――210(●)――
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地面が揺れる。振動が響く。
偵察に同行してきた周囲の騎士たちも顔色が悪いが、ヴェルナー自身が息を飲んでいるのだから何か言う事もできない。
ヴェルナーの感覚で言えば『ビルが歩いて来ている』。他に表現のしようがないのだ。ノイラートが隣でごくりとつばを飲み込んだ。
「巨大ですな」
「まったくだ」
集団の中央から突き出している巨大な鷲の頭部がひときわ目を引くが、サイズを除けば全体のデザインとしては鷲獅子に近いだろう。鷲の翼を持ちながら歩いて来ているのは集団を統率する必要からであろうか。
問題はそのスケールサイズである。やや遠方から見ても異常な大きさだ。ヴェルナーのイメージで言えば六階建てぐらいのマンションが地上を移動しているというのが一番近い。それが四天王の一角を担う最後の中ボス、風のムブリアルであるはずだ。
ゲームのモニターで見ていたそれは、もちろんボスキャラらしい大きさをしてはいた。だが現実に見るとその存在感が違う。
「なんかそんな話があったな」
小声で前世に見た城壁の上から頭を覗かせるような巨人と戦う作品を思い出し、ヴェルナーは小さく小声でつぶやいた。俺はあんなアクロバティックな動きはできないぞと内心で続けたのには多少の現実逃避が混じっていたかもしれない。
その周囲を囲んでいるのは一つ目巨人であろう。中央のムブリアルが目立ちすぎるが、一つ目巨人もフィノイやアンハイムの魔将よりも敏捷性はともかく大きさだけなら上回る。
二階建て住宅サイズよりも巨体であるそれが十体以上、それぞれが自動車サイズはあるだろう石の塊のような巨大な棍棒を持って移動しているのだ。破城槌が二本足で移動しているようなものである。堅牢に見える城壁が簡単に打ち壊されたのも納得がいく。
その一団を中心としてその周囲に展開しているのは闇の騎士で、これは優に二〇〇〇を超えている。一体が人間の兵士数人ぐらいなら簡単に相手をできるだろう強さだが、その騎士が乗る馬もまた二角獣という別の魔獣なのだ。ゲームなら一度に両方へダメージを与えられるが、実際には別々に対応を考える必要がある。
一角獣は純潔を司るのに対し、二角獣は不純を司るとされる。ゲームではただの色違いで処理されていたが、現実に目にした二角獣は何とも言えない妖気のようなものを漂わせていた。
なおヴェルナーの前世で二角獣は中世の欧州では別の魔物として登場する風刺作品もあり、人を食う人面牛でよい夫婦のうち、夫を食うのがバイコーンであるとも言われている。
「マゼルはこんなバケモノと戦ってるんだな」
遠目にそれを見ながらもう一度ぼそりとヴェルナーは呟いた。と同時に、転生してから十年以上この世界で生きてきた経験が多少なりとも影響していることを良い方向で実感せざるを得ない。
何しろヴェルナーがもつ前世の感覚でいえば『二階建ての戸建て住宅があなたの目の前でこちらに倒れてきます。手持ちのバットだけでどうにか対応してください』とでも言うような状況である。仮にチート能力を持っていても転生後間もない、前世日本人のメンタリティのままなら逃亡一択であっただろう。踏みとどまることができた精神性の強さは脳筋世界に鍛えられた部分であるにちがいない。
冒険者たちもあんなのを相手にしているのか、と内心で感心しつつ負けていられないと自身の精神を立て直していたが、これはヴェルナーの誤解であった。一つ目巨人や闇の騎士など、魔王復活前にはほとんど姿を見たことがない魔物であることは後で知ることになる。
それにしても一つ目巨人は中ボスなどではなくダンジョン内で何度も戦うランダムエンカウントモンスターであり、似たような相手と何度も戦っていたはずだ。それと戦いながらマゼルは魔王討伐の旅を続けているのだと思うとヴェルナーの背筋に冷汗が流れる。
マゼルの旅の困難さをどこかで軽く見ていたのかもしれない、と思わず反省していると、少し離れたところで自ら敵情を視察に行くと言ってここまで来ていたノルポト侯爵が声を上げた。
「あれは確かに恐ろしいだろう。理解はできる。だが皆、思い出せ。王都の中には皆の家族がいるのだ。ここで怯えてはならぬ」
ノルポト侯爵の声は落ち着いており、経験に裏打ちされた重厚さもある。また、自身も沈着な態度を保っており、見た目でも兵士を安心させる気配が漂っていた。周囲の兵から徐々に落ち着きを取り戻し始める。
その様子を素直に感心しながら見、ヴェルナーも直属の部隊に声をかけた。
「狼狽えるな。今回も籠城期間そのものは短期ですむ。長くても数日持ちこたえればいい」
これは多分に想像交じりではあるが、勇者が火の四天王との戦いに勝つまでがリミットだろうとヴェルナーは思っている。ゲーム的には火の四天王を倒すのが王都壊滅のフラグであったのだろうが、実際にそうなるのかはこれからの問題だ。
何せゲームでは火の四天王がいる迷宮に出入りするだけなら王都壊滅イベントにならなかったのだから、理由は不明だがおそらく魔軍にとっても王都近郊で勇者と戦うのは避けたいのだろう、とヴェルナーは思っている。
「敵の襲撃は予想されていたのだから準備は整えている。勝てる」
これは半分だけ事実である。そもそも準備しておけば勝てると断言できるような相手ではない。だからと言って将が動揺したりするわけにもいかないのだ。
「よし、ヴェルナー卿、戻るぞ」
「はっ」
ノルポト侯爵の声に応じてヴェルナーも馬首を返す。敵の一団は距離があったこともあるであろうが、あまりに少人数ゆえに放置したのであろう。半鳥半女たちを先につぶしておいたことが有効であったことを確認しながら、ヴェルナーは準備をしている兵士たちの元へと戻った。
王都城壁上から見れば、振動や土煙と共に向かってくるそれに恐怖を覚えないものはいなかったであろう。本来なら敵の攻撃が届かない高さから矢を放つのが仕事であるはずだが、相手の巨体では手や首を伸ばせば直接攻撃が届くだろうことが想像できるのだ。城壁上で指揮を執るハルフォーク伯爵やミューエ伯爵が兵の動揺を抑えようと大声で宥め、かつ最終準備を進めるように声を上げる。
「いいか、絶対に落とすなよ」
「投石機への設置、急げ」
命令に従っている間は余計なことを考えずに済む。城壁上に並べるように設置された小型の投石機に数人がかりで陶器製の壺を乗せ、追撃に使用するための弩弓の用意も進める。
魔軍側は人間を相手にしていないのか、それとも威圧のためか、一定のペースで王都に向かって歩んでくるので狙いをつける事だけは難しくない。
「放て!」
「撃てっ!」
何度も実験して確認していた射程内に巨大な壁のような魔軍の巨体が入り、城壁上の投石機から壺が飛ぶ。人間であれば何らかの箱や容器が飛んでくれば避けられたであろうが、一塊の集団として向かってきた魔軍は避けようとはしなかった。
放物線を描いて飛んできたそれを叩き落とし、払い落そうとした程度である。またその程度でも十分であり、陶器の壺が砕けると白い粉が辺り一面に広がる。
やがて、王都城壁内に避難していた民衆が思わず怯えて座り込み、城壁上の兵士たちも顔を見合わせるような状態が発生した。一つ目巨人たちが悲鳴を上げて顔を覆い、その場で膝をつき、苦しみ、巨体を地面の上で転がしのたうち回り始めたのだ。周囲にいた闇の騎士の中で要領の悪い奴が踏み潰され、隊列が混乱する。
さらに闇の騎士たちの上にも上空で砕かれた粉が降り注ぎ、二角獣たちが暴れて騎士を振り落とすようなものまで現れた。
「どうやら効いたようだな……」
ハルフォーク伯爵がやや茫然とした表情で口を開く。危険だから密閉されている壺を開けるな弄るな触るなと言われていたその中身が想像以上に危険物であったことを理解したのである。
ヴェルナーの前世において、酸化カルシウムは生石灰とも呼ばれ、工業的にはサンゴや貝類が海の底に堆積してできた石灰石から作られるが、古くは貝殻からも作られた。
石灰石(炭酸カルシウム)や貝殻を高温になる炉の中で八百二十五度以上に加熱することで酸化カルシウムを作る事ができ、主要な用途はセメントの材料として作られている場合が多い。
だが、この酸化カルシウムには水を加えると急速に発熱し、百度近くにまで上昇した後に水酸化カルシウムに変化するという性質がある。ヴェルナーの前世で二重底の弁当を温めるために、紐を引くと過熱し弁当を温めるのにも使われていたのがこれだ。
汗のようなごく少量の水でも高温を発するので、セメントに素手で触るのが危険な理由でもある。
このような性質のある生石灰は、ヴェルナーの前世、兵器としても使用されたことがあった。一二一七年、ドーバー海戦でイギリス軍の指揮官の一人であったフィリップ・ダルビニーが攻めてきたフランス海軍めがけて大量に用意してきた生石灰を撒いたのだ。
フランス兵の目に入った生石灰は眼球の水分と反応して目の中で発熱し、大量の失明者を生み出した。戦線を維持できなくなった一角から崩されたフランス軍は司令官が捕殺されるという大敗北を喫したのである。
この戦術が多用されなかったのは、生石灰の準備が大変だというのもあるが、空気中の水分にも反応してしまう事があるため中世レベルでは保存も難しく、かつ自軍の兵士を守る方法がないので自爆の危険性もあり乱戦状態では使えない、つまり奇策の類でしかなかったためだ。
そのため、大規模な戦いで使用されたことはほとんどなく、奇策珍策の類として戦術史の中に消えて行った。ヴェルナーが正統派の歴史研究家であれば逆に目にすることもなかったであろう。
水道橋工事の際にセメントがない事を知っていたヴェルナーは、石灰岩も恐らくほとんどないのであろうと逆に考え、この生石灰の性質も知られていないのではないかと考えたのだ。これを相手の目を確実に潰す手段として使えるのではないかとセイファートに相談していたのだ。
昨今、海洋国家であるザーロイス島国との交易が拡大していたこともヴェルナーにとっては幸いであっただろう。港まで運んだ荷馬車の帰路に大量の貝殻を積んで王都まで持ち込む事が可能だった。材料だけは豊富にあったのである。
実験を試み有益であることを確認したセイファートは、保存には哭鹿の空気袋などの水筒代わりにも使えるほど大気の水分に影響を受けにくい容器を用いたほか、保存場所にも乾燥に気を使わせていた。変にいじると治療費に大金が必要になるぞ、と脅されていた担当者は相当に苦労していたらしい。
この策の主目的はあくまでも二角獣を叩く事が主目的である。二角獣の目を潰し騎兵の利を失わせることで味方のみが戦術的に機動戦を展開することができるようにする事にあった。
そこで味方を巻き込まないようにする方法として、逆に敵の真ん中で、敵の手を使い空中で拡散させてもらおうとしたのだ。相手が巨人であることを想定していたからこその奇策と言える。
だが戦果は想像以上に大きかった。ヴェルナーも一つ目巨人には効果が出ればいいな、と言う程度の認識だったことは否定できない。
その一つ目巨人の目を失わせることができたかは不明であるが、少なくとも与えた苦痛と嫌悪はヴェルナーの期待を超えた。その場で粉が目に入ったすべての巨体がのたうち暴れたことで闇の騎士隊の中にまで混乱が起き、戦う前から数十騎を失わせることができたのだ。
さらにのたうち回る一つ目巨人から遠ざかるように、闇の騎士たちがその場から距離を取る。隊列も何もあったものではなく、ただの集団としての避難である。結果的に闇の騎士は自ら軍としての利を失う事になった。
既に城外に出撃していたノルポト侯爵たちが動き出したのはこのタイミングである。




