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79:〔オワリ〕

「桃鬼様、桃鬼様ァッ!」

「なっ、椛ッ!」

「ハイッ!」


 崩れ落ちた桃鬼の姿を目の当たりにして、志妖は一瞬にしてパニックに陥った。

 桃鬼に向かって一目散に駆け寄ろうとする志妖を、文と椛は全力で押し止める。


「落ち着いて下さい、志妖さん!」

「イヤッ、止めないで! 桃鬼様がっ!」

「心配なのはわかります! ですが、今飛び込んだところで……!」


 ――飛び込んだら、どうなるのだろう。

 二人がかりで必死に志妖を抑える文は、全身に力を篭めながらそう思った。

 今のミコトは、何をするのか本当にわからない。ここに来て、ほんの数秒ミコトの姿を見ただけなのに、文は既に戦意を喪失していた。桃鬼の首を締め上げていたミコトの姿は、形容できない不気味さがあったのだ。


「初めて見るわね。最近ここにきたのかしら」

「いいえ。霊夢は知らなくて当然かもね。でも、意外とあなたに近いところに彼はいたのよ?」

「どういうこと?」


 紫に顔を向けないまま、ミコトを真っすぐに見据えて霊夢は聞いた。が、紫は返事をしない。扇子で口元を隠したまま、こちらも真っすぐにミコトを見据えている。


「紫?」

「……後で話すわ。それより、来るわよ」


 ぱちん、と扇子が閉じる音と同時、その場にいたミコト以外の全員は空へ飛び立った。霊夢は木に囲まれた場所で戦うのを嫌い、紫、文、そして椛はミコトの戦闘スタイルを考えた上での判断。志妖は文と椛に抱えられたまま空へと移動する。


「霊夢。ミコトの攻撃は速いわよ」

「ミコト? あぁ、あの化け猫の名前ね」


 あまり興味なさそうに呟く霊夢の前に、黒い妖力弾に乗ったミコトが現れる。

 その姿を見て目を見開く霊夢だったが、すぐにいつもの表情に戻って札を構えた。その後ろで紫が厳しい面持ちで腕を組んでいる。

 紫がここまで警戒するなんて、と視線を動かさないまま思う霊夢。


「あっちがどれだけ速いか知らないけど……」


 霊夢がそう言った瞬間、ミコトの姿がぶれた。再度、霊夢の目が見開かれる。反射的に札を放とうとするも、寸前で腕を止めた。すでに相手は姿を消している。


「霊夢、上よ!」


 その声が聞こえた瞬間、霊夢は予備動作無しで後ろに移動した。霊夢の前髪がパラパラと舞い散る。


「くっ」


 速い。ただの妖獣にしては速過ぎる。思わず声を漏らした霊夢に、秒も置かずにミコトの爪が襲い掛かる。

 が、その爪は霊夢には届かなかった。


「空中戦の速さなら、負けませんよ!」


 翼をはためかせながら叫ぶ文は、ミコトの腕を脇に挟む形で止めていた。そのまま猛スピードで急上昇していく。

 ある程度まで空を駆け上がると、文は不意にミコトの腕を離した。当然、支えを無くしたミコトの身体は自然落下を始める。空を飛ぶ術を持たないミコトは、新しく弾を造らなければどうしようもできない。

 その、ミコトが持つ数少ない弱点を、文は狙った。


「幻想郷の空は、私の独壇場です!」


 再度叫び、文は無防備なミコトの身体に猛スピードで体当たりを仕掛ける。一撃では終わらない。急旋回と急加速を繰り返し、右から左からミコトの身体を傷つけていく。

 しかし、それも無限に続くわけではない。それを知っている文は自分の体力を考え、次の一撃もしっかりと考えている。

 そのために必要な相手が――。


「椛、今です!」

「ハイッ! ハアアアァ!」


 ――白狼天狗、犬走椛だ。

 文は叫ぶと同時、角度を変えて真上からミコトに体当たりを仕掛けた。落下速度を速めたミコトを視界に収め、椛は両手で剣を握りしめて急上昇。一直線にミコト目掛けて飛び上がる。

 タイミングは申し分ない。角度も完璧。これで決まってくれれば。

 椛は、そう思いながら震える手で剣を握り締めていた。

 一撃ならミコトさんは死なないだろう。だから大丈夫だ。狙いさえ外さなければ、動きさえ止められれば。

 そんな思いで、椛は剣を握り続ける。

 と、そこで椛は不意に違和感を感じた。

 何故、こんなに時間が流れるのが遅いのだろうか。あのタイミングなら、とっくに剣が届いていてもおかしくないのに、と


(これじゃあ、まるで)


 次の瞬間、突き出した剣が空を切った。

 椛が見たのは、真っ青な視界いっぱいに広がる空と――。


(死ぬ寸前の、あの感覚みたいじゃ)


 ――真っ黒な、一筋の線。


 次の瞬間、椛の身体には、腕一本が通る程の大きな穴が空いていた。


「椛ぃっ!」


 叫んだのは、文。しかしその叫びも虚しく、椛の身体は力無く落下していく。


「キ、サマァッ!!」


 疲労も忘れ、文は返り血を拭っているミコトに直滑降で突撃した。互いの距離は二十メートル弱。風を味方につけた文の身体は、あっという間にミコトに接近していき――


「……かっ……あ」


 ――文の身体に、ミコトの腕が突き抜けた。

 グチッ、と嫌な音を立てて腕が抜け、風穴から噴き出す血が文の服を赤く濡らす。


「あ……あ……」


 かろうじて空に浮かんでいた文だったが、ゴブリと血を吐くと力尽きたように山へと落ちていく。それを見たミコトは、なおも振り上げていた右腕をゆっくりと降ろした。足元にはすでに新しい弾が存在している。

 ミコトは、爪についた真っ赤な血をペろりと舐めると、小さな笑みを浮かべながら視線を落とした。その先には当然、


「……参ったわね」

「…………」


 溜め息をつく霊夢と、依然として厳しい表情の紫の姿があった。

 戦いの場を空に移してまだ一分も経っていない。だというのに、早くも二名が戦闘離脱。まるで予想外の状況に、霊夢は再度溜め息をつく。


「いろいろと予想外だわ。まさかあれ程だなんて」

「これからどうするつもり? ひとつ間違えれば、私達もああなるわよ」


 特に表情を崩さないまま、紫は椛と文が落ちた先を眺めながら言う。

 それに対し、霊夢は札を一まとめにして左手に持ち、空いた右手で懐からあるものを取り出した。


「聞いた話だと、あの妖獣は『負の感情』とやらで暴走してる。なら、それを取り除けば解決ってわけでしょ?」

「まぁ、ね」

「なら…………」

「?」


 霊夢は、ちらりとミコトを流し見ると紫に耳打ちする。その間も、紫はミコトから視線を外さない。


「……わかったわ。やるだけやってみましょう」

「失敗したら他の方法考えるわよ。あと何秒持つ?」

「もう破れるわ」

「そ」


 次の瞬間、今の今までミコトの動きを縛っていた紫の結界が破れた。無表情だった紫の顔が、一転苦しげなものに変わる。

 自由を得たミコトは、一目散に霊夢に突撃を仕掛ける。が、霊夢は別に身構えるわけでもなく、先程取り出したもの――一枚のカードをミコトに向けて掲げる。


「試させてもらうわ。夢符『二重結界』!」

「ッ!?」


 霊夢が高々とそのカードの名前を宣言した瞬間、ミコトの爪は突如現れた結界に阻まれて霊夢には届かなかった。

 ミコトの爪を目と鼻の先に置きながら、霊夢は少しだけ眉を潜める。


「結界のバランスが悪い……これじゃ十秒も持たないわ。頼んだわよ、紫!」


 霊夢が紫の名を呼ぶ。同時にいつからから霊夢の隣から姿を消していた紫が、ミコトの背後に踊り出た。その手には、霊夢の札が張り付いた真っ白なカードが。


「いい加減に、落ち着きなさいなっ!」


 右手のそれを、声と共にミコトの背中に張り付ける。瞬間、ミコトの身体がビクリと跳ねた。

 同時に霊夢の結界が消滅、霊夢は突き出されたままの爪を通り過ぎ、一枚の札を手にミコトの横に移動する。


「この札はね、妖力を吸い取って外に逃がす効果があるの。並の妖怪なら消滅、大妖怪……そうね、アンタとか紫みたいな妖怪でも、剥がさずにそのままにしておいたらしばらくは動けなくなるぐらいの効果はある」


 でも、と霊夢は続ける。


「その『負の感情』とやらに真っ黒に染められたアンタの妖力をそのまま外に逃がしたら、何かしら悪影響があってもおかしくない。だから、アンタのその妖力は封じさせてもらうわ。……この『スペルカード』にね」


 淡々と自分が行った内容を告げていく霊夢。視線は自らが持つ札に向けられていて、ミコトが聞いていなくても関係無いという素振りである。

 ミコトの身体を包んでいた真っ黒な妖力が、次々と霊夢の札に、そしてスペルカードへと吸い込まれていく。真っ白な無地のスペルカードが半分程黒く染まったのを見て、霊夢はミコトへと視線を向けた。


「このままでも大丈夫だとは思うけれど……。念には念を。受け取りなさい!」


 そして、駄目押しとばかりに手の札がミコトの背の札に重ね張りされた。

 掌打とも取れるその一撃は、辛うじてミコトの身体を支えていた弾を粉砕した。当然、支えを無くしたミコトの身体は山へと真っ逆さまに落ちていく。落ちる、といっても霊夢達がいた場所は地面から十メートル程度の所。さほど時間はかからずにミコトは地面に到達、辛うじて着地したミコトは、しかし自らの妖力を吸い取られる苦しみに悶え、顔を地面に擦りつけていた。

 獣のうめき声を上げながら、ざりざりと音を立てて地面にはいつくばる姿を、地面に降り立った霊夢と紫はただ眺めていた。しばらくそのままで時間が過ぎていく。


「…………?」


 今だ苦しみ続けるミコトの姿を見ながら、霊夢は疑問を覚えた。ミコトの妖力を封印するスペルカード。あれは試作品の中でも桁外れに容量が大きい特別なもの。志妖や文の話を聞き、ならばと考えて霊夢が持ってきたものだ。

 先程見た時にはすでにその半分が埋まっていた。更には吸収を速めるために札を重ね張りしている。故に、もう一杯になってもおかしくないはず。


「……冗談でしょ」


 思わず呟いたのは、霊夢。視線の先には、少なくはなったものの、未だその真っ黒な妖力を身に纏わせたミコトの姿。

 ミコトの背中から、真っ黒に染まったスペルカードと、ボロボロに焼け落ちた札がパサリと地に落ちる。

 ゆらりと立ち上がるミコトに、思わず構えを取る霊夢。全力で思考を展開してこの窮地を突破する術を考えるも、


「ウ゛アアァアア゛アアァ!!!!」


 ――如何せん、時間が足りな過ぎた。

 咆哮を轟かせて地面を蹴るミコトは、風を置き去りにして二人に襲い掛かる。その漆黒の爪が狙ったのは、紫。

 自分が狙われたことを理解した瞬間、紫は両腕で顔を庇った。それが無意味なことは彼女も知っているが、ミコトの速さの前にはそれしか出来なかった。


「ッ…………」


 しかし、咆哮の次に訪れたのは、沈黙だった。

 紫に向けられた爪は中途半端な位置で止められていて、ミコトの身体は、まるで『誰か』に止められているかのように静止している。


「ハァッ!!」

「がッ!?」


 次の瞬間、ミコトの身体は思い切り地面にぶつけられていた。


「! あなた……」


 驚いた紫が、ミコトの身体を地面に叩き伏せた妖怪に目を奪われる。

 ミコトの頭を地面に押し付けている妖怪――志妖は、なんとも言えない表情で、しかし力は緩めずに地面を睨みつける。

 ――まるで、早く次の手を打ってくれと言わんばかりに。

 その姿を見て、改めてどうするかを考え始める霊夢。






 ――掠れ果てた悲しい厄は、この手の上で遊ばせて――






「……何?」


 どこからか聴こえる言葉。同時に、ミコトの周りに漂っていた妖気が揺らめきはじめる。







 ――忘れられた哀しい厄は、この身の周りで踊らせて――







「この声は……!」


 志妖が顔を上げる。

 ミコトの身体から黒色が抜けていき、黒い霧となって声の主の元へと寄っていく。







 ――全ての厄は夜明けと共に咲かせましょう。残すのは綺麗な花びらだけで充分なのだから――







 声の主は、クルクルと回りながら歌うように呟いていた。その身体の周りに、同じように黒い霧を纏わせながら。

 一同が言葉を失い、その姿に視線を集める。すると、その人物はゆっくりと回転を止めて一同に向き直った。そして、とある妖獣を指差し、一言。


「彼の厄は私が受け持たせてもらったわ。ついでに、あなたたちの厄もね」


 もう大丈夫。そう言ってまたクルクルと回りはじめた彼女は、黒い霧を連れて森の奥へと消えていってしまった。

 またしても言葉を失う一同。

 が、その沈黙はすぐに破られる。


「う、うぅ……」

「! ミコトさん!」


 一番最初に気が付いたのは、彼の上に乗っかっていた志妖。

 すぐに下りると、一転真っ白になった彼を抱き上げて声をかける。


「紫」

「わかってるわ」


 とりあえずは落ち着いた、とばかりに溜め息をついた霊夢の隣でスキマに両手を突っ込む紫。引きずり出すように引っ張り出したのは、重症を負った天狗二名と、鬼、一名。


「ミコトさん!」

「…………志妖。皆、は」

「そこに、そこに、います……」

「……そっか」


 血まみれの文と椛、そして、ただ眠っているようにも見える桃鬼の姿を見て、ミコトは身体を起こした。


「ゴメンね……けど、大丈夫……三人共、死なせは……」

「…………」


 ぽつぽつと呟きながら、ミコトは四つん這いで桃鬼らの元へと向かう。それを止めるものはいない。


「妖力が、足りない……」


 そう言って、ミコトは真っ白な着物の懐から灰色の小箱を取り出した。その中から『二粒』、丸薬を取り出した。


「一瞬で、いい……。僕の、『命』を……」


 震える腕で、丸薬を口に入れるミコト。

 次の瞬間元の、元以上の妖力が彼の身体に溢れ出した。

 それを見た紫は、目を見開いて彼に駆け寄る。しかしそれよりも早く、ミコトは叫んでいた。


「うあぁああぁああ!!!!」


 妖力が生命力に変換され、その神々しいまでの光が文と椛、そして桃鬼を包み込んでいく。

 実際にその光が見えたのはほんの数秒。しかし、その行為は紫にはとてつもなく長い間行われていたかのように思えて――。










「…………っ…………」

「ミコトッ!」










 紫がその名を叫ぶのと同時、ミコトの身体は力無く崩れ落ちた。


クルクル回る方の語りは完全オリジナルだったり。

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