27:〔化け猫が零した雫〕
不愉快な臭いが鼻につく。自分の身体が焼け焦げる臭いなどあまり嗅ぐ機会は無いが、ここまで不愉快だとは思わなかった。
そんなことを考えながら、僕は地面に頭をこすりつけていた。
「うう……!」
妹紅の唸り声が耳に留まる。
苦痛に喘ぐ身体を無視し、僕は立ち上がってその姿を視界に入れた。
「……どうした。この程度なのか。お前の父への想いは」
「…………やめ、ろ……私は、こんなことしたく……!」
必死に本能に抗おうとしているようだが、言葉とは裏腹に妹紅の周りには燃え盛る火の玉が浮かび上がっていた。
一体どれだけの時間が経ったのか、既に朝日は三度登り、今はその太陽も顔を隠してしまっていた。
――流石に、ヤバいかな……。
火傷で使い物にならなくなった右足を軽く上げながら考える。
僕は、今の今まで妹紅の攻撃を受け続けてきた。避けることも、こちらから攻撃することもしなかった。
当然だ、これは戦闘じゃない。妹紅の溜まりに溜まった感情を、僕という『道具』にぶつけさせるのが目的。
つまるところ、僕はサンドバッグの代わりである。サンドバッグは避けもしなければ攻撃もしないのだから。
「っ!」
一瞬、強い熱風が僕を襲った。思わず顔を逸らすも、すぐに視線を戻す。
妹紅の背後には、巨大な火の玉が存在していた。
「いや、いやっ……!」
頭を振り、ブツブツと呟いている妹紅。
感情から見ても、妖力の具合から見ても、これが最後の一撃だと理解した。
一瞬、妖力を全開にして防御姿勢をとりかけたが、止めた。死んだって受け止めると決めた以上、この身体で受け止めるのが筋だろう。
「避けて、避けてぇぇぇ!!」
叫びと共に、火玉は飛来した。右足を地面に下ろし、力を抜いて目をつぶる。
「いやああぁあぁああぁ!!!!」
妹紅の叫び声だけが、僕の耳を満たしていた。
「えっ…………」
妹紅が、こちらをキョトンとした表情で見つめていた。
なんて顔してるんだ。
まぁ、僕が妹紅の立場だったら、同じ様な顔をするとは思うけれど。
「全く……こんなことだろうと思った。馬鹿ね、貴方」
「うるさいな、余計なことしてくれて」
「あら、じゃあ何もしない方が良かったかしら?貴方が死んだら彼女、それこそ地獄の様な永遠を過ごすと思うのだけれど」
「…………」
宙ぶらりんの体勢で言う僕に、紫は呆れたように扇を閉じた。妹紅は相変わらずキョトンとして、空中にいる僕の姿を見つめている。
紫は僕を地面に降ろすと、そのまま妹紅の額をサラリと撫でた。境界を戻したのだろう。
僕はベタリと座り込み、火傷した足に妖力を込めた。こうすると痛みが和らぎ、心なしか治るのも早くなるからだ。
「ミコトさんっ!!」
「うわっ」
あらかた妖力を込め終わった瞬間、妹紅が抱き着いてきていた。もう、あの見ているだけで辛くなる感情は小さくなっていた。消えた訳ではないが。
黙ってその頭を撫で、長くなった白髪を指で梳く。所々赤い色がこびりついていて、その感触が指の間を通り、僕は目を細くする。
少し、辛い思いをさせすぎたかもしれない。
妹紅の震えを身体で感じる度に、先程の紫の言葉が深く胸を突き刺すのを感じる。
僕の背後では、黒く焼け焦げた大地が煙りを立ち上らせていた。
「さ、妹紅」
「…………はい」
震えが止まった頃を見計らい、妹紅に声をかける。
妹紅は、ゆっくりと身体を離して、僕の前に立った。
「さっき言った通り、僕は妹紅の父親をこの手にかけてしまったかもしれない」
「……けど、それはまだ」
「聞くんだ。確かに、そうじゃないと考えることもできる。僕だってそう思いたい。……けど、そうは言い切れないのが、現実なんだ」
僕の言葉に、妹紅は顔を下に向けた。
「だから、考えて欲しい。安易に答を出さないで、自分の納得できる答を出してほしいんだ。だから……」
ここで、僕は立ち上がった。つられて顔を上げる妹紅。すでに、涙が顔を濡らしていた。何かを感じとっていたのかもしれない。
僕は妹紅に背中を向けた。だって、これ以上妹紅の涙なんか見ていたら……。
「しばらくの間、さよならだ」
歩きだした先には、普段の胡散臭さが見られない紫の姿。
なにもない空間にスキマが開き、僕はその中に足を踏み入れる。
「っ、ミコトさん!」
それが、最後。
おそらくはスキマに駆け出していたであろう妹紅の姿を一瞬だけ想像して。
「…………」
振り返った時には、そこに妹紅の姿は無かった。
ポタリと滴った透明な雫を見ても、何も言わないでいてくれた紫に少しだけ感謝した。
最近、あとがきのネタが無くなってきた。
え?んなもんいらない?
はっはっは、それを言ったらおわりだろう?




