101:〔反逆を起こした場合〕
「うぅん……。流石って言うべきなのかな」
痺れる左手を抱え、向こうに聞こえる程度に呟いてみる。
対して向こうは、弾かれた巨大な槍を軽く振り回し、不満気に口を開いていた。
「胴体ごと薙いでやるつもりで振り抜いたはずだけど……。どんな爪してるのよ、全く」
「過去に何度かへし折られはしたけどね。まぁ、あと五、六発も入れれば心配せずともへし折れるさ」
「……はぁ、参っちゃうわね」
前髪を掻き上げながら、大きく息を吐くお嬢様。どうでもいいが、正直隙だらけである。別にそれを突くつもりもないけれど。
「なんでもいいけれど、とりあえずその服装を止めて頂戴。なんだか執事の反乱みたいで落ち着かない」
「ぶっちゃけそうじゃん。立場的には執事なわけだし」
「なんでもいいから。早く」
「はいはい、と」
割と切実そうだったので、あまりからかわずに素直に応じる。意外と、身内の反乱には弱いのかもしれない。
……僕が身内に属するかと聞かれれば、当然それは否なわけだけど。
「ところで、フランは?」
「なんか面倒そうだから寝るってさ。ま、僕としては願ったり叶ったりだからいいけどさ」
「あの子はまた……」
再度頭を抱えたレミリアに、いいじゃんいいじゃんと笑いかける。子供っぽくて微笑ましいと言うものだ。
そんなことを考えながら、再度身体に妖力を充満させる。万が一にも、無防備な状態でレミリアの攻撃を受けてはいけない。先の爪で受けた攻撃も、妖気無しでは僕の身体なんて紙屑同然に引き裂かれていただろうから。
「……ねぇ」
そんな僕を見て、レミリアは小さく声を出した。少し俯いた顔からは、どうにも表情が読み取れない。
「正直言って、私は貴方がわからない。この五百余年、様々な人間や妖怪を見てきたけれど、貴方は一際意味がわからない」
「……それは光栄なことで」
心にもないがそう言っておく。掴み所が無いとはよく言われるが、意味がわからないとはなかなか言われたことが無い。まぁ、何度か言われたことはあるけれど。
「まぁ確かに? 何で僕がこんな騒動を起こしたのかは、そちらにはわからないんだろうけど」
「いいえ、目的はわかっているの。ただ、どうしてこんな真似をするのかがよくわからない。貴方なら、もっとスマートな方法が思い付けたんじゃないかって……そう、思っただけよ」
自信無さげに言うレミリアだが、正直言ってその通り。僕だって本当は、もっとスマートに物事を進めていくつもりだったのだ。
だが、これがどうにも間が悪かったというか、先のばしにしていた問題が、ここにきて急浮上してきたというか。
「なに、当初の予定とは大分ずれちゃったけど問題無いさ。目的自体はなんら変わっちゃいないから」
「ふぅん……それで? 貴方が私に突っかかってくる理由も、目的を達成する為には必要なのかしら?」
「当然。悪いけど、遠慮無し、全身全霊問答無用で叩き潰させてもらうよ。君が僕に屈してくれなきゃ意味が無いからね」
爪を伸ばし、すぐにでも跳び立てるように膝を曲げる。
それに対してレミリアは、手元の槍をくるりと回し、一度大きくその羽を羽ばたかせた。
俯いていた顔はしかと前を向き、牙を覗かせた口は両端をくいと吊り上げている。
「……我にそこまでの口を利いたのだ。もはや後戻りは出来ぬぞ」
威圧と共に見下してくる彼女は、すでに先程までのレミリアにあらず。
紅魔館の現当主。紅い月が良く似合う、妖怪最強と謳われる吸血鬼の幼き姫が、そこにいる。
「我が槍で我が館に縫い付けてやる。光栄に思うがいい」
「跪くのは初めてかい? 安心しなよ、優しく見下してあげるから」
「ほざけ!」
彼女が叫ぶと同時、十の爪を解き放つ。
コンマ何秒を待たずに投擲されたグングニルを肌にかすらせ、瞬間自らの感情を操作。すでに地を蹴っていた僕は、右手の灰色を五本、レミリアに向けて打ち出した。
レミリアとミコトが互いに挑発を仕掛けたと同時期。
館の外では、苦い顔をした美鈴が力強く地を踏み締めていた。
「門番としての役目を果たしたいところではあるんですが……」
ツゥ、と。
彼女の頬を、一筋の汗が伝わる。
まだ、何もしていない。何か、されたわけでもない。だというのに、美鈴の身体には言い様の無い熱が溜まり始めていた。
そう。目の前にある『闇の塊』を見ているだけで、美鈴は吹き出す汗を止めることが出来ない。
そんな美鈴とは対照的に、どこか暗く冷たい妖気を纏った妖怪は、官能的にその表情を歪ませる。
「前菜は貴女ね。……いいわ、楽しみながら、ねぶるとしましょう」
瞬間、闇が四散する。徒手空拳となった闇の妖怪――ルーミアは、その漆黒のドレスを不気味にはためかせた。
「……胃もたれには気をつけてくださいね。主菜程じゃあないにしろ、私の拳は重たいですよ」
「妹様」
「ダァメ。何言われたってここからは出さないよ。というか、出れないよね。パチェの結界って、呆れるくらいに頑丈だから」
「……何故ですか。妹様だって、地上で何が起きているか位は知っているのでしょう」
「うん。なんだかよくわかんないけど、ミィがお姉様に喧嘩売りにいったんだよね。あーあ、私も見たかったなぁ、ミィとお姉様の殺し合い」
「何を呑気なことを。それがわかっていながら、妹様は何もなさらないと言うのですか」
「だからぁ。行きたくても行けないの。私はミィに、咲夜をここから出さないように頼まれたんだから」
「……何ですって?」
「お姉様との闘いに、水を注されたくないって言ってたよ。僕を見ただけで動けなくなるくらいなら、最初からいない方がいいってさ」
「……っ」
「でもね、こうも言われてるんだ。咲夜が、本気の私と戦って勝つことが出来たなら、ここから出してもいいって」
「な、私が妹様と?」
「そ。つまり、お姉様を助けに行きたいのなら、その前に私を倒していきなさい、って、感じかな。どうする?」
「…………」
それきり、地下室に閉じ込められたメイドは何も喋らなくなった。
それを見た地下室の主は、どこかつまらなそうに羽をパタパタ、足もパタパタ。
拍子抜けした、と言わんばかりにメイドを見つめ、しかしいつからか瞼を落としていたメイドとは決して視線が交わらない。
「あーあ、早く負けてくれないかなぁ、お姉様」
「…………!」
「パチュリー様。言われた通りに結界は強化しましたけれど……」
「えぇ。もしかしたら、取り越し苦労になるかもしれないわね」
どうでもいいけれど、と続きそうな口調で、彼女は膝の上でページをめくり続けている。
そんな彼女の従者は、時折響いてくる轟音に、忙しなく羽を羽たつかせていた。
「落ち着きなさい、こぁ」
「で、でも」
「大丈夫よ。彼だって、何の意味も無く暴れているわけじゃない……。それに」
「……それに?」
「本当に危険なら、私がここで黙って座ってるわけがないでしょう」
「ミコト」
「うん?」
不意に声がかけられ、シャンデリアを揺らしながら返事を返す。
そして思った。きっと、これが最後の会話らしい会話になるだろうと。
「変な話だけれど……私は、貴方の企みが上手くいけばいいと思っている」
「…………」
「でも、それは私が、一時的とはいえ貴方に屈すると言うことでもある」
レミリアの瞳が、妖しく紅く、煌めいた。
「……いいや、違うわね。私はすでに、貴方という存在に屈しかけている」
耳がピリピリと、痛みにもにた痺れを感じている。
「でも。だからこそ」
「かかってきなよ、本気でね」
レミリアの言葉に被せるように、少しだけ声を張ってそう言った。
確かに、レミリアが僕に屈している『状況』が生まれなければ、僕が企てていることは根っこから瓦解することになる。
けれど、だからといって、手加減したレミリアを屈服させても意味が無い。正真正銘、本気のレミリアを完膚なきまでに叩き伏せなければ駄目なのだ
。
そうでもなければ、きっと勘の良い彼女は僕の企みに気付いてしまうだろう。
「さ、お喋りはここまで。殺し合いを続けよう」
四つ足をついて、紅のカーペットを削りあげる。
――どうせだ。久しぶりに全力で飛び回ってみようじゃないか。




