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この中世風世界では町という言葉のイメージが、前世の日本人である俺が持つ町というイメージとはだいぶ違う。アンハイムがそうだったように、ごく狭い範囲でも町と呼ばれているわけだ。そのあたりは前世の中世欧州の都市状況の方が近い。
と言っても中世欧州という言葉が示す範囲が例によって広すぎるんで、大体一六〇〇年ごろのドイツ、というか神聖ローマ帝国を例にすると、当時、町と呼ばれていた場所は三〇〇〇を数えるが、そのうち二八〇〇は人口が一〇〇〇〇人に達しない。中には人口が五〇〇〇人に足りない町さえある。前世の平成から令和あたりの日本だと村でもおかしくない規模だな。大都市と呼ばれていたフランクフルトの人口がおよそ三〇〇〇〇人。
ほぼ同じ時代に隣国のフランスではブルボン朝が王権強化、中央集権を進めていたんで都市に人口が集中していたが、その首都であるパリの場合は人口二十五万人に足りないぐらい。このぐらいなら町という印象にはなるが、逆に言えば首都ぐらいでないと町とは思えない。そのぐらい前世日本人のイメージする町とこういう中世風世界の町とは規模が異なる。
何が言いたいのかというと、いくらコルトレツィス侯爵側の第二都市と呼ばれているフォアンであっても、領都ですらない地方都市である以上、王国軍全体の消耗品を維持するだけの能力はないという事だ。
必然的に補給線の維持と現在の物資量とをにらめっこしながら軍を動かすことになる。現在では主力のほぼ全軍を北方からの補給路に頼っているし、フォアンでの要求物資の報告を間違ると玉突き的に王都の方にまで影響が出るから、中継点であるここの物資管理は重要だ。
ちなみにファルリッツ軍の軍馬も餌を食うんでそういう意味では困るんだが、この際だからと各方面に走り回っている使者や使番の騎士たちが乗り回している。働かざるもの食うべからず。
王太子殿下とご相談をした日から数日たったが、戦況に大きな変化はない。王国軍の方が動きを減らしているからだ。
あの日の翌日、ファルリッツ軍のうち半数の兵力が、ここフォアンとコルトレツィス領都コルトスの間にあった砦を攻撃。ヴァイン王国軍だけではなくファルリッツ軍も敵対してきたことに敵側は動揺したらしく、その日のうちに砦を捨てて逃亡する形で陥落した。敵側の戦意が高くないのは事実だろうと思う。
一方で黒幕であるコルトレツィスの魔女からすれば王国軍を油断させる意図もあるのだろうと思うと、お気楽な気分で戦況を見ているわけにもいかない。王太子殿下からも繰り返し油断をしないようにという通達が出ている。
そしてその王太子殿下が率いる王国軍はファルリッツ軍が陥落させた砦を中心に展開して対陣の構え。ここまで速戦で来たのに急に長期戦の構えを見せた事に一部で困惑の声も上がっているが、大きくはなっていないようだ。王太子殿下に何かお考えがあるのだろう、という事で落ち着いているらしい。
とはいえ、実はその分俺の方は仕事が多くて苦労しているんだが。補給物資が足りないと言う事になれば急いで勝負をつけるべきという声が上がってしまう。かと言って余裕は十分がありますという状況で長期戦になると士気が緩む。
ぎりぎりですが問題はございません、というように見せかけつつ、兵が餓えたり略奪が起きないように備えなきゃいけない。その上急遽手配した物が問題なく届くように街道の整備とかもしなきゃならないんで忙しいのなんの。
俺はその場にいなかったわけだが、一度はコルトスから出撃してきた敵と軽い小競り合いがあったらしい。が、敵が退く気配を見せたところ、逆に王国軍の方が故意に砦を捨てて一度後退したんで、コルトレツィス側が砦を奪還しようとしてちょっとした諍いが起きていたそうだ。何でも砦を奪還すると勢いづいたコルトレツィスの次男坊とそれを必死で押しとどめた相手の騎士団長が口論をしていたとか。
よくそんなことご存じですね、と確認したら敵側から“王太子殿下”に内通してくる人間がちらほら出てきているらしい。うん、そういう奴は絶対出てくるよね。
そう言えば戦略的に何の価値もないんで放置していたが、敵側の防衛線だった中で唯一残っていた砦も先日降伏してきた。この時期になったのは王太子殿下がコルトレツィス大公を名乗った事がようやく伝わったから。この情報におけるタイムラグはうまく使えば有効だが、失敗するとこっちに跳ね返ってい来るから気をつけないとな。
農民だった人たちは村に帰ってもらい、騎士の中でまだコルトレツィス側で戦いたいと言う者は許可をしてコルトスまでの安全を認め路銀も渡す。そこまでしなくとも、とマックスからは言われたが、今更そのあたりに厳しく対応してもしょうがない。
一方、王太子殿下に従う事を誓った者の中から道案内ができそうな人間を選抜し、今のところは様子見。さすがにこの作戦案が敵に知られると命の危機なので、信用できるかどうかの判断は重要だ。俺一人ならともかく、率いる騎士や兵士の命がかかってくるのだから妥協はできない。
それにしても、この後の事を考えるとまだ戦力を減らすわけにはいかない。一方で勝ち馬に乗ろうと今更参戦を希望してくる傭兵とかにも対応しないといけないんだが、こういう奴らは扱いに困る。欲の方が強そうな集団に補給線を任せるわけにはいかんし、門前払いをしてその辺の村で暴れ出されたりするとそれはそれで迷惑だし。
という訳でそういう連中には騎士の監視をつけて主として魔物狩りに働いてもらう。素材等は買い取りだから連中にもメリットはあるし、食肉が補充できるし、魔物の恐怖を感じている村の治安維持にもなるんで、適度に暴れさせておくのが一番。
その際、どさくさ紛れに問題を起こさないようにどの傭兵がどの地域で魔物狩りをしているかをリスト化しデータにしておいた。そうしたら実際に村を脅迫した集団がいて、クレッチマー男爵の隊が鎮圧するようなことも。他の傭兵隊に責任を転嫁しようとしていたらしく、担当地域と日程のリストが役に立って何より。
朝食としてパンに肉と野菜を挟んだものを齧りながら書類に目を通していると、騎士の一人が慌てた様子で駆けこんで来た。何かあったのかと話を聞いて俺も驚くしかない。
普段から冒険者やら傭兵やらが出入りしているから目立たない格好で来てくれているのなら助かるが、とにかく急いで中に通すように指示。会議室なんぞないから一階の食事をとる場所で話をするしかないか。とりあえず目立たないように警備の人数を増やすように指示をして慌てて降りる。
頭からすっぽりマントを被った一団がそのマントを脱いでいるのを見て、どうやら大きな怪我とかをしている訳じゃないようでそこは安心した。
「久しぶりだな。怪我とかじゃなさそうで何よりだ」
「元気そうだね、ヴェルナー」
勇者パーティーご一行様である。何でこんなところにいるんだか。
ひとまずマゼルやラウラたちに座ってもらい簡単な飲み物とかを準備させて一息ついてもらう。騒ぎにならないように顔を隠して来てくれたようでありがたい。ゲームだと勇者様が歩いてるとかで大騒ぎとか、そういうことはなかったもんなあ。
なお第二王女も一冒険者として扱ってくださいと言ってきたんで、遠慮なくそうしている。ここで王族扱いすると、ゲームの性格通りなら多分怒りはしないが拗ねる。それはそれで大変に面倒なのでマゼルの友人という扱いあたりにさせていただく。
「わざわざこんなところまで悪いな」
「それはむしろ僕らが言うセリフだと思うよ」
俺がそう言うとマゼルが苦笑して応じた。ん? 妙に元気がないな。ひとまず気が付かない振りをして話を進めよう。
「それで、何がどうしたんだ」
「実は困った事になっててさ」
今度はフェリが口を開いた。詳しく聞くと魔王城には一度たどり着いたらしいのだが、中の迷宮に苦労しているのだという。疲労の蓄積が酷かったので一度撤収してきたんだそうだ。
フェリやラウラが迷宮内の苦労を説明しつつ事情を説明し、ルゲンツがさらに口を開く。
「お前さんなら何かいい案があるんじゃないかってことで、相談してみようって話になってな」
「……」
思わず絶句。いやそんな無茶を言うな。確かにゲームで一度クリアはしたが、そんな迷宮のマップなんか覚えてないぞ。
とはいえ言いたいことは解らなくもない。ゲームの戦争では補給の負担が軽いように、ゲームでは徒歩で山をいくつ超えようとも疲労が蓄積したりはしない。
だが実際は山を越える段階でも天候の変化や疲労の蓄積など様々な負担があるだろう。その後にやたらと広大なダンジョンを彷徨わなくちゃならないんだ。いくら旅慣れていても疲弊はするだろう。
しかもその間 彷徨う魔物 と戦いながらだ。肉体的な疲労はポーションで打ち消す事もできるが、精神的な疲労は決して無視できない。なるほどこいつは予想以上に難題だ。
「大体さぁ、魔王とか名乗ってるくせにあんな奥深くに閉じこもってるのがおかしいんだよ」
「違いない」
フェリが愚痴っぽく口にしてルゲンツが笑う。エリッヒやラウラまで苦笑に近い笑みを浮かべたが、俺は引っかかった。そう言えば確かにそうだ。ゲームなら最後の迷宮が長くて面倒くさいこともおかしい事じゃないが、実際には何であんな奥まったところにいるんだか。ワープ系の魔法でも使えるならともかくとして……なに?
思わずテーブルに足をぶつけて大きな音を立ててしまった。驚いたようにこっちを見てくるマゼルたちに形式的に謝罪してもう一度思考の海に潜る。以前から感じていた妙な違和感に引っかかった。何でこんな勘違いをしていたんだ。
「ウーヴェ老、炎熱の杖とか飛行靴は古代王国の産物だったはず、でいいのですよね」
「そうじゃが、いまさら何を言っておる」
その返答を確認してもう一度思考を進める。おかしい。レッペに見せてもらったあの神殿の本では魔王と戦った初代聖女が魔法を人類にもたらした、という事になっていたはずだ。
だが、それならなんで魔王の攻撃で滅んだはずの古代王国、その兵士たちの集合墓地から魔法を使ったアイテムが発掘されるんだ。滅んでから集合墓地が作られるはずがないじゃないか。冷静に考えれば順序がおかしい。
どこかでとんでもない勘違いをしていたか、あるいは自分で手に入れた情報を自分では疑わなくなるという、敵を罠にはめる時の思考の陥穽に陥っているとしか思えないぞ。
なぜ今の疑問を感じたのか、の仮説を改めて積み上げてみる。忘れていたがゲームで一度、魔王はイベントで勇者の前に姿を現す。ただその時はなんか偉そうな台詞を言うだけ言って姿を消し、実際はイベントボスのドラゴンと戦う事になるんだが、そこはどうでもいい。
ワープ系の魔法、もしくは飛行靴は基本的に町の外に移動する。直接町や村の中には移動できない。そこに理由をつけるとすると、銅や毒草を毒消しの魔法で消す事ができないのと同じように、魔法という例えていう所の後付けアプリでは変更できない、この世界のOSルールが優先されている結果だろう。例えば、建築物の中には出現できないとか。塀や壁に囲まれた範囲がすべて建築物という範疇になっているとすれば一応の理由がつく。
だがそうなると当然魔王もそのルールには逆らえないはずだ。魔王城の玉座に直接移動はできない。ならどうなっているんだ。あの長い迷宮を自分の足で歩いていく魔王とか、裏設定的に隠されている迂回路をこそこそ通り抜ける魔王とか間抜けすぎる。
ゲーム中のあの魔王城は実は存在しなかった、とすればどうだろうか。魔王は人間の思考を誘導するような能力があることはあの魔巫女の時に予想されている。それが魔王城内部では他者に対して強力に影響させる事ができるのだとしたら。
俺は前世で仮想現実の体験がある。部屋の中だと頭でわかっていても、高所で行う綱渡りの綱の上に立っているという設定の画像を見せられたら足がすくんだ。風も何も感じていないのにだ。逆に他人がそれを見ているときにへっぴり腰になってしまうのも外側から目撃している。視覚だけでも人間、というか脳を欺く事ができると俺は知っているが、この世界でそんな経験をした奴はまずいないだろう。
あれの強力な奴が思考そのものを、しかもパーティーメンバーが全員が同じように誘導されていたとしたら。魔王城にたどり着くまでにまず山越えをして疲れ果てている頭脳では、そこに迷宮の壁があることを誰も疑わないんじゃないだろうか。
実は魔王城の内部はそれほど複雑ではなく、一種の幻覚のようなものを見せられて同じところをぐるぐる回っているだけだったと仮定する。少なくとも人間を見下す連中がやたらと遠回りする迷宮の奥深くで隠れるようにいるとか、あの長い迷路の中を魔王や側近がてくてくてくてく歩いて行くよりよほど納得がいく。いやまあ、後者は間抜けすぎてちょっと見てみたくなったことは否定しないけど。
だがそうすると最終目的は何だろうか。勇者一行を疲労させたところで戦うというのは理解できなくもない。理解できなくもないが、戦いたくないのなら出口のない迷路にして到達させないようにする方が確実のはずだ。実際はそうなっていないわけで、そうなると予想される回答は。
魔王は、勇者たちに目の前まで来てもらいたいと思っている。戦って負けないように、勇者パーティーを疲労、消耗させたうえで、勇者と顔を合わせたいと考えているのだろうか。
ひょっとすると某国民的RPGで「世界の半分をやる」とか言うラスボスのあれにイエスと答えさせるためだったりするのかもしれない。それとも冗談半分でイエスと答えた奴がこれなのか?
この世界、脳筋プレイまで再現されてるから案外そっちの方が正しいのかもしれないが、ひとまず有名RPGの事は置いておく。
もう一つの問題として、その直後に、レッペがリリーを拉致した件や直後の王都襲撃があったんでうっかり失念していたが、あの時、疑念を覚えたのは確かだ。レッペが持ってきた本は装丁が豪華すぎた。
古代王国滅亡、魔王との戦い、先代勇者の行方不明、その後の戦国動乱という中であんな立派な本を作る必要性なんてないはず。書かれてから二〇〇年経過した本と四〇〇年経過した本の区別なんて俺にはつかない。あれは確かに古い本だったが、魔王の時代からはある程度時代が下ってから書かれたものだったんじゃないか。書かれたときには既に情報そのものが間違って伝わっていてもおかしくない。
リリーが見つけた本によれば古代王国期のある時期までは多神教だったのが、今は一神教になっている。いつからだ。
以前書庫の調査中に俺自身が考えたが、多神教は自然から生まれ、一神教は教祖から生まれる。この世界の一神教の教祖はだれだ。考えてみれば誰もその名を知らないんじゃないか。
ぞっとした。神託に疑いを持たない人間が多い事といい、この仮説が正しいと考えると妙に情報の断片が繋がっていく。だがこいつは迂闊に口に出すわけにもいかん。誰かに聞かれたらさすがにまずい。
“一神教の教祖は魔王である”可能性……。
前世でキリスト教が医学や天文学などの文明レベルを退化させたように、この世界でも知識の独占や思考の誘導などを行い、緩やかにではあっても確実に古代王国期の頃から文明を退化させてきているのだとしたら?
古代王国期にはあったはずの上下水道のような高度な建築学や、あの地下書庫にあったような紙と印刷技術など、いくつかの知識や技術が既に失われている。数学の知識や書類の作成手法など、大きな国家であったはずの古代王国にならあって当然の技術さえもだ。
この世界の脳筋思考も含めて、一度人類連合軍に敗北を喫した魔王は、魔法イコール神の奇跡という偽情報の裏側で、数百年単位の長期計画を立てて人類全体を弱体化させてきたのではないか。宗教そのものが、神官たち本人でさえ気がつかない魔王の隠れ蓑だったのかもしれない。
さらにリリーから聞いた魔巫女の話を思い出す。先代勇者たちは魔王を封印することを選択したと言っていた。敵の発言が事実だったら、という前提はあるものの、その判断は本当に正しかったのか。
もしすべてがこの思考を誘導するという魔王の持つ能力に帰結しているとしたら。魔王城までの移動、最後の迷宮の迷路、彷徨う魔物や本来ならあるはずの復活三将軍との戦い、それらすべてが疲労による思考力の低下を狙っているのだとしたら。
魔王はこの時代の勇者に敗北する可能性さえ考慮している、という事になるのだろうか。
仮に魔王が敗北した途端、魔王を滅ぼしてはいけないという神託が下りてきたとしたらどうだろう。神の奇跡や神託の正しさに慣れた人間は不満であっても受け入れてしまうのではないか。
そして魔王本人は敗北しても、再び封印されたというていで裏側から人類を脳筋思考に誘導し技術を失わせていく。何度も続けていれば、いつか魔王が勝つ時が必ず来る。
一応それで筋は通る。筋は通るんだが、まだちょっと疑問点があるな。例えば、なぜこのタイミングで魔王が復活してきたのかとか……。
「ヴェルナー卿、大丈夫ですか」
「……大丈夫です」
ラウラの心配そうな声に意識を引き戻される。思考に沈みすぎていたようだ。とは言えまだ思考の全てがまとまったわけでもないので、ひとまず答えられるところから答えよう。
「ええと、まず魔王城に関して、ですが」
後、妙に静かなマゼルに対してもちょっと気を付けておく必要があるだろうか。
文量調整が上手くいかず長くなりそうなのでここで一旦切ります、ごめんなさい。




