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69:〔正体不明感情〕

「…………」

「そんなに心配しなくとも……人間ならまだしも、私は半獣だぞ?」


軽く言う慧音。僕はそれを聞いて本日何度目かの溜め息をついた。

満月の夜は過ぎ去り、今は翌日の昼。都合良く寺子屋が休みだったこともあり邪魔させて頂いてるのだが、どうにも慧音の身体が心配で何回も同じことを聞いている。

くどいのは自分でもわかっているし、見た目大丈夫そうなのもわかる。だが、僕が心配しているのは見た目のことではなく……。


「……っと」

「!」


ふらついた慧音の身体を支え、その表情を覗き込む。

どことなく青白いその肌を見て、やっぱりかと唇を噛み締めた。


「おかしいな……。しっかりと睡眠はとったんだが」

「睡眠云々じゃないよ。……これは、僕のせいだ」

「? どういうことだ」

「それは……。ううん、後で説明するから、慧音はまだ寝ていなよ」


そのまま抱き上げて、布団が敷いたままの場所に慧音を降ろす。上から掛け布団を掛けて、


「失礼」


額同士を付けて感情を流し込む。

驚いた表情を見せた慧音は、しかしすぐに目をつぶって寝息を立てはじめた。


「ふぅ」


トスン、と布団の脇に座り込み、慧音の髪を手で梳いた。

多分慧音は、このまま夜まで目覚めはしないだろう。

その理由、というか原因は、当然ながら僕にあった。

あの時の僕――慧音と戦っていた時の僕は、直接的な攻撃こそしなかったものの、なにか禍禍しい感情を振り撒いていた。それがなんだったのかは……正直よくわからないのだが。

慧音はそれを受けながら戦っていたのだから、影響を受けるのも当然だった。見えない毒を吸いながら戦っているようなものなのだから。

今の慧音からはその感情は感じられない。このまま寝ていれば大丈夫だろう。


「ふぅ……」


問題は慧音ではなく、僕の方だ。

なぜかは全くわからないが、あの時の僕は間違いなくおかしかった。

平然と慧音の首を締め上げた僕は、それが当然のことだと感じていたのだ。違和感も無く、むしろそれが正しいことのように考えていた。

なにかの拍子で違和感を感じなければ、あのまま慧音を殺していたかもしれない。

なまじありえない話ではないだけに、自然と身体が震えていた。


「どうしちゃったんだ、僕は……」


感情が暴走していたわけでは無い。暴走したのは正気に戻ってからだ。

……だが、『感情を操る』僕が、自分の感情を制御しきれなかった時点ですでにおかしい。

なんにせよ、なにかしらの異変が僕に起きているのは間違いないみたいだった。


「……参った。どうしたらいいんだ」


すやすやと眠る慧音の寝顔を眺めながら、僕は小さく呟いた。




















「…………ん」

「あ、起きた? 身体の調子はどう?」

「……ふむ。まぁ大丈夫だろう。やはり眠り足りなかったのかな。……というかミコト、何か言ってなかったか? 私を寝かす前に」

「え? なんのことさ」

「……? おかしいな、確かに何か言ってたような気がするのだが」


思い出せない、と布団の上で首を傾げる慧音。僕はその姿を見て、もう大丈夫だろうと安心して目を逸らした。


「? どうした」


が、少しあからさま過ぎたか、慧音が膝立ちで僕に向き直る。その動きに少しだけ目を向けて、僕はまたすぐ視線を落とす。

それが気に入らないのか、慧音はムッとしてズリズリと僕に近付いてきた。


「何故目を逸らす?」

「いや……だって」


だんだんと近付いてくる慧音をチラチラと見ながら、僕は言葉を詰まらせた。あれぇ、気付いてないのか?


「なんだ、そんなに私を見たくないか」

「いや、見たくないというか、どちらかと言えば見たいんですけど……」

「? どういう意味だ?」

「いや、その……服が、というか、む、胸元が」

「胸元?」


視界の端にいる慧音が、キョトンとした顔で視線を落とす。

瞬間、ボッとその顔が赤くなっていた。


「な、な、な……!」

「見てませんよ? なんとか我慢しましたよ?」


体育座りの体勢で膝と身体の隙間に顔を埋めながら言う僕。

まぁ、今の慧音の格好を簡単に言えば、『服がはだけている』の一言。胸元のリボンが解け、その下の肌が危うい感じにあらわになっている。

それでも普通にしていればなんでもないくらいのレベルだったのに、慧音は膝立ちの四つん這いの姿勢になってしまった。そうすれば当然、いろいろなものが重力というものを受けてしまうわけで……。


「……見たか?」

「ギリギリです」

「ギリギリまでは見たんだな?」

「言い訳はしませんが逃亡していいですか?」

「……別に逃げなくてもいい。そのかわりに私の感情を操れ」

「へ?」


リボンを縛り、いつも通りの服装になった慧音。

顔を上げながら返事をした僕は、未だに顔が赤い彼女の顔を見ながら首を傾げた。


「なんで感情を?」

「いいから。平常心に戻すくらいは出来るだろう」

「まぁ……。じゃあ、失礼して」


言いながら僕は慧音に近付き、彼女の額に自分の額を近付けていく。

が、


「……なんで避けるの」

「い、いや」


触れる寸前で慧音はサッと僕を避けていた。空振った僕はその姿勢のまま慧音を見る。今度は慧音が視線を逸らしていた。え、僕の着物がはだけてるわけじゃないよね?


「ひ、額じゃないと駄目なのか?」

「え? あぁいや、ただ額が一番効率が良いというか、場所的にイメージが掴みやすいから」


別に額じゃなくても出来ることは出来るのだが、ただほんの少しやりづらいというだけ。さらには身体同士を触れさせればこちらの感情を流すだけで済むので、相手の感情を取り込んでそれを基準にして、という作業を省けるのだ。

ちなみに一番効率が良い場所は他にあるが。


「嫌なら別にいいけどさ」

「え?いや……」


何か言いたげだったがもう遅い。

慧音から離れ、振り返って右手を翳す。ぐっと握って左にくいっと引けばそれで終わりだ。



顔の赤みが引いていく慧音を見て、ひとつ息をつく。

なんだか微妙な視線が向けられているが、何か不満でもあるのだろうか?

ま、いいか。


「じゃあ僕は行くね。あんまりのんびりもしてられなくなった」


主に僕の都合で、だが。


「もう大丈夫だとは思うけど、あまり無理はしないこと。気分が悪くなったりしたら、念じてくれれば跳んで行くから」

「お、おい。こんな夜中に出ていかずとも」

「妖怪は夜の方が調子が良いの。じゃあね」


会話を半ば無理矢理に終了させ、僕は窓から飛び出した。

また僕に何か起きる前に、とっとと終わらせてしまわなければ。


「全く、自分の撒いた種とはいえ……」


唇を噛みながら地面を蹴る。

ふと空を見上げると、ほんの少しだけ欠けた月が僕を照らしていた。

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