87:〔紅霧〜こんなにも月が紅いから〕
ルーミアの処遇をどうしようか考えながら進んでいると、赤い霧の向こうにさらに紅い館の姿が見えてきた。ちなみに霊夢の気配はすでにあそこの中。途中から「霊夢なら大丈夫だろ」と思ったので、今は割とのんびりと歩いている。
時折妖精やら何やらが飛ばしてくる弾幕をそれとなく避けながら、館に向けて歩を進めていく。空ならともかく、地上ならば当たる気はしない。
「おや……? あれは……」
数分そうして歩いていると、やがて館の門にたどり着いていた。そこにいた一人の妖怪の姿に首を傾げ、歩みを止めずに近付いていく。
「ずいぶんとボロボロだね」
「おや、貴方は……」
壁に寄り掛かるようにして立っていた彼女は、僕を見るやいなやその姿勢を正した。武人特有の隙の無い立ち姿勢に少し感動しながら、彼女の前で立ち止まる。
「その様子だと、負けたみたいだね」
「アハハ、それはもう簡単に。新しい決闘は私には向いていないのかもしれません」
ところどころほつれたり破れたりしているチャイナ服をつまみながら笑う彼女――紅 美鈴。
武術に精通している彼女にとって、遠距離が主体となる弾幕決闘はネックとなる。強さそのものはかなりのものなのだが、弾幕決闘ではその強さも半減してしまうのだろう。かくいう僕も、弾幕決闘は得意な方ではない。空飛べないし。
「その気持ちはわかるけど……美鈴、空飛べるよね」
「えぇ、飛べますよ? というか、ここでは飛べない妖怪の方が珍しいんじゃ」
「確かにね。飛べないと色々不便だし……」
「ですよねぇ。でも飛ぶのって割と簡単ですし、そんなことで悩み必要もないでしょう」
その『割と簡単』が出来ない僕って一体何なんだろう。
そう思ったが、考えたら負けな気がしたので止めておく。空なんか飛べなくたって……!
「あ、え? まさか、ミコトさん……」
「…………」
顔に出ていたのか、美鈴に悟られてしまった。いいんだ、慰めなんて聞き飽きたからさ。
「ま、それはおいといて」
これ以上この話題を続かせるとさすがにへこみそうになったので、無理矢理に話を変えることにした。だからその申し訳なさそうな顔を止めてくれ美鈴。
そんなことを考えながら、美鈴の後ろに立つ真っ赤な館を視界にいれる。どこと無く不穏な気配がするのは気のせいだろうか。
「霊夢は?」
「館の中ですが……、貴方もレミリア様に用が?」
「いや……」
歯切れの悪い答えを返し、再度館を眺める。
――やはり、どうも嫌な予感がする。
どうしてかはわからない。だが、どうにも居心地が悪い。この赤い霧のせいかとも思ったが、それとはまた違う何かな気がしてならない。
「美鈴。館に住んでるのって何人? 妖精メイド抜きで」
「紅魔館の住人、ですか? そうですね……。主であるレミリア様に、メイド長である咲夜さん。それに魔法使いのパチュリー様と、その付き人の小悪魔が一人……後は、妹様ぐらいでしょうか」
「妹様?」
「えぇ。レミリア様の妹、フランドール・スカーレット様。ある事情から滅多にその姿を見せることはありませんが」
しきりに揺れている僕の尻尾をチラ見しながら、美鈴はサラサラと答えた。その中の最後、妹様なる存在を頭に残しながら館に能力を集中させる。
その妹様以外には全員会ったことがあるので、気配だけでも誰かはわかる。
もし、僕の知らない強力な命の気配があれば、それは間違いなくその妹様であろう。レミリアの妹ならば吸血鬼であることは間違いない。吸血鬼程の強力な命を見逃す程、僕の能力は錆びれちゃいない。
そんなことを考えながら館の中を探っていくと。
「……見付けた」
「ハイッ!?」
「…………」
目を開くと、美鈴が伸ばしていた手を凄まじい勢いで引き戻していた。尻尾でも触ろうとしていたのだろう。
僕は別に怒るわけでもなく、不自然な笑い方をしている美鈴に質問する。
「美鈴。その妹様だけど……なんで、滅多に姿を見せないのか教えてくれないかな」
「…………なにか、知らなければならない理由でも?」
僕の質問に、途端に真面目な表情になる美鈴。
本来ならこんなことを聞くことはしない。美鈴がわざと言葉をぼかしたのは、少なくとも簡単に人に話すような話ではないのだろう。
「……質問を変えるよ。その妹様は、普段館の中を歩き回ったりしているかい?」
「……いえ。館にあるひとつの部屋にいることがほとんどです」
「そうか……なら美鈴。悪いけど館に入らせてもらう」
言うが早いか、僕は門の壁を飛び越えた。僕の着地にひとつ遅れ、美鈴が隣に着地する。
「何。止めたって無駄だよ」
「止めはしません。ですが、理由は聞かせて頂きます」
「……嫌な予感がするんだよ。その妹様とやらは、ひとつの部屋から出たりしないんだろう? ならなんで、今この瞬間に『館の中を歩き回って』いるんだ」
「……妹様が、部屋の外に?」
「そうさ。しかもその妹様、言っちゃあなんだけどかなり危ない。あんな狂気を孕んだ感情……何をしでかすかわかったもんじゃないぞ」
僕はそう言うと、一息で館の入口まで跳んだ。ピリピリとした感覚が耳に走り、これはまずいなと扉を開け放つ。
もう妹様の存在から意識を外すことが出来なくなっている。
「文句なら後で聞く! だから今は見逃してくれ!」
最後にそう美鈴に向けて叫ぶと、僕はレミリアの気配に向かって走り始めた。
「さて。じゃあ私はもう帰るわ。早くあのうざったい霧なんとかしなさいよ」
「わかってるわよ」
霊夢はそう言うと、開かれたテラスから飛び立っていった。
残されたレミリアは、咲夜が入れた紅茶を軽く口に含み、フゥ、とひとつ息を吐く。
「大丈夫ですか、お嬢様」
「えぇ、どうってことないわ。それより……」
紅茶のカップをカチャリと置いて、レミリアはテラスから空を見上げた。赤い霧は徐々にその色を失いつつあり、霧自体も少しずつ風に流されていっている。夜明けまでには、綺麗さっぱりと紅霧はその姿を消しているだろう。
「今日はこんなにも月が紅い……」
ポツリと呟くレミリアに、咲夜もつられて空を見上げた。そこには、霧など意にも介さずに、『紅く』輝く月の姿が。
「逃れられないこの運命に、貴方はどう抗うのかしら」
月を見上げながら、レミリアは無表情でその翼を軽くはためかす。そして最後に、とある妖獣の名を小さく呟くと、彼女はテラスを後にした。
――夜は、まだ始まったばかり――




