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78:〔黒い瞳は揺らがない〕

 妖怪の山から轟音が響き、志妖は思わず足を止め、来た道を振り返った。


「…………!」

「急いだ方が良さそうですね。いきますよ、椛!」

「ハイッ!」










「くっ……」


 崩れ落ちた山肌。それを引き起こした片方である桃鬼は、その場から背を向けて逃げ出していた。あの場所で戦うには分が悪いと踏んだ為だ。元より速さはあちらが遥か上。足場が悪い場所で戦えば、なぶり殺しになるのは目に見えている。


「そろそろアイツらは山を下りた頃かねぇ」


 そう言いながら振り返り、ミコトがまだ来ていないことを確認して息を吐く。が、すぐに彼女は木の影にその身を隠した。

 今は目の前に見えずとも、一秒後には懐にいるかもしれない。

 緊張と恐怖、それに若干の楽しさを感じながら、桃鬼は額の角を触る。


「隠れるなんざガラじゃあないが……。今は少しでも時間を稼ぎたいところだ」


 言って、彼女は震えている身体を自分で抱きしめた。果たしてその震えは、なにから来ているものなのか。

 次の瞬間、彼女は思い切りしゃがみ込んでいた。こめかみを貫いていたであろう真っ黒な爪が、なびいた髪を数本散らす。彼女が反射的に放った反撃は、灰色では無く、その向こうにあった木を粉砕した。


「ガァッ!!」

「ハハハハッ! さぁ、存分に殺り合おうじゃないかっ!!」


 震える身体をごまかすように、桃鬼は思い切り両手を伸ばした。










「……事情はわかったわ」


 志妖と射命丸文、そして犬走椛を前に、声の主はマイペースな調子でそう言った。肩で息をしている三匹の妖怪、しかも鬼と天狗という力のある妖怪を前にしても、彼女は自分のペースを崩さない。

 膝に置いていた湯呑みを、妖怪達が現れた時と同じようにゆっくりと口へと運んでいく。

 その様子を、待ちきれないといった様子で、しかし眺めることしかできない妖怪達。

 湯呑みから口を離し、それを縁側、自分の隣に置く。


「で、私にどうして欲しいのかしら?」


 今更それを聞くか、と志妖は唇を噛んだ。それもそうだろう、志妖が先程まで説明していた内容は、聞けば何を求めているか簡単にわかるものだ。

 握り締められた拳をみた椛は、思わず縁側に腰掛けている人間に詰め寄った。


「貴様、わかっているくせに何を!」

「椛!」

「っ!?」


 肩を掴まれ、同時に発せられた声にビクリと身体を震わせる椛。肩を掴んだ妖怪、射命丸文はぐいと椛を下がらせる。

 文の怒声にも、人間の少女は全く反応を示さなかった。それどころか、目の前にいる妖怪を無視して再度お茶を啜っている。

 かと思えば、今度は盛大に溜息をついて、


「いるのはわかってるのよ。出てきなさい、紫」

「あら、ばれてた?」


 突如現れた空間の裂け目、そこから身体を半分出した女性に顔を向けていた。

 いきなりの来訪者に怒りを削がれ、代わりに驚きの表情を見せている妖怪達を置いて彼女達は会話を続ける。


「いつからいたの?」

「わかってるくせに。行ってあげたらいいじゃない」

「…………」

「なぁに? そんなにじっくり見つめちゃって」

「……何か企んでるのかと思って」

「人聞きが悪いわねぇ」

「アンタは妖怪でしょうに……。わかったわ、あまりはぐらかすのも何だしね」


 スッ、と立ち上がる少女。そのまますたすたと歩いてひとつの部屋に入ったかと思えば、またすぐにすたすたと戻ってきた。その手にはお祓い棒が握られている。


「行くわよ。妖怪の山だったわね」

「あ……え?」

「なによ。行かないの?」


 怪訝そうに尋ねてくる少女に、鬼と天狗は慌てて首を横に振った。

 何がなんだかわからないが、来てくれるというのだからいいだろう。そう彼女達は気持ちを切り替える。

 フワリと空に浮かんだ少女は、すぐ隣にいるスキマ妖怪を見て溜息をついた。


「本当は嫌な予感がするから止めようと思ってたんだけどね……」

「あら、私は何も強制してないわよ?」

「もういいわ。ちょうど試したいこともあるし、今回はアンタの思惑に乗っかってあげる。そのかわり、アンタも来るのよ」

「はいはい」

「ほらアンタ達も! 急いでるんなら早く! 置いてくわよ!」


 先程までとは打って変わってやる気になった少女に多少困惑しながらも、一同は飛んだ。




















「っ、うあぁっ!」


 腹部に強烈な一撃を受けた桃鬼は、その口から赤色を零しながらもミコトを捕まえる。そしてそのまま思い切り振り回して投げ飛ばした。

 バキバキと音を鳴らしながら倒れていく木々。それを見ながら、桃鬼は肩で息をする。


「参ったねぇ……。もう足が満足に動かない」


 大概、戦闘の最中常に笑みを浮かべている彼女だが、今はさすがに苦悶の表情を浮かべていた。

 身体のいたるところに付けられた切り傷。

 ミコトの驚異的な速度から生み出される打撃による痣。


「チッ……」


 震える足に悪態をつき、大きく息を吐いて顔を上げる。

 折れた木々の向こう側に、真っ黒な影がうごめくのが見えている。


(……行くしか、ないか)


 歯を食いしばり、言うことを聞かない足を前に出そうとする。が、


「あうっ」


 先にあった木の根に躓き、桃鬼はドサリと倒れてしまっていた。

 しまった、と思ったところで後の祭。痛み、疲れきった桃鬼の身体は衝撃を和らげることもできず、俯せに倒れてしまっていた。身体に走る痛みが、彼女の顔を歪ませる。

 だが、今に限っては痛みなど大したことではなかった。

 問題は、倒れた時に出た、普段ならさして気にもならないような物音の方だ。

 それは、狩る側にとっては絶好の目印。

 それは、狩られる側にとってはあまりに致命的なミス。

 桃鬼は、倒れてから数秒でその目を閉じて抵抗を放棄していた。

 相手との距離はさほど近くはない。並の敵ならば、起き上がって迎撃するのは容易だったろう。しかし、今回ばかりは相手が相手。あの程度の距離、アイツなら瞬きする間に詰めてくる、と桃鬼は諦めていたのだ。

 実際、その考えは正しかった。

 ミコトは、桃鬼が目をつぶったその瞬間に、彼女のそばに立っていたのだから。


「うっ……!」


 ぐい、と桃鬼の身体が持ち上がり、やがてその足が地面から離れていく。

 首を締め上げられる苦しみから逃れようと、桃鬼は最早ボロボロになった手でミコトの腕を掴む。が、それも無駄であろうことを、彼女は知っていた。

 そんな彼女の姿を見つめる、どこまでも真っ黒な瞳。

 なんの感情も読み取れないその瞳で桃鬼を見つめながら、ギリギリと首を締め上げていく。


「く、くく……アハハッ……」


 しかし、桃鬼の口から漏れたのは、苦しげな呼吸ではなく、笑いだった。

 首を絞められ、ただでさえ呼吸がし辛いというのに。


「可笑しい、ねぇ。あぁ……本当に、可笑しい」


 口の端を吊り上げ、苦痛で歪んだ笑顔をミコトに向ける。

 それが気に入らなかったのか、ミコトはさらに首を絞める力を強めた。

 ブチリ、と食い込んだ爪が首の皮膚を突き破る。赤色がミコトの手から、腕に、ゆっくりと、線を歩かせて行く。

 それでもなお笑うのを止めない桃鬼の口から、赤く濁った唾液が零れ落ちた。


「なんで、かねぇ? アンタに、今から殺されるって、いうのにさぁ……。それが、なんだか笑えて、しょうがない」


 途切れ途切れの言葉は、枯れて聞き取るのが難しくなっている。もしかしたら、いやもしかしなくても、ミコトには届いていないのかもしれない。けれど、と桃鬼は口を動かし続ける。


「でもねぇ……? アタシ、アンタになら、いいよ」


 ミコトの腕を掴んでいた桃鬼の手には、すでに力は残っていなかった。気休め程度に指が引っ掛かっているだけ。

 その手が、ミコトの腕を伝うように、静かに下りていく。

 ここで、桃鬼の身体が一度ビクリと震えた。苦しみによるものではない。


「ゴメンよ……?」


 ぽたりと、ミコトの手首の辺りに透明な液体が滴った。それは一度ではなく、何度も、何度も、際限なく滴ってくる。

 桃鬼は、泣いていた。

 先程までの無理矢理な笑みが解け、歯を食いしばり。しかし泣き叫ぶわけではなく、ただ、泣いていた。

 身体を震わせながら、桃鬼はミコトの顔に手を当てた。左手で愛しげに髪を触り、右手で優しく頬を撫でる。その際に、おそらくは首から伝って桃鬼の手にも付いていた血が、薄く、しかし赤く、ミコトの頬に伸びた。


「アタシじゃあ、アンタを救えなかった……」


 そこで、桃鬼の両手から完全に力が抜けた。

 ずるずるとミコトの肩からずり落ちていく桃鬼の手。


「遅かった……?」


 声が聞こえ、ミコトはそこで首を絞める手を離した。桃鬼の身体は、まるで落とされた人形のように、呆気なく地面に落ちた。


「そんな……そんなっ!」


 黒い瞳は全く揺らがないまま、ミコトは声のする方向に首を向ける。

 そこには、かつての戦争を生き残った三匹の妖怪の内の、一匹が立っていた。


本当は一気に一話で終わらせてしまおうかとも思ったけど、データ飛び+「じゃあこうすっか」 のコンボで長くなってしまった。

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