90:〔紅月〜ユメマボロシ〕
「ちっ……せっかくの服が台なしだぜ」
「すごいすごい! 今のを避け切るなんて!」
擦れてボロボロになったスカートをつまみながら荒い息をしている魔理沙に、フランドールは楽しげに手を叩いていた。
先程まで地獄のような嵐を死に物狂いで避けていた魔理沙にとって、その笑顔は決して良いものには映らない。笑っている内はまだまだお遊び、それがわかっている魔理沙は、悔しげに歯を噛んで息を整えていく。
「しかし、箒に乗って息が乱れるのもおかしな話だな」
魔理沙はぽつりと呟き、箒の柄を気持ち握り締めた。
彼女は今の今まで、掠りはすれども一撃も弾幕に当たっていない。
それは彼女の優れた反射神経と動態視力、そして強化されたこの箒があるからこその結果。もし箒がミコトによって強化されていなかったら……。魔理沙の頭にそんな考えが過ぎり、しかし頭を振ってそれを振り払う。
今そんなことを考えて何になると言うのか。幸い箒の機動力は落ちていない。今のままなら、勝つことは出来ずとも、勝負を長引かせることぐらいなら出来る。
「勝ちを捨てた戦いか……。全く、私らしくないにも程があるぜ。でも……」
魔理沙は帽子を目深に被り、身体から煙を立てながら、しかしぴくりとも動かない彼の姿を視界に入れた。
炎に飲み込まれ、燃え盛りながら地面に落ちていく姿を見た時。魔理沙は一瞬、けれど本気で最悪の結果を想像していた。実際、今になっても彼はぴくりとも動かない。
――だが。
「今度はこっちから行かせてもらうぜ!!」
普段より数段上のスピードで、魔理沙はフランドールに接近していく。
迎え撃つように放たれた真っ赤な弾幕を、箒の先を少し傾けるだけで容易にかわす魔理沙。後ろ脚で軽く柄を蹴ると、箒の先端がカクンと真下を向いた。そのまま地面へと直下していく魔理沙。
魔理沙は考える。
本当にミコトがあの一撃でやられていたとして。
動けないほどの、あるいは意識を失うほどのダメージを負っていたとして。
――何故、この箒は機動力を失わない?
「背中がお留守だぜ」
「えっ?」
地面に向かっていたはずの魔理沙は、フランドールの背後で火炉を構えていた。フランドールが振り向くと同時に放たれる弾幕が、フランドールの髪を数本散らす。
ミコトがもし、その命を失っていたならば、箒の機動力は当然ながら落ちているはず。それと同じように、指一本動かせないようなダメージの中、これだけの補助を続けることが出来るのか。
故に魔理沙は、勝ちを捨てても希望は捨てない。
箒の補助が切れていないから、ミコトはまだ生きているんだ。彼女はそう思って、そう信じて、戦いを止めないのだ。
「……痛い」
頬に現れた一筋の傷。フランドールはそれに手を当ててそう呟いていた。
その呟きを聞いて、魔理沙は箒の先を少し引いて動きを止める。
「痛い……これが、痛い……そう、痛いって、これのこと……」
「…………?」
打って変わって抑揚を無くしたフランドールの声。まるで何かを確かめているかのように、頬から流れる血を撫でている。
その様子を、魔理沙は警戒しながらもただ眺めていた。先程までとはまた違った異様さに、動きを止めてしまっている。
――と、次の瞬間。
「ッ!!!?」
――ビシィッ!! と、まるで空気にヒビが入ったかのような音。
それを聞いた魔理沙は、反射的にその場から離脱していた。その行動を起こさせたのは、理性や判断の良さなどではなく、ただ純粋な『恐怖』。
館の少ない窓を突き破り、ガラスで肌に傷をつけながら、しかし魔理沙はただひたすらにフランドールの傍から逃げ出した。
そして響いた轟音に、正気を取り戻した魔理沙は振り返る。
「な…………」
――その光景は、まさに地獄。微かに見えていた希望を掻き消すような、無慈悲な弾幕の嵐。一発一発が凄まじい威力の弾が、真紅の壁となって魔理沙に襲いかかる。
「くっ……」
それを見て、魔理沙は箒を握っていた手から力を抜いた。
この状況で、どこの誰が希望を抱いたままでいられるというのか。普通の人間ならば、絶望すら感じないまま死に追いやられてしまうだろう。
――だが。
恋符「マスタースパーク」
真紅の壁を貫く、光の一線。くるくると、白黒の帽子が回転しながら落ちていく。
本日三発目となるマスタースパークを放った魔理沙は、その金色の髪を振り乱して大きく息を吸い込んだ。
「普通の人間なら、とっくの昔に諦めてるかもしれないがな」
壁の先にいた、強大な敵を睨みつける。
「生憎私は、普通の人間なんかじゃない」
そして、叫んだ。
「私は普通の魔法使い、霧雨魔理沙だ! 諦めの悪さは筋金入りだぜ!!」
――彼女の希望は、絶望などでは消えやしない。
……………………………………………………………………………………………………………………………
――赤。
――――紅。
――――――朱。
――それしか、視界に入らない。
――おかしいな。
――私は、戦ってたんじゃなかったか。
――身体が、動かない。
――いつ、私は倒れた。いつから、私は倒れている。
――わからない。
――わからない。
――何もかも、わからない。
「〜〜♪ 〜〜♪」
――?
――真っ赤な視界の隅に移る、何か。
「これくらいでいいかなぁ」
――満足げに呟いたのは、私と戦っていたはずの吸血鬼。
――おかしいな。私は、紛いなりにも戦い続けていたはずなんだが。
――なのに、なぜ。
「気分はどぉ? アハハッ、人間って壊したらこうなるんだねっ」
――なぜ、私はコイツに××××されている。
――おかしいじゃないか。私は確かに、先程までコイツと戦っていたじゃないか。
――それとも、夢だった? 余りにも力が違い過ぎて、開始早々ぶっ飛ばされて。
――それを受け入れたくなかった私は、あんな夢を見てしまっていたと?
「――――」
「……へぇ、こんなにグチャグチャしてても動けるんだ」
――声が出ない。
――聞こえるのに、出せない。
――なんだよ、コレ。
――なんなんだよ、コレ。
「――――」
「うん? なぁに?」
――腹に手を突っ込まれながら、私は手を伸ばした。
――赤を通り越して黒くすらなってきた視界の中、夢から覚めた私は力の限り手を伸ばす。
――喉からは細くなった息しか出ない。
――自分が何でこうなったのかもわからない。
――自分が何で手を伸ばしているのかもわからない。
――ただ、なんとなく。
――この手を伸ばせば、誰かが掴んでくれるんじゃないかと思っただけで。
「――――」
――あれ?
「――――」
――ハハ、とうとうおかしくなったみたいだぜ。
――アイツは、それこそ最初に炎に包まれていたはずだ。
――だから、こんなことはありえない。
「――……」
――アイツが、こんなに悲しそうな顔で、けれど私の手をしっかりと掴んでくれながら。
「魔理沙……」
――私の名前を、呼んでいるなんてことは。
――でも、こんな夢なら、悪くない。
――ああでも。
――どうせならコイツが私の怪我を完璧に治してくれて、しかも吸血鬼に勝っちゃうような夢も見てみたい。
――夢なんだから、それくらいは許されるだろうしな。
「これだけの傷を癒すとなると……あの方法しかないか」
――なんだ、本当に治してくれるのか。サービスいいな、この夢。
「……死ぬよりはマシだと思って欲しいな。だから、怒らないでね」
――何を言っているんだか。
――こんな、腹に穴を開けられて、中の具がグチャグチャに掻き混ぜられた状況から生き残れるなら。
――感謝はするが、怒りなんてしない。
「……そっか。わかった」
――そして重なる、私とアイツの唇。
――流し込まれる、なんだかわからないけどとっても熱くて甘いモノ…………って!
「い、いきなり何をする!!」
「あぐっ!!」
いきなり突き飛ばされ、尻餅をついて顔をしかめる。
目の前には、顔を真っ赤にして自分を抱きしめている魔理沙の姿。
「た、確かに生き残れるならって思ったけど! 怒らないって思ったけど!」
「……うん。まぁ、その……」
パニックに陥っている魔理沙。致し方ない反応だとは思う。
だが、あれだけの傷を癒すには、ただ能力を使うだけではどうにも無理があった。
しかし、分け与える方法として身体の一部分を触れさせる方法があり、その中でも最も効率が良く、より深く命を送り込める部分がある。
それが、口。いわゆるマウストゥーマウスというやつである。
「あ、れ……私……」
魔理沙も、自分が回復していることに気が付いてパニックから脱出していた。このぶんなら、もう心配あるまい。
あとは……。
「ッ!!」
「わあっ!」
――瞬間、部屋に響き渡る甲高い音。
魔理沙に襲い掛かっていた爪を、同じく爪で受け止めた僕は、魔理沙を抱き抱えてフランドールを蹴り上げた。
「問題は、コイツだな」
「ちょっ、ミコト!? 何が何だかさっぱりだぜ!?」
「あぁ、後で説明するから」
言いながら魔理沙を地面に降ろし、即座に結界を彼女の周りに張る。命を分け与えた特別版だ、簡単には壊れたりしまい。
「さっき、殺したはずなのに」
「残念。生きてるからここにいる」
フランドールの言葉に軽く返し、僕は妖力を解放した。遠慮無しの全力解放、館がギシギシと鳴いている。
それを見たフランドールは、一瞬驚いたように目を見開き――
「…………くふふっ」
――悪魔のように、笑うのだった。
はい、作者ワールド全開な話でした。
ですが、次回も作者ワールドは続きます。
苦情は受付けませんので、あしからず(笑)。




