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レッペが驚愕の表情を浮かべたのはヴェルナーがこの場に現れたというだけではない。ツェアフェルト騎士団と共に、近衛副団長のゴレツカを含む近衛の鎧を身に纏った騎士の集団が別の扉から突入してきたのを目撃したためである。
人数はツェアフェルト騎士団とほぼ同数であるが、個人の力量が違う。集団戦で魔物を打ち倒すツェアフェルト騎士団と違い、一人一人が立て続けに魔獣を切り斃す近衛の存在にあり得ないという口調でレッペが呟いた。
「な……なぜ近衛が」
「王太孫殿下のお声がかりじゃよ」
「セイファート……!」
場違いなほどのんびりとした口調であるが、年齢を感じさせない身のこなしでセイファート将爵はレッペと会話ができる距離まで近づいた。
周囲では騎士団と魔獣が殺戮の曲を奏でている中で奇妙な空白地帯となっているが、それを理解しているのはセイファートだけである。
「ルーウェン殿下はヴェルナー卿がお気に入りのようじゃし、殿下の婚約者殿はリリー君と親しくなったそうでな。事情を知った二人がそろって陛下にリリー君の救出作戦に国としての助力を願い出てきたのじゃ。陛下や王太子殿下もそれを認めたのじゃよ」
「まさかそんなはずは……」
「卿はそういえばあの件の細部を知らなんだな」
セイファートが今更気が付いたように説明を加える。元々は魔物暴走の一件から始まっていた。
「魔物暴走の際にヴェルナー卿が敵の策を見抜いたおかげで騎士団が救われたのは確かじゃが、王太子殿下はもちろん、殿下を守る近衛も同じ立場でな」
あの時、負傷兵や残余の将兵を撤退させるために王太子と近衛は自分たちが殿を務める覚悟をしていた。圧倒的な数を相手に、王太子自身が武器を手にし、近衛の半数を失う覚悟でなるべく多くの将兵を撤退させるつもりであったのだ。
その近衛たちの前で戦況が変わった。もっとも激戦地となるはずであった戦場中央の最前線にツェアフェルト隊が自主的に兵を展開したためだ。結果として近衛は戦況の苦しい所を支えるだけで済み、王太子自身も指揮のみに専念する事ができた。
「魔物の大軍を一手に引き受けての大損害さえ覚悟していた近衛は、ほぼ無傷に近い形で撤収できた。王太子殿下の安全を守れたことも含め、ヴェルナー卿を恩人だと思っておるものも少なからずおる」
勇者の家族を預かっているツェアフェルト邸の護衛に近衛が参加していたのには国王の命があった事は確かである。だが、近衛の中にもツェアフェルトに、そしてヴェルナー個人に対しても恩返しをしたいという声があったため、抵抗なく王命が受け入れられていたのだ。
「今回、陛下もこう言われた。騎士団が王都防衛戦の準備で動けぬ現在、動かせる最大戦力を使い短時間で処置するべきであろうとな」
そうセイファートは続けたが、事実の全てでもない。まして孫や嫡子に対する情だけでもない。王も王太子も必然性をもって動かせる限りの最大戦力である近衛に動員を命じていた。
フィノイ神殿を襲撃したのも、アンハイムを攻撃したのも、『魔将』が『率いていた』『軍』である。他方、王都近郊の魔物暴走は『魔族』が『操っていた』『集団』であった。組織として見ればそこには確たる差がある。
そして今回、事情を聞いた王太子は、レッペと同行していたその魔獣を連れた女神官こそが魔獣を率いる新たな魔将ではないかととっさに判断し、王都襲撃が開始される前に各個撃破の必要性を認めたのだ。
近衛本来の役目から言えば、表向きには正体不明の敵に対してであっても、また勇者の妹とは言え一平民のためにも動かすことはできない。そのため自主的な参加という形式だが、王太孫の希望と王や王太子の内諾があっての事である。進んで参加を希望し、更にその中から選抜された騎士たちの士気は高い。
と同時に、王のあの発言には単独でリリーを追ったヴェルナーに対する叱責の意味があったことも事実ではあるが、それを理解できぬほどヴェルナーは理解力が低くないであろうとセイファートは思っている。
「一人で追ったのはいささか無謀ではあったが、儂としては若者らしいと思うぞ。子爵にもそういう所があったのじゃな」
セイファートでさえそう評してしまうあたり、この世界がヴェルナーのいう所の脳筋世界である一面は否定できないだろう。だがヴェルナーの秘密を知ることがあったら何と評したであろうか。
事情はそういう事であるが、まさか近衛の指揮を子爵に執らせるわけにもいかん。そのためにこの老骨がここまで足を運んできたのだ、とセイファートが笑いながら少しだけ視線を動かす。それに気が付かず、動揺を隠し切れぬままレッペが口を開いた。
「な、なぜここが」
「王都の水路を調べていなかったわけではない、という所からになるじゃろうな」
レッペたちが利用した水路にも既に国の調査員が入っていたのである。そのため、源流に当たる部分はクルムシェ山より更に奥地にある山であろうという所までは把握されていた。なぜ水が流れなくなっているのか、という所をこれから調査するところであったのだという。
「案外、クルムシェの湖と王都の水路は同じ源流なのかもしれぬな。そのあたりは今後調査する必要もあるじゃろう。ともかく地下水路とクルムシェの湖からの水を引く水道橋がほぼ平行に走っているのは把握しておったのじゃよ」
「それだけで、こうも早く」
「そこはヴェルナー卿の運の良さと今までの手配が重なったの」
王都城門の警備体制を強化していた衛兵が、重傷を負いながらも飛行靴で外壁の外側に現れその場に倒れ込んだヴェルナーをすぐに拾い上げたことが偶然なら、戦闘に備えて回復魔法の使い手が城壁近くに集まっていたことは幸運であったと言える。
ちなみにこの飛行靴はアンハイム攻防戦の開始直前にフレンセンに預けておいたため、結果的に使わずにすんだ物である。
飛行靴は、リリーと可能ならレッペもまとめて逆に拉致するつもりで準備していたが、相手が呪いの武器によって負傷を気にしない衛士に守られているとは思ってもみなかったため、思い切って近づくこともできなかった。あの崩落時、相手の衛士がちょうど斬り込んできていたため、その体の下に潜り込んで相手を瓦礫からの盾にしなければ使う事もできなかっただろう、とヴェルナー本人が率直に述べている。
相手の人数が多すぎて全員一度に飛行靴で移動できなかったことが誤算なら、ヴェルナーと戦っていた衛士が盾まで構えた完全武装であったのは相手の体が一瞬でも瓦礫を支えられた幸運の要因であったかもしれない。
結果的に王都という土地柄、優秀な治療術師が多数いたことも幸いした。僧侶系魔法を使える複数人数による人海戦術のような形で、ともかくもヴェルナーは回復できたのだ。治療中に口頭で報告をあげており、近衛が動員されたのはこの情報がもとになる。
なお治療を担当した者に言わせると、剣が突き刺さった脇腹の傷と瓦礫につぶされていた左脚、無理に潜り込んだ際に斬りつけられた傷の三つが特に重かったが、それ以外にも多数の負傷があり、よく生きていたとさえ思ったらしい。
初級の回復魔法でも重ね掛けすれば死にかけていても何とかなってしまうのは変にゲーム世界的だ、と回復したヴェルナー自身が内心では呆れていた。
そしてその治療中に入った別の一報がレッペやリリーの後を追うための最大の情報となったのである。
「ヴェルナー卿は水道橋巡邏任務に就いておった際に手順書を作成しておった。そして、水道橋を巡邏していた者たちはその手順書通りに、突然地面が陥没した穴の報告をすぐにあげてきたのじゃ」
陥没した位置が判明した時点でヴェルナーの後を追うために準備していた人数が集まっていたこともあり、即座に行動を起こすことが可能だった一隊が先行してその場に駆け付けた。
新しい指令を受けずにまるで機械のように瓦礫を撤去していた衛士たちを捕らえて解毒し、目的地を聞き出すのにはそれほどの時間を必要とはしなかったのである。
「儂も驚いたわい。あの水道橋を作る原因であった窪地が遺跡の地下一階部分が一部陥没したことによるものだったとは。亀裂に水が溜まらぬわけじゃ。天井の亀裂から入った水は遺跡に流れ込んでおったのじゃな」
地上の亀裂からこの遺跡に流れ込んだ雨水は、その排水設備を経由して王都への地下水路に流れ込んでいたのだ。わざわざ王都までの水道橋を作る必要はなかったのであるが、これは結果論であろう。
しかし、どこかで本来の水脈が堰き止められている今、クルムシェ湖の水を使う形で王都地下水路を復活させることができるのは王都付近の水道橋に対する防衛戦力を割く必要がなくなったことにもなる。差し引きで言えばプラスであったかもしれない。
そして目的地がはっきりしているのであればわざわざ歩きにくい地下水路を移動する必要もない。顔だけ汚れをぬぐったヴェルナーを含め、歩兵騎兵に従卒もあわせて三〇〇人ほどが水道橋沿いに駆け付け、窪地の周辺に隠されていた入り口を探し出し遺跡へ侵入したのである。
なお、この遺跡の入り口を発見するために三〇人を超える斥候が参加している。以前に多額の金銭を受け取っていた裏街の顔役の一人であったベルトが「ツェアフェルト子爵の緊急時、可能な限りの人数を集めるように」と部下に指示してあったためだ。
水路での目撃から相手に魔獣を操る敵がいると考え、かつ以前から王都付近に別の遺跡の存在を疑っていたヴェルナーが斥候たちをかき集めてこの作戦に同行させた事に、一度はしてやられたヴェルナーの警戒している面が現れているだろう。
その斥候たちは戦闘には直接参加しておらず、手分けをして普段は持ち運びをしないような大型の魔道ランプを周囲に配置している。そのため、施設の中が昼間のように明るくなっていた。
「……王都防衛の作戦立案責任者と一部でも近衛がここにいるあたり、王都はまだ状況が理解できていないようですね」
「魔軍が王都に向かっておる件かね。国境から飛行靴で偵察に出ていた者が戻ってきておるよ。明日ぐらいには敵が到着するであろうな」
「な……」
セイファートの口調は何をいまさら、とでも言うような口調である。
「卿は何か勘違いをしておるようじゃが、王都襲撃が起きる事は王室や大臣級貴族もみな知っておる。その中で儂の役目は作戦立案までじゃ。既に国として動いておる以上、儂のやることは終わっておる」
「国が動いている、ですと」
「魔軍も突然王都付近に出現するわけではなかろう。王都防衛など全体の一部にすぎん。国境の偵察、そこから王都までにある複数の町や村の人的被害を最小限にするための避難計画、そのための物資の手配、その後の生活再建の支援計画までじゃな」
「……」
「グリュンディング公爵がなぜここ最近表に出ておらぬと思っておった? 公爵を中心に、公職に携わる者はほとんど不眠不休で王都防衛戦の前段階はもちろん、その後まで計画立案し行動しておったのじゃよ」
もっともそのせいで根本的に人手が足りず、様々な雑務がそれに関係していない人物の所に回ってしまい、ヴェルナー卿に余計な仕事を増やしてしまったと宰相閣下がすまなさそうにしていた、とセイファートが続ける。
「国境で必ず相手を捕捉できない以上、民への損害を最低限にしつつ相手を引きずりこみ戦場をこちらの都合のいい場所に定める。ヴェルナー卿がアンハイムでやったやり方を拡大したのじゃ。あれはよい参考例になったの」
「避難計画など、私はそのようなことを聞いたことが……」
「あの決闘裁判の後になぜあれだけ時間を空けたと思っておるのかね。調査を進め、王都教会の内部に疑わしい人物がいることまでは把握しておった。まさか卿だとは思わなんだがな。ゆえに王都教会ではなくフィノイの最高司祭様が避難計画を直接請けおっておる」
特に王都から離れた国境沿いの民を避難させる手配に時間と人手が必要で、王都内の掃除に時間がかかってしまったといい、そこまでで言葉を一旦切ると、多すぎる魔道ランプによりすっかり明るくなった周囲を見渡し、セイファートが頷いた。
「さて、そろそろよさそうじゃな」
「何ですと?」
「卿は能力こそ高いが実戦経験が足りぬの」
そういうと顔の向きを変えたセイファートの視線を追ったレッペは初めて愕然とした表情を浮かべた。
リリーの周囲には身柄の安全を確保したバルケイ隊や女性騎士が剣を振るって魔獣を追い散らしているため、もはや人質としては使えない。そしてヴェルナー自身も直属の騎士たちとユリアーネとの接近戦を始めており、そこにいたるまでには騎士団が戦力を展開している。レッペの身を守る者は誰もいなかった。完全に分断されていたことに今になってようやく気が付いたのである。
「卿らにリリー君の身柄を確保されるとさすがに不利になりそうだったのでな。大神官として魔法が使える卿を相手にした時、指示を出させる前に卿の命を取る事ができるかは確証が持てなんだ。そこでわざわざ卿に付き合い無駄話をしておったのじゃよ」
指揮ができる人間を無力化するのは武器だけではないからの、と続けたセイファートに対し、レッペが初めて激高した口調を作った。
「セイファート将爵、貴方はわかっていない! 神は、神託は絶対だ! 魔王を利用してでも御子に未来を預けるべきだったのだ! 私が間違っていないことはいずれすべての人間が理解する!」
「そんなことはありはせんよ」
心底から上げたレッペの叫びに対するセイファートの口調は冷たい。
「卿のような人間は歴史が証明するだのいずれ万人に理解されるだのと言うが、そんなことはありはせん。今の世の中にも貴族や王族が腐っていると同意見の者もおるじゃろう。じゃが一〇〇〇年経っても批判する者も必ずおる。万人が一人の意見に納得する事など決してないのじゃ」
軽く肩をすくめてセイファートは言葉をつづけた。
「もっとも、儂も卿も互いに相手の言う事を理解はできんじゃろうな。卿は理想を語り儂は実務で物事を見ておる。そして儂の観点で見れば、卿は質の悪い酒に悪酔いした男にすぎん」
「酒? 悪酔い?」
「卿は理想という名の酒に酔ってふらつきながら現実という道を踏み外したのじゃよ」
セイファートはそう言うと軽く手を挙げた。次の瞬間、レッペの死角となっている場所に展開していた弓隊が一斉に矢を放った。セイファートの言う無駄話の間に、周囲の魔物を排除し弓隊の安全を確保して合図を待つように準備をしていたのである。
一度に三〇本もの矢で射抜かれたレッペは物も言わずにその場に倒れ込んだ。さらに念のため騎士の一人がとどめをさす。
「ふむ、複合弓とやらは大したものじゃな。短弓ほどの大きさでこのような場所でも取り回しがきくわりに十分な威力じゃ」
「よろしかったのですか、閣下」
直属の騎士が控えめに問いかける。セイファートは小さく笑った。
「大神官を討ったことかね。教会側は自分たちで対応できなんだ事が不満じゃろうが強硬手段には出れぬよ。罪状は明白、やったのはこの将爵じゃ」
教会は面子もあり自分たちでレッペを裁判にかけて処断したかったに違いない。相手には相手の組織の都合と面子がある。教会内の派閥問題もあり、最高司祭も一応は王室側に苦情を言わなければならないだろう。
もしこれをやったのが子爵のヴェルナーであれば下から突き上げが大きくなり最高司祭の苦情も強硬で大声になったかもしれない。だがさすがにセイファートぐらいの大貴族となると教会側の苦情の声も大きくはなりにくい。大物に喧嘩を売る危険性は教会側とて理解はしているのだ。
「対外的にはやりすぎたと陛下から叱責され反省した儂が領地を一部国に返上する。王室は責任者を罰したのでこれで罪人を勝手に処断したのは許せと教会側に応じる。そのあたりで落ち着くであろうよ」
もともと領地を返上するつもりだったので予定が早まるだけである。双方の面子に折り合いをつけつつ手打ちをするために現場責任者が責任を取る格好だ。そしてセイファートはそのあたりにこだわりはない。
むしろ、教会からの苦情を自分の所で留めて若いヴェルナーが恨みを買わないようにするのも自分の役目であると考えてもいる。
「年寄りは責任を取るために地位についているようなものじゃて」
最後にそう応じるとセイファートは展開していた弓兵と魔物がレッペの助けに入れないように警戒していた直属騎士たちにもリリーの護衛に就くように指示を出し、自身もそちらに歩みを進めた。




