐんで俯いてしまった。けれど、僕は彼女が何を思っているのかがわかるので。


「いいよ。気が付けたのなら、それで」

「っ!?」


 僕の言葉に驚き、顔を上げたフラン。ただ、その顔を僕は見なかった。なぜなら、彼女の顔は僕の肩の上にあったから。

 彼女も、謝罪するよりも先に許されて、さらには抱きしめられるとは思っていなかったのだろう。顔を見なくとも驚いていることが簡単にわかってしまう。

 正直彼女に抵抗されたら、例え万全な体調であろうと捕まえてはおけないので。彼女が驚いて固まっている内に、本日最後の能力行使。

 僕のありったけの力を使って、彼女にとある感情を流し込む。


「……あ…………」



 その感情はとても暖かいもので。

 だからきっと、狂気の下で凍え、冷え切っていた彼女の心も、優しく包んで暖めてくれるはず。



 ――かつて、僕が絶望のどん底にいた時に、力強く引っ張り上げてくれたように。






 あったかい……。







 小さく聞こえた声は、とても、とても幼いもの。僕の腕の中で眠りに落ちた彼女は、しかし僕の身体をしっかりと捕まえて逃がさない。

 まるで大切な人形を抱いたまま眠る子供のようで。僕は左手でポンポンと背中を叩いてやると、息を吐いて身体の力を抜いていた。


「ミコト?」



 僕の異変に気が付いたのか、立ち上がっていた魔理沙が僕の横に座り込んだ。今回は軽く目を合わす程度の反応を示し、無意味にニヤリと笑ってみる。

 もうそろそろいいだろう。身体は痛いし、頭の回線もショート寸前。こんな状況じゃ気絶するのも当然。だから、今ここでいきなり動かなくなったとしても、驚きはすれど納得してくれるはず。


 ――どうせなら、柔らかいベッドの上で、いつものように目を細めながら目覚めたいな、なんて。


 そんなことを考えながら、僕は必死に掴んでいた意識から、ふっと手を離すのだった。










「ミコト……? ミコト!?」

「あら、気絶しちゃったみたいね。多分死にはしないだろうから、身体を揺さ振るのは止めてあげて頂戴?」


 不意にガクリと首を垂れたミコトを見て、魔理沙は慌てて彼の肩を揺さ振った。ミコトの顔を覗き込んだルーミアは、魔理沙を諭すように言いながら彼女を羽交い締めにする。


「……あら?」


 と、そこで。

 ルーミアの視界に現れる、小さな違和感。

 それが何かを確かめる為に、ルーミアはミコトの姿を注意深く観察する。やがて違和感の正体にたどり着いたルーミアは、暴れる魔理沙の耳元で小さく囁いた。ピタッと魔理沙の動きが止まり、ルーミアと共に、とある箇所に目を向ける。

 それはミコトの身体の一部分だった。灰色の髪から突き出した、柔らかな三角形を描く、耳。

 しかし、違和感を発しているのは耳ではなく。そこから垂れた、灰色の彼には派手にも見える金色の耳飾りだった。

 それは小刻みに揺れていて、しかしミコトの身体は目立って動いてはいない。首を垂れた時の反動なのかもしれなかったが、それにしては振り幅が一定、いや、むしろ大きくなっているようにも見える。

 それをしばらく見詰めていた魔理沙は、やがてそれに向かって手を伸ばしていた。まるで幻に手を伸ばしているかの如く、存在を確かめるようにゆっくりとその手が近付いていく。


「あっ」


 だが、魔理沙の手が耳飾りに触れることは無かった。触れる寸前で、耳飾りが音を立てて床に落ちていたのだ。

 ミコトの耳を貫通していたそれは、輪の一部分が消失したかのように、綺麗に途切れている。

 魔理沙は唖然としていたが、少しすると伸ばしていたままの腕を下ろし、そのまま耳飾りに再度触れようとした。


 と、その瞬間。


 決して明るいとは言えないこの空間の中、金色が小さく輝いたかと思えば――


「わあっ!?」

「っ!?」



 先程よりも幾分大きな声で、今度は凄まじい勢いで手を引き戻しながら魔理沙はその場から飛びのいていた。

 涼しい表情だったルーミアも、いきなりのことに驚いて目を見開いている。 魔理沙とルーミア、その二人の視線の先には――



「……ふぅ」



 ――灰色の着物を着た、一人の少女の姿があった。


 自分を見る二人を一瞥すると、少女は仕方ないかと言わんばかりに溜め息をつく。

 頭の上にはミコトと同じ灰色の耳。背中の向こうには割と長めの二股の尻尾。

 少女はひとしきり辺りを見回しもう一度溜め息をつくと、ミコトの傍に膝をついた。魔理沙とルーミアには、あまり興味が無いかのよう。

 右腕を両腕で抱え、胸に抱くようにする。血塗れのそれを見た彼女は表情を苦くして、しかし愛しげに手首の辺りに舌を這わせた。

 本来その先にあるはずの手は、存在しない。

 切り落とされただけならば、まだ希望はあっただろう。しかし、彼の右手は文字通り吹き飛んだのだ。もう、どこにも存在しない。

 目の前の光景を眺めながらそう考えていた魔理沙は、思わず目を逸らしていた。痛々しすぎるまでの惨状に、直視することが出来なかった。


 が。



「……あ……え……?」


 目を逸らしても意味が無い。そう考えて再度目を開いた魔理沙は、一瞬自分の目を疑った。軽く目を擦り、眉間に指を当てて深呼吸。今見たのは何なのか。いやもう一度見ればわかるだろう。そう結論付けて、もう一度目開く。

 そうして見た光景は、先程よりももっと鮮烈なものだった。



 ――そこにいたのは、輝かしいまでの光を纏った少女の姿。光は小さな珠となり、ミコトの身体へと少しずつ移っていく。


 時間にしてほんの十数秒。たったそれだけの短い時間だったのに、魔理沙はその光景に心を奪われていた。

 ルーミアは対照的に、少し苦い顔をしてその光景を眺めていた。闇の妖怪には、少し眩しかったのだろう。頬を一筋の汗が伝っていた。


「……ふぅ」


 現れた時と同じような溜め息をつくと、少女は不意に立ち上がった。

 その際にミコトの右腕がパタリと膝の上から落ちて、手首から先が存在しているのを確認した魔理沙は、先程の光景が見間違いでは無かったことを理解する。

 青ざめていたミコトの顔は、随分と血色が良くなっていた。


「出て来るがよい。私を欺けると思うな」

「欺こうなんて考えてないわ」

「…………」


 いきなり口を開いた少女。それに応えるように現れる二人の人影に、魔理沙とルーミアは身構えた。予想外に高圧的な少女の物言いに、薄ら笑いを消して表情を引き締めるルーミア。

 吸血鬼とその従者は、少女を見下ろすように空に浮かんでいる。それを、その幼い顔立ちからは想像もつかない鋭い視線で睨みつける少女。


「そう睨まなくとも、私からはもう何もしないわよ。咲夜、彼とフランを空いている部屋に運んで頂戴」

「わかりました」


 咲夜は主人の言葉に応えると、フランと共々ミコトを抱き抱えて屋敷の奥へと消えていった。それを見送ると、吸血鬼――レミリアは、羽をはためかせながら床に降り立つ。

 その様を、少女は先程から変わらない目つきで睨み続けている。

 背丈こそレミリアと比べて頭ひとつ高い程度のもので、彼女の風貌はやはり少女と呼べるものでしかない。しかし、本来ならば違和感を覚えてもおかしくない程の高圧的な言動や、およそ少女には似つかない堂々とした立ち振る舞いは、恐ろしい程に堂に入っていた。

 『何万年と生きてきた大妖怪』を思わせる少女の気配に、フランを圧倒したルーミアにさえ、畏怖の念を感じさせる。背中に寒気を感じた魔理沙が小さく振り返ると、妖気と共に多少の闇を身体に纏うルーミアがいた。


「何をそこまで怒っているのかしら? 特に怒らせるようなことをした覚えはないのだけれど」

「黙るがいい。たかだか五百生きた程度の小娘が」

「……! 随分な態度ね」


 見下ろす視線と、真上からのしかかるようなプレッシャーを感じてか、レミリアは多少顔をしかめながら言葉を返していた。

 本来の彼女ならば、このようなことを言われれば黙ってはいないだろう。逆にその強大な妖力でプレッシャーを与え、相手を跪づかせているはずだ。

 しかし、今はそれが出来ない。出来るはずがない。プライドの高い彼女が、表情には出さないものの、どこかでそう考えてしまっている。いや、プライドが高いからこそ表面に出さずにいられるのだろう。これが並の存在ならば、少女の前に簡単に膝をついているだろうから。


「ふん……膝を付かないだけの芯は褒めてやろう」


 少女の言葉に、レミリアの眼光が鋭くなる。それを真正面から迎え撃つ少女の灰の瞳からは、ただ圧倒的なまでの重圧が放たれていた。


「別に私は貴様をどうこうしようとは考えていない。ただ、『彼』は妖怪にしては甘い所があるからな……。『彼』の代わりに、少し言いたいことがあるだけだ」


 二股の尾をフラリと揺らし、少女は一度目を閉じた。しかし、レミリアはその瞼の向こうの瞳から目を逸らさない。吸血鬼としての誇りが、辛うじて彼女を踏み止まらせているようだった。

 対する少女は目をつぶったまま動かない。妖気を出しているわけでも、威嚇しているわけでもない。だというのに、これだけの威圧感を放っている。

 圧倒的な存在感。彼女が威圧を込めて命じれば、誰もが言われるがままに従ってしまいそうだった。

 少女が、ゆっくりと口を開く。瞬間、重力が倍加したような感覚が、その場にいた全員に襲い掛かった。


「…………ッ!」

「貴様が何を考えて『彼』を戦わせたのかは知らない。ただ、貴様が原因で『彼』が死にかけたのは事実。簡単に利用された『彼』に非が無いとは思わないが……」

「…………」

「いいか。もし貴様が再度、私欲の為に彼を利用し、あまつさえ死に近付けるようなことをしたならば……その瞬間から、貴様の未来は無いと思え」


 少女は目を開かないまま、一気に言葉を吐き出していた。一言も聞き漏らすことは許さない。そんな感じの声色は、レミリアの頭に痛む程刻み付けられる。もし、あの閉じられていた瞳が開かれていたならば。……レミリアは否応なしに、その場に跪づくことになっただろう。


「忘れるな。『彼』の中には、常に私がいることをな。……言いたいことはそれだけだ」


 少女の言葉が終わりを告げる。瞬間、フッと彼女の姿が消えて、カラァン、と甲高い音が部屋に響き渡っていた。


「くっ……」


 同時に膝をついたのはレミリア。額には玉のような汗を浮かべ、少女を睨みつけていた眼光は目に見えて弱々しいものに代わっていた。


「後悔なんかしてないわ……。あの子の為なら、このくらいなんてことないんだから……!」


 自らに言い聞かせるように呟いたレミリアは、額の汗を拭いもせずに、小さく妹の名前を口にした。

ちょっとばかし仕事が忙しく更新できませんでした。

でも失踪する気はさらさらないのでご安心を(何を



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