――245(●)――
「王国軍の動きはどうか」
「大量の明かりをつけたまま東門の外側で地面を掘削などの作業を継続しているようです」
集団を集めるための篝火の光が壁の外側に漏れぬように注意しながら、コルトスの南門内側で部下の一人に確認を取ったラウターバッハは無言で腕を組んだ。依然として王国軍の意図が読めないのである。
夕刻の時間帯に王国軍と一戦を交えたものの、鎧袖一触という方が近い状態で敗走を余儀なくされ、神託にあったという勝利の方法である王国軍をコルトスの中に誘い込む事にも失敗。
ラウターバッハが逃げ込んできたコルトレツィス家騎士団と従卒、それに第一陣の中からかろうじて撤退できた戦力を再編し終えた時には既に深夜の時間帯となっていた。
ちなみにコルトレツィスの当主一族であるダヴィッドは、夜襲の手配をするように指示だけ出すと『神託の巫女と相談をしてくる』と言い残し、神殿にではなく館の方に戻ったきりである。
もっとも、ラウターバッハの方も妙な指示を出されるよりはよいか、とあえて呼び戻しには行っていない。
「北門の橋を下ろすのは無理か」
「王国軍側の破城槌がどうにも邪魔です。橋を下ろそうとしても障害となりますし、その間に監視をしている敵兵に知られることになりましょう」
ラウターバッハの疑問に別の騎士が答える。腕を組んでラウターバッハは唸りながら目の前にある門に視線を向けた。
「北と東がそのまま出られぬとなると、やはり南門から出るしかないか」
「そのためにここに騎士たちを集められたのでは」
「そうなのだがな」
東門を開ければ王国軍の目の前だが、作業を続けていて休んでいる様子がないのでそんなことをすれば返り討ちにあうだけであろう。かと言って北門はそもそも橋が下ろせない。西門という案もあるが、西から町を出て南を大回りし東門側にいる王国軍に向かうのには時間がかかる。消去法で南門しかないように思えるのだが。
「ヒュベルトゥス殿下に誘導されているようにしか思えん……」
ラウターバッハも決して無能ではない。魔物が徘徊する世界で無能な人間が貴族家の家騎士団団長など務めていられないからだ。だが、最初から相手の掌の上である限り、多少優秀であってもできる事には限界があるのも確かである。
いずれにしろ、ラウターバッハが悩んでいられた時間はごく短かかった。外的要因のせいである。コルトス中央にあるコルトレツィス館の方から喚声が聴こえてきたためだ。
「何だ? 何ごとだ」
「も、申し上げます! 侯爵邸に一団が攻め込んでおります! 直ちに支援を!!」
「襲撃だと!?」
「なぜそのようなことになった!」
騎士の一人が驚きの声を上げ、その声に被せるようにラウターバッハの状況報告を求める声が夜空に響く。その報告に来た侯爵邸の警備兵が短く語った内容はラウターバッハを驚愕させた。西門が内側から開かれ、そこから多数の王国軍が雪崩れ込んできた、というのである。
西門を開けた兵たちが先頭に立ち、道案内をしながら王国軍がまっすぐに侯爵邸に攻め込んできた中で、この警備兵はかろうじてラウターバッハに事情を知らせるために南門まで駆けつけてきたというのだ。
「王国軍とは、誰の手勢だ!」
「確実ではありませんが、ツェアフェルトの旗であったかと……」
「ツェアフェルト!?」
ざわっという静かだが確実などよめきがコルトレツィス騎士団の中に広がる。その中でラウターバッハが確認のため声を上げた。
「静まれ! 侯爵夫人やダヴィッド様は!」
「わ、解りません」
ラウターバッハの舌打ちとほとんど同時に周囲が悲鳴と怒声に包まれた。西門の方向から向かってきた一団が投石を仕掛けてきたのである。
暗い所から明るい所を目がけての投石だ。想像以上の数の石が命中し、周囲の従卒や歩兵が苦痛の声を上げて倒れ、突然の投石により石をぶつけられ驚いた馬が走り出す。
更に混乱したところに軽装の歩兵を先頭にして、コルトレツィス騎士団にとってよく見覚えのある鎧を着た騎士たちが切り込んできた。夜間にもかかわらず、激しい戦いが繰り広げられる。
その襲撃をかけてきた相手が、味方であるはずのコルトレツィス第三都市のフスハンから来た兵士たちだと知り、ラウターバッハが怒声を上げた。
「反乱か、裏切り者ども!」
「反乱軍はお前たちだろう?」
人を食ったような声と共に重く巨大な斧槍がラウターバッハの頭を狙う。ラウターバッハはかろうじてそれを躱した。攻撃を加えてきた相手は回避されたことにむしろ笑みを浮かべながら斧槍を構え直す。
明かりに照らされた相手の顔を見ながらラウターバッハは剣を抜きつつ声を上げた。
「痴れ者め、名を名乗れ」
「ゼルギウス・ベルント・ツァーベル。男爵だ」
「……男爵?」
ラウターバッハが困惑した声を上げたのは一瞬であった。ツァーベル男爵が再び斧槍を振り回しながら人を食ったような笑顔で話しかけてきたためである。
勢いと重量の乗ったその一撃をとっさに抜いた剣で受け止めることができたのは、ラウターバッハの実力が低くない事の証明であったかもしれない。
「しばらくこの町に滞在させてもらっていたんだが、結構いい町だな」
「しばらくの間、だと、どういう、こと、だ」
「言葉通りよ」
一撃でも喰らえば戦闘力を大幅に削られることになるだろう。ラウターバッハはかろうじてツァーベル男爵の攻撃を受けつつ、途切れ途切れになりながらも思わずという形で問いかけたのに対し、余裕をもって笑いながらツァーベル男爵が応じる。
「この戦い、第二都市より先に陥落していたのは第三都市だからな」
「な、なに?」
「フスハンからの援軍、ってのは俺たちだったんだよ。ああ、フスハンの隊長を責めるのはやめてやれ。あいつは妻子が人質になっているから言われたとおりにするしかなかったのさ」
もっとも、主家であるコルトレツィスより妻子の方を選んだのは間違いないがな。そう言いながらツァーベル男爵が笑いながら連続して斧槍を叩きつけるように振り下ろしてきたため、ラウターバッハはそれらを受け止めながらかろうじて体勢を立て直した。
ツァーベル男爵がラウターバッハと切り結んでいる間に、ホルツデッペが率いるアンハイムに駐留していた騎士の一隊がコルトレツィス家騎士団の中心に突入を開始している。
ホルツデッペ麾下の騎士たちはアンハイム攻防戦を経て夜間の乱戦と集団戦に抵抗のない騎士たちだ。複数の人間でコルトレツィス側騎士の足や手を刺し貫いて相手の戦闘力を失わせながら、その場に倒れたその騎士たちを障害物として上手く使い、指揮者が白兵戦を行っているため指示を出す人物がいないコルトレツィス側をみるみる無力化していく。
事態の急変と投石とで混乱していたコルトレツィス側の騎士たちも抵抗しようとしているが、いかんせん状況についていけていないため組織的な抵抗とは言い難い。瞬く間に戦列を切り崩されて乱戦状態に陥ってしまう。
ラウターバッハがその状況に一瞬だけ視線を向けて唸り声をあげた。指示を出そうにもツァーベル男爵の攻撃はむしろまだ余裕があるような気配である。余所見などしていては首はともかく腕や足を切り落とされかねない。
今度は鋭く突き込まれてきた斧槍をかろうじて受け流す。ツァーベル男爵が笑った。
「旧クナープ侯爵領からトライオットに入ってデリッツダムの一部を経由して、南側からフスハンまではなかなか長かったぜ」
「デリッツダムが!?」
「あいつら、お前たちをあっさり見捨てたぞ」
そもそも、最初にコルトレツィスを煽ったのはデリッツダム王国である。だがそのやり方が悪手であった。
「勇者殿が聖女様に不逞不埒な行いをしたってあの噂に、フィノイ大神殿の最高司祭様がお怒りらしくてな」
最高司祭はフィノイ防衛戦の後にマゼルが報酬をすべて神殿と被害者への救済に提出した態度に好感を持っていた。それがいささか行き過ぎて、勇者をヴァイン王国から神殿直属にしたいというレッペの表面だけの提案を受け入れてしまったのは確かである。
その点でいささかの負い目を感じていた最高司祭は、勇者が聖女に対する不貞不埒な行動をしたという根も葉もない噂がデリッツダムの一派が流したものだ、というヴァイン王国からの証拠を確認すると、思い切った告知を出した。デリッツダム各地にある神殿を三年間閉鎖する、というものである。
この告知を聞いたデリッツダム側は蒼白になった。この世界における神殿は病院でもあり、また神殿財産は地方銀行のような一面も担っている。魔物の跋扈もまだ収まったわけではない。そのような状況で神殿が閉鎖されてしまえば負傷者の治療もままならず、地方経済が停滞どころか破綻してしまう。
混乱し責任の押し付け合いから王宮内で武力騒動まで発生しかけたデリッツダムにヴァイン国王が救済案を提示してきた。叛徒であるコルトレツィスを討伐するのに“協力”してもらえれば娘である聖女を通じて教会に取りなしをしよう、というものである。
デリッツダム側がこの提案に飛びついたのはやむを得なかっただろう。その結果、デリッツダム領内では食料などの物資の提供も受けながら、旧クナープ侯爵領に配置されていたグレルマン子爵が率いるヴァイン王国軍がむしろ堂々とファルリッツの南方まで軍を進めることができたのだ。
そしてデリッツダム側からヴァイン王国の国境を越え、コルトレツィス領内に入り込んでフスハンに向かった。デリッツダムの用意した道案内が先頭に立って山地の細い抜け道を通りながらである。
なお、旧クナープ侯爵領には西方国境を確認に向かうためという理由で王都を離れていたシャンデール伯爵が国境から南下してそのまま臨時担当として着任しており、旧トライオット方面への警戒を引き継いでいる。
「山岳地域の、抜け道……」
「コルトレツィスとデリッツダムがひそかに接触している以上、抜け道があるのは予想済みだったぜ」
予想していたのは俺じゃなくて王太子殿下だけどな、と言いながら立て続けに斧槍をラウターバッハに向け叩きつける。ラウターバッハがかろうじて受け止めていられるのはツァーベル男爵が会話をしながら戦闘をしているためであっただろう。
「いやあ、王都の頭のいい連中とは喧嘩したくないな」
「な」
何を言っているのか、と言いかけた所でもう一度鋭い一撃が首筋を狙って襲い掛かってきたため、ラウターバッハは口を開く暇さえない。それでもギリギリのところで受け止めたラウターバッハの武術の腕に称賛の視線を送りながらツァーベル男爵が口を開く。
「実際の計画はフォーグラー伯爵が立てたらしいが、ツェアフェルト子爵がまず先に第三都市を攻略し亡命先への道を潰してしまおう、と提案したらしい」




