45:〔モコモコ〕
「落ち着いた?」
「はい。……けどまだ、このままで……」
「どうぞ、気が済むまで」
場所を外から一軒家――妹紅の家らしい――の中に移し、壁に腰掛けて妹紅の身体を抱き寄せる。
長い髪に指を通すと、妹紅も僕の長く伸びた髪を指で梳いた。
「伸びましたね」
「ここ三十年程寝てたから」
「なんですかそれ」
「僕もよくわからん」
ゆったりとした、幸せな時間。妹紅の身体の重みが、今はなにより心地好い。
だが、一つだけ聞かなくては。
「妹紅。本当のところ、どうなんだ?」
何が聞きたいのかわかったのだろう、妹紅の身体がほんの少し強張る。
妹紅は少し間を置いて、ささやくように喋り始めた。
「…………私は、ミコトさんを恨む気にはなれません。例え貴方が父を殺した張本人だとしても、ミコトさんは私にとってはかけがえの無い存在。……それに、父もあれで藤原の男。いざという時の覚悟もあったはず」
「けど…………」
「ミコトさん。正直な話、これは理屈ではなく感情の話。理屈では確かに憎しみを抱いてもおかしくない。けれど、感情では貴方を憎むことができません」
「その感情が、僕に操られていたらどうする?言いたくはないけど、そんなのは簡単なんだよ?」
「言いたくはないが、ってことはやってはいないんでしょう?なめないで下さい、ミコトさんが嘘をついたらすぐにわかるんですから」
それに、と妹紅は続ける。
「貴方は、もう充分過ぎる程に償いをしてくれた。本当に父を殺したかどうかわからないのに、です。私はそれで充分」
肩に頭を乗せ、愛しげに僕の髪を触る妹紅。
参ったな……。そんなこと言われたら、もう何も言えないじゃないか。
「じゃあ、どうする?お前、あのかぐや姫と何回も戦っていたようだけど」
「あれはほとんど遊び。互いに全力で戦っても死ぬことが無いから……。それに、体裁もありますから」
「体裁……?」
「アイツと戦い続けることで、私はまだ父の娘でいられる気がするんです……。それに、アイツずっとあの屋敷に篭ってるんですよ?運動させてやらないと」
クスクスと笑いながら言う妹紅。それを見て思う。
あぁ、本当に良い娘に育ってくれた、と。
「さ、この話は終わりにしましょう。その代わり、ミコトさんの話をしてください」
身体を離し、笑顔で言う妹紅。
その姿が、僕にはとても輝いて見えたのは、錯覚ではないだろう。
で、先程の空気から一変して朗らかな雰囲気の中、僕と妹紅は椅子に座り、丸い机を挟んで向かい合っていた。
「そういや妹紅、あの言葉遣いは?」
「え?あ、あれは……」
あのかぐや姫に向けていた言葉遣い。あれは確か、他人と接する時に使っていたものだ。
不思議と違和感が無かったので今まで忘れていたが、ついでなので聞くことにする。
「……な、なめられたらいけないと思って……」
「へ?」
「私、見た目がこれだから、ミコトさんと別れてから妖怪に襲われることが多かったんです。そんな時に今みたいな話し方してたら、向こうが調子に乗ってくることがあって……」
顔を赤くして言う妹紅。
ははぁ、それで思い付いたのがあれだったのか。納得。
「……ん?てことは、僕にだけかな、その話し方は」
「え?あ、はい。なんでしょうか、ミコトさんにはこの話し方しかできないというか……」
ちょっぴり優越感。
「ミコトさんこそ、その羽は?それに、随分と、こう、弱っているというか」
「む……。この羽は、天狗の頭の天魔のもの。妖力に関しては……、まぁいろいろとあってね。妹紅が僕に気付いた時があったろう?あれが限界なのさ」
皿にある筍の煮付け的な物をカリカリと音を立ててかじる。美味い。
「は、はぁ……。ですが、今なら私でも勝てそう……?」
「恐怖のどん底、見てみたい?」
「じ、冗談ですよ!けど……そうですね。あの薬師なら、もしかして……」
「妹紅?」
筍を咀嚼していると、不意に妹紅が立ち上がる。で、まだ筍を飲み込んでいない僕を後ろから抱え、
「ついでです。行きますよ」
「どこへ」
飲み込んでそう言った瞬間、開いている窓から飛び出していた。
随分と行動的になったもんだ。風圧で涙が出ちゃう。
僕、実は空飛ぶこと出来ないから結構怖いんだ。
「あら、お帰りなさい」
「ただいま」
上空で妹紅に離され、でも予想はしていたので軽やかに着地。本日二回目の永遠亭である。
どうやら縁側でのんびりしていたらしい永琳に迎えられ、僕はちらりと空を見る。
「……またな」
妹紅はそう呟いて、竹林へと消えていく。案外あの言葉遣いも新鮮だ。
というか、何のついでだ。
「で、何の用?」
「あぁ。ちょっとね」
相変わらずマイペースな永琳に、僕は妖力のことを相談することにした。
「つまりは、妖力を手っ取り早く元に戻したいと」
「まぁ」
永遠亭のとある一室、沢山の引き出しがある部屋で永琳は一枚の紙を前にぶつぶつと呟いている。
永琳の能力は昔から知っている。
確か、『あらゆる薬を作る程度の能力』だったか。
確かに、永琳なら僕の減った妖力を戻す薬を作れるかもしれない。
「そうね……。出来ないことも無いけれど……一過性のものになるわ」
「詳しく」
「作る前から詳しく語れるわけが無いでしょう。けどまあ、少しの間なら本来の妖力にはなるでしょうね」
「あ、だったらいいよ」
元々高望みはしていなかったし、いざという時の切り札的なものになればいい。
そういう意味なら充分だ。
「わかったわ。でもその代わり、貴方の血液と身体の一部……髪の毛でいいわ。少し頂くわよ」
その後、念のため、と若干多めに血液を取られ、髪型はセミロングになった。と思ったらすぐに伸びて今度は足元まで伸びた。なんのこっちゃ。
で、薬が出来るまで少しかかると言うので。
「モコモコ〜モコモコ〜モ〜コ妹紅〜〜」
縁側で総勢三十二匹の兎と戯れることにした。ここまでくると僕が兎で遊んでいるのか、兎が僕で遊んでいるのかわからなくなってくる。端から見れば襲われているようにも見えるかもしれない。
実際、動きを止めた瞬間に僕は兎の山に埋まる。まさにモコモコハザード。
「な、なにこのウサギの山っ!?」
「モ〜コモ、ん?」
突然聞こえてきた甲高い叫び声。
なんだ、事件か!いや、この白い塊に驚いているのは百も承知だが。
「な、な、」
「いや、驚かせたみた、うっ、すいませ、っぷ」
ええい、空気を読めモコモコが!
なんとか顔面にはりついた兎を剥がし、微弱ながらも妖力解放。一目散に逃げ、竹の陰に隠れてこちらを伺う三十七匹のモコモコ。ん?増えてない?
「……まぁいいや。すいません、驚かせたみたいで」
五匹の誤差は無かったことにして、目の前で尻餅をついている人……いや、人じゃあないな。
頭からウサ耳を生やしている人間はいない。
近づいて、彼女の顔を覗き込む。ほぉ、瞳も赤い……。
「だ、駄目ッ!」
「ぅん……!?」
彼女の瞳を見た瞬間、心臓が跳ねる。
「……、これは……!」
この感情は知っている。これは……!
「くっ!」
即座に能力を発動、無理矢理に感情を押さえ込む。寸前に平常心に戻り、僕は一つ息を吐いた。
「あ、あれ?」
「僕はそう簡単にはいかないよ。……まぁ、少し危なかったけど」
「ミコト、薬が出来たわよ……あら、貴女は」
「あ、あなた何者なの……!?私の目を見ても大丈夫だなんて!」
「そうでしょうねぇ。なんたって感情を操る規格外の妖獣だもの」
「…………へ?」
薬の入った小さな箱片手に、永琳は事もなげに言う。
対してウサ耳の彼女は、その言葉を聞いてほうけた声を出していた。
「ミコト」
「おっと」
「一度の服用で約半刻、貴方は本来の妖力に戻ることが出来る。ただ、連続で服用したらどうなるかはわからないわ。覚えておいて」
「ありがとう。じゃ」
「あ、ちょっと待っ……」
なんだかややこしくなってきたので、僕はその場から跳んだ。
さて、次はどこへ行こうか。
「あの方は、一体……」
「さあね。彼のことは、私も良くわからないわ」
「っと、ここは……」
ありったけの妖力を足に込め、道のりなんかめちゃくちゃに進んでいると。
そこには、沢山の向日葵がありました。
「ちょうどいいや。いい眺めだし、ここらで休憩しよう」
もう昼過ぎもいいところ、夕方に差し掛かろうとしている時間。
僕は小高い丘に座り込み、沢山の太陽を眺める。
「こんな場所があったのか……。知らなかった」
「でも、いい眺めでしょう?」
「まぁねぇ。知らなかった今までが少し損に思えるぐらいに」
「あら、お上手だこと」
「いやいや、本当に。それで、ひとつ相談があるんだけれど」
「なにかしら」
「逃げさせて頂いても?」
「断るわ」
瞬間、僕は全力でその場からエスケープ。丘が吹き飛んだその場所には、優雅な笑顔の女性の姿。
「素敵な笑顔だ……。逃げ出したくなる程に」
「もっと近くで見てもいいのよ?こんな風にねっ!」
「っ!」
いきなり目の前に現れ、額がくっつきそうな距離まで彼女の顔が近付いた。
速い……!
……いや、違う。
「僕が遅いのか」
次の瞬間、僕の身体は彼女の一撃で吹き飛んでいた。
題名に意味はあまり無い。




