――203(●)――
お待たせいたしました。まだ私生活の方がバタバタしていますが再開いたします。
書籍化お祝いのお言葉、感想や活動報告でのコメント、本当にありがとうございます!
昨日、切りのいいところまで書こうとしたらどこも切りがよくなく、
結果的に昨日の分と合わせて二話分の長さになっています……。
本来ならば王都に向かう水の流れる音がするはずの地下を、十人近い多数の足音が移動している。
暗い地下水道の中で、その一団だけが複数の魔道ランプを所持して周囲を明るくしているため奇妙に目立つ。複数の鎧がたてる音が石造りの天井に反射してある種の不気味ささえ感じさせるのは錯覚ではないだろう。
ほぼ水が流れていないとはいえ、湿度が高く湿った石畳の上を注意深く進みながら男の一人が皮肉っぽく大神官の服を着ている相手に声をかけた。
「しかし、神殿の地下から水道に抜け道が続いていたとはな」
「もともとは貴族様のお屋敷跡地ですからな。貴殿の館もそうだったでしょう、クヌート卿」
大神官の衣装のまま水道を歩くレッペの反応は事実を淡々と口にしているもので、悪意があるわけではないが、そう問われたクヌート・クラウス・コルトレツィスは無言、無反応で応じる。
とは言え自身が館の抜け道から逃亡して神殿に匿われていた立場であり、反論の余地がなかったことは否定できないであろう。そのクヌートが話を変えるように口を開く。
「随分手間をかけたものだ」
「機会はこの一度しかありませんでしたからな。王も王太子も優秀。一度でも隙を見せればこちらがしてやられたでしょう」
「それにしても思い切ったものだ。ここまで他の仲間を使い捨てた挙句、自室に罠を仕掛けるとはな」
「私の部屋に私が箱を運び込ませるのは誰が見てもおかしくありませんからな」
ヴェルナーが整頓されていると思ったのも無理はなかっただろう。あの部屋はレッペ大神官の部屋であったのだ。扉に名札などがなく、レッペがこの部屋だと案内したために、ヴェルナーを含めた一同は何の疑いも持たなかったのである。
自室に迷宮の中にあるような霧状の毒を噴霧する罠を仕掛けた箱を持ち込んでおき、あえてそこからヴェルナーを引き離し、他の人間だけに部屋の中を調べさせる形で罠にはめたのだ。
「あの男も巻き込めばよかっただろうに」
「ツェアフェルト子爵は油断ならぬ御仁ですので」
もし室内にいればとっさに窓か扉を叩き割るぐらいの事をしかねないと考え、引き離す方が確実だとレッペは判断していたのである。あるいはヴェルナーをヴェルナー以上に評価していたのかもしれない。
「棺の連中も使い捨てか」
「あれはしょせん使い捨ての集団。とはいえ役には立ちましたな。あれらが騒動を起こしているだろう王都では多くの人手が割かれているでしょうし」
淡々とした口調で大神官は口にし、そのまま石壁のやや低い位置に小さく傷をつけた。
「何をしている?」
「追ってくることができるように目印をつけているのですよ。彼女も頭は悪くない。手が自由ならそのぐらいの事はするでしょうからね」
すでに迷路のような王都の地下は抜けているが、本当にこちらに来ているのかと疑われて戻られてしまっても困る。そのため、わざと追跡できるような跡を残しているのである。ヴェルナーであればこの傷にも気がつくだろう、とレッペは判断していた。
「まったく、私の周りには油断も隙もない人間が多くて困りますな」
そう言いながら神殿の衛士二人で左右から連行するように連れている少女に視線を向ける。
視線を向けられたリリーが僅かに顔を上げた。まだ麻痺毒が残っているためか、顔をあげるだけでも苦労しているようだが、それでもかろうじて口を開く。
「なん、で」
「私は多少あなたに同情しておりますよ」
リリーの発言に覆いかぶせるようにレッペが言葉を継いだ。この言葉に偽りはない。だが続いて口にした言葉は同情という言葉とはかけ離れたものである。
「貴女が勇者の妹などでなければ、恐怖も苦痛も最低限のまま、何が起きているのかも理解できずに死ぬことができたでしょうに」
「……」
淡々と口にした台詞に失笑に近い表情を浮かべたのはクヌートの方である。
「ラウラ殿下の身代わりなど、平民にとっては十分すぎる立場であろうが。むしろ感涙にうち震えてほしいものだ」
「そういう考え方もあるかもしれませんな」
レッペがそう応じたのは同意しているのではなく問答が面倒になったためである。目的地はそれほど遠くないとはいえ、もともとは水道なので道は良くない。まして体が自由に動かない人間一人を無理に連れているのでありどうしても歩みは遅い。
「いずれにしろ、数日中には殺戮の場となる王都にいなくてすむのは幸運ではあるでしょう」
「ふん」
クヌートが鼻で笑い、そのまましばらく無言で歩みを続けた。途中何度かリリーが身動ぎをしたのは麻痺毒が抜け始めているということなのかもしれない。
自由の利かない体で、それでも時々抵抗の意思を見せるリリーの前髪をクヌートが掴みあげ、その顔を覗き込むようにして獰猛な笑みを浮かべた。
「どのみち逃げることもできないんだから大人しくしておけ。そうすれば少しだけ長生きできるぞ」
「あまり手荒く扱わないようにしていただきたいですな。器としては貧弱ですので」
レッペがそう割って入り、クヌートがもう一度鼻で笑って乱暴に掴んでいた髪を離したところで、唐突に後ろから声がかかった。
「待て!」
「これはこれは……」
息を切らしながら後方から向かってきたヴェルナーを見、レッペがかすかに驚愕の表情を浮かべる。ヴェルナーが一人であることを確認し、周囲の衛士たちに手で指示を出しながらもレッペが声をかけた。
「お一人ですか」
「まあな。どうせ神殿の中にもまだお前の仲間がいるんだろうが」
「正解ですよ」
息を切らしながらも槍を構えつつ近づいてきたヴェルナーに嘆息しつつレッペが応じる。レッペとクヌート、それにリリーたちとヴェルナーとの間に、鎧姿の衛士が壁を作った。
前衛に三人、その後方に二人、更にその後ろにレッペとクヌート、それにリリーを抑えている二人の衛士という形である。ヴェルナーが小さく舌打ちをしたのは、相手の人数が予想よりも多かったためだ。
決して広くはない地下水路の中で武器を構えたヴェルナーと多数の影がにらみ合う形となる。この人数差で戦意を失わないヴェルナーを見つつレッペが口を開いた。
「あまり驚いてはいない様子ですな」
「引っかかっていたことに回答が出たんでな」
王都にいた魔将がピュックラーの姿をしていた時に、傷が治ったような様子もあったという話を聞いていたにもかかわらず、アンハイムでの魔将は負傷した目などの傷がそのままになっていた。
その方が都合が良かったのでその時はヴェルナーも失念してはいたが、考えてみればおかしな話である。だがピュックラーを治療できる仲間がいたのであれば話は別だ。
「随分前から魔軍側と内通していたようだな」
「内通という表現には不満もありますが、まあいいでしょう」
レッペも否定はしなかった。一つ頷き言葉を次ぐ。
「その様子ではもう一つの件にもお気づきですかな」
「マンゴルトの部下の件か」
「そのとおりです。マンゴルト卿がヴェリーザ砦奪還軍のために集めた人数に手を加えたのも私です」
平然とレッペが応じる。意識を朦朧とさせるための薬をワインに混ぜて投与し、マンゴルトに率いさせたのだと。
「貴殿なら必ず勝ちます、戦勝祝いだと勧めたら一番飲んでいたのはマンゴルト卿でしたがな。貴族が躊躇なく飲んでいたので他の者達が疑いもせずに飲んでくれたのは助かりましたよ」
「あの野郎、どこまでも祟る……」
「父君は立派でしたが息子の方はヴェルナー卿の足元にも及びませぬな」
「褒められてる気がしないぞ」
妙に納得したような表情でレッペが場違いな苦笑を浮かべた。褒めているのだが、この状況では褒めているように見えないのも確かである。その表情のままレッペがさらに発言を続けた。
「それにしても、側近の方々と一緒に追ってきていただければ、今ごろ子爵が一部の側近だけ連れて逃げ出したという噂に真実味が出たのですがね」
「そんなこったろうと思ったよ」
ノイラートたちが麻痺毒を受けていながら殺されていなかった事から、逆に誘われていると判断したヴェルナーは、この状況を王宮に伝えるようにノイラートたちに指示を出したのである。これは神殿内に残っている誰が敵側であるのか判断できなかったという面も大きい。
そのため、ヴェルナーはもし神殿の周囲にいるイェーリング伯爵が敵側であった場合、責任は自分が取るので伯爵の騎士団を切り破ってでも王宮に駆け込め、と指示を出していた。
一方のレッペにしてみれば、もしヴェルナーが神殿の誰かに伝言を頼んだ際には、レッペの部下がそれを受けてそのまま握りつぶし、さらにヴェルナーが側近だけ連れて逃亡したという噂を立てさせる予定であったのだが、その目論見は潰されたことになる。
「こうなるのでしたら彼らの息の根を止めておくべきでしたな」
「血の臭いで他派閥の連中に知られるのを避けただけだろうが」
神殿の中にも派閥があることを知っているヴェルナーからすれば、相手側の都合が優先された結果であろうことは疑いない。
最前面に立つ三人が盾を構えて壁を作っている中でヴェルナーが少しずつレッペやリリーに近づこうとしてはその壁に牽制されている。
「それにしても、随分早く追ってこられたものですな。途中で追いつかれるなど予想していた中でも最悪のタイミングですが」
「俺にとってはいいタイミングだったということになるのかね」
「抜け道をすぐに見つけられたことも予想外でしたよ。怪しまれるような馬車を神殿の外に出立させたりもしたのですが」
「神殿長室に火をつけたからな」
「……なんですと」
ヴェルナーの台詞に流石にレッペが驚いた表情を浮かべる。
「あの部屋に火種のようなものはないはずでしたが」
「窓から差し込む太陽の光、部屋の中に飾られていた水晶玉、乾燥した紙があれば火ぐらいはつけられるさ」
地方から送られてきた書類の中に魔獣素材から作られる安価で可燃性が高いインクのものがあったこともヴェルナーには幸いしたかもしれない。水晶玉をレンズ代わりに使って太陽光を集め、古い書類に火をつけた後、あえて燃え広がるまで待ってから魔法鞄の中に入れてあった槍を持ち出し、窓を叩き割ってそこから飛び降りたのである。
そして神殿長室が火事だ、レッペ大神官はどこにいると大声を上げたことで、馬車で出ていったと嘘の情報をヴェルナーに伝えようとしていたレッペの部下までが、遺体安置所に向かったとうっかり口を滑らせてしまったのだ。
足止めを指示されていただけで、事情を詳しく聞かされていなかった彼らからすれば、神殿長室の火事のほうがより大問題であったことは確かであろう。
レッペが呆れた顔を浮かべた。
「よくそこまで思い切れましたな」
「正直に言えば焦っていたことを否定はしない。あそこでは何が目的か、なぜ今だったのかとかの理由まではわからなかったからな」
「リリー嬢の落とし物には気が付かれませんでしたか」
「裏口に落ちてたとかいう助けを求めるメモか。あいにくリリーの字は見慣れているんでな」
嘘ではないが事実の全てでもない。紙ではなく魔皮紙に書かれていたので初めから疑ってかかり、違うと断定できたのである。だが事実を素直にしゃべる必要もない。
「どっちにしても俺がここにいるのは間違いのない事実だ。大人しくしてもらうぜ」
そう口に出しながら、盾と人の壁の奥で捕縛されているリリーに一瞬だけ視線を向ける。
「それにしても、まさかこのタイミングでリリーだけを狙うとまでは流石に思わなかった。理由を聞かせてもらいたいんだが」
「さて、どうしますかね」
レッペがそう言うと、ヴェルナーの前に立ちはだかっていた盾を持った三人と、さらにその後ろにいた二人も剣を抜く。地下水道とはいえ三人が横に並ぶには十分な幅があり、ヴェルナーは慎重に槍を構え直した。
「人質がいるのだから降伏させればいいだろう」
「彼にそのような隙を見せることが賢明だとは思えませんよ」
リリーに視線を向けたクヌートの発言にレッペが冷たく応じる。ここで追いつかれたのは誤算であったが、ここまでこちらの意図を読んでいたにもかかわらず一人で追ってきたことにレッペは警戒していた。
ヴェルナーにこの上更になにか小細工をさせるわけにも行かないという判断である。
「それに」
レッペが口を開く前にヴェルナーの前にいた衛士たちがヴェルナーに斬りかかる。
三人が三人とも勢い任せの斬撃であったため、ヴェルナーもとっさに身を翻して二本を避け、残り一本を槍の柄で受け止めたが、一人の剣が水路の石壁に激突するとそのまま石を砕いて壁に食い込んだ。
「何?」
「あれは一度抜いてしまうと止まりませんので」
驚いた表情のクヌートに対してレッペが冷静な口調で語りかける。一方のヴェルナーは怪力を発揮している衛士の剣をかろうじて受け流す形で後方に下がって距離を取り、体勢を整え直した。
「破滅の剣か、これ」
「……つくづくヴェルナー卿は油断なりませんな。呪いの武器のことまでご存知だったとは」
「知りたくなかったよ」
ヴェルナーが舌打ちをこらえる表情になったのは余計なことを口にした、という反省があったためであろう。
ヴェルナーが記憶しているゲーム中での破滅の剣は、装備していると戦闘中は操作を受け入れずにただ攻撃を繰り返すようになる呪いのアイテムの一つであるが、武器としての性能はトップクラスに高い。
と同時に、呪いを消すのは神殿で行うのだが、呪いを消すと装備そのものも消えてしまう。ゲームだからそんなものだろうと納得していたのだが。
「まさか神殿が保管していたとはね」
「危険物を神殿で保管するのは当たり前のことです」
呪いの装備は宝箱に入っているほか、なぜか魔物が体内に抱え込んでいるので素材を剥ぐために解体していると発見することもある。有益な武器に交じって呪いの武器が発見されるのは魔王の罠なのではないかというのがもっぱらの説だ。
だが装備品としては危険で使えず、売ろうとしても金貨一枚から十枚程度にしかならないため、大事に抱え込まずに廃棄してしまう場合がほとんどである。
ゲームでは勇者パーティーだけが冒険をしていたが、この世界では多数の冒険者たちがいるので他のパーティーが防具を含めた呪いの武具を発見することも珍しくはない。
「迷宮で拾った武器を振り回す冒険者も時々いるものでして、神殿にはたまに持ち込まれてくるのですよ」
「迷惑なやつだな!」
打ち込まれてくる剣を受け止め、打ち払い、逆にヴェルナーの側から反撃をして相手を傷つけることもあるが、相手は負傷に構わず攻撃を繰り返してくる。前衛三人と激しく打ち合いながらヴェルナーは思わず罵った。
相手の腕前もさることながら、武器の質が良すぎるのでさすがのヴェルナーも慎重にならざるをえない。
突然、衛士の一人が隣りにいる衛士を切りつけた。だが切られた衛士はまるで何事もなかったかのようにヴェルナーに襲いかかり、さらに別の一人も反対側から切り込んでくる。
濡れて滑る足元を警戒しながら、片方の一撃を避けて片方の剣に槍を当て、そのまま突き返す。だが足場が滑りやすい上に相手が盾と重装備の鎧を身にまとっているため、狙える部位が限られており致命傷には程遠い。
「そういった先達冒険者の廃棄物を拾って生計を立てるような者も中にはおりますぞ」
「真似しないように教育しておくべきだったよ!」
ゲームでは一度放棄した武装や道具を再び拾うことはない。だから考えもしていなかったが、現実ではそういう廃棄物を回収する専門冒険者がいるとは流石に思っても見なかったのである。中には勇者たちが捨てた装備もあるのかもしれない。
「とはいえ、こんなところであれを抜かせたくなかったのも本心でしたが」
「そうだろうな」
渋い表情で応じたのはレッペの隣にいたクヌートである。ヴェルナーを狙うだけではなく、同士討ちさえ躊躇しないような味方など危険極まりない。だがレッペはむしろ冷徹に言い切った。
「致し方ありませぬ。最高の結果とは言い難いですが、彼らをここで使い捨ててでもヴェルナー卿にはここで亡くなってもらう方が確実でしょう」
「卿がそういうのであればそれでもいいのだろう」
レッペの発言に反応したのはクヌートではなくリリーである。まだ動けるようになったというわけでもないが身じろぎを繰り返し、自分を束縛している衛士二人を振りほどこうという動きを見せた。
「無駄なことをしないで大人しく見ていろ」
「……」
クヌートが皮肉っぽくリリーにそう反応している一方、ヴェルナーが三人と戦いながらレッペに声を上げる。
「それにしても、こんなことをするほど不満を抱え込んでいたのか?」
「不満というのとは少し違いますな」
「ではなぜだ?」
神殿衛士が切り込んで来た一撃を受け止め、そのまま半身をずらして相手の勢いを逸らしつつ、もう一人の衛士に向けてヴェルナーが鋭く突き込む。
穂先が鎧を貫き脇腹に穂先が食い込んだと同時に槍を引き抜き、他の二人からの攻撃に備え態勢を整えつつヴェルナーがレッペに問いかけた。返答はヴェルナーにとって予想外である。
「私も知ってしまったのですよ、ヴェルナー卿」
「知った? 何を」
口でそういうのと同時に三人の衛士とヴェルナーが素早く位置を入れ替え、うち一人の足をヴェルナーの槍が貫くと同時にヴェルナーの肩からも血が噴き出る。浅手ではあるがヴェルナーは顔をしかめた。そこにレッペが追い打つように言葉を継ぐ。
「ラウラ殿下への神託をです」
「何?」
思わず声を出したヴェルナーの左右から衛士が斬りかかるが、皮肉なことに二人とも振りかぶっての大振りであったためにかえって間があった。とっさに逆に前に飛び抜け片足を軸にして全身を回して避けつつ、更に後方にいた別の衛士に槍を突き出し相手の肩を貫く。
そのまま素早く距離を取り、別の男が振り下ろしてきた剣を紙一重で躱す。だが剣はともかく盾による体当たりは避けられなかった。ヴェルナーが大きく後ろに突き飛ばされる格好になったが辛うじて態勢を立て直す。
口の中を切ったのであろう、血の混じった唾を吐き出しながら短く応じた。
「それが、どうした」
「神託は絶対です」
レッペがヴェルナーに揺るぎない視線を向けつつ、そう口を開く。
「勇者の存在、魔王復活、いずれも事実であったではありませぬか。そうであるのならば殿下の御子が高位につくことも間違いない事実」
衛士が再び切り込んでくる。ヴェルナーは片方を槍の柄で受け止めるとそのまま槍先を伸ばして穂先をもう片方に突き入れた。手ごたえが浅い事を理解しつつ、三人目が斬りつけてきたので一度槍を横に薙ぎながらさらに後方に下がり構えなおす。
ヴェルナーが後方に下がったことで距離と安全を確保したのを確認し、レッペがむしろ淡々と言葉を継いだ。
「聖女たるラウラ殿下の御子が高位につくためには、現王室の人間が邪魔なのですよ。個人的にはあの方々も優秀だとは思いますが、あの方々の才能などどうでもよろしい」
「それが理由かよ……!」
肩の傷からくる鈍痛を堪えながら、ヴェルナーはかろうじてそう応じる。実際、ヴェルナーにとっては予想外の返答であった。終末思想である棺の仲間かと思っていたが、実際のところは神を絶対視している逆方向の狂信者であったのだ。
とは言え、ヴェルナーにも理由の一面だけは理解できなくもない。神の存在は現実のものとして修業をしてきたところで、神の奇跡だと思っていたはずの魔法が、実はむしろ魔王由来のものだと知ってしまったのである。神の存在を信じ続けるためには神託こそが神の存在理由だと縋るしかなかったのかもしれない。
レッペ大神官の心の中で何かのタガが外れてしまったとしても仕方がないところはある、とどこかでヴェルナーは納得もしているが、これはヴェルナーが神という存在を冷めた目で見ていたためであろう。無論、レッペに賛成する気などは微塵もない。
「だとしても、なぜリリーを狙う!」
「勇者殿やリリー嬢は可哀想だとは思いますが、話は悲劇的な方が庶民は喜ぶのですよ」
「何?」
レッペは軽く肩を竦めて普段通りの表情のまま言葉を続ける。
「親しい友人や家族が悲劇的な結果となった勇者、傷ついたその勇者を献身的に支えた聖女。その聖女様の御子のほうが民衆から評判がよくなるのも当然のことでしょう」
「……冗談も程々にしろよ」
ヴェルナーが人間相手にここまで嫌悪感むき出しの表情を浮かべたのは珍しい。だがレッペは理解力が低い相手に対する憐れみの表情を浮かべてヴェルナーに語りかけた。
「卿もお気づきのはずだ。棺の主張にも一面の事実があることを。人間はこの期に及んでもまだ権力争いと己の利を求め、互いに協力しようとはしない」
「だからどうした」
「聖女様の御子にはそのような欲得まみれの人間などお見せしたくない。魔軍の手を借りてでも貴族や王族といった汚れた連中を排除しておくことが世界のためだとは思いませんか」
「思ってたまるか!」
歪んだ説教など聞く耳を持たない、という態度でヴェルナーが猛然と三人の衛士に挑みかかった。
鋭く連続して突きを繰り返し、一人の盾を貫通して腕を貫き、更にそのまま蹴り飛ばし、同時に槍を引くと間髪入れず左から来た別の衛士目掛けて鋭く突き出す。槍の穂先が盾をかすめて相手の胸元に吸い込まれた。
流石にこれは重傷だろう、とヴェルナーが思った途端、レッペから回復魔法が飛び鎧の下の傷がまたたくまに消え失せる。ヴェルナーが舌打ちした。
「これでも大神官という地位におりますので」
「忘れたかったよ」
レッペの平然とした口調にヴェルナーが憮然として応じつつ、なおも衛士たちに襲いかかった。激しい攻防が繰り返され、金属と金属がぶつかる音が地下水道の天井にこだまし、踏み込みと位置を入れ替える際の足音が地面に響く。
だが、ヴェルナーはかすり傷だけでも確実に蓄積していくのに対し、衛士側はレッペの治癒魔法により、衛士に重傷を与えてもすぐに癒やされてしまう。
やがてヴェルナーの動きが明らかに悪くなり始めた。もともとここまで追いかけてきただけでも疲労はあったはずである。そこに三対一での白兵戦を繰り返し、更に自分の側にだけ傷が蓄積していくのだ。圧倒的に不利なことは間違いない。
だからこそレッペは疑いを持っていた。ヴェルナーがなにか企んでいるのだろうと言うことまではわかるのだが、何を企んでいるのかまではわからない。
さすがのレッペも内心で焦りの色を濃くし始めたとき、不意にクヌートとリリーが得体のしれない気配を感じると同時に、レッペの背後から声がかけられた。
「遅いので様子を見に来たが、これは何事だえ?」
「申し訳ありません。いささか想定外の事態となっておりまして」
若い女性のような声とともにレッペの後ろまで出てきたのは、奇妙なほど新品の女神官の服を着た存在である。
顔は布をフードのようにして被っているために見えないが、クヌートやリリーが顔を引き攣らせたのは、その人影の後ろに蠢く無数の虫型魔獣の存在があったためであろう。
そのような魔獣の群れを一顧だにせず、レッペが申し訳無さそうな声で応じる。人影がつまらなそうに答えた。
「それならば私が手を貸してやろう」
そう言った次の瞬間、ヴェルナーの全身に動きを縛る光の鎖が巻き付いた。弱体化効果を受け動きが鈍ったヴェルナーがかろうじて一人が切り込んできた一撃を両手で槍の柄を持って受け止めるが、もう一人からの剣による刺突は避けようがない。まともに脇腹に剣の先端が食い込んだ。
もしここで三人目の衛士にも攻撃されていたらヴェルナーは一巻の終わりであったかもしれない。だが呪いの武器の問題がここで発生した。三人目の衛士が切りつけたのはヴェルナーではなく、ヴェルナーと力比べをしていた衛士だったのだ。
後ろから斬りつけられた衛士を蹴り飛ばす形でかろうじてヴェルナーが距離を取る。
「ぐうっ……」
「ヴェルナー様っ!」
ヴェルナーの苦痛を堪える声を耳にし、麻痺毒が抜けてきたらしいリリーが声をあげるが、それ以上はどちらも反応できなかった。女神官の服を着た者が更に呪文を唱えると、隙を見せたヴェルナー、そこに襲い掛かろうとした衛士三人、そして通路そのものを巻き込むほどの暴風が巻き起こる。
次の瞬間、石造りの天井が崩れ落ちた。元々劣化していたところに大型魔法を叩きつけられたため、ついに崩落したのである。崩れ落ちる音の中でヴェルナーの声が上がったようにも聞こえたが、地下水路の中で轟音が反響した錯覚であったかもしれない。
崩れ落ちてきた天井から陽光が差し込んできたのを一瞬だけ確認できたが、次の瞬間には砂埃と土煙がレッペたちをも包み込む。
「また随分派手にやってくださいましたな」
「おぬしらが遅いのが悪いのじゃ」
まだ土煙の舞う中で人の頭よりも大きな瓦礫と土砂が作った小山を前にそう口にしたレッペに対しつまらなそうに女神官が応じる。土砂から突き出ている腕を視認して咽ながらそれに声を重ねたのはクヌートである。
「ヴェルナーは死んだか」
「生きておったとしてもあのわき腹の傷と瓦礫の下ですからな。長くはないとは思いますが……」
「気になるのであればそこの衛士たちに調べさせてはどうか。この者たちも薬を投与してあるのであろ」
こちらも警戒しているように答えたレッペの発言に女神官は興味なさそうに被せた。事実、衛士たちは背後に無数の虫型魔獣がいるのに動揺する様子もない。その女神官のフードに隠れた顔が、茫然としているリリーの方に向けられた。
「それが勇者と呼ばれておる者の妹かえ」
「さようでございます」
「ならばそれは私が預かるかの。前にいる二人とこの二人もあわせた四人で瓦礫を脇に除けさせればよかろ」
大の大人より巨大な虫が衛士と入れ変わるようにリリーの体から自由を奪う。その時になってようやく我に返ったようにリリーが声を上げた。
「ヴェルナー様、ヴェルナー様っ!」
「行くとするかの」
「は。念の為死体を回収させることにいたしましょう」
「好きにせよ」
「ヴェルナー様あぁっ!」
リリーの悲痛な声に誰一人気にする様子を示さない。レッペが衛士たちに瓦礫を片付けるように指示をだすと、多くの虫に囲まれたまま水路の奥へとその一団は姿を消した。




