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戦勝式の後で帰宅したらすぐにリリーが来て母が呼んでいると伝えに来た。うぐぐ、まだ一件残ってたか。
「ヴェルナーです」
「入りなさい」
応接間での対応になったのはむしろ公的な話という事か。何だろうか。
「まずは昨日、ご苦労でした。戦功に関しても耳にしています。素直に喜ばしくは思います」
「ありがとうございます」
確かに昨日は戻ってくるなり寝入ったし今朝は早朝も早朝だったからゆっくり話す機会はなかったな。褒められたのはいいんだがそれだけではなさそうだ。
「ただ、これは言っておかなければならない所です。お前は一騎士のつもりでいるのですか」
「は?」
いや、元から一騎士のつもりではなかったんですが。とは言えそういう意味ではなさそうだ。そう思っていたら次の指摘にはちょっと痛い所を突かれた。
「疲労していたのもわかります。負傷していたのもあるでしょう。ですがあのまま誰にも伝えずに眠り込んでしまえば、マックスたち伯爵家騎士団の人間は一晩中お前がどうなったのかを気にしなければいけなかったのです」
うぐ。そう言えば無事であるとも何とも連絡をしていなかった。確かにそのとおりで、俺だって誰かが負傷してたりしたら気になって当然だ。誰かが代わってやってくれるだろう、で済ませていい問題じゃない。
「一騎士であれば仕えるべき相手、守るべき民、そして正面の敵だけを見ていればよいでしょう。ですが一隊を率いる立場であるならば、お前の指示で戦地に赴き、お前と共に死線を潜り抜けた者たちに、お前自身の無事を伝える義務があるのです」
「はい」
「いくら疲労していてもノルベルトかフレンセンに自分は無事だと伝えるようにと一言言っておけばよい事でした。貴族たるもの、戦場での義務を果たさずに寝入るなどあってはなりません」
「配慮不足でした。今後気をつけたいと思います」
「ええ、これから気をつけなさい。ですが……」
ちょっとフリーズ。まさかこの歳で母親に抱きしめられるとは思わなかった。
「一人の母として、お前の無事を本当に喜んでいます……よく無事に戻ってきました」
「……ありがとうございます」
その後、少ししてからリリーを呼んでくるようにと言われて解放してもらった。リリーにも何か貴族の人間として伝えることがあるんだろう。貴族の義務は義務という事か。
それにしても、考えてみれば母のあんな声は兄の死後初めて聞いた気がする。なんかすげえ反省。
翌日の王宮では父の執務室で作業補佐。普段はそこまで忙しくないはずだが、なにせ魔物暴走以後では最大級の変化だ。功績をあげた貴族、死没した貴族への対応と終末思想団体に協力していた貴族への処罰なんかで文字通りごった返している。
殺気立っているという方が近いかもしれない。
それもある意味当然で、普通は貴族の陞爵や降爵なんてそうほいほいある物でもない。それが一度に複数の貴族家に対する手配とか確認事項とか、やらなきゃいけないことが多すぎる。
例えば貴族Aと貴族Bを同時に陞爵させる功績があったとしても、その両家が婚姻関係にあったりすると貴族家間のパワーバランスが変わってくる。
そうなると別々の遠い地域に配置したり、一方を金銭や地位だけで済ませつつバランスを取るなどの変更をしなきゃならなくなるわけだ。
これは処罰する家に対しても同じで、本来ならば潰されてもおかしくない貴族家が貴族家間のバランスや、一族である大貴族からの取りなしによって多少軽くなる事だってある。
その際に罰としての首脳部交代なんてことも当然あり得るのだが、今の係累と次代の係累でまたバランスが変わってしまったりすると全体の見直しをかけないといけない。
その他、戦没した貴族家でも同じだが、優先順位は当然ながら罪を犯した貴族より戦没した貴族家の跡継ぎ問題の方が先。特に問題もなく嫡子が継ぐことになればいいのだが、そうでない場合はお家騒動にならないような手配や準備がいる。
同様に騎士階級もそうで、一代限りの騎士であった場合は本来なら気にしなくてもいい。だがその騎士が貴族の一族を救って死んだとかだと、その働きを無下にできないという事で貴族の方から何とかならないかと頼み込まれることもある。
そうなると準騎士あたりにその騎士の子息を入れる空きがないかとかのチェックが必要になるわけだ。戦没した人間の遺族に対する配慮はそのまま周囲の人間の戦意とか忠誠心に直結するので、軽く見るわけにはいかない。
というわけで修羅場でございます。
とは言えさすがに父は手慣れているというかなんというか、仕事が早い。自分の権限だけでできるものは即座に処理するが、その場で判断が難しいものはさっさと他人に調査を指示し書類を回してしまう。
その分、俺の所にも書類が回ってくるんだけどな。しかしなんだ、回ってくる書類を見ていると何かこう、今回の人事は一本筋が通っているような気がしなくもないんだが。
ちらりとそんなことを思いながら関係資料を調べていると、若い、と言っても俺より年上だろう年齢の役人が俺に声をかけてきた。
「ツェアフェルト子爵」
「何だ」
「その、先ほど大臣に調査を指示された資料を持って行ったのですが、お叱りを受けてしまいまして」
「どんな資料だ?」
「これです」
差し出された分厚い本を見て納得。そら怒るわ。
「あのお忙しい大臣がこんな分厚い本を読む暇なんかあるわけないだろう。資料は多ければいいという物じゃない。提出する物は魔皮紙一枚に纏めろ」
「い、一枚ですか」
驚いた表情を浮かべられたんで今作っていた資料を見せる。
「こうやって、関係図にして一目見ただけで判断できるようにすればいい。提出した一枚を見てさらに質問があった時に自分で答えられるようにしておくんだ」
「は、はい」
「わかったらすぐに資料を纏めろ。その本を探している別の人間が困ることになるぞ」
そう、この時代、資料の冊数そのものが多くない。だから一人が抱え込んでいると他人の仕事も溜まってしまう。それを指摘したらその役人は解りました、と血相を変えて席に戻った。
入れ替わりに別の事務方の人間が寄ってくる。
「子爵、申し訳ありません」
「どうした」
「その、調べることができなくて相談したのですが、上役に何が聞きたいのかわからないと叱責されまして……」
ああ、いるいる。質問内容を自分で把握できていない奴。だから質問内容が混乱するんだよな。
「質問の種類は」
「しゅ、種類ですか」
「調べる事ができない、じゃわからん。調べたけどわからなくて止まっているのか、調べ方がわからないのか、調べた結果が正しいかどうか確認したかったのか、どれだ。質問の内容はその次」
「え、ええと、資料がどこにあるのかがわからず……」
「そっちか」
詳しく聞いてみたらそれはさっきの役人が持っていた本に書かれてる系図がいるじゃねえか。とりあえずさっきの役人の席を指さし、その部分だけ調べさせてもらえと指示を出す。
しかしいくら殺気立っているとはいえ、叱責だけしたその上司にも問題あるな。
「子爵」
「今度は何だ」
「その、正門の門番から使者が来まして、自分はヴェッシャー子爵の内縁の妻だが自分の子にも継承権があると主張する女が騒いでいるとか」
「はあ?」
どさくさ紛れにこういう奴も出てくるんだよなあ。貴族あるあるだが。今頃王都の城門前には自称貴族家の親族血縁が押し寄せてきてるんじゃないかという気もする。
「法務に回せばいいだろう」
「確認が取れないので典礼部の方で確認してほしいと」
法務の連中丸投げしてきやがったな。そのうち倍返ししてやるぞ。
「わかった。まずその女が今までどこに住んでいたのかを確認しろ。そこにヴェッシャー子爵が行き来していたのかからだ。居住先が戦いの被害地域で目撃者探しが大変な場合は別に調査の手を入れる」
「わかりました」
ベルトの爺さんや難民、それに自宅を失った人たちを中心に瓦礫撤去やらなんやらを仕事として振り分けてもらっている。聞き込みはそっちでやればすぐに足跡がつかめるだろう。
ちなみに俺が雇う格好になっている瓦礫撤去なんかの予算は俺持ちだ。なんせ一応伯爵家の息子なんで生活に困らんのだから、大金を持っていても意味がない。
もうこうなると厩舎分を残してもまだ余るから復興作業用に投資したほうが早いし、あちこちに礼をしに行かなきゃならんしでそういう意味では忙しいんだよなあ。騎士団や傭兵たちにも現金報酬を配るよう指示をだしてはいるが、それでも使い切れるかこんな金額。
あとこの買い取った結果、大量にある二角獣の角どうしよう。この世界でも一角獣の角は万病の薬とよく言われるんだが、二角獣の角の方は精力剤に使われるのよ。そんなもんばっかりたくさんあってもしょうがないっていうか困る。数百本とかどうしろってんだ。
この中世風社会だから産めよ増やせよは正義ではあるし、この際報酬の一環として配ってやろうか。売れば金になるだろうし。それとも馬の繁殖に使えるだろうか。高価だから普段は貴族が使う事が多いが、こんな大量だと値崩れするだろうから試してみる価値はあるかもしれない。
「子爵、申し訳ありませんが……」
「何があった」
また質問者か。うん、父は気難しそうに見えるから気軽に相談に行けないのは解るけどね。俺にばっかり相談持ってこないで欲しいんだけど。
結局この日はなんかこんな状態が一日中続いた。時々父の視線がこっち向いていた気がするけど、さぼってません、というかさぼる暇さえなかったから。
そしてその日の夜、食事後に父に呼び出しをうけて館の執務室で顔合わせ。
「今日の資料を見てどう思った」
「人事に意図的なものを感じました。というか、王都に近い利便性の高い所に配属する貴族と、重要拠点を任せる貴族と、遠方に回す貴族とが色分けできるのではないかと」
「その通りだ」
やはりそうか。どうやらどさくさを利用する気なのは王室側も同じらしい。
大雑把に言えば前世西欧における中世ごろの、王権がまだそこまで強くなく集団指導体制に近かったころは、貴族の家族は領地に居住していることが多かった。時には当主が出征中に起きた他国からの侵略に対し、夫人が指揮を執って籠城戦を行った例もある。
実はこのあたりは日本の戦国時代もあんまり変わらず、子供は人質に出していても奥さんは領地の城内にいる事の方が多い。実際に籠城戦を行った女城主も何人もいる。これは状況がちょっと違うが九州、鶴崎城主の妙林尼なんか薩摩島津軍を撃退したりしているから名城主と言っていいだろう。
一方、中世から近世に近づくにつれて王権が強化され中央集権的なシステムが固まると貴族の家族は王都で生活するようになる。これは単純に人質としての意味合いもあるが、中央集権に近い形だとどうしても王都に情報が集まるので、アンテナを張っておくためにはその方が都合がよかったからだ。社交界が華やかに発展していくのはそういう情報交換会の一面というものが避けられない。
そのうちに社交のための社交になってむしろ堕落の傾向に向かうんだが。一時期のフランス貴族の女性なんか目の下にクマがあるのが美人の証明だった。一晩のうちに複数の男性をはしごしていて夜も眠れないほど美人だという理屈で……うん、退廃という方が近いなこれは。
それはともかく、そういう感覚で言うと、今のヴァイン王国はちょうど過渡期に近い感じがする。学園という形で貴族子弟を王都に置いておくのは明らかに人質の一面があるだろうし、例えば両親のように王都にいる方が都合のいい立場の貴族家夫人は王都で生活している。
一方でコルトレツィス侯爵家のように侯爵夫人が領地で引き籠っているように、やや独立独歩の精神が強い貴族家は王都から距離を取っている家もあるようだ。
だがこのままでいいかと問われれば、恐らくだがよくない。魔軍の損害を受けた地域とそうでない地域があり、復興の手配や予算効率なども考えると今よりは中央集権的に人と金を効率的に動かせる体制にしないといけないからだ。
独立独歩でやる、とプライドだけで国からの支援を断るようなことをすると、その貴族家領地だけが貧しくなった結果、周囲の貴族家とのパワーバランスが崩れてしまうような事も起きるだろう。中長期的に見れば国内の安定を害することになる。
つまり陛下と王太子殿下は魔軍の影響で国内があちこち空白になった今、逆にそれを利用して国の体制そのものを見直すつもりがあるという事だ。これが上手くいけば中興の祖と称えられるかもしれない。
失敗したら王権そのものが揺らぐことになるかもしれんが、何となく王太子殿下が失敗する場面が想像つかんのだよなあ。
思考がずれた。ともかく王室側は国全体を改革する手はずを整え始めている。そしておそらくそれに反対する貴族たちに対して脅しの一面も兼ねてコルトレツィス侯爵家を本気で潰すつもりだろう。
とは言えコルトレツィス侯爵家側も他国との関係を勝手に築いていたのだから咎められる余地は十分にある。要するに自業自得の一面もあるわけだ。どっちであるにしろコルトレツィス侯爵家に同情する余地は俺にはない。
内心で考えを進めていると父から声がかかったんで一旦思考を中断する。
「状況は理解できたか」
「恐らくは、ですが。コルトレツィス侯爵家はそのままではいられないでしょうね」
「その他には」
「今回処罰された貴族家に仕えていた騎士や文官たちに機会を与える事ですか」
「その通りだ」
陞爵される家には地元の情報が足りない貴族家もあるだろうし、そもそも人手が足りないという家も多いだろう。これから改革するから人材はいくらでも必要だ。
一度仕える家を失った人間からすれば再就職の機会は捨てられないが、だからと言って前例とか前任を根拠に反発されてもそれは問題。えーとつまり。
「これ、私への対応が一つの評価基準ですか」
「それもわかったか」
「若造と侮るにしても媚びを売ってくるにしても評価対象になりますからね」
だから俺は子爵のまま据え置かれているわけだな。あれだけ功績をあげても国からは金銭で対応された若造という目で見てくる奴は信用に値しないと。人を勝手にリトマス試験紙にしないで欲しい。
「陛下の言にも気が付いているな」
「“ツェアフェルトに”領地の加増を行うというあの言い回しですか」
表向きの意味だけとらえれば別におかしな言い回しじゃないが、“伯爵”が付いていなかったことがポイントになる。それやこれやを重ねていくと多分間違いはないだろう。
陛下や王太子殿下は、国内改革を行うにあたって新しい幕僚団と官僚団の育成と組織化を始めている。その中でツェアフェルトは有力候補の一つであり、改革を支える有力貴族の一員とするために恐らく侯爵への陞爵予定もあるということだ。
「掃除がある程度すんでからという事になるんですかね」
「時期に関してはまだ口にできぬ」
「解りました」
とはいえこういうのってすぐ評判になるものだと思うんだが、と思ったところで思い至ったのはルーウェン殿下のパーティーだ。もしあれと時期を合わせるとなると時間的な猶予はそんなにない。
コルトレツィス侯爵領への出兵は俺が想像しているよりも早いかもしれないし、だからこそ手伝いとかいう中途半端な役目が任されているのか。はあ。
「コルトレツィス侯爵領への出兵準備はマックスに任せる。それまでは引き続き手伝いを頼むぞ」
「はい」
「期待している」
おおう、父からこういう発言を聞いたのは珍しいかもしれない。そう思って自室に戻り、しばらくしてから怪しい影を背負いこんで思いっきり落ち込む事に。
「あの、ヴェルナー様?」
「何かありましたか」
今日は王宮ではなく伯爵邸で勉強していたリリーと、騎士団内部の事務資料を纏めてくれていたフレンセンが心配して声をかけてくれているようだが、失敗した感が大きくて反応に間が空いた。ようやく溜息をついてリリーに声をかける。
「悪い、リリー、紅茶頼めるか」
「は、はい、すぐに」
リリーが出ていくともう一度溜息。フレンセンが俺に視線を向けてくる。
「何があったのですか」
「口は災いの元だ……」
「はあ」
うん、すげぇ大失敗。父の質疑は明らかに俺自身への試験だったと思う。そしてその反応を見る限りそれに合格してしまったわけで、これどう考えても政治改革チームの一員内定だよな。
適当に間違えておけば学生に戻るなり領地に引き籠るなりする機会もあったような気がするんだが、自分でそのチャンスを潰した気がする。
「やらかしたとしか言えん」
「今更学生は無理だと思いますが」
「そういう夢も希望もない事を言わないでくれないか」
事情を説明した後のフレンセンの反応に思わず苦情を言うがまったく効果がない。お茶を入れてくれたリリーまで困った顔を浮かべている。俺はのんびりしたいんだがなあ。
一口飲んで、大きなため息を吐いてからリリーに視線を向ける。
「ところでリリー、悪いけど描いてほしいものがあるんだが。それとフレンセン、手配を頼む」
「はいっ」
「はい、何でしょう」
とりあえずやることはやろう。うん。




