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68:〔命の異変〕

「…………う、ん……」


小さな声が耳元で聞こえ、薄く目を開いた。

ぼやけた視界にあるものは、白。


「…………?」


ポリポリと頭を掻いて、半開きの目を軽く擦る。ぼやけた視界がいくばくかマシになり、僕に擦り寄るような形で未だ眠っている妹紅の顔が見えた。白色は妹紅の髪だった様子。

起き上がる前に、しっかりと僕の着物を握り締めている妹紅の手の指を解いていく。


「ん……ぅん」

「おっと……」


少し強くし過ぎたのか、妹紅の表情が少し歪んで、その身体をさらに擦り寄せてきた。しかも、三本目まで外していた指が元通りがっしり着物を捕まえ直した。

それを見た僕は、


「ごめんよ」


そう一人で呟いて、少し起こしていた身体をもう一度寝かした。

妹紅の頭の下に腕を入れて抱き寄せる。

今日でこんな機会もしばらく無くなってしまう。そう考えると少し思うものもあるが、致し方ない。

妹紅の額に自らの額を合わせ、彼女の中にある『悲哀』の感情を抜き取り、代わりに『安堵』の感情を流し込む。

これで、一人になっても大丈夫だろう。

緩んだ手をなるべく優しく身体から離し、妹紅の髪を撫でてから立ち上がる。


「また、ね」


小さく呟いてから、僕は妹紅の家を後にした。










「……また、かぁ」


自分以外に誰もいない家の中、妹紅は小さく呟いた。

寝返りを打って、ミコトが寝ていた場所に俯せになる。枕に顔を埋めながら、まだ暖かい布団の中でまどろむ妹紅。


――もっと、一緒に居たかったなぁ……。


細い視界の中、そんなことを考える。

しかし追いかけても無駄なことが分かっている彼女は、せめてこの温もりと匂いを少しでも感じていよう、と長い間布団から出ようとはしなかった。










さ、て。


「よっと」


背の高い木から人里に向かって跳躍。頂点に達したところで猫の姿に変化して、そのまま人里の通りへと着地する。

太陽を見るに今は正午辺りだろう。寺子屋は昼休みへと入っている頃だろうか。

通りは人が歩いていて、下手をすれば踏まれそうなので屋根の上へと飛び乗った。このまま屋根伝いに進むことにしよう。

変わらない賑わいを見せる人里の様子を横目に、寺子屋はどこだったかと考えながらのんびりと歩く。

と、そこで聞き覚えのある声が僕の耳に入ってきた。


「みんなー! 勉強を始めるぞー!」


その声の少し後、散らばって遊んでいたらしい子供達が一斉に建物の中に入っていく。


――前もこんな感じだったかな。


そこはかとなくデジャヴュを感じながら、僕はその建物――寺子屋へと向かうのだった。




前と同じ場所の窓に飛び乗り、授業の様子を静観する僕。

一本隠している尻尾をフラフラと揺らしながら、しばらく慧音の声を聞き流していた。


と、五分程経って慧音がこちらに気が付いた。僕を見て動きを止めた彼女は、なんだお前かと言わんばかりの表情を僕へと向けてくる。

まぁ、ここで何もしなければ何も起きないわけなんだけれど。


――それじゃあ意味が無いんだよねぇ……。


「なっ……!?」


姿勢そのまま、妖力を『悪意』と共に少しだけ放出。子供達に害は無い程度の量だが、慧音は驚きと共に結界を張っていた。

なぜ、と訴えかけてくる姿勢を無視し、僕はスルリと寺子屋の屋根上に移動。すぐさま隠業を使って姿もろとも気配を消す。

すぐ下では警戒している慧音のピリピリした気配が伝わってくるが、それもすぐに収まっていた。


さて……種は撒いたし、夜に芽が出るのを待ちましょうかね、と。










「そろそろ、かな?」


ぽつりと呟いた僕は、首を傾げて空を見る。雲ひとつ無い晴天だった空は、今は数多の星がきらびやかに輝いている。

そして、それらを代表するかのように光を放つのは、真円と化した白い月。

それを眺めながら、僕は隠業を解いて変化も解いた。あぐらの体勢で月を眺め続け、少し冷え込んだ空気を吸い込み、吐いて。


「覚えてないだろうけどさ。初めてこの姿で会ったのも、今日と同じ満月だったんだよ」


もう少し暖かかった気はするけどね、と続け、そこで僕は姿勢を落とす。

そこには。


「…………」


髪の色が薄い緑色へと変わり、その頭から二本の角を生やした女性の姿があった。

言わずもがな、獣人状態の慧音である。


「そうそう。あの時もそんな風に睨みつけられてたっけ」


クツクツと笑う僕。慧音の視線がさらに鋭くなる。


「……なぜ、その時の私はお前を睨んでいた?」

「さてねぇ。何か気に入らないことでもあったんじゃない?」


立ち上がり、満月を一瞥する。


「と、言うのは冗談で……」


ジャキリ、と音を立てて伸びた爪を舐め、口の端を吊り上げて。


「今回は、前にさらいそびれた子供をさらい直そうかな、とね」


そう言った瞬間、慧音の拳が僕の鼻を掠めていた。

反らした上半身を勢い良く起こし、慧音の耳元で囁く。


「どの子供にしようか、迷ってはいるんだけどね」

「…………!」


振り払うような一撃を屈んで避け、宙返りして地面に着地。追うように慧音も屋根から降りてきた。

そして、半身の姿勢を取った彼女は言う。


「その時の私も同じようなことを言ったと思うが……」

「?」

「さらえるものなら、さらってみるがいいさっ!」


瞬間、僕の視界を覆ったのは、大量の弾幕。

面くらいながらも結界を張り、凌ぎきった時にはすでに人里は姿を消していた。


ふぅと一息ついた僕は結界を解き、


「?」


慧音の背後、握っていた左手を開く。


「いつまでそっち見てるの?」

「なっ!?」


慌てて振り返った慧音は、僕の手からパラパラと舞う薄緑色の髪を呆然と眺めていた。

しばらく経ってようやく状況を理解したらしい慧音は、姿勢を低くする。


「……お前、何者だ」

「思い出すまで教えない」


ニヤリと笑った僕に、慧音は真っ正面から突撃してくる。

前よりも幾分鋭くなっている一撃を、避け、いなし、払い、止め。知らず知らずの内に、僕は尖った歯を剥き出しにして笑っていた。










「はっ……はっ……」

「もう終わり?」


目の前で息を乱している慧音を見て、僕は軽い口調でそう言った。

もういいか、と思いながら一歩踏み出し、「おっと」おそらく最後の足掻きであろう一撃をパシンと手で止めた。最初の威力はどこへやら。

空いている手で慧音の首を掴み、そのまま持ち上げる。


「まだ思い出しそうに無い?」

「くっ……! やめ、ろ……!」

「いやぁ、思い出してくれたら離すけど」


ギリギリと力を込めていく。

まだ思い出してくれないのだろうか。早く思い出してくれないと、このままでは殺してしまう。

こんなことまでする気は無かったのに、全く…………ん?


こんなことまでする気は無かった……無かっ、た?


こんなことって、なんだ?


目の前には、僕に首を掴まれて苦しんでいる慧音の姿。



――なんだ、僕は何をやっている!?



「カハッ……」

「っ!」


慌てて慧音の首を掴んでいる手を離す。

ドサリと音を立てて倒れた慧音と、先程まで首を掴んでいた手を交互に見た。


なんだ、何が起きている。なんで僕は、慧音と戦っていた?

僕はただ、最初会った時と同じシチュエーションを作って感情を流し込もうと、そうすれば思い出してくれるだろうと考えていただけなのに。


「……く……」


頭を抱え、自分を問い詰める。

自分のしたことが信じられない。理解出来ない。許せない。

感情が暴走している。

疑惑、困惑、混乱、頭の中がぐちゃぐちゃになって何を考えているのかすらわからなくなってくる。


「ケホッ……ぐ……。ミ、コト……?」

「! 慧音!?」


自分の名を呼ばれ、反射的に反応する。

慧音の姿を見た僕は、それまでの混乱をほおってその手を握った。


「……ようやく、というのかな。思い出したよ。それにしても、少し方法が荒っぽくな」

「大丈夫か? どこか痛いところは? あぁゴメン、なんであんなことしたんだろう。とにかく手当しなきゃ」

「ちょっ、大丈夫だ。私はそこまで弱い身体では」

「まず慧音の家に……そういえば人里が無い! 慧音早くもとに戻してっていうかその慧音が今は怪我しててあぁもうどうすればい」

「……ミコト」


トン、と肩に手を置かれ、パニクったまま振り返った僕は、


「落ち着け」


ガスッ! と強烈な頭突きを食らっていた。










「落ち着いたか?」

「オーケー。バッチリ」

「なら良い。ほら、行こう」


ぐいっと手を引っ張られ、地面に座っていた僕は立ち上がった。

握られた手をじっと見つめ、その後に慧音の身体を眺める。

目立つような怪我は無いみたいだが……。


「どうした?」

「いや……本当に大丈夫か、と」

「心配性だな。そもそもお前から何かしてきたのは最後だけじゃないか」

「……そうだっけ?」

「……覚えてないのか?」

「いや、なんというか……その」

「……まあいい。とにかく帰ろう。話はそれからだ」


頭を抱えた僕を見て、慧音は再度僕の手を引いて歩きだす。

引かれるがままに歩く僕は、妙な違和感を感じつつ、その正体がわからない、得体のしれない気味の悪さを感じていた。

最近しっくりというか、さらさらと文章が出てこないなぁ……。


書き続けていたら元に戻るんだろうか。

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