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80:〔ただいま〕

「ん…………」


 身体が、重たい。

 寝返りを打とうとしてそう感じ、僕はそれを諦めてゆっくりと目を開いた。

 少しずつ開けていく視界。まず最初に目に入ったのは、ゴツゴツとした岩の壁。いや、天井というべきか。見覚えがある濃い灰色に、僕は軽く息を吐く。と、その時、視界の端からニョキッと二本の角が生えてきた。右から左から、こちらも見覚えがある。

 少し驚き、パチパチと瞬きを繰り返す。ぼやけていた視界がクリアになり、僕は微妙なけだるさを感じながら上半身を起こした。


「おはようさん。白ミコト」

「…………」


 僕の右側、桃鬼がくだけた口調で笑いかけてくる。


「桃鬼……?」


 彼女の名を呼び、僕は震える手を彼女に伸ばした。

 おそるおそる触れた首筋――。そこには傷一つ、ない。

 強く締め上げたせいでついていた圧迫痕も、爪が食い込み、皮が破れた傷痕すらも、ない。

 くすぐったそうに僕の手に顎を擦り寄せる桃鬼は、僕が彼女にしているのと同じように、僕の首筋に手を当ててきた。


「アタシは生きてるよ」

「…………!」


 その言葉を聞いた瞬間、僕の心臓が跳ね上がっていた。

 蘇る、桃鬼の首を締め上げているあの感触。

 震えはじめた手を引き戻し、頭を抱える。


「……僕は、また……取り返しのつかないことを……」


 次々と蘇る記憶。寝ぼけることすら許されず、僕は自分がしてしまったことをひとつひとつ、ゆっくりと。半ば強制的に確認していった。

 ……気が付けば、身体の震えが、止まらなくなっている。

 そうだ……僕はこの手で、今頭を抱えているこの手で、桃鬼を、文を、椛を、皆が命懸けで止めてくれていなかったら、もっともっと沢山の人を……!


「ミコト……」


 小さく聴こえた桃鬼の声。

 今は彼女の声を聞くだけでも、胸に熱いものが込み上げてくる。熱すぎて、痛すぎて、本当に、胸が引き裂かれそうだ。


「桃鬼……。僕は……僕は……」


 抱えた頭に爪を立て、ぐしゃっと髪を握り締める。

 苦しくてどうにかなってしまいそうだ。今にもこの伸びた爪で、ぐしゃぐしゃに頭を掻きむしってしまいたい。

 けれど、そうしたところで何が解決するわけでもない。そう思って、頭から胸に手を移動させた。


「……ミコトさん」


 固く目をつぶっていた僕に、志妖が声をかけてきた。僕が反応するよりも先に、志妖は続ける。


「ミコトさんが後悔するのはわかります。自分の意思でなかったとはいえ、桃鬼様や、天狗の皆さんをその手にかけてしまったんですから。いくら皆様が生きていても、ミコトさんの罪は消えません」

「…………」


 淡々と語る志妖。当たっているだけに、返事をしようとも思わない。

 そう。いくら皆が生きていたとしても、僕が皆を殺しかけた事実は消えやしない。逆に言えば、僕が死んだとしても、その罪は消えないのだから。


「それに……私自身、何も思っていないわけじゃありません。当たり前でしょう? 目の前で『大切な方』が殺されかけて、何も思わないわけがない。……一瞬、貴方に殺意すら湧いたのを覚えている」

「…………!」


 瞬間、身体に感じる圧迫感。ぞわりと背中を走る嫌悪感。吐息を漏らす口の端を、いきなり現れた汗が通り過ぎる。

 身体が強張る。無理に口を閉じようとして、唇を噛み切ってしまった。

 ……認めよう。今、僕は志妖に怯えている。

 固く閉じていた目はもう開いている。

 志妖から発せられる妖気に、僕の身体は危険だと告げて今にも逃げ出せる体勢を作りだしていた。

 だが、僕は顔を下げたまま動くことをしなかった。暴走の反動か、はたまた今まで眠っていたせいか、身体が思うように動かないこともある。けれど、たとえ身体が万全だったとしても、僕はこうしていただろう。

 ……今逃げ出したりしたら、僕は完全に自分を見失ってしまうだろうから。


「……ですが」


 と、そこで不意に圧迫感が消えていた。力無く顔を上げれば、そこには困ったように笑う志妖の姿。


「殺意が湧いたのは一瞬だけで、すぐに消えて失くなりました。当然です。私にとっては、ミコトさんも『大切な方』なんですから」


 言いながら、僕の手を握る志妖。先程強く握り締めていたせいで血が滲んでいたが、彼女は全く気にせずに、ただ優しく両手で包み込む。


「私は、桃鬼様が生きていることと同じくらい貴方が……ミコトさんが生きているのが嬉しい。だから、そんなに自分を責めないで下さい」

「でも……」


 手を握られたまま、僕はまたしても俯いてしまった。情けないとは思うが、今はどうしてもこうなってしまう。


「僕は……自分が許せない。皆、必死になって僕を止めてくれた。助けようとしてくれた。なのに、僕は、そんな君達を殺そうとしてたんだ。本気で、全力で、殺したかったんだ」

「ミコト、それは」

「わかってる……わかってるけどさ……。僕は、何が原因であれ、君達を『殺したい』なんて思ってしまった自分が、それを行動に移してしまった自分が……許せないんだ……」


 僕が暴走してしまった原因――何百何千という人間の負の感情。

 それを抱え込んだのも自分なら、抱え込み切れなかったのも自分。全ては、僕が弱いせい。

 負の感情に飲み込まれるような弱い自分も、飲み込まれて暴走していた自分も、僕は等しく憎い。

 許せない。許すことなんて、出来るはずもない。


「憎い……。弱い自分が、許せないよ……嫌だ、迷惑かけて、そのくせただ生き残るなん……て……、……?」

「ミコト?」

「……あ、れ……?」

「ミコトさん? しっかりしてください!」


 ぐらりと世界が揺らぎ、代わりと言わんばかりに脳裏に浮かぶ、真っ白な空間。

 誰も訪れることのない、規則的な電子音だけが部屋を彩る閉鎖空間。

 そこで僕は、生きていた。


 ――そして、死にたかった。


「ミコト、しっかりしろ! 意識を保つんだよ!」

「くっ……ミコトさん!」


 ――視界が滲んでいく。誰かが僕を揺さぶって、僕の名前を呼んでいる。


 ――誰だっけ。


 ――医者……だっけ。









『違うよ』

「!」


 気が付けば、目の前には一人の少女が立っていた。

 周りは真っ白な空間。病室ではない、ただ本当に、境目すら消えた真っ白な空間だ。


「君は……」

『…………』


 僕がそう言うと、彼女は少し悲しそうに微笑んだ。灰色の瞳が僕を映している。


『辛い……記憶だね』

「え……?」

『でも、仕方ないの。あの記憶は、貴方が貴方である証。私と貴方が混じり合う中、それでも貴方が貴方でいられるための記憶』

「え……っと」


 僕が困惑していると、彼女はトコトコとこちらに近寄ってきた。


『貴方は少し、不安定なのね』

「…………」

『あの能力も、そんな自分を守るために生まれたのかもしれない……。けどね、いつまでもそれに頼っていては、駄目』

「…………?」

『逃げては駄目。けど、たった独りで立ち向かうのも、駄目』

「……じゃあ、どうすれば?」

『私も独り……一匹じゃ、何も出来なかった。けど、今の私には貴方がいる。それと同じように、貴方にだって……フフッ』










 ――うらやましい。そんなに想われてる貴方って。










「ミコトッ!」

「っ!」


 身体を大きく揺さ振られ、僕は目を覚ました。いや、『戻ってきた』の方が正しいかもしれない。

 目の前には、心配そうに僕を見つめる二人の鬼の姿。


「……そっか……」

「…………?」


 頭を抑え、いつの間にか荒れていた息を整える。

 切れた唇から血が滴り、決して軽くは無い痛みを感じながら、僕は二人に顔を向けた。


「僕は……独りじゃないんだね……。わかってるつもりだったけど、全然、わかってなかったみたいだ」


 今、僕はどんな顔をしているのだろうか。もしかしたら、とても情けない顔をしているのかもしれない。だって、わけもわからずに零れそうな涙を堪えるのに大変なのだから。


「今更かもしれないけど…………ごめんよ。いろいろと迷惑かけた……あと」


 手を伸ばし、二人を肩に抱き寄せる。抵抗はなかった。


「…………ありがとう」










 で、時は流れて。


「ほら、志妖も飲みなよこんなときぐらい」

「い、いぇ……私お酒はちょっと……」

「鬼なのに酒が苦手……ですか。ふんふん、これは興味深いですねぇ」

「文さん……酔ってるくせに取材根性出さないで下さい……あぁ、字がのたうちまわって」


 すっかり暗くなってしまった妖怪の山、桃鬼の洞窟ではプチ宴会が開かれていた。ちなみに今の状況は、すっかり出来上がった萃香が志妖に酒を勧めていたり、鬼なのに酒を飲まない志妖に興味津々な文を椛がそれとなく抑えていたりと、まだ平和と言えば平和な状況である。

 と、いっても。僕は洞窟の中にはいないのだが。


「こんなところにいたか」

「……桃鬼」


 ガサガサと木の葉が擦れる音がして、直後に桃鬼が僕の隣に現れた。

 僕が今いるのは、割と大きめな木の枝の上。二人乗ったら折れるんじゃないかと一瞬考えたが、よくよく考えれば重量的には女性一人に猫一匹の重さである。大丈夫だろう。


「まだ考えてたのかい?」

「そりゃあ、ね。簡単には切り替えれないというか」

「でも、あの天狗娘達もいいって言ってくれたんだろう? なら、ウダウダ悩むこともないだろう」

「…………まぁ、ね」


 確かに、文と椛はすぐに許してくれた。

 向こうからしてみれば謝られたことが予想外らしく、後半からはどちらが謝っていたのかわからなくなってしまった程だ。


「紫も結局見つからなかったし……」

「ま、あの妖怪なら文字通りひょっこり現れるだろうさ。捜すだけ無駄だ」

「…………」

「……えぇい、調子が狂う。ホラッ、元気出しな! 空元気でも何でもいいからさ! 過ぎたこと考えたって仕方ないじゃないか、アタシラが許すって言ってんだからいいんだ、それで不満ならこれからどうするかを考えな!」

「グフッ」


 背中に容赦無い一撃を食らい、危うく枝から落ちそうになる。が、そこは桃鬼が支えてくれていた。落ちても着地する自信はあったが。

 咳き込みながら、僕は改めて枝に腰を下ろした。

 月を眺めて、桃鬼の言葉を口に出してみる。


「過ぎたこと考えたって仕方ない、か……」

「あぁ」

「……そだな。そうする。じゃあ早速行ってくるわ」

「そうそう……って、え?」

「ちょっとばかり気になってることがあったんだ。大丈夫、星が見えてるうちには帰ってくるさ。じゃ」

「え、ちょっとミコト!? アタシとしてはもう少しここで……」


 桃鬼が全てを言い終える前に木から飛び降り、着地と同時に駆け出す。

 向かうは、迷いの竹林。そして――永遠亭だ。










「到着……と」


 若干ふらつく身体で永遠亭に到着。どうにも身体の調子が優れないが……まぁ、大丈夫だろう。僕はそう判断して、ここにいるであろう人物の姿を捜す。


「永琳は……」

「ここよ」

「わぉ」


 いきなり声をかけられ、僕は抑揚のない声を上げた。何となく予想出来てたしね。


「あら……貴方その髪」

「あぁ、うん。抜けたみたい」


 これだけ聞くと髪が抜けたようにしか聞こえないが、別にハゲたわけではない。抜けたのは、色である。

 あの灰色……あの時は黒だったか。あの霊夢という人物、僕の負の感情を封印してくれたらしいのだが、どうやらそのショックで髪の色素まで抜けてしまったらしい。今では僕は完全に白髪である。


「どうしたの? こんな夜に外なんかに出て」

「たまにはゆっくり空を眺めたくなるのよ。特に意味はないわ。貴方こそ、こんな夜にどうしたの」

「ん……。いや、少し聞きたいことがあって、ね」


 言いながら僕は着物の内側をまさぐる。少しして僕が取り出したのは、あの灰色の小箱。まだ中身はみっしり詰まっていて、振ればザラザラと中の丸薬の音がする。

 それを見た永琳は、別段驚くこともなく口を開く。


「ソレ、使ったの?」


 その質問に、頷くことで答えを返す。


「使うには使った。けど」

「二粒飲んだのに死ななかった、かしら?」

「…………うん」


 言おうとしていたことを先に言われ、僕は少し罰が悪くなる。永琳がやっぱりね、と言わんばかりに溜め息をついた。

 僕に歩み寄り、小箱を掴みとった彼女はおもむろにそれを開け、中の丸薬を一粒つまんで取り出す。


「やっぱり、少し改良しておいて正解だったわね。それでも生き残れるかどうかはほとんど賭けではあったんだけど」

「…………?」


 永琳の言葉の意味がわからず、僕は首を傾げていた。

 小箱を閉じ、そんな僕に向き直る永琳。


「何となく、だったんだけど。貴方ならどれだけ警告しても二粒飲みかねない、と思ってね。隙を見て改良しておいたの。作用はそのまま、副作用はなるべく抑えられるようにね」

「……はは、僕ならって……」


 永琳にもそんな風に思われていたらしい。事実当たっているので笑うしかない。

 それにしても、隙を見て……?


「いつそんなことを? 僕、その薬手放した覚えがないんだけど……」

「貴方が前にここに来た時よ。眠っている貴方から着物を脱がした時に出てきたから、これは丁度いいと思ってね。ほら、一日だけあの着物着てなかったでしょう?」


 言われてみれば、と思い返す。あの日は……そう、確か鈴仙の能力の練習が始まった日だ。あの日だけ、僕は灰色ではなく派手な色合いの着物を着ていた気がする。

 あの一日で改良したのか。じゃあ、あの日が無ければ僕は今頃……。


「死んでいたでしょうね」

「…………何で考えてることがわかった?」

「途中から口に出ていたわよ、気をつけなさい」


 クスリと笑って僕に背を向ける永琳。編まれた長い髪が大きく揺れて、一瞬だけそれに目を奪われていると。


「この薬、返してもらうわよ」


 後ろ手で見せられた灰色の小箱。

 返事を待つこと無く、永琳はすたすたと歩いていく。


「……ありがとう。助かったよ」

「どういたしまして」


 そんな軽いやり取りを最後に、僕は竹林の闇へ、永琳は永遠亭の中へと消えた。

 本当に、永琳には世話になる。知らず知らずのうちに助けられているものだ。


「さて……戻るか。皆潰れてなきゃいいけど……」


 未だ覚束ない足元。一度二度、強く地面を踏み締めた僕は、顔を上げて地面を蹴った。















「あれ、早かったね」

「大した用じゃなかったから」


 十分程かかって洞窟に帰還。焚火に照らされている面々は未だ酒を飲み続けていた。

 僕は萃香の隣に座り、全員の顔を伺う。

 萃香は常日頃から酔ってるようなものなのでまあいい。

 志妖は相変わらず素面。どうやら萃香の猛攻を凌ぎきったみたいだ。若干息が乱れている辺り、その攻防はつい先程まで続いていた模様。

 文は……笑っている。笑い上戸か、関わらないでおこう。

 その隣にいる椛は、酒を片手に俯いている。文の相手をして疲れたと見える。

 桃鬼は……。


「あれ、桃鬼は?」

「桃鬼ならあそこ。ふらっと洞窟に戻ってきてからあの調子さ。ずいぶんいじけてるみたいだけど、何かあったのかね?」


 萃香の視線を辿ると、壁に寄り掛かって何かぶつぶつ言っている桃鬼を発見。事あるごとに酒を煽っているのを見るに、酔っ払ってるのは明白だった。

 というか、もしかしていじけてるのは僕のせいだったりするのだろうか。なぜか能力が使えないのでその心中はわからないが……。


「桃鬼?」

「……だって……しい」

「?」

「…………」


 桃鬼に近付いて耳を澄ましてみるも、呟きが小さ過ぎてよく聞こえなかった。それどころか、桃鬼はいきなり、キッ、とこちらを睨みつけるように見てきた。思わずびくりと後ずさり。


「と、桃鬼?」

「アタシだってねぇ……」

「ちょ、落ち着い……」

「アタシだって、寂しいときは寂しいんだよぉ! それなのに、アンタは、アンタわぁ……!」

「ぐぁっ! ……く……桃鬼、絞まって……」

「うるさいうるさい! 今日はこのままがいいんだ! アタシを一人にした罰だ!」

「ちょ……」


 ――ガシャアアアン!!

(な、なんだ!?)


 首が七割方絞まっている僕は心の中でそう叫ぶ。

 桃鬼の腕を何とか外し(場所が首から胴体に変わっただけ)、焚火がある方向に顔を向けた。

 見れば、椛が立ち上がってこちらに歩いてきているところだった。焚火の脇にはキラキラした破片、つまり酒瓶だったものが落ちている。


「も、椛?」

「…………」


 椛は無表情のまま、僕の目の前で立ち止まった。桃鬼は僕の身体にくっついたまま離れない。


 ――ヤバい。なんか知らんが、ヤバい。


 本能でそう感じ取った僕は、地面を蹴ってエスケープ――しようと思ったが、謀ったかのように桃鬼がその身体を押し付けてきた。当然ながらバランスを崩した僕は、後ろに倒れて盛大に後頭部をぶつけてしまう。

 痛いと思ったその時には、椛がその顔を近付けてきていて――。


(ほ、他の奴らは!?)


 助けを求めようと首だけを動かして他のメンバーを見てみるも、文はいつの間にか酔い潰れている、萃香はニヤニヤと楽しそうにこちらを見つめるだけ、志妖に関してはまず姿すら見付からない。

 助かる術が見付からず、焦って顔を戻してみるも、すでに椛の顔は寸前まで近付いてきていて――。


「んむっ……!」

「あむ……むぅ……」


 ――僕の唇は、容赦無く椛に奪われていた。

 しかしそれだけでは終わらない、触れた唇の間から這い出してきた椛の舌が、強引にこちらの口内に侵入してくる。と、同時に流れ込んでくる、唾液が混ざったとある液体。それが酒であることはすぐに理解できたが……。


(なんで口移し!? え、椛って酔ったらこうなるの!?)


 半ばパニック。

 零れた酒が僕の口周りを濡らし、口を離した椛はそれを綺麗に舐めとっていく。

 こそばゆい感触に思わず顔を逸らしたが、椛の両手が僕の顔をがっしりホールド、力の入らない手で椛の肩を掴むも、抵抗叶わず再度僕の口内は彼女の舌で弄ばれる。


「いやいや、発情期の犬ころは情熱的だこと」


 あくまでも傍観姿勢の萃香の声が聞こえてくる。

 酒を飲んでしまったせいか、ただでさえ鈍い身体の動きが更にぎこちなくなり、ぶんぶんと元気に揺れる尻尾を映していた視界も次第にぼやけていく。

 もしかしたら、ダメージが抜けきっていないのかもしれない。もしくは、薬の副作用が残っているのか。どちらにしろ、抵抗できる程の力は僕には無い。

 あぁ、僕はこのまま椛に弄ばれてしまうのか……。酔っ払い椛、恐るべし。これからは気を付けよう。


「う……頭が……って、何をしているんですか!! ミコトさん、離れて下さい!」


 と、そこで救世主の志妖登場。

 あっという間に椛を、若干時間をかけて桃鬼を僕から引っぺがす。

 助かった。志妖の言い方じゃあまるで僕がやっていたかのようだけど、もうどうでもいい。


「……も、ムリ……」

「え? ミコトさん、ちょっと……」


 志妖が僕を揺さぶる。が、逆にそれが僕の意識を闇に落としていく。

 目を閉じると、あっさりと僕は眠りに落ちた。















「ん……む……?」

「あ、やっと起きた」


 目を開き、頭を掻きながら身体を起こす。声がした方に顔を向けると、そこには布団から顔だけを出した橙の姿。

 ……ん? 橙?


「おかしいな……僕は確か山にいたはずなんだけど……」

「紫様が連れてきたんですよ」

「藍」


 いきなり現れた藍が、水を差し出しながらそう言った。

 とりあえず、かけられていた布団から這い出してそれを受け取る。躊躇い無く喉に流し込んだ水はキンキンに冷えていて、ぼんやりとした思考に覚醒を促した。


「……ふぅ。紫が? というか、今何時さ」

「今は昼前といったところでしょうか。紫様が気を失っているミコトさんを連れて来たのは夜更けでした」

「……そっか。紫が、ねぇ」


 僕が気を失っている時に来るとは……予想外だった。 紫にだって礼を言わなければならないのに。


「はい、これでお顔を」

「ありがとう」


 次いで差し出されたタオルで顔を拭く。口周りが、なんというかカピカピになっていたのでものすごくありがたい。なんでこうなってしまったのかは深く考えないでおこう。


「ん…………」


 立ち上がり、思い切り身体を伸ばす。パキパキと鳴る音がそれとなく心地好い。

 身体の調子も悪く無い。能力も……。


「橙、ちょっと」

「はい、なんですか?」

「よいっ」

「え、わひゃあっ!」


 予告無しに橙をお姫様抱っこ。最初に驚き、後に照れたような感情が橙から感じ取れる。うん、能力も大丈夫だ。これなら問題あるまい。


「い、いきなりなんですか!?」

「なに、橙と初めて会った時のこと思い出してさ」


 あの時もこうしてたよね、と言いながら橙を降ろす。


「さて、藍。紫がどこにいるかわかるかな」

「紫様、ですか? 多分ですけど、神社の方にいらっしゃるんじゃないかと……」

「残念、たった今帰ってきたわ」


 いきなり上からぶら下がるように現れた紫に、藍はずざっと後ずさった。気持ちはわかる。いきなり自分の主人がぶら下がってきたら嫌でも驚く。


「起きたのね、ミコト」

「おかげさまでね」


 紫は僕のリアクションが薄いのを見て、諦めたように着地した。

 僕はそんな紫を見つめ、口を開く。


「紫。その……さ。いろいろと迷惑かけて……」

「その前に、ちょっとしゃがみなさいな」

「え? いや」

「いいから、膝立ち。それと目もつぶりなさい」


 こちらの言葉にことごとく被せてくる紫。僕はしょうがなく言われた通りに膝立ちになる。

 一体何をさせようというのか、目をつぶったまま内心緊張している僕。

 そんな状態で待ち続けること数秒。たった数秒で僕は気が気じゃなくなり、我慢できずに目を開こうとして――。


「ちょ、紫様!?」

「わ、わ、わ」


 ――いつかのように、僕の額に柔らかな感触がしていた。

 目を開けばすでに紫は後ろを向いていて、僕に見えるのは紫の後ろ姿と驚いている式二人の姿だけ。


「無事で帰ってきてくれただけで、私は充分よ。……おかえりなさい」


 そしてそんなことを言われたものだから、僕はそれ以上何も言えなくて。

 紫が家の奥に消えそうになる前に、僕はなんとか返事を返すことができた。





 ――ただいま、と。






まずすみません。次にすみません。そしてすみません。


ですがなんとか上げることができました!


これから更新のペースを上げていきますので御勘弁を……。

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