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65:〔抱きしめたこの身体〕

「シッ!」


一秒前にいた場所にズドドドドドッ! と地面に減り込んでいく石つぶて。

右足で地面を削りながら顔を上げれば、そこには無数の石つぶてが宙に舞っている。即座に左足で地面を蹴って後ろに跳べば、目の前には石製の絨毯が出来上がっていた。

土煙を右手で払いながら、脚へと力を込めていく。


「うぅ……、あああぁあぁあっ!」

「!」


空にいる藍の咆哮と同時に、今度は目の前の空間がぐにゃりと歪んだ。

すぐさま感情を操り幻術を打ち破ると、今度は目の前に地面が迫る。


――二重幻術……!


「ぐっ……!」


まるで地面が起き上がってきたかのような感覚。

倒れた僕は無理矢理に身体を起こし、揺れる視界から逃れる為に目をつぶった。

流石に最高位の妖獣、こと幻術に関しては僕を凌ぐかもしれない。

藍の動作ひとつひとつが幻術に直結しているのか、もしくは永続的な幻術を使っているのか……どちらにせよ、生半可なものなら同じ幻術を扱う僕には通用しない。にも関わらず、僕は藍の幻術に振り回されていた。


幻術が切れれば直接攻撃。

合間を縫って接近すれば化かされて近付けない。

一進一退どころの話ではない、完全に藍のペースに巻き込まれてしまっている。


「くそ……どこだ」


目をつぶったまま能力を行使。いくら化かそうとも、『命』まではごまかせないはず。


「……見付けたっ!」


瞬間、跳躍。

妖気の糸を絡ませて玉を造りだし、それに乗って感じとった命に向かって直進。


この手が届きさえすれば……!


すがる思いで藍に向かって手を伸ばし――。


「っ!?」


大量の何かが僕に直撃。

思わず目を開けば、空間の歪みは消えていて、変わりにそこにあったのは大小様々な弾幕の嵐。

ほとんど反射で結界を張るも、弾幕の隙間から現れた藍の一撃で結界ごと地面にたたき付けられる。

背中から落ちた僕は、歯を食いしばって跳ね上がった身体を翻しその場から離脱。

距離を取った僕を藍は追い掛けてはこず、ただ空中で頭を抱えてフラフラと漂っていた。

頭を振り、這い出してきた血を吐き出す。


「くそ……どうにか、どうにかして身体に触れられれば……」


幻術もそうだが、身体能力も凄まじい。暴走して限界を超えているともとれるが、それにしたってこの強さは予想外だ。伊達に九尾を名乗っているわけでは無い。

こぼれ出た血を袖で拭い、藍を見上げる。

先程からずっと流れ込んできている彼女の様々な『拒否』の感情に、俯きたくなってしまうが、それは許されない。


嫌だ。

戦いたくない。

傷付けたくない。


――思い出したく、ない。


「…………」


ギリ、と歯ぎしりの音が頭に響く。同時に頬を叩き、気持ちを引き締める。

考えてはいけない。考える前に、行動するんだ。


リズムを取り、小さく右に左に跳び跳ねる。

小さく、小さく。

それを徐々に大きくして、しかしリズムは同じまま。

たん、たん、たん、たん。

刻むリズムは同じまま、しかし跳ぶ距離は少しずつ大きくなっていく。


リズムに乗れ。

考えるな。

無駄な感情は排除しろ。


「嫌だ……!来ない、来ない、でぇ……!!」


耳に入る藍の声。

駄目だ、考えるな。

考え、るな!


「来ないでぇぇぇぇ!!!!」

「あああぁあぁあ!!!!」


気が付けば、叫んでいた。

同時にトップスピードで藍に突撃、身体に当たる石つぶても弾幕も無視して、ただ勢いだけで突き進む。

そして、幻術で視界が歪む頃には。


「……捕まえ、た」


この腕に、彼女を捕まえていた。


――よかった。ようやく、触れられた。


「離せ、離せっ!離してよぉっ!!」

「ぐっ……」


背中に走る鋭い痛み。

藍の爪が、容赦無く僕の背中を引っ掻き回す。

けれど僕は離さない。いくら視界が歪んだって、いくら背中が傷だらけになったって、絶対にこの身体は離さない。


「嫌だ……嫌だぁ……」


ぽろぽろと落ちる涙。

血に染まった腕がダラリと落ちて、僕の視界は物の輪郭を取り戻した。

一度抱きしめていた腕を解き、降ろされた腕ごともう一度抱きしめる。


「辛いのはわかってる。残酷なことかもしれないのもわかってる。だけど」

「う……うぅ……」


――思い出して、ほしいんだ。




「……っ……!?」


僕の『想い』を、藍に直接流し込む。

ビクリと彼女の身体が震え、宙に浮かんでいた身体がゆっくりと地面へと落ちていった。

地面に足がついた僕は、額を離し、二、三歩後ずさりするように藍から離れた。


「…………藍?」


小さく、彼女の名前を呼んでみる。

乱れる息を抑えながら、願いを込めて、ゆっくりと。

藍は、そんな僕に向かって静かに近付いてきた。俯いたままのその表情は、一体どんなものなのか……怖くて流し込む感情を遮断してしまう僕がいる。


「…………!」


手が届く範囲まで近付いてきた藍は、それでも歩みを止めることは無い。

ゆっくり、じっくり、一歩一歩がじれったい程に遅く、その足元も定まらず。

けれど、確実に僕との距離は近くなっていく。


そして、その足がピタリと止まった。

血濡れの両手がフラリと揺らぎ、震えながら僕に向かって伸びてくる。

僕はそこまで見て目をつぶった。感情も遮断している。これで何をされても、この近距離では避ける手段は無くなった。

ここで、彼女から伸ばされた両手が僕を貫いたとしても、僕はその事実を喜んで受け止めよう。

あれで記憶が戻らないなら、僕の想いが弱かったということ。

ただ、それだけ。

僕にその程度の想いしか無かったとしたら、たとえ記憶が戻ったとしても会わせる顔が無い。そんなことを考えながら、僕はただ、藍の行動を待ち続けて――










「……ミコト……さん……?」










――静かに僕の名前が呼ばれ、冷たいものが僕の顔に触れていた。

溜まっていた息が吐き出され、はやる気持ちを抑えてゆっくりと目を開く。


「藍……?」

「ミコト、さん。……ミコトさん……ミコトさん……」

「あぁ……そうだよ。ミコトだ」


僕を見つめ、何度も何度も確かめるように僕を呼ぶ藍。

僕は、藍の手に自分の手を重ねて、それを肩と挟むように擦りつく。


「ミコトさん、ミコトさんミコトさんミコトさん…………!ミコトさんっ!!」


藍の目から涙が零れ落ちる前に、ギュッとその身体を抱き寄せる。

震える身体から流れ込んでくる感情に目をつぶり、唇を噛み締めた。


「藍……!」


涙が流れそうになって、ただそれを噛み殺して。

さらにギュウッと、彼女の身体を抱きしめる。


「ゴメン……」


僕が封印された時、藍は何を思っていたのか。

その時の藍の悲しみが、辛さが、突き刺さるように僕に流れ込んでくる。


こんな辛い感情を、僕は彼女に、皆に、与えてしまっていたんだ。

今更か、と皆は呆れるかもしれない。

けれど、こうして実際に感情に触れた今、ようやくその辛さを理解した。


――あぁ、本当に今更。僕は、どうしようもない馬鹿野郎だ。


「…………っ」


けれど、泣くわけにはいかない。

辛かったのは誰だったのかを考えれば、僕は泣いてなんていられない。

今はただ、彼女の辛さをこの全身で受け止めて。


「あああぁあぁあ………………!」


流れ出した感情の結晶が、僕の着物を濡らし続けた。










 










「ハイ。できましたよ」

「ん。……おぉ、やっぱり良い感じだ。ありがとう、藍」

「ふふ……どういたしまして」


耳飾りに羽が二枚復活。

僕はそれを触りながら、付けてくれた藍に向き直る。

藍は、笑顔でポロポロと涙を零していた。


「藍?」

「すいません。ただ、本当に嬉しくてしょうがなくて……。また、貴方と共に過ごせることが……」

「……そっか」


立ち上がった僕は、ぽふぽふと藍の頭を叩いて撫でた。

嬉しそうに細められた目から、また一粒涙が落ちた。


「……紫は?」

「外に」

「ん……ちょっと行ってくるよ。待ってて」


ハイ、と返事をした藍に背を向けて外に向かう。


紫は、出てすぐの場所にいた。


「紫」

「あら。もういいの?」

「よくはないけど……ここにも、ほっとけない奴がいるから」

「へぇ……誰かしらね」

「さぁ、誰だろうね」


言いながら、背中を向けている紫に歩み寄る。

そしてそのまま、後ろから腕を絡めた。


「なんのつもり?」

「さぁ」


突き放すような言葉とは裏腹に、紫の手は僕の腕を掴んで離さない。

僕はそのまま、紫の肩に顎を乗せた。


紫から流れ込んでくる感情。

言葉では決して言わないが、感情が言っている。


――『寂しい』と。


直接的な悲しみは感じられなかった。僕が復活してからずっと一緒に行動しているから、それはわかる。

けれど、僕は気付いた。

藍のように記憶を封印されていたメンバーは、記憶が戻ったその時に何かしらの感情が溢れ出す。

じゃあ、記憶を封印しなかったメンバーはどうなのか。

僕が復活するまでの間、何も感じずに過ごしてこれたのか。


答は、ノーだ。


「…………」


何も言わない紫を、ただ黙って抱きしめる。

紫は何も言わない。今まで気付かなかった僕を責めたりもしない。

だから僕は、謝らない代わりに抱きしめ続けた。










今日は、皆で寝ましょうか。

誰かが言ったその言葉に、残りの二人が頷いた。


試行錯誤して書き上げた。

上手く描けただろうか……。

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