81:〔百年の……〕
「……うん、いいかな……。ハイ、全部終わったよ」
目の前の金色を指で何度か梳いてみて、引っ掛かりが無いことを確かめる。そのなんとも言えない感触に目を細めていると、それの持ち主が首だけで振り返って僕を見た。
「ありがとうございます。自分では先の方まで手が届かなくて……」
「いやいや、役得役得」
「ひゃんっ! ……もう、ミコトさんは……」
可愛らしい声を出しながらも、藍は尻尾に抱き着いている僕を突き飛ばしはしなかった。それをいいことに、思う存分そのモフモフ感を楽しむ僕。
やはりブラッシングした後の藍の尻尾は格別だ。橙が飛び付きたくなるのもわかる。
「しかし、やはりミコトさんは上手いですね。思わず眠ってしまいそうでした」
「うん? あぁ、そういえば僕が戻ってきてからはしてあげてなかったか。それまでは日課みたいなもんだったのにね」
「えぇ……。橙と、貴方と三人で……いや、三匹で、ですかね。とても、幸せでした」
「…………」
確かに、と心の中で返事をしておく。
封印から解放されてからは問題事の連続で、ゆっくりしている暇がなかったものだから、なおさらあの頃が綺麗なものに思えた。
でもまぁ、今のところは少なくとも平和なのだし。
「えぃ」
「わっ、ミコトさん、なにを……?」
尻尾から離れ、藍の帽子を強奪。文句を言われる前に、彼女の髪を櫛に通した。……当たり前だが、ブラッシング用と髪用は別である。
僕のいきなりの行動に、藍は身体を固まらせていた。髪を触られているのでむやみに動けないのだろう。
そんな彼女を余所に、僕は一つまみずつ丁寧に髪を梳いていく。
「嫌?」
「い、いえ……そういうわけでは……」
「なら、このまま」
それっきり藍は喋らなくなったが、僕は変わらず髪を梳き続けた。
――こんな、何でもない日常生活。その中に自分がいられることが、ありがたかった。
「さ、て」
藍と談笑を楽しむこと数時間。そろそろいい頃合いだろう。
僕は立ち上がり、藍にこれから出掛けることを告げた。
「どこへいくんですか?」
「ちょっとね。本当ならもっと早く行く予定だったんだけど……。一応、身体が万全になるまで休んでたんだ」
「はぁ……」
僕がここに帰ってきてから一週間。あのプチ宴会の翌日から身体の調子は戻っていたが、それでも万全かと聞かれれば微妙なところでもあった。なので、しばらくはここ、マヨヒガでおとなしくのんびりと暮らしていたのである。
で、なぜ僕が自分の身体が万全になるまで待っていたのかというと……。
「太陽の畑、かぁ。今日は晴れてるから、また一段と綺麗なんだろうな」
「……太陽の畑ですって? まさか、ミコトさん」
「そのまさかさ。じゃ、行ってくるよ」
「あ、ミコトさん! まっ……」
待ちません。
僕は一瞬で家から飛び出して、藍を尻目に地面を蹴るのだった。
「っと。……到着」
風が気持ち良かったので思わず空に跳び上がったりしたが、とりあえず太陽の畑に到着した。というか、何故僕は普通に空を飛べないのか。藍に教えてもらってもさっぱりだったし、こればっかりは諦めるしかないのだろうか。しかし、皆飛べて自分だけ飛べないというのもなかなか悲しいものである。
「……まぁいいや。とにかく幽香を捜そう」
どうしても飛びたくなったら椛辺りの肩に乗っかれば良い。椛なら快く承諾してくれそうだし。
そんなことを考えながら向日葵の畑に足を踏み入れる。
向日葵は皆一様に空を仰いでおり、つられて空を仰ぐと太陽の光が僕の目を直撃した。自分で言うのもなんだが、馬鹿である。
「くぅっ……。いい天気だ。でも、少しくらい曇ってるくらいが丁度いいんだけど……」
目を擦りながら呟いてみる。いくら擦ったところで視力が早く戻るわけでもないのだが……。
尚も目を擦りながら向日葵畑を歩き続けること数分。少し開けた小高い丘に一軒の家を発見。言わずもがなこの太陽の畑の住人、フラワーマスターこと風見幽香の家である。
が、家の中からは幽香の気配が感じられない。どこにいったのだろうか、と額に手を当てて真剣に気配を探ってみる。
「少し集中して幽香の『命』を……!?」
その瞬間、全身の毛が逆立つような感覚に襲われた。
そのすぐ後に、日陰が僕の身体を覆う。遮られた熱気と、現れた妖気。どうせなら逆が良かったなぁ、なんて思いながら、僕はゆっくりと振り返った。
「久しぶりね」
「……まぁね。ごめんよ、すぐにこられなくて」
「あら、わかってるじゃない」
ちらりと足場を確かめてから、僕は幽香と視線を合わせた。幽香はそんな僕に手を伸ばし、依然として白いままの僕の髪に触れる。怪訝そうな表情に、僕は少し身体を強張らせた。
「……どうしたの、コレ」
「いろいろとあってね。色が抜けちゃったのさ」
多分髪が伸びればまた灰色に戻るのだろうが。
「ふぅん……」
興味なさ気に返事をする幽香。その割には髪から手を離さず、サワサワと撫でるように触り続ける。
それが少しくすぐったくて、思わず幽香の手に顔を擦り付けてしまったのは、猫の本能ということにしておこう。そんな本能ありはしないが。
「……まぁ、いいわ。それより貴方、身体の方は大丈夫なの?」
「ん? あぁ、大丈夫。全力で幽香と戦っても平気なぐらいには……ね」
「へぇ」
ニヤリ、と僕の言葉に幽香が笑う。つられて笑う僕も、彼女と同じような好戦的な笑顔になっているのだろう。
「最初からそのつもりだったのかしら」
「じゃなきゃ、もっと早くここに来てる」
「……フフッ。やっぱり貴方、良いわ。そうよ、貴方がいない日々はとてもつまらなかった。もう私は、貴方無しでは生きられない」
吊り上がっていく口の端。途端に彼女の身体から沸き上がる、膨大な妖力。
ザワザワと向日葵達が僕等を避けていく。
「百年以上私を放置していたぶん……これからたっぷり、相手してもらうわ。フフ、今日はとびっきり激しくいきましょう? 拒否権は無しよ」
僕の耳元で妖艶に囁いた幽香は、踵を返して僕から離れていく。そして数メートル離れたその場所で、日傘を閉じてその先端を僕へと向けた。そこに急速に溜まっていくエネルギー。
「……?」
その光を見て、僕は首を傾げた。おそらくは、あの馬鹿げた威力のレーザーを放つつもりなのだろうが……なぜ、距離をとった?
自慢じゃないが、そんなあからさまな攻撃は簡単に避けられる。零距離砲ならともかく。
疑問を覚えたが、例え罠であろうとここにいては直撃を食らってしまう。元より打たれ弱い僕があれを食らえば動けなくなるのは確実。とにかくこの場所から移動しなければ……。そう思い、足を後ろに踏み出そうとする。が。
「って、あれ」
ガクン、と足が何かに突っ掛かり転びそうになってしまった。
まさかと思い足元を見れば、地面から生えた根や草、そして茎が僕の足をがんじがらめに固定している。
「さぁ、どう逃げる?」
目の前には狡猾な笑みを浮かべる幽香の姿。
さて、どうする。どう考えてもこれはピンチだ。
僕に向けられた傘の先端の光が、一瞬脈打ったかのように膨れ上がる。避ける時間は残されていない。
「参ったな」
そんな本音を呟いた瞬間、まばゆい光が僕に襲い掛かかっていた。
「……あら?」
幽香は攻撃を放った直後、間の抜けたような声を出していた。この程度の不意打ち、彼ならば簡単に避けるだろうと考えていたからだ。その証拠に、彼女は即座に追撃を仕掛けようと飛び掛かる準備をしていた。
が、目の前の光景は、彼女が思い描いていたものとは全く違うものになっている。
思わず上下左右、彼がどこからか飛び掛かってくるのでは、と警戒するも、そんな気配は全く感じられない。当たり前だ。本人は今、彼女が放ったレーザーの真っ只中にいるのだから。
まさか、とありえない考えが彼女の頭を過ぎる。
だがしかし、彼女が知る彼は、この攻撃を防御しきれる程耐久力には優れていない。
ならばやはり、この一撃で終わってしまったのでは――?
そんなことを考えている内に、彼女の攻撃は終わっていた。
傘を一度優雅に振るい、草がえぐれて土が吹き飛んだ一筋の道を細い目で見つめる。
「……ウフフ、そうよね。あれで終わりなんて、ありえないわ」
その先に立っていた彼の姿を見て、彼女は先ほどの考えを喜びで塗り潰すのだった。
「ふむ」
攻撃が止んだのを確認して、僕は足を地面に縛り付けている茎諸々を爪で切り裂いた。
土煙の向こう、嬉しそうに笑っている幽香の姿を見て、軽く肩をすくませてみる。
「随分と強い結界ね」
「うん。僕もここまで上手くいくとは思わなかった」
現在進行形で僕を包んでいる結界は、以前のそれよりも遥かに強力な力を帯びている。幽香のアレを防げた時点で、これは使えると確信した。
まぁ、これを思い付いたのはレーザーが来る数秒前で、上手くいくかどうかは完全に運任せではあったのだが。
「ぶっつけ本番にしては、なかなかかな。」
『命を分け与えた』結界を解き、足元に警戒しながら幽香に向き直る。もうあんな不意打ちを受けるわけにはいかない。
「まさかアレを真正面から受け止めるなんて……。興奮しちゃうわぁ」
小指を甘噛みしながらウットリと呟く幽香。ゾクリときたのはきっと気のせいだろう。
「まだやるの? 僕としては」
「愚問ね」
「ッ!?」
一瞬で目の前に迫った傘による突きを頬に掠らせ、僕はその傘を反射的に掴みとる。
ギシギシと傘の骨組みが鳴いている中、近距離で顔を突き合わせる僕等。
「こんなに身体が熱くなったのは久しぶりなのよ……! 責任取ってくれるわよねぇ……」
「百年越しの高ぶりかい……っ! 僕に受け止め切れるかなっ」
「違うわ。貴方でなきゃ、駄目なのよっ!!」
「!? うわぁっ!!」
言葉と共に僕の両足が地面から離れるのを感じる。しまった、と思った瞬間、僕の身体は凄まじい勢いで傘もろともぶん投げられていた。
驚きながらも体勢を整え、振りかぶられた幽香の一撃を彼女の傘で受け止める。が、空中で支えが無い僕の身体は、傘ごと垂直にたたき落とされた。
「くっ……!」
傘で防いだぶん勢いはいくらかは軽減出来たのだろう、なんとか四ツ足で着地する。ミシミシと、今度は僕の骨組みが泣いていた。
思わず表情が歪ませながらも、追撃を防ぐか避けるかするために顔を上げる。
――そこには、大小様々な弾幕が広がっていた。
「アハハハハハッ!!」
「くぅっ……!」
今の幽香に遠慮という二文字は存在しないらしい。着地直後に降り注いできた弾幕に、手元の傘を迷わずに広げる。幽香の拳を喰らっても壊れなかったのだ、弾幕で壊れることはあるまい。
ドドドドドッ! と手に伝わる振動。身を縮こまらせて傘に全身を隠しながら、溜まった息を大きく吐き出す。
――戦いになるだろうとは思っていたが、ここまで激しいのは想定外。こうなったらこちらも本気でいくしかないだろう。そうしなければ、こちらの身が危ないというものだ。
いろいろと謝りにきたはずだったんだが……。まぁ、仕方あるまい。
「……まずは幽香の熱を冷まさなきゃ、ね!」
「そうこなくちゃ! アハハッ、さぁ、思う存分踊りましょう!?」
「はぁっ、はぁっ」
「ふぅ、はっ、満足、した?」
「はぁ、っ、私を疲れさせるなんて、貴方ぐらいのものよ、はぁっ……」
二人で地面に寝転がりながら、そんな会話を交わす。太陽はすでに空から退場していて、今は月明かりだけが僕等を照らしていた。
首だけを動かして幽香を見る。ところどころ土汚れがついているが、大した傷は見当たらない。当然だ、そんな攻撃を当てた覚えは無い。
気が付けば幽香もこちらを見つめていて、彼女は困ったような笑顔で口を開いた。
「ボロボロに見えて、そうでもないのね。当たり前か、そこまで攻撃を当てた記憶がないもの」
「着物はボロボロだけどね……」
あちらも同じことを考えていた様子。
ちなみに今の僕の状態は、幽香と同じようにところどころ土汚れがついているだけ。着物がボロボロなのを除けば、大したダメージは負っていない。
「よっ……と」
息が整ったところで身体を起こし、未だ寝転がったままの幽香の隣に移動する。
幽香に見上げられながら、僕は当初の目的を遂行することにした。
「こんな状況で何なんだけど……ゴメン」
「? 何の話よ」
「いや、僕が暴走してた時にさ、ひどい怪我させちゃったな、と。それだけじゃないとは思うけど……」
「なんだそんなこと。いいわよ、許して……」
幽香の言葉が不自然に途切れて、僕は自然と幽香の顔を見てしまった。そして、何となくだが、後悔した。
「貴方今、『それだけじゃないとは思うんだけど』って言ったわよね」
それというのも、寝転がったままの彼女は、蠱惑的な笑顔でこちらを見上げていたわけであって。
「……言ったけど……」
「前言撤回よ。やっぱり許してあげない」
「へ?」
「百年も私を放置していた罪は、簡単に許すわけにはいかないわ。と、い・う・こ・と・で……」
「え、何、何!?」
僕の両手両足が向日葵の茎で縛られていく。いきなりのことに、なす術も無く身柄を確保されていく僕。
「一名様、ごあんな〜い」
「ちょっと、え? 何するつもりなのさ!」
「別に何もしないわよ? ただ、ほんの少し貴方の温もりを感じたいだけ。嫌ならいいわよ、貴方のことは一生許さないから」
「う…………」
「いい子ねぇ……。ほら、拘束は解いてあげるから自分で歩きなさい。まずは身体を洗わなきゃ」
「……まさか」
「そのまさかよ」
妖艶に笑う幽香。
僕はこれから何が起きるのかを考えては止めを繰り返しながら、彼女の隣を歩くのだった。
なんでこうなったのかなぁ……。
後日談的なものをまだ続けるか、それとも切り替えて次に進むか迷い中……。




