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朝食をとりながらヴェルナーが渋い顔を隠しているのは料理の味に対してではなく、コルトレツィス侯爵家側から奪い、物資集積拠点となっている砦に残った同僚となっている人物の趣味嗜好の問題である。
「一番東側の砦を残したのはコルトレツィス侯爵軍というよりもファルリッツ軍の拠点としてか」
「恐らくそういう事でしょう。潜在的な敵国内に孤立してしまったとなれば、どうしても現在の安全を維持したくなるでしょうから」
ハルフォーク伯爵から纏う香水の匂いに対する不満を顔に出さないようにしながらヴェルナーが応じた。スープをすする前に匂いを確認してしまうのは鼻を慣らさないためであるかもしれない。
伯爵は能力もあるし人柄も悪い人物ではない。だが長期間強すぎる匂いを身に纏っているためか、自身の鼻は鈍くなっているんじゃなかろうかという疑問を捨てきれずにいるのもヴェルナーの本心だ。
伯爵に対する疑問や不満を置いておくと、その判断にヴェルナーも基本的には同意している。農民から集めた兵士を率いて砦の外に攻撃に出るのは難しく、砦そのものは放置しておいてもそれほどの脅威ではない。
ヴァイン王国側にとってもっとも嫌な状況は、ファルリッツ軍が王都方面に侵出して略奪を繰り返す、攪乱・荒廃戦を展開される事であった。一時的にしても第一・第二の両騎士団が王都にいないので、迎撃のための機動戦力が不足しているからである。
だが、ヴァイン王国軍がファルリッツ軍の野営地があると予想される地域から最も近い敵の砦を放置している事で、ファルリッツ軍は現在の拠点から離れる決断ができなかった。母国と切り離されたため、補給や情報まで寸断されるのが怖くなったのだ。
ファルリッツ軍が暴発したらハンニバルのように国内を移動しながらこちらを消耗させる行動に出るかもしれない、との危惧を持ち、その意見を具申したのはヴェルナーであったが、それに対し王太子は一兵も用いることなく、相手の動きを抑制する手段をとったのである。
「確かにな。そしてこちらの食糧や物資を奪った後の保管場所もどうしても必要になる。となるとあの砦の近くで襲撃される可能性が高いな」
「おっしゃる通りかと。敵も食事は必要ですからね」
援軍として来ているファルリッツ軍からすれば、コルトレツィス侯爵領で略奪をするわけにはいかない。追い詰められればそんなことも言っていられないであろうが、少なくともしばらくは今ある食糧で食いつないでいるだろう。
そして食料を敵であるヴァイン王国軍から奪取できれば、自分たちの食料を補充できるとともに、王国軍に打撃を与える事ができるという事になる。となれば輸送される物資を狙いたくなるのが人情であろう。
「卿が輸送路の途中の村に労働力として近隣住民を集めさせたのも罠の一環か」
「噂を流すには人を集めておく必要がありますから」
次の補給部隊モドキを担当することになるヴェルナーからすれば、砦近くの森の中に伏せている騎兵を追いかけまわす気にはなれない。
重たい鎧を着て森の中を探り回る苦労や、万が一にも敵に森の中で待ち伏せされたときの損害、更に予想外の魔物に遭遇する危険性も考えれば、敵側を引きずり出す方法を考える方がよほど楽、と言うのが偽らざる本心だ。
「南方にあるフォアンの東側に位置している敵砦は大丈夫なのか?」
「本隊からも牽制の兵力が出るはずです。打って出ることはまずないかと」
「距離もあるし機動戦は困難か」
「はい。補給線の北側に残った砦近辺が敵の襲撃拠点になるでしょう」
むしろ糧食を積んだ輸送隊が後から追ってくるだろうと予測させ、かつ砦付近で補給線を寸断できるように錯覚させるため、躊躇なく本隊そのものを囮にした王太子殿下が怖い、と内心でヴェルナーが唸りながら行儀悪く千切ったパンを口に放り込んだ。
もっとも、その“一見、寸断する機会に見える”補給線に張る罠を考えなければならなかったヴェルナーからすれば頭か胃のどちらかが痛くなる所である。もう少し楽がしたいと思いながらパンを飲み込み、一息ついて口を開く。
「ところで、西方の状況はどうなっておりますか」
「コルトレツィス侯爵側は様子見のようだな。三〇〇にも満たない兵と冒険者たちでよくぞ騙し切っているものだ」
「フォーグラー伯爵の騎士たちは難民護衛の際に五〇〇〇人の炊煙量をその目で見ていますからね」
フォーグラー伯爵家の旗を立てた軍がコルトレツィス侯爵領の西側にいることは事実である。だが内実はフォーグラー伯爵の長男と、ヴェルナーらと共に難民護送任務に携わったカウフフェルト子爵が副将として率いている数百人の部隊でしかない。
にもかかわらず多数の兵に見えるのは、いかにも大軍がいるような量の炊煙を毎日上げている事と、フォーグラー隊に同行している冒険者たちが積極的に周囲の魔物を狩って、多数の兵の食欲を満たしているように錯覚させているためだ。
「見破られたときの対応策も問題はないはずだな」
「その際にはフォーグラー伯爵の部下たちは派手に逃げ回って相手を敵の拠点から引き離す予定になっています」
「むしろここまで敵を引っ張ってきてほしいものだ」
ハルフォーク伯爵の獰猛な笑いにヴェルナーが苦笑いに近い笑いを浮かべた。
逃亡軍を追いかけまわすとき、追う側はどうしても追いすぎてしまいがちになる。この砦付近まで敵が来るのであれば、その敵兵は疲労もたまっているであろう。そうなれば確かに戦いやすい相手であることは間違いない。
とは言え、そのような状況になる前に戦況を動かした方が良い事はヴェルナーもハルフォーク伯爵も理解している。
「それでは子爵、そちらの方はよろしく頼んだぞ」
「かしこまりました。予定通りに」
食事を終えたヴェルナーが非礼にならない程度の速さで足早にその場を立ち去ったのは、手配する内容が多い事も事実であるが、それ以上に自分の嗅覚の方が心配になったためである。
そのままマックスらを集めて準備が整っていることを確認すると、半数をマックスに任せ、ヴェルナーは自身が率いる人数に中継地になる村まで出発の指示を下した。
ヴェルナーらが物資集積地となっている砦を出発してから数日後。
コルトレツィス侯爵家への援軍を実質的に指揮するファルリッツ貴族、クニューベル伯爵はコルトレツィス領の街道沿いで指揮下の将兵や馬と共に耐えていた。
幸い天候には恵まれており、晴天である。だが日を避ける物がない丘の麓で、早朝からずっと鎧を着たまま太陽光に照らされ続けていればそのうち鎧の内側に熱がこもる。耐え難いとまではいかないまでも辛い事は確かであろう。
いつ敵の補給部隊が来るのかもわからず、魔物が出現する可能性もあるため、鎧を脱いで待機できないのが辛い所である。
「伯爵、来ないではないか」
「昨日には近郊の村に来ていたことは確かなはずなのですが」
高級そうな鎧を身に纏った若い騎士から問いかけられた伯爵は、困惑したような表情で応じる。
少なくとも、前日に近郊の村に輸送物資を積み込むための労働力を集めたのは確かであり、ヴァイン王国軍の物資輸送隊がその村に到着していた事も確認してある。その村から現在彼らが隠れている丘付近までは遅くても昼頃には到着しているはずなのだ。
ところが、昼を過ぎて日が徐々に傾き始めている時間帯になっても、ヴァイン王国軍の兵士や物資は影も形も見えない。伯爵としても困惑するしかないのである。
それからさらにしばらく待ったが、一向に姿を見せぬ敵にとうとう伯爵も耐えかねて、周囲に複数の偵騎を出した。
そのうちの一騎が複数人数の武装した村人を発見したとの報告を持ち帰ってきたため、何人かの騎士にその農民たちを連れてくるように指示を出す。
更に少し待って、ようやく出立した騎士たちがその一団を連れて戻って来たため、「武器は魔物対策です」と命乞いをする農民たちを殺すつもりはないと宥めてから事情を聴いた伯爵が、唖然とした声を上げた。
「腹痛だと!?」
「へぇ。指揮をするツェアフェルト子爵様が朝から寝込んでいるとかで、出発は明日に延期だとか」
「我々も麦袋とかを積み直して、昼に飯と日当を頂戴してそれで解散でした。明日早朝になったら出発するので荷もそのままでいいと」
「…………」
口々に語る農民たちの説明を聞いて、伯爵が絶句したのを責めるわけにもいかないだろう。もともと彼らもこの世界の騎士である。正面から戦って勝つことに最高の価値を見出す教育を受けているが、今回は作戦の一環だとしぶしぶ物資の襲撃をすることに同意しているのだ。
それでも相手が最近評判のツェアフェルト子爵だと意識を切り替え、早朝からずっと襲撃の準備を整えていたのに、まさかの理由でまる一日待ちぼうけである。
ヴァイン王国軍が来なかった理由が腹痛である、という情報が瞬く間に軍の中を駆け回り、それを知ったことでファルリッツ軍全体に茫然とする空気が蔓延するのに時間はかからなかった。
「クニューベル伯爵、ご指示を……」
「……野営地に撤収する……」
農民たちを解放するように指示を出した後、沈黙を続けていた伯爵に部下の騎士の一人が恐る恐る声をかけると、心底から疲れ切ったような声で伯爵が応じる。敵将の病気が理由では誰を恨むわけにもいかないだろうが、ここまで徒労感を覚える無駄足と言うのもそうはないであろう。
襲撃に備えて鞍を着けたまま、長時間その場にいるだけであった馬が不満げに鼻を鳴らす。自分たちの愛馬をなだめすかしながら、ファルリッツ軍全体が重たい足取りで森の中に作られた野営地に向かい移動を開始した。
この農民たちは何ひとつ嘘を言っていない。だが、彼らに日当を与えて村から出した後、腹痛で寝込んでいるはずのヴェルナーの指示で、兵士が総出で農民たちに一度積ませた荷物を荷車から下ろしたことは知らないし、解散させた農民の一団、特に残ったコルトレツィス側の砦近くに向かう村人たちの背後を斥候を中心とした冒険者の一団に追跡させていたことも知らない。
そして待ちくたびれる形で疲労困憊となったファルリッツ軍は、監視の目が農民たちから自分たちに移った事に気が付かないまま、のろのろという擬音がつきそうな足取りで野営地のある森の中に戻っていったのである。ファルリッツ軍が水場のある野営地に戻ったのはもう暗くなる時間帯であった。
精神的に疲れ果てた彼らが野営地で熟睡している間、ヴァイン王国軍側は夜闇の中を慌ただしく使者が行き来する。その結果は翌日以降に現れた。




