――227(●)――
大変お待たせいたしました。
立て込んでいることもあり、以前のように毎日更新はできないかもしれませんが、更新再開いたします。
お待ちいただけておりました読者様には感謝申し上げます。
ヴァイン王国にとって幸運であった事は、国土の広さが戦場を分けていたことにあったかもしれない。
フィノイ攻防戦は国土の北方であり、アンハイムを含むクナープ侯爵領は南西、そしてコルトレツィス侯爵領は南東に位置している。仮に同じ地域で何度も戦いが起きていた場合、地域の疲弊により補給がより困難になり負担になっていたであろう。
ヴェルナーはそんなことをちらりと考えながら、投石機の準備を確認した。半分ほど組みあがっているのを確認し、最前列にいる騎士たちに合図を送る。バルケイ指揮下にいる騎士や従卒が一斉にメガホン状のものを口に当てた。
やがて彼らが声を揃えて一斉に目前にある砦に向かい、原稿通りの宣言を砦まで届けるべく大声を上げる。
コルトレツィス側の砦の中には騎士と従卒、それに招集された農民たちが形だけの武装を身に纏い、砦の壁に石を積まれた傍で指示を待っていた。
彼らは数日間の間足止めをすればよいという言葉に従い、この砦を守るように指示されて集められている。
中世の平民と言うと搾取や略奪の対象となっていたイメージが強いが、実際はそのような例ばかりでももない。日本の戦国時代にしばしば平民の武装蜂起や武力抵抗で軍の侵攻が止まった例や撤退を強いられた事があるように、欧州でも同様に敗残軍の輜重が平民に略奪されたというような話も珍しくはない。中には略奪に夢中になっていた傭兵隊長や貴族が逆に平民に捕縛されて身代金を払う羽目になった事さえある。
ただし、それらの多くはあくまでも自分の村や町を守るための場合である。強制的に連れてこられて貴族のための防衛戦に参加させられているような状況では戦意が高くなるはずもない。
このような場合、参加している人間の多くは村から何人の人数を参加させろ、足りなければ村全体に罰金を課すなどのやり方で強制的に集められた人間の方が多くなる。そのため、戦意の観点で見れば高かろうはずもないのだ。
しぶしぶという雰囲気に、明日には戦いが始まるのかもしれないという不安、それに戦場の空気に飲まれるかのような奇妙な高揚感が複雑に入り組み、一種異様な空気が砦の中に溢れていた。
「だ、大丈夫だよな」
「いざと言う時は降参していいって言われているんだし、大丈夫だろ」
高揚感をヴェルナーの理解の範疇で表現するのであれば躁的防衛というものになるだろう。元気に振る舞う事で不安から目を逸らす心理だ。
相手が王国という領主様より上の存在であることや、魔物ではなく人間であるという事から目をそらそうとする心理が兵士たちを妙に明るく振る舞わせている。
そのような奇妙な活気の中、砦の外にいる攻撃軍から一斉にあげられた声が聞こえてきた。
『我々はヴァイン王国軍のツェアフェルト隊である』
ざわっ、と言うような動揺が周囲に流れる。ヴェルナー・ファン・ツェアフェルト子爵の名は各地の村まで教会から流れている噂を中心として、コルトレツィス侯爵領でも徐々に広まりつつあった。
「ツェアフェルト……ってツェアフェルト子爵の事だよな」
「魔将と戦って勝ったっていう貴族の人か」
「勇者様が認めるぐらい強いと聞いたぞ」
「凄い大男で馬を吹っ飛ばせるんだとか……」
噂と言うものは尾ひれがつくものである。まして広めようとする側が意図的に広めているのだからなおの事だ。ただ、本人が聞けば誰の事だと思うかもしれない。
「何でも勇者様の妹さんと婚約しているらしいな」
「それ、俺も聞いた。わざわざ王様にも認めてほしいと直接お願いしたとか」
「魔軍には容赦がないが平民にはお優しい方だって神官様は言ってたなあ」
『王太子殿下のご命令もある。武器を持たず砦から出てきた者には攻撃しない! 無事に村まで帰ることを認める!』
ざわざわと動揺が大きくなる。魔王討伐に向かう勇者は平民の希望の星だ。その勇者の関係者が直接敵対しているという事実には動揺を禁じ得ない。
まして現在、魔軍の脅威を感じているような状況だ。連想で勇者の存在を思いだしたことにより、魔王がいるのに何で戦争なんかしなければいけないんだという空気が広がるのは避けられない。もともと積極的に立て籠もっているわけでもないのだ。
彼ら貴族領の平民たちからすれば、直接の偉い人というのは自分たちの住む領地の貴族であることは間違いないが、それと精神的な敬意や期待というものはまた異なるのである。
動揺し始めている兵士たちを、砦に配属されている少数のコルトレツィス騎士が敵の言う事に耳を貸すなと怒鳴りつけた。本人の内心がどのようなものであるのかはわからないが、騎士として任務に忠実であるとは言えただろう。
「だいたい、王太子殿下って王子様の事だよな? そんな方と戦って大丈夫なのか、本当に」
「侯爵様の一家から王様が出るらしいとか騎士様は言ってたぞ」
「本当なんだろうなあ」
『王太子殿下のご命令を繰り返す。武器を持たずに砦を出てくれば無事に返すことを約束する!』
ヴェルナーに言わせれば、権威で強制的に従えられている人間には、より上位の権威が効果的である。騎士より貴族の方が恐ろしいし、侯爵より王子様の方が民からすれば偉いのだ。兵士たちが顔を見合わせてどうしようかと言う表情を互いに浮かべている。
コルトレツィスの騎士が敵の言う事を信じるなともう一度怒鳴りつけた。
次の瞬間、包囲軍の側から音が響いた。複数の投石機から巨大な箱が次々と打ち出される。砦の上空で箱のバランスが崩れて箱の中身が空中に広がり、きらきらと傾いている日の光を反射させるそれが砦の中に広がって舞い落ちてきた。
何が落ちてきたのかを確認した途端、壁の傍で待機している兵の目の色が変わる。
「銀だ、銀貨だ!」
「金貨もあるぞ! その袋の中は何だ!!」
「あっちのあれは宝石じゃないか!?」
「ま、まて、持ち場を離れるな!」
騎士の声があっという間にかき消され、徴兵された兵装の村人たちが地面に落ちた金貨や銀貨、宝石に群がった。ある者は地面に腹ばいになって落ちた物をかき集め、別の人間はより大きな宝石を手に入れようとしてその腹ばいになった男を踏み越える。
隣の人間を殴り倒し、相手の持つ物を奪おうとする者。制止しようとする兵士を逆に罵る者。中には自分が拾ったものを取り上げられまいと剣を抜いて威嚇するものまで現れる始末だ。
ついに腹を立てて従卒の一人が剣を抜き、言う事を聞かず地面に落ちた物に飛びついた人間を斬りつけたことで混乱が爆発的に拡大した。
埃まみれになりながら武器を捨てて金貨を拾い集める者がいる。少しでもいいものを手に入れようと他人を無視して走りまわる者がいる。平常心を失い、何とか命令を聞かせようといたずらに武器を振り回す従卒や騎士に対し、拾い上げた貨幣の袋を抱え込んだ兵が後ろからぶつかり共に倒れ込んだ。
律儀に壁の内側で弓を構えていた兵士の一人が声を上げた。王国軍が盾を構えて砦に向かってきたためである。だが、指示を出すべき騎士たちは砦内部の混乱を収めようとしており、しかもそこかしこからその宝石は自分のだとか金貨があったとかの大声が響くため、警戒の声そのものが届かない。壁面の傍で控えている兵の何人かが散発的に矢を放ったが、それで止まるはずもなかった。
武器を振るう騎士や従卒に怯えた平民たちが、顔を見合わせて内側から砦の門を開き、外に逃げ出す。武器を持たずに砦の外に出れば攻撃されないという発言を信じての事である。
嘘ではなかった。走り出た者たちが攻撃されることはなかった。既に梯子を使い壁を乗り越えた兵士たちが砦の中に入り込み始めており、主戦場は砦の内部に移っていたためだ。瞬く間に砦の中に入り込んだ王国軍が隊列を組んで武器を構える。
「逃げる者は追う必要はないが、抵抗するものは容赦はするな!」
梯子で壁を乗り越えたオーゲンがそう怒鳴り、剣を振って砦の中にいる抵抗する者たちに斬りかかった。オーゲンと共に砦内に乗り込んだ兵士が開いたままになるように門を固定する。その門から逃げる農兵の脇をすりぬけ、王国軍の将兵が雪崩れ込んできたのを見たコルトレツィス側の兵も砦の裏門に向かって走り出し、そのまま逃亡を始めた。
ごく少数の騎士や従卒だけが抵抗しようとしたが、砦の中に侵入されたことで騎士の中にさえ逃げ出す者もいたため、砦の制圧にかかった時間はごく短い時間で終わったのである。
そんな制圧の様子を見ながらヴェルナーがノイラートやシュンツェルの疑問に応じていた。
「金貨や銀貨と一緒に放り込んだんですか」
「ああすれば高価な品ばかりに見える。ガラスも宝石に見えるしな」
ラフェドが用意したものは宝石ばかりではなかった。用途がそういう事ならと、宝石に見えるようなデザインのガラス玉や、一見綺麗だがただの石までも複数混じっていたのだ。
ヴェルナーは嵩増ししたそれらを本物らしく見せるため、金貨や銀貨も一緒に箱に入れて、箱ごと投石機でうち込んだのである。
「ガラスが混じっているかもしれませんが、宝石ですよ? こういう形で使いますか」
「あの宝石は高くない。物によっちゃ銀貨数枚程度の価値だ。金貨の方が高い」
ヴェルナーの前世では屑石と呼ばれるものである。小さすぎて加工ができなかったり、深い表面傷があるので割って使うしかない物や、亀裂が入っていて加工ができない物、内包物が多く、透明度の観点で評価が高くないものなどがこれに当たる。
宝石ではあるが金銭的な価値は高くなく、細かく砕いて研磨剤に使用されたり、画材として利用される場合がほとんどだ。ヴェルナーの言うように食事一食分の価値程度しかないものもある。この世界ではものによってはガラスの方が高価かもしれない。
「だが、そういう知識を知らないと宝石はすべて価値があると考えてしまう。普段、平民には縁がない物だしな」
「確かに」
特にこういう世界だとな、という部分は声に出さずに説明したヴェルナーの台詞にノイラートが頷く。シュンツェルが不思議そうに言葉を続けた。
「それにしても、なぜ宝石を?」
「ひとつには見た目の問題、もう一つは印象だな」
「印象?」
「金貨や銀貨と違い、配分できないだろ」
普通、略奪品や戦利品は一度集めてから公平に分配される。ヴェルナーの前世では直訳すると戦利品係とでも言うしかない略奪品管理の専任担当職を置くこともあったほどだ。補給部門や医療部門のように直接戦えない人間に対する配慮の意味も兼ねている。
しかし、一個で金貨数十枚分になるかもしれない宝石と銀貨を天秤に載せて考えた時、素直に提出する事を躊躇する者が出てくるのは避けられない。
「宝石を隠し持っておき、後で売れば数年は遊んで暮らせる、と思った時に素直に提出するかどうかさ」
「……確かに、難しいかもしれません」
正規の軍ならまだしも、戦意のない平民からの徴用兵である。しかも指揮をする者が信望を得ていればいざ知らず、地位や権威だけで兵を“支配”しているような状況であればなおの事だ。
砦の指揮官や貴族直属の騎士が一番いい部分を独占するのではと思った時、自分の欲の方を優先する兵士や徴収された農民が出てくることはおかしなことではない。
「無理やり連れてこられている民が戦意があるはずもないからな」
「それにしても金銭がかかる戦い方ですが」
「天秤の片方に兵の命と時間の両方があり、もう片方に金銭がある。どっちが重いのかは当たり前だろ?」
砦が半日も経たずに落ちたという結果が重要なのだ。それに、中途半端な攻撃をして失敗してしまうと、敵指揮官に敬意と信頼を集めさせるきっかけにもなってしまう。どんな手段を使ってでも初戦で勝つことが大事だ、と優先順位をつけた結果である。
「金銭なら後でどうにでもなるが命はどうにもならん。民や兵の命の方が大事だ」
「なるほど」
ヴェルナーからすれば当然の発想だったが、この中世風世界ではその考え方は珍しい。だが本人はそのようなことに一切構う事はせず、制圧が完了した砦の中央に燃えるものと煙が出る物を集め、火を点けさせる。
夕暮れの時間になりつつある中で、ヴァイン王国とコルトレツィス侯爵領境に作られた砦の一つから上がった煙は、その失陥を伝える証拠として遠方からも確認できるものとなった。




