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85:〔紅霧〜普通の白黒、しがない灰色〕

 ふと目が覚めると、世界が赤く染まっていた。


「……いや。いやいやいや」


 さすがにそれは無い。きっと久々に外で寝たから寝ぼけているんだ。参った参った、風が気持ちいいからってむやみに外で寝るものじゃないな。いくら慣れ親しんだ木の上とは言え、こんな強烈な寝ぼけを起こすとは……。

 そんなことを考えながら、ゴシゴシと目を擦る。ついでにひとつ欠伸をしてから、何の躊躇いもなく再度目を開く。


「……いや、まぁ……予想はしてたけどさ」


 思わず溜め息をついて肩を落とす。薄々感づいてはいたが、一体何がどうなればこんな現象が起きるのか。

 灰色に戻った髪をくしゃくしゃと掻き乱し、眠っていた木から一度飛び降りる。何が起きているのかを確認するなら、まずは幻想郷全体を見るのが手っ取り早い。そう思った僕は、今いるこの場所――妖怪の山の中腹辺り――から、思い切り跳躍した。

 そうして見た景色は、まぁ、なんというか。

 とりあえず、ろくな状況ではないな、と確信できる程度には異常なものだった。なぜなら――


「一寸先は闇……いや、紅って感じかな」


 ――幻想郷は、真っ赤な霧に余すところなく包まれていたのだから。










「と、いうわけなんだけど」

「十中八九吸血鬼の仕業ね。範囲といい、色といい」

「吸血鬼……レミリア、っていったっけ。また凄いことやらかすなぁ……」

「けれどまぁ、そう心配することもないでしょう。きっと今頃霊夢が異変解決に動いてるはず」


 珍しく朝から起きていた紫に赤い霧のことを伝えると、これまた呑気な答えが返ってきた。どれくらい呑気かと言えば、少なくとものんびりお茶を飲んでいるくらいには。

 ちなみに藍は朝食の準備、橙はあの悪く言えば毒々しい色に酔ってぐったりとしている。それというのも、あの時偶然橙も妖怪の山にいて、フラフラしているところを僕が連れてきたわけなのだが。


「霊夢かぁ……一人で大丈夫なのかな。あの館結構くせ者多いけど」

「気になるなら行ってくればいいじゃない。スペルカードはあるんだから」


 尚もお茶を飲みながらまったりと喋る紫。

 確かに、スペルカードは霊夢から束で貰って何枚かは造ってある。実践で使えそうなのは、黒札(例の真っ黒なスペルカード)を含めて五枚程。だが、黒札は霊夢や紫から使用を禁止されているので除外。もっとも、あんな危なかっしいスペルカードを使うつもりなどかけらもないのだが。桃鬼と志妖が見守る中、一度だけ使用してはみたが……事後の記憶が全く無く、満身創痍の二人からも絶対に使うなと釘をさされもしたし。


「……じゃあ、暇潰しにでも」

「止めはしないわ。貴方も少し他のスペルカードに慣れた方がいいだろうし」

「紫のスペルカードに慣れてもいないのに……」


 僕の言葉に優越感たっぷりの笑みを見せる紫。くそ、いつか絶対弾幕で勝ってやる。


「その前にまともに飛べるようになることね」

「どうせまだ飛べませんよーだ」


 我ながら子供っぽい捨て台詞を残し、紫の傍らに開かれたスキマに飛び込んだ。










「よっと」


 予想通り空中に吐き出された僕は、瞬時に特製の妖力弾を造り出してそれに着地した。昔妹紅にバランスを崩すことは無いのか、と聞かれたことがあったが、もちろんバランスは崩れる。飛行方としては欠陥だらけ。役には立つがどうにも不便。それが僕の感想というか、実情である。


「それにしても……静かだな」


 赤い霧に包まれた幻想郷は、不気味なまでに静まり返っている。辛うじて見える人里にも、人の姿は皆無。皆家の中に閉じこもっているのだろう。


「当然といえば当然か。普通の人間はこんな日に出歩きはしないだろうし」

「じゃあ、私はどうなるんだろうな」

「?」


 突然かけられた声に、別段驚きもせずに振り返る。そこにいたのは、箒に乗った一人の少女だった。

 白と黒の二色で構成されたエプロンドレスに、随分と大きな黒帽子。そんな服を着た少女が、空飛ぶ箒に腰掛けている。僕の脳裏にはひとつの言葉が思い浮かんだ。


「魔法使い?」

「おぉ、よくわかったな。普通の魔法使い、霧雨魔理沙とは私のことだぜ。そういうアンタは化け猫とみた」

「その通り。長生きなだけのしがない妖獣さ。名前はミコトだ」

「……ククッ」

「……フフッ」


 全く同時に含み笑いを零す僕等。なぜだろう、彼女とは気が合いそうな気がする。


「ところで、普通の魔法使いさん」

「魔理沙でいいぜ」

「次からそう呼ぶ。こんな良い日にどこへ行くつもりだったんだ?」

「冗談キツイぜ。どこをどう見ればこれが『良い日』になるんだ」

「言葉のあやさ。少なくとも、これを引き起こした本人にとっては最高の天気なんだろうさ」


 呆れる魔理沙に、両手を上げて少し大袈裟に語ってみる。すると魔理沙は一瞬ポカンとして、すぐにクスクスと笑いを零した。帽子を目深に被って笑う姿は、赤い霧と相まってどこかミステリアスに見えた。


「道化だな、お前」

「これはひどい。結構真面目だったんだけど」


 おどけて言ってやると、魔理沙は更に笑った。つられて僕も笑ってみれば、静かな空間に笑い声だけが響いて、なおさら不気味になっていく。


「ところで、ミコト」

「うん?」

「スペルカードは持ってるか?」

「あぁ……一応ね」

「よし、なら話は決まった」


 帽子を跳ね上げ、魔理沙は少し僕から距離を取る。今更だが、空飛ぶ箒って便利そうである。


「スペルカードは三枚でいいか?」

「いつの間に戦いに話が流れていた」

「私ははなからそのつもりだぜ。お前みたいな奴と戦ってみたかったんだ。悪いが、逃がすつもりはないぜ」

「随分気に入られたみたいで恐縮しちゃうよ。スペルカードは三枚で構わない」

「よし。フフッ、後悔させてやるよ」

「吹っかけてきたのはそっちだけどね」


 言いながら、僕は背後に弾幕を展開。通常弾幕はスピード重視。先ずは、向こうのお手並み拝見と行こう。


「いくよ」

「痛そうな形してるぜ」


 瞬間、僕の背後から風を切り裂いて弾幕が走る。

 刹那、魔理沙が笑うのを僕は見た。ぞわりと背中に走る嫌な予感。気が付けば僕は空高く跳躍していて、


 恋符「マスタースパーク」


 ――その判断が間違いじゃなかったと、目の前の光景に思わず苦笑いしてしまった。


 僕の直線的な弾幕を全て飲み込んだ巨大なレーザー。反射的に跳んでいなければ、開始二秒で僕は負けていただろう。まるで幽香のあのレーザー。死にはしないだろうが、当たりたくはない一撃である。


「避けると思ってたぜ!」

「!! っとぉ!」


 背後から聞こえた声に反応して身をよじる。脇腹を掠っていく魔理沙の細い弾幕。

 が、一度身をよじってしまえば、空中で身動きができない僕は格好の的になるわけであって。


「チェックメイト、だぜ!」


 高らかに叫んだ魔理沙は、手に持った小さな箱のようなものから、弾幕を打ち出すのだった。






 ――が、しかし。


「あ、れ?」

「そう簡単に終わってもつまんないでしょうに」

「ぅえ!? い、いつの間に!」


 僕はのんびりとした口調で、魔理沙の肩に乗っかったまま呟いた。

 別にルール上変化禁止とはなっていない。緊急回避として使えるのは紫との弾幕決闘で確認済みである。

 なにせ体積が十何分の一にまで縮まるのだ。下手をすれば相手からは消えたようにも見えるだろう。その隙に箒になんとか引っ掛かり、勝利を確信した魔理沙の肩に乗っかったわけである。まぁ、箒に前脚が届かなければ、哀れ灰猫はひっそりと落ちていっていたわけなのだが。


「よっと」


 ずっと肩に乗っている訳にもいかないので早々に離脱。先ほどのマスタースパークとやらで掻き消された妖力弾を新たに生み出し、人型に変化しそれに乗った。

 同時に懐から一枚のスペルカードを取り出し、僕は紫との戦いで最早常套手段となった一枚を宣言する。


 速符「灰色の風」


 自らの通り名を模したスペルカード。

 元から速い通常弾幕の密度を減らし、代わりに速度を馬鹿みたいに上げた超特化型弾幕。

 縦三列、横三列に配置された一塊の弾幕が、放った本人も恐ろしいくらいの速さで飛んでいくのだ。

 簡単に言えば大砲を猛スピードで放っているようなものだが、発動中ずっと全力で動いていれば当たることはない。当てることよりかは、そのプレッシャーで相手を疲れさせることが目的と言える。


「…………っ!」


 そして目論み通り、発動時間が終わる頃には、魔理沙の顔には若干の疲れが見えていた。そりゃあ次から次へと大砲地味た弾幕が猛スピードで飛んでくれば疲れもする。実は威力は底辺なんだけどね。


「さすがにちょっとばかし面食らったぜ……! だが、まだまだ!」


 魔符「スターダストレヴァリエ」


 二枚目のスペルカード。

 僕は一度前髪を思い切り掻き上げて体勢を整えた。霧のせいかはわからないが、髪が顔に張り付いて非常にうざったいのだ。


「これを避けきれるか?」


 不敵に笑う魔理沙を中心に、小さな星の形をした弾幕が現れた。弧を描くように並んだそれは、一列避けきっても間髪入れずにまた次の列が飛んでくる。

 地上ならともかく、空中では間違って当たってしまうことも充分有り得る。そう思った僕は、二枚目のカードを取り出した。


 感符「喜怒哀楽四重奏」


 僕を囲むように四つの球が現れる。それぞれ色は黄、赤、青、緑。

 寸前まで迫っていた星の弾幕は、赤色の球から吐き出される暴力的な弾幕で破壊された。


「さっきの言葉、そのまま返すよ」


 ニヤリと笑った僕の周りで、四つの球が高速回転を始めた。

 風切音がうるさい程に鳴り響き、湿った髪が風圧で舞い上がる。

 そこで、魔理沙のスペルカードの効果が切れた。遠目からもわかる程度に悪態を付き、急いで三枚目のスペルカードを取り出す魔理沙だったが、それを待つほどお人よしでもない。


「チェックメイトだ」


 既に魔理沙の四方を囲んでいた四色の弾幕が、一斉に彼女に襲い掛かった。










「負けちまった……」

「そんなに落ち込まなくとも」


 ボロボロになった魔理沙を抱き抱えながら、落ちていった箒を歩いて捜す。

 僕の弾幕に滅多打ちにされた魔理沙は、ぐったりした様子で呟いていた。

 本当なら魔法で箒を呼ぶくらいは出来るらしいのだが、負けたショックとダメージでやる気が起きないんだそう。まさかそこらの妖獣に負けるとは思ってなかったらしい。


「お前何者なんだよ。戦ってる最中は気付かなかったけど、反則だぜそんな妖力」

「うーん……。空中で全力出しても無駄なだけだから」


 隠しているつもりでは無かったのだが。こうして身体が触れた状態だと、僕の妖力が分かってしまうらしい。


「だいたい……ミコト、なんて妖獣見たことも聞いたこともな……い……」

「どうかした?」

「灰色の妖獣……ミコト……? え、まさか……」


 僕の腕の中で何やらぶつぶつと呟いている魔理沙。何やら思うところがあるらしい。

 と、そこで。


「あ、あれじゃない? 魔理沙の箒」

「え?」


 魔理沙を抱き抱えたまま跳躍。木の枝に引っ掛かっている箒を尻尾で掴み、なるべく優しく着地する。


「さて、立てる?」

「あ、あぁ。めんどくさいから歩かなかっただけだぜ」

「…………まぁいいや。それなら大丈夫だろ。僕はもう行くよ」

「ま、待て!」

「?」


 妖力弾を造り出し、それに飛び乗ったところで呼び止められる。


「まさかとは思うけど……お前、もしかして!」


 ……どうやら僕の正体が今頃わかったらしい。まぁ、百年程いなかった奴がいきなり目の前に現れたのだから、いくら資料か何かで知っていたとしても、気付くのは難しいだろう。

 クスリと笑い、僕は最初と同じようにこう言った。


「なに、単なる長生きなだけの妖獣さ。普通の魔法使いさん」


 呆気にとられている魔理沙を余所に、僕は空に向かって飛び上がるのだった。


原作通りには進みません。

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