73:〔狂気の瞳〕
「うにゅう……」
猫紛いの声を漏らしながら寝返りを打つ。
寝起きか寝ぼけ状態の時はいつもこう。別に意識しているわけでもなんでもないのにこんな声が出てしまう。
昔桃鬼にからかわれて直そうと足掻いた時期もあったが、今では開き直りこんな有様。
「にゃ……」
再度、ゴロリ。
そういえば、橙も僕と同じ癖があったなぁ。二人(二匹)して同じ布団でにゃあにゃあ鳴いている場所を藍に目撃されちょっとした騒ぎにもなった。もしかしたら化け猫は皆似たような癖があるのかもしれない。
そんなことを考えていたらだんだんと目が覚めてきた。パチパチと二回ほど瞬きをしてから目をこすり、ムクリと身体を起こす……
「あ……」
「……!」
額辺りにさらりとした感触。しかしそれは一瞬で、
「うわっ!」
開いて光を受け入れていたはずの僕の目は、一瞬で暗闇しか映さなくなってしまっていた。その刹那に見えたのは、長い髪に白い耳。
暗闇は完全なものではなく、ほんの少しだけ細い光の形が見える。そしてほんのり感じるこの温もりは……。
「え、と……」
現在進行系で僕の両目を包んでいる暗闇――誰かの両手を掴んでみるが、それは一向に離れる気配を見せない。少し汗ばんでいるのは気のせいだろうか?
おそらくは背後から僕の目を覆っているのだろう。耳にかかる吐息が妙にこそばゆい。
むやみに引きはがすのも何か違う気がして何も出来ず、その体勢のままで時間が流れていく。僕も相手も何も喋らない。
と、そこで。
「具合はどうかしら、ミコト……」
すうっと襖が開かれる音がして、そんな声が聞こえてきた。永琳のものだと判断した僕は、声の方向に首を傾ける。が、当然何も見えはしない。
次に聞こえてきたのは、永琳の小さな溜め息の音だった。
「うどんげ」
「は、はい!」
「面倒だし何も聞かないわ。だから、早くその手を離してあげなさい」
「…………」
ゆっくりと僕の顔から手が離れていく。途端視界に入り込む光に僕は目を細め、それでも僕は永琳と後ろにいる彼女の姿を交互に見る。
僕の視界を封じていた彼女のウサミミは、心なしかシュンとしているように見えた。
「ついでだから紹介するわね。……といっても、もうすでに何回か会っているはずだけど。彼女は鈴仙・優曇華院・イナバ。私の弟子よ」
「弟子? 永琳の?」
「私が弟子を持っているのはおかしいかしら?」
「いや、全く。でも……ふぅん」
彼女――鈴仙の姿を眺めてみる。
見た限りでは僕と同じ妖獣の類だろう。
しかし、なんだろう。彼女の『命』は、妖獣のそれとはどこか違う。
この『命』……。どこかで、僕は知っている。
「いや、でも……」
頭を抱え、再度彼女を見つめる。
――――やはり、違う。
彼女の『命』は、妖獣のものとは、どこかが違う。
これは、どちらかと言えば永琳やあの『かぐや姫』のような月人のものに近い。
と、いうことは、彼女もまた月の……。
「……いいや、面倒くさい」
彼女に聞きもせずに一人で悶々としていても仕方ない。そもそも、彼女が月の住人だったとして何があるというのか。
「ミコト?」
「なんでもない。えっと……鈴仙、さん?」
「……鈴仙・優曇華院・イナバです。好きに呼んでもらってかまいません」
どことなく冷たい反応。僕と目を合わせようとしない鈴仙は、僕の視線に耐え兼ねたのか、すっと立ち上がって部屋を出ていってしまった。しかしながら永琳に一礼を忘れないところを見ると、どうやら師弟関係は本当みたいだ。
「ごめんなさいね。あの娘は割と人付き合いが苦手なの。まぁ、すぐに慣れるわよ」
「どっちが?」
「さぁ? 貴方があの娘の対応に慣れるか、あの娘が貴方に心を開くか……それだけの違いよ」
ふぅん、と適当な返事を返し、僕は彼女が出ていった部屋の入口を眺める。
少しばかり感情を読み取らせてもらったが……。
昔僕の隣にも似たような奴がいたことを思い出す。よく僕の着物を掴んで動かなかった彼女は、今では立派に一人で生きている。なら、彼女もまた……。
「永琳。彼女の能力教えてくれる?」
「能力? またなんで」
「いや、どうやら自分の能力に振り回されているみたいだなぁ、と。もうしばらくここにお世話になりそうだし、ちょっとお節介をば」
僕がそう言うと、永琳はしばらく僕の目を見つめてその視線を動かさなかった。当然、僕も永琳から目を逸らさない。
しばらくそうして見つめ合い、目が乾いてきたなぁとかくだらないことを思った時、ようやく永琳はその口を開いた。
「『狂気を操る程度の能力』よ。まぁ、ほどほどにしておきなさい」
「ありがとう。で、僕の着物は?」
「血が染み付いていたから洗濯したわ」
「さいですか」
派手な色合いの着物の袖を掴み、ひとつ息をついて立ち上がる。
「無理は駄目よ。今の貴方はつぎはぎだらけの人形と同じ。いくら動けるからといって油断してたら、中の綿が飛び出しかねないから」
「……了解」
さすがに自分のはらわたは見たくない。僕は包帯が巻かれた脇腹を軽くさすり、その感触に目を細めながら部屋を出た。
……でも、そんな大袈裟な怪我したかなぁ……?
「いたいた」
気配を頼りに永遠亭を練り歩くこと数分。案外簡単に鈴仙の姿を発見。縁側に腰掛けている彼女は、曲がり角にいる僕に気が付いていない様子。
――どうせだ、少しばかり驚かせてみよう。
妖力を抑え、隠行発動。僕はなんの躊躇いも無く鈴仙へと近づいていき、
「いい天気だねぇ」
「ひゃっ!?」
彼女の隣に座ったところで、隠行を解除した。いきなり現れた僕に鈴仙は飛びのき、ソックスのまま土の上へ逃げ出した。予想通りの反応に思わず笑ってしまう。
「……やめてください、心臓に悪い」
「いや、悪かった。驚いたところが見たかったもので」
言いながら僕は彼女の顔を見る。が、彼女は僕の顔を見てはいなかった。そんなに目を合わせたくないのか。
だが、永琳には普通に接してるはず。仮にも師匠、目を逸らしながら話すことはしないだろう。
彼女の能力は『狂気を操る程度の能力』。彼女が執拗に目を逸らすのは、目を合わすことで能力が発動してしまうのが嫌だからだと仮定して……(多分やろうと思えば目を合わせなくても操れるんだろうけど)。
と、すると……。
「ねぇ」
「なんですか」
「綺麗な目してるね。もっと良く見せてよ」
「……なんでですか」
「いやぁ、僕の目ってほら、灰色だからさ。君のその紅い瞳、綺麗だなぁって」
言いながら立ち上がる。鈴仙は背を向けている。気付かれることはあるまい。
「……『狂気を操る程度の能力』だっけ?」
「!!」
彼女の目が驚きで大きく見開いた。それもそうだ、いきなり目の前に僕が現れて、自分の顔を捕まえられているのだから。
彼女の紅い瞳には、僕の姿がしっかりと映っている。
「駄目です! 早く目を逸らして!」
「なんで?」
「なんでって…………え?」
パチパチと瞬きをする鈴仙。僕はそれを見てニヤリと笑い、彼女の顔を捕まえていた両手を離した。
「僕の能力は『感情を操る程度の能力』。君の操る狂気だって感情のひとつだ。僕には効かないよ。……それに」
「…………?」
「――仮にも万を生きた妖怪だ。そう簡単に狂っていられないよ」
言いながら、半分程妖力を解放。風が吹き荒れ、竹林がうるさくざわめきはじめる。
鈴仙は、ペたりと尻餅をついてしまっていた。息を吐いてから鈴仙に手を差し延べる。
「まさか、師匠がよく話していた化け猫って……」
「あや、永琳が僕のことを? うん。話の内容はわからないけど、それは多分僕のことだ」
永琳がどんなふうに僕のことを話していたのかは少し知りたいが、それは後。
呆然としている彼女の手を掴み、少し強引に立ち上がらせる。
「よっと……。服汚しちゃったな、ゴメンよ」
「いえ……。ですが、なんで……」
「うん?」
首を傾げて尋ねると、鈴仙は気まずそうにまた目を逸らした。もう癖になってしまっているのだろう。
ただまぁ、何を聞きたいのかはわかっているので。
「勿体ない、って思ったからね」
「?」
鈴仙の後ろに周り、背中に付いた土埃を払う。ついでに髪も手で掬い、土を指で梳き取っていく。
「せっかく綺麗な顔してるんだ。笑わなきゃ損ってもんだろう?」
「なっ……!」
びくりと身体が震える。振り返った鈴仙の顔は、真っ赤だった。
「うん、驚いた表情もまた良し。そうやって感情を表に出しなよ。少なくとも、そんな君の方が僕は好きだ」
「な、なにを……」
小さく呟いた彼女の手を引き、縁側に座らせる。
長い髪を一掴みずつ、丁寧に梳いて土を取っていきながら、僕は口を開いた。
「よし。今日から練習しよか」
「……? なにを、ですか?」
「能力を上手く使う練習。永琳とかには普通に接することが出来るんでしょう? なら、能力を何とかすれば普通の人にも同じように接することが出来るじゃん」
実際はそう上手くいきはしないだろうが、なんにせよ能力を上手く使えて損は無い。
どうせ僕の怪我も完治までは後数日かかる。何もせずに過ごすよりかは、こうして彼女の為に動くのも悪くあるまい。
「……まぁ、鈴仙が良ければの話だけどね。どうする?」
大方の土を取り終え、ポンと肩を叩いて振り向かせる。
鈴仙は、先程よりはましな、しかしまだ赤いままの顔をこちらに向けて。
「なら……お願いします」
――その真紅の瞳を、しっかりとこちらに向けてそう言った。
この頃のうどんげは能力が制御しきれていない為に、彼女の目を見てしまうと相手は狂気に刈られてしまう。
ある程度の霊力、妖力、精神力その他があれば大丈夫。
なんて事故設定。
つぎはぎだらけな設定かもしれない。




