――239――
魔王城の迷宮は幻覚かもしれない、と説明したらさすがに驚かれた。
だが、魔王が思考を誘導するような能力を持っている事や、そもそも魔王や魔族たち本人が使うのに不便すぎる、と説明すると納得した反応が返ってくる。一応、その名前が王族のご先祖であるユリアーネの名前は出さないように注意した。
「ただ、相手の誤魔化しが解ってもどうやって破れるかは」
「破壊しながら真っすぐ進めばよいじゃろ」
「天井が崩落したらどうするんですか」
俺が途中まで発言したらウーヴェ爺さんがとんでもない力業を口にして思わず素で突っ込んだ。この爺さんは本当にやりそうで怖いわ。多少の危惧を持っていたら、意外なことにエリッヒが賛成。
「子爵の想像が事実だとすれば、たとえそこにあるのが扉であっても石壁に触れたような気になってしまうのかもしれません。正面突破という方法は一つの選択肢かもしれませんね」
「あのだらだらぐるぐるを繰り返すよりはましか」
「だねぇ」
エリッヒに続いてルゲンツやフェリまでそんな事を言いだした。俺は中の迷宮どころか魔王城の外観すら見てもないわけだが、よほどストレスたまっているんだろうか。雑魚とはいえ油断したら大怪我は避けられないような魔物と戦いながら延々歩きまわされるのは確かにストレス溜まりそうだが。
そんな力業を使ったら向こうも戦力を一気に出してきて総力戦になりそうで怖いっちゃ怖いが、対案があるわけでもない。反対のための反対になってしまうわけにもいかないのでひとまず沈黙。
いざという時には信用できるはずの面々だから現場判断は任せておくことにして、マゼルの方を見ると相変わらずちょっと俯いたような姿勢で静かなままだ。
ふと視線を感じると、ちらちらとマゼルの方に視線を向けていたラウラとフェリが何か言いたげに俺の方を見ている。マゼルの事だから、何か抱え込んでいるのかもしれない。あの様子ならここ数日はこんな感じなのかも。うーん。
「後はまあ、ちょっとまだ考えていることがあるんで、今日はここに泊まっていってくれ。疲れてもいるだろうし、一日二日ぐらいなら住民の目もごまかせると思う」
「そうさせていただきますね」
時間を稼ごうとした俺の提案にラウラが即答。けど他の面子も反対せずに頷いた。当然マゼルの様子がおかしい事には気が付いているのだろう。
これはあれか、パーティーメンバーには心配ないとマゼルが言い張っているというあたりか。仲間に心配かけまいと無理してるとかがありそうだな。
とりあえずノイラートとシュンツェルに部屋の手配をするように指示を出し、軽くフェリに合図をして一足先に執務室代わりの部屋に戻る。執務室で少し時間があったので何枚か書類にサインしていたらフェリが訪ねてきた。
「悪いね、兄貴」
「マゼルの事か」
「そうなんだよ」
さっさと自分から椅子に座って事情を話し出す。魔王城から一度撤退して、俺に相談しようと王都に戻ったあたりから挙動不審になっているらしい。ふむ。
「王都で俺に会いに行ったという事は伯爵家邸に行ったんだよな。マゼルが家族に会ったときは?」
「特に何も。ああでも、リリーの姉ちゃんが兄貴を心配してる話を聞いたときあたりからちょっと変だったかも」
「なるほど」
なるほど、としか言えん。マゼルの性格とこの世界がゲームじゃない事、現状と俺の位置も考えると、理由はあれだろう。
「王都からここまで何か相談しなかったのか?」
「んー、しようかと思ったんだけどさ。ルゲンツが『そういうのは兄貴にまかせるのが一番だ』って」
「あの野郎」
俺にぶん投げるんじゃねぇっての、と思ったが考えてみればそっちもあるのか。それは確かに俺がやらんとややこしい事になる。失念していた俺も配慮不足だった。
あとはおそらくマゼルの事だ、勇者である自分がメンバーを動揺させてはいけないとか本気で思っているんだろう。あの主人公気質め。っていうかメインの悩みはどっちなんだろうか。
しょうがない、勇者パーティーに信用されたと思っておこう。それに対応しておいた方がいいのは確かだ。魔王の能力の一つが思考の誘導だという仮説が正しいとしたら問題になりかねない。
「フェリ、悪いがちょっと頼みがある」
「ん」
相変わらず返事なのか何なのかよくわからん反応だ。ともかく頼みごとをしておくとそっちは軽く「りょうかーい」と言う反応で引き受けてくれた。
そのまま部屋から出て行こうとして、扉の前で立ち止まる。そこでふりむいて口を開いた。
「あ、そう言えば兄貴」
「何だ?」
「リリーの姉ちゃんから伝言。『どうかお怪我だけはなさらずにお気をつけて……』だってさ」
声色まで使われて不意打ちを食らいげふっ、と息を吐いた。俺のその様子を見てけらけら笑いながらフェリが言葉を続ける。
「マゼルの兄貴は忘れそうだから代わりに伝えたよ。んじゃまた後で」
言うが早いか扉の外に姿を消した。逃げやがったなあいつ。今度伯爵邸に来た時には茶菓子は無しに決定。
それにしてもリリーだって学ぶことが多くて大変だろうに、俺の心配してくれてるのか。……とりあえず無事だということぐらいは書いても大丈夫だから、手紙でも出すか。私的な手紙となると俺だけだと差別になるから希望者の分を集めて使番を出そう。
その手配を進めてからノイラートとシュンツェルに目立たないように建物の警備を強化するようにと言って、今日は俺の護衛ではなく別の仕事をやってもらう事にする。
俺の護衛は別の騎士にかわってもらい、マックスにも事情と指示を伝えておいてからひとまず目の前の書類整理に注力。何かあればフェリが伝えに来るはずだ。話は夕刻以降の方がいいだろう。
間がいいのか悪いのかは何とも言えんが、町に夕方になって到着した使者の話から、翌日に到着する荷に関する打ち合わせがあり俺の夕食は遅れてとることに。
マゼルたちには食事を一緒にとれないことを詫びておき、打ち合わせとその使者が別途に持ってきた荷物の件を確認。そっちの内容は俺が見ていいものではないので王太子殿下に荷が届きましたという使者を送ってその分は終わり。
翌日に届くそれ以外の荷に関しては、置き場所やら受領確認の際の荷ほどきと内容確認の人員を配置し早朝でも集合できるように準備をする。荷物の確認はバルケイに任せることにした。
それやこれやですっかり遅くなったが、フェリが訪ねてこなかったという事は大きな問題は起きていないという事だ。途中寄り道をしてから執務所になっている宿に戻る。出迎えたのはシュンツェルだけか。
「おかえりなさいませ、ヴェルナー様」
「ご苦労。マゼルたちは?」
食事は全員でとったそうだが、その後はほとんどが準備した部屋で休んでいるらしい。マゼルだけが散歩に行きたいという事でノイラートが同行しているとの事。だいたい予想通りだな。
「わかった。ちょっと待ってろ、俺もマゼルを追う」
寄り道して調達し持っていたものを護衛の騎士に預けて一度屋内に入り、フェリに予定通りと一言伝え、着替えもせずに魔道ランプだけ手に取って屋外にとんぼ返り。
外でシュンツェルにも短く指示を残し護衛の騎士を連れてそのまま歩きだす。ところどころの家屋から明かりは漏れているものの、全体としてはかなり暗い。とは言えいい加減この暗さにも慣れたのは戦陣にいることも多かったからだろうか。
北側の囲壁までたどり着くと、予想通りノイラートが階段の下で警戒するように立っていた。俺が近づくと驚いたように寄ってくる。
「ヴェルナー様、どうしてこちらがおわかりに?」
「なあに、あいつが悩んでいるときにはどう行動するか予想してみただけだ」
マゼルからすれば道を知っているのは町に入って来たこの北門だし、家族のいる王都も出身地であるアーレア村も北方。そして人がいない所を探すなら囲壁の上が確実だと思うに違いない。
だからあえて今日は北側の囲壁上には監視の兵も置かなかったし、巡回にも来ないようにとマックス経由で手配をしておいた。ここでノイラートが待っていたのは上には一人で行きたいとでも言ったんだろう。
「よし、上は俺だけでいい。後でフェリたちが来たら上げてもいいが、それ以外の人間は上げないようにしてくれ」
「解りました」
ランプを護衛の騎士に預けて、持たせてきたワインボトルを受け取り栓を抜いてから、俺だけが階段を上がる。一応足元を注意しながらだ。
夜でも月明かりに照らされた囲壁の上は町の中と異なり意外と明るいが、これはこの世界だからなのかどうかは正直よくわからん。前世では月明りの中だけで生活したことはなかったしな。
益体もなくそんなことを考えながら階段を上りきり、少し歩いて目的の人間に声をかける。
「よぉマゼル」
「ヴェルナー?」
人がいないと油断していたのかもしれんが、耳元で大声上げられたみたいな顔するんじゃねぇっての。
というよりマゼルぐらい鋭い奴が、俺が近づくまで気が付かなかったのを見ると想像していたより重症だったのかもしれん。間に合わなくなるよりましだからよしとしておくか。
とりあえずワインを一度ラッパ飲みして、驚いているマゼルに瓶を突き出す。
「ま、せっかくだからまず一杯やろうぜ。毒味はしたぞ」
「毒とかそんなこと考えてないってば」
苦笑しながらマゼルが口をつける。ぐいっというほどでもないがやや遠慮したような運び方だな。一口飲んだマゼルが俺の方に視線を向ける。
「で、どうしたの」
「そりゃおまえ、あんな顔してれば気になるさ」
「……顔に出てた?」
「むしろ隠していたつもりなのが驚きだ」
副音声で慣れない事をするなと言ってやったらマゼルの奴、苦笑い。その顔のままワインの瓶を向けてきたのでそれを受け取りつつ口を開く。
「ところでマゼル。真面目な話と重要な話、どっちからする?」
「……真面目な方かな」
一瞬だけ面食らった表情を浮かべたが、すぐにそう返答が帰ってくる。わかった、と軽く応じてから外壁に寄りかかり、一口ワインを飲んでから声を出した。
「魔王討伐も終わってないのに人と人が戦争してるんだから、落ち着かないよな」
「気が付いてたんだ」
「お前さんは真面目だからな」
ゲームなら人間たちは団結して魔王と戦い、『悪い魔王は滅び世界は平和になりました。めでたしめでたし』で終わったかもしれない。実のところマゼルもそういう終わり方になると信じていたような節はある。
実際、こういう楽観思考は一部の人間が持ってしまうものだ。前世でも世界大戦終結直後や旧ソビエト連邦が崩壊した時も『これで戦争のない平和な時代が来る』と言ったり、本気でそう思っていたような人物は国の指導者レベルでも結構いる。
マゼルは王都の学園に通う前、あのアーレア村で生活していた。圧倒的に社会に対する情報が足りないんだから、そっちの考え方であっても不思議じゃない。というよりも前世の知識がある俺だから今の状況を冷静に受け入れられているんだろう。
そんなマゼルからすれば、まだ魔王を倒してもいないのに争いだした人間に対する不信や、何のために魔王と戦っているのかという疑念を持ってもおかしくない。おかしくはないが放っておくこともできないんだよな。
「実際、学生の頃と状況はずいぶん変わっちゃったよね」
その年齢で昔を懐かしむような事を言うんじゃねえっつーの。そのぐらいいろんなものを見てきたのかもしれんが。
「ま、少なくとも同じ敵と戦っている訳じゃないな」
「うん、なんかこう……」
「けど、勘違いするなよマゼル」
何か言いかけたマゼルに覆いかぶせるように言葉を重ねる。思考の迷宮に入り込まれると非常に面倒くさいことになる事がわかりきっているからだ。
特別な人生という意味でいえば貴族の俺が言っちゃいけないのかもしれない。だがマゼルはアーレア村で顔見知りの人間は百人未満、たまに巡礼者と話すことがある程度という生活から、突然、神託で選ばれ王都で学園生活を少しだけ経験して、その直後に今度は勇者様としてちやほやされたり利用しようという奴が近づいてきたりという状況だ。特異な経験が団体さんで押し寄せてきている。
どこかで踏み間違えていてもおかしくないんだが、こうやって冷静に考えるとマゼルはよく歪んでいないな。ひねくれたり思い上がったりしていないあたりが主人公の主人公たるゆえんかもしれない。
「確かに学園の頃みたいに隣で戦ってはいないかもしれない。だけどお前と俺には同じ人たちが背中の側にいるはずだぜ」
「同じ人たち?」
「例えば、リリーとかな」
そう口に出すと思わずため息が漏れる。いやほんとに。
実際、リリーはあんな苦労する必要はない立場なんだ。外見を置いておくとしても、勇者様の妹ってだけで王都でちやほやしてもらえるだろう。勇者の義弟という名声だけを欲して、それこそ形だけ結婚して後はどれだけ遊んでいても文句は言わない、なんて貴族だっているかもしれない。
それなのにリリーは俺の隣にいるために必要だから、と礼儀作法や嗜み程度でもダンスや乗馬技術、社交の話術や館を管理するため人事、財務のノウハウだとかを文字通り一から学んでいる。
せめて学園に通っていれば基礎的な礼儀作法なんかだけでも学べていただろうが、リリーにはその基礎さえない。にもかかわらず文句ひとつ言わずに一生懸命、本来なら学園で数年かけて学ぶような量の内容をこの短期間で学んでいるんだから頭が下がる。
前にもちょっと思ったが、もしゲームみたいにステータスが見れたら、リリーのことだけでも俺の対人運は間違いなくカンストしてるだろうな。
「“今”を精一杯に生きている人が安心して明日を迎えられるようにする。そういう意味で、俺とお前は同じ方向を向いていると思ってるぜ」
ワインを一口飲んで、囲壁の上から夜の町に視線を向けて俺がそう言うと、マゼルがはっとした表情でこっちを見た。これは間違いなく俺の本心だ。
魔物という命を失わせる暴力、時に家族まで巻き込み人生を崩壊させることもある理不尽な権力、そういったものもこの世界には溢れている。だからこっちも武芸や貴族としての立場を使う事は避けられないが、それを使う相手、向ける先だけは選ぶ。
その点においては俺は殺人者と罵られても後ろ指だけはさされないよう生きてきたつもりだし、俺よりもマゼルの方が正道を歩いて来ているはずだ。だからその部分に視線を向けてもらえばいい。
多少思考の誘導をしている自覚はある。仮にそういう平凡に今を一生懸命生きている人たちに視線を向けても、悪人や野心家が消えてなくなるわけじゃない。だがマイナスの方に視線を向けているよりはずっと建設的なはずだ。
何より、魔王に苦しめられている人や魔物により肉親を失った人をマゼルはその目で見て来ているはず。俺はこいつをお人よしだと思っているが、それと同じぐらい芯の強さも信じている。だからきっとこいつはこう言う。
「……そうだね。難しい事は後で考えればいい。今は魔物に苦しめられている人たちの事が一番だった」
「そういう事。それに言ったろ。面倒くさい事は俺の役目だ」
そう言ってにやりと笑ってからワインの瓶を渡すと今度は勢いよくあおった。咽るなよ、と思ったがそんな心配は無用だったようでふうっと大きく息を吐く。
「ありがとう、ヴェルナー」
「おう、悩みが一つ解決したようで何より」
瓶寄こせ、と手招きして受け取ったワインをもう一口飲む。まだもうちょっとあるな。俺が瓶から口を離したところでマゼルがどこかしみじみとした表情で口を開いた。
「何だかヴェルナーには本当に迷惑かけてるなあと思うよ」
「まったくだ。人生相談みたいなことさせんじゃねぇよ」
そう言ってわざと軽く応じるとマゼルが苦笑している。口調や表情からもだいぶいつもの調子が戻ってきたようで何より。
「今度はどうやって返せばいいのかに悩むなあ」
「なあに、そのうちまとめて返してもらうさ。期待してるぜ、義兄上」
軽くそう言ってやったら目の前で手を叩かれた猫のようにマゼルが硬直。
一瞬顔を見合わせてから、二人で同時に噴き出した。そのまましばらく二人して腹が痛くなるまで大笑い。言った俺の方でさえ笑いを収めるのが大変だった。
「うわぁ、ヴェルナーにあにうえとか言われたら違和感が凄いや」
「気にするな、俺もだ」
まだ二人とも微妙に頬が歪んだままで、一歩間違うと笑いが再発しそうだが、ようやくという感じで落ち着いてから話を再開。別人の気配を確認しておいてからマゼルの方に瓶を渡しておく。
「どっちかというとヴェルナーの方が年上っぽいしね」
「お前みたいな万能の弟がいたら俺の胃が蜷局を巻いちまうわ」
どんな学科でも実技でも簡単にトップを取る、できすぎる弟とか素で胃がねじ切れそう。今度は俺が苦笑する羽目になった。
「それで、重要な話って?」
「ああ、そっちな」
のほほんとした表情を作り軽く口を開く。
「ラウラの件は俺の方が迷惑してるぐらいなんで、気にしなくていいぞ」
わざとそういう言い方をしたらワインを口に運んでいたマゼルが噴き出した。あ、これセイファート将爵が俺にこういうタイミングで話振ったのよくわかるわ。ちょっと楽しい。
「けほっ、一体、何」
「言葉通りの意味だが? つーか動揺し過ぎだぞお前」
すました顔でそう応じる。けど間違いなくこの件もマゼルにとっては引っかかってる部分だろう。
そりゃそうだ、と思わなくもない。俺が知ってるのは主にゲーム中のラウラだが、確かにラウラは魅力的なんだ。弱者にやさしく困った人には手を差し伸べる。お姫様なのにお茶目で気取っていないし、怒る時は本気で怒ってくれる。ステロタイプのヒロインではあったかもしれないが、この世界では現実だ。
多少は吊り橋効果みたいなものはあるかもしれない。けど実際、そんな魅力的な子と同じように旅をして、一緒に四天王や魔将と戦って、同じものを食べて一緒に笑い合ったり喜んだりしていたはず。マゼルが気にならない方がおかしい。
そしてそういう“気になる女の子”と“妹の彼氏”が婚約者候補とか聞きゃ、そりゃ内心では複雑だろうよ。しかも世間一般で言えば、王族のラウラと貴族の俺の方がつり合いは取れるんだし。勇者と呼ばれているが、村人でしかなかったマゼルの方が気おくれというか立場を気にするのは避けられない。
むしろゲームのストーリー的にマゼルとラウラがくっつくのが当然と思っている俺の方がこの世界では例外なんだろう。何となく王太子殿下は勇者を確実に取り込むためなら妹ぐらい差し出すとか言いそうだが。実際、王族って国のための生贄みたいな立場でもあるしな。
……生贄、ねえ。何気なく思ったその言葉がピンポイントで当てはまった。こいつは答え合わせの時の参考になりそうだな。だがひとまず意識的にそれを記憶の戸棚に押し込む。
「第二王女殿下が魅力的なのは認める。けど俺が隣にいてほしいのはリリーだ。申し訳ないが他の女性は眼中にない」
二人とも内心では気にしているだろう。マゼルが物語の主人公に相応しい人柄の男だってことはラウラも実感しているはずだ。むしろ現実にこんな好青年がいるのかとさえ思っているかもしれない。
ラウラは俺との噂がコルトレツィス侯爵側を暴発させる狙いの情報操作だという事情は理解しているはずだが、特に王族や貴族の婚姻の場合、状況はどこでどう転ぶかわからない。だから非礼でもなんでもはっきりラウラとの関係はないと断言しておく。
「……随分はっきり言うね?」
「こういうのは有耶無耶にすると後が面倒だ」
苦笑交じりのマゼルにそう応じておき、宿での会話中からずっとマゼルの事を気にしていた女性の方に視線を向ける。
「後はまあ、当人同士で話をしてくれや」
ぎょっとした表情でマゼルが振り向いた先に、ラウラが苦笑いに近い表情を浮かべて立っている。あれだけ馬鹿笑いしてれば壁の下にも聞こえただろうし、それで上がって来たんだろうな。
遠慮して最後まで登ってこないって事も想定していたんで、狙っていたわけじゃないにしてもいい方向に転んだらしい。とりあえずラウラの後ろでひらひら手を振っているフェリに案内ご苦労と軽く頷いておく。
「夜分、お騒がせいたしました。それでは殿下、私はこれで失礼いたします」
「ご苦労でした、子爵」
狼狽えすぎて硬直しているマゼルを無視し、わざとラウラ相手に貴族の口調でこの場を離れる許可を求めると、意図を理解したラウラも王族らしい態度で頷いた。が、不意に悪戯っぽい顔を見せる。
「ですが、あそこまで堂々と興味がないように言われてしまったのは少々複雑ですよ?」
「申し訳ございません」
本心なんだがそこに関しては謝罪するしかない。内心で苦笑いしつつ頭を下げる。すると、笑いを堪えるような口調でラウラが言葉を続けた。
「先ほどのお言葉、記憶しておきますからね」
「……かしこまりました」
ぐあ。リリー以外の他の女性は眼中にないとか、さっきの台詞がガールズトークでラウラの口からリリーに伝わったりしたら俺の方が悶絶しそうな気がする。そういう方向のお茶目は勘弁してほしい。
胃が痛いと思いながらマゼルの手からワインの瓶を奪い取り、階段を降りようとして反対側の手を伸ばしてそいつを捕獲する。
「うぇ?」
「何でこの場に残ろうとしてるんだお前は」
「いやだってほら、うわ、ちょっと、兄貴」
そのまま片手にワインの瓶、片手にフェリの襟首を掴んで囲壁の階段を降りる形になった。何ともしまらん格好だがしょうがない。
暗い中でちょっと苦労して地面まで降りると階段の下で呆れた表情のノイラートと護衛の騎士の他に、ラウラの護衛を任せたルゲンツとエリッヒも笑っている。その二人にワインの瓶の方の手を上げる形で軽く挨拶をした。
「二人とも済まない」
「なあに、お前さんに任せた方が確実だと思ったからな」
「冒険者の先達らしいところを見せてほしかった」
ルゲンツに文句を言わせてもらう。年長者相手だがこのぐらいは許してもらおう。エリッヒが小さく笑いながらそれに応じる。
「私たちでもマゼル君の相談に乗るぐらいまではできたと思いますが、ラウラさんと一対一の場を準備できるところまでしていただけるのは子爵にしかできなかったと思います」
「おせっかいでしたかね」
「むしろ覚悟が決まってよいのではないでしょうか」
「魔王を倒すまで黙っていようとか、ため込んでいてもろくなことがないのは解りますけどね」
変なフラグが立たなきゃいいがと阿呆な事を思いつつ、フェリの首根っこを掴んだまま二人に軽く頭を下げる。
「では二人とも、何もないとは思うが念のため二人の護衛をお願いする。後はこっちで対応させていただく」
「わかった。護衛は任せてもらおう」
「お手数をおかけしました」
「一度戻るぞ」
護衛の騎士たちとノイラートに声をかける。ついでにノイラートにワイン瓶を押し付けてフェリを捕獲したまま宿に向かって歩き出した。さすがに途中でフェリも諦めたらしく、大人しく俺の隣に並んで歩きだす。
「ちぇ、面白そうだったのに」
「お前そのうち鷲馬獣に蹴られて食われるぞ」
これは馬に蹴られてうんぬんという言葉の異世界版。魔獣の鷲馬獣が相手だと馬に蹴られるより痛そうだな。
「実際の所、あの二人どうなんだ?」
「んー、兄貴とリリー姉ちゃんも大概だったけどそれよりよりやきもきするってぐら……痛い痛い痛い」
「一言多いんだよ」
思わずヘッドロックして拳をぐりぐりと押し付けてしまった。貴族らしからぬ態度だが許せ。後ろからノイラートたちの何とも言えない視線を感じつつフェリを離す。
「とりあえず今日は宿で大人しくしてろ、いいな?」
「へーい」
「違反したら茶菓子だけじゃなく砂糖も禁止な」
「え、ひでぇ! って言うか茶菓子なしは決まってるの?」
「決定事項」
「横暴だ、いじめだー!」
夜の町中で貴族とは思えん会話をしながら宿に戻る。後は知らない知らない。
……という訳にもいかず、マゼルたちが宿に戻ってきてから北門の警備体制を再指示。まさか北方を一晩中、無人のまま放置しておくこともできんし。という訳で深夜まで起きていて色々手配をしていたんで、時刻はすでに翌朝になっているんだが心底眠い。
「何か……眠そうだね、ヴェルナー」
「いろいろやることがあってな」
お前さんは悩みが無くなったのかすっきりした顔をしてるな。一瞬、前世の定番セリフでからかってやろうかと思ったが、マゼルはともかく王女にはちょっと卑猥すぎるから自重しておく。
朝食のスープをすすり、無理矢理頭を叩き起こしてから勇者パーティーに視線を向ける。
「ところで聖女様、ウーヴェ老、エリッヒ卿。少々気になっていることがあるので質問をお許しいただけますでしょうか」
「かまいません」
「なんじゃ」
名前でも第二王女でもはなく聖女様と言う表現を使った事で何か重要な話なのだろうとすぐに気が付いてくれたのだろう。ラウラとウーヴェ爺さんの発言に続き、エリッヒも無言で頷いてくれたので、頭の中のメモをめくり質問を確認しながら口を開く。
「気になっていたのは神託に関してなのです。まず……」
考えてみれば歴代最高の聖女に直接確認できるのは運がいい。ここで疑問点を潰しておこう。




