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76:〔桃の鬼は何を思う〕

 朝日が差し込んできている洞窟の中、僕はその光が届かない場所に腰掛けていた。今はどうにも、光に当たる気分にはなれない。

 桃鬼はそんな僕には付き合わず、光の当たる場所に座って僕を見つめていた。


「……志妖は?」

「出掛けてるよ。だからここに連れてきたんじゃないか」

「……ってことは」

「あぁ。アンタのことはまだ思い出しちゃいない……いや、今はあの娘は関係無いよ。さ、とっとと話して楽になりな」


 招くように手を動かす桃鬼。昔から変わらない桃鬼の姿は、光に照らされてやけに輝いて見えた。

 僕はとりあえず、あの吸血姫――レミリアとの一件から後の出来事を彼女に伝えた。桃鬼は、主に僕の異変について深く聞いているみたいだった。

 あらかた話し終え、ふぅ、と一息ついたのは僕の方。

 桃鬼は、そんな僕を見てポリポリと頭を掻いた。


「……で? もう原因の目星はついてるんだろう?」

「……うん」


 洞窟の壁に背を預けていた僕は、膝を抱えて身体と膝の隙間に顔を埋めた。


 僕の暴走。それは僕の中にある、とある感情が引き起こしていたもの。

 確信に近いものが持てたのは、鈴仙との練習のおかげだった。彼女が操る感情は、暴走を引き起こしている感情のひとつだったからだ。今思えば、髪の毛の毛先しか黒く染まらなかったのも理解できる。あれは、『狂気』が足りなかったわけではなく、『狂気』だけではあれが限界の変化だったんだ、ということが。


「ミコト?」

「……僕は感情を操る時、相手の感情を受け入れなきゃならない」


 そう。感情を『流し込む』のならともかく、感情そのものを『操る』には、その相手の感情を受け入れ、取り入れ、理解して、その感情を基点としなければ操ることができない。


「受け入れた感情は、僕の中で記憶として残される。忘れようとしても忘れられない。……消したくても、消すことができない。たとえそれが泣き叫ぶ瞬間の感情であっても、断末魔の瞬間の感情であったとしても」


 現に、僕の中のどこかには、それが混沌と渦巻いている場所がある。それはわかっていた。わかっている上で、能力で抑えていた……抑えている、つもりだった。


「だけど……限界、なのかもしれない」

「……限界?」

「僕は抑えてるつもりなんだ。つもりだったんだ。……けど……」


 慧音に向けていた感情は、歪んだ『愉悦』。暴力的な凌辱を楽しんでいる僕がいた。


 鈴仙に揺り起こされたのは、過剰な『否定』。自分以外の生命が許せない、存在が赦せない僕がいた。


 幽香に突き刺した感情は、純粋な『殺意』。何も思わず、何も感じず、ただ彼女を殺しにかかった僕がいた。


 文が侵されたのは、強烈な『憤怒』。おそらくは、僕が抑えているつもりだった感情に当てられたのだろう。そうとしか思えないほどに、彼女の感情は怒りに染まっていた。


「桃鬼だって感じてるだろう? 僕が発してる『負の感情』を、さ」

「……あぁ。確かにアンタからは、嫌な感じがするよ」


 少し間を開けて答えたのは、僕に気を使ってくれたのだろうか。表情を変えない桃鬼は、身じろぎせずに僕を見続ける。

 おそらく、最初はほんの微量だったのだろう。それが、たった二回の戦闘で文に害を及ぼすまでに漏れ出して……そして、文との戦闘を終えた今では、桃鬼すら距離を置いてしまうほどに酷くなってしまった。


「……でさ、僕、感じてるんだ」


 顔を上げ、桃鬼を見る。震える腕で頭を抱え、僕は確信に近い考えを彼女に告げる。


「僕……このままじゃ、桃鬼と志妖を殺しにかかるかもしれない」

「…………!」


 桃鬼の表情が変わる。口は開かずとも、僕は彼女が何を聞きたいのかがわかっていた。


「……なんで、だい?」


 たっぷり間を開けて、桃鬼は僕の予想と同じ言葉を僕へ放った。

 桃鬼の声を聴いて、腕の震えが増すのを感じた。


「だって……」


 ギリ、と歯を噛み締める。頭を抱えていた手の指先から爪が飛び出した。


「だって……」


 身体の震えが止まった。あ、ヤバい、かも。


「だって……」


 ザリ、と音がした。桃鬼がただならぬ面持ちで立ち上がっていた。

 ――そうだ、そのまま、逃げてくれ。


「だって、この感情」


 あれだけ言うことを聞かなかった身体が、スムーズに動いた。否、動いてしまった。

 ――逃げてくれ、桃鬼。この感情、僕が暴走を起こしていたこの感情は――。


「――僕等を壊滅に追いやった、あの『人間』のモノなんだからさぁっ!!」

「ッ!!」


 瞬間、桃鬼の頬を掠めていく僕の爪。

 僕は勢いそのまま洞窟から飛び出し、地面を勢いよく削って立ち止まった。桃鬼は避けていない。すんでのところで僕が『外せた』のだ。

 洞窟から歩いて出てくる桃鬼を、荒い息遣いで睨みつけてしまう。

 嫌だ、殺したくない。戦いたくなんてないのに、


 ――殺すことが正しいんだと、感情が、本能が告げている。


「……なるほど。あの『人間』が原因の原因だったか。そんなに黒く染まっちゃって」

「っ……」

「アタシも覚えてる。というか、忘れられやしないねぇ、あの時のことは。……そうだ、アイツラも今のアンタみたいな目ェしてたよ」


 角を触りながら喋り続ける桃鬼。今にも飛び掛かりそうな僕を視界に入れながらも、いつもの自然体を崩しはしない。


「駄目だ……お願いだから逃げて……! このままじゃあ、本当に」


 ザワザワと全身の毛が逆立っていく感覚。嫌なのに、身体が戦闘体勢に移行していく。なのに頭は妙に冷めていて、殺すべき『敵』を冷静に見据えていた。


「逃げる? フン、冗談じゃないよ。アンタもそう思うだろ?」

「…………!?」


 唾を吐くように言い捨てた桃鬼。彼女の言葉に答えるように、背後からザクザクと歩く音が近付いてくる。

 それは、僕が振り向くよりも先に僕の横を通り過ぎ、桃鬼の隣に並んだ。それはもう、不機嫌そうな表情で。


「面白くない冗談は、嫌いです」

「全くさね。アタシらが逃げたら、誰がアンタを助ける? 誰もいないじゃないかい」

「なっ……」


 呆れたように言う目の前の鬼――志妖は、百年前よりも遥に強い妖力を纏いながら僕を睨みつけた。

 出掛けていたんじゃないのか、いやそれよりも記憶が戻っていなかったのでは? 一瞬、そんな考えが頭を過ぎるも、それはすぐに上から黒で塗り潰されていく。


「だいたい、誰がアタシを殺すって? ハ、やれるもんならやってごらんよ。この魅王桃鬼、寝ぼけた妖獣に負けるほど平和ボケしちゃいないよ」

「死ぬつもりはカケラもありません」


 挑発じみた桃鬼の言葉と、それに続く志妖の否定の言葉。


「思えばアンタとは二勝二敗。決着つけるのもいいかもねぇ。今ならアンタも本気で来てくれそうだし。……けどまぁ、志妖がいるから無効かもね」


 何を呑気な事を、といつもの僕なら言っていただろう。

 ちらり、と自分の身体を見る。灰色の着物が黒く染まり、伸びた爪が少しずつ黒ずんでいく。

 先程までとはまた少し違う、抵抗感が薄れた彼女達への敵意。まるで本当にそうすることが正しいかのような……。抗うのが無駄に感じてきているのは、自分に対しての諦めか、彼女達に向けての諦めなのか。


「……本当に、いいの?」


 気が付けば、そう口走っていた。最早僕には、どちらが正しいのかわからない。本当に僕は暴走しているのかすら、わからない。


「ひとつ聞こうか」

「……?」

「アタシらを殺したいのは、『ミコト』か? それともあの『人間』か?」

「…………」

「わからないかい?」


 参った、と言うように頭を掻く桃鬼。

 次の瞬間、彼女の妖気が山を揺るがした。


「じゃあ、こっちもアンタを殺す気でいかせてもらうよ。死ぬ気で足掻きな」

「二対一は好ましくありませんが……」


 一体何が『じゃあ』なのか。少し考えてみるが、どうでもいいのですぐに止めた。今は、彼女達を殺すことしか考えられない。

 爪の先まで真っ黒に染まり、同時に僕は妖力を解放した。


「なんて厄厄しい妖気だ……。気をつけな志妖、気を張ってないとすぐに持ってかれるよ」

「承知しました」


 規格外の妖気が大地を揺るがす。

 次の瞬間、地面を蹴ったのは僕だった。一瞬で桃鬼の懐に入りこみ、彼女の心臓を一突き。


 ――した、はずだったのだが。


「アタシの能力、忘れたのかい? 速い『だけ』の攻撃じゃあ、アタシには通用しないよ」


 耳元で囁かれた直後、僕の身体は強い衝撃によって吹き飛ばされていた。山の斜面を削って立ち止まり、『敵』を睨みつける。

 『敵』は、右の拳を握って、開いて。その表情は好戦的なものに変わり、歯を剥き出しにして笑っていた。




「簡単に終わってもらっちゃあつまらないよ? さぁ、存分に殺し合おうじゃないか!!」


とにかく書き進めることにした。

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