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その日も地下書庫での作業だったが、地上に戻ってきたらとある噂を耳にしたんで夜になってから戻って来た父に対して情報提供のお願い。
本来ならこの件、俺も当事者のはずなんだが、この世界だと当事者であっても事情が分からないことは往々にしてある。上の方で政治的な決着がついた場合とかは特に。
それにしてもこっちの想像をやや超えてきた。なんとイェーリング伯爵家が王室側に寝返ったんだそうだ。
「責任を取り当主は引退して二十代の息子が跡を継いだ。名目上は病気という事になっている。当主交代の際にコルトレツィス侯爵家との関係もすべて提出した」
「機を見るに敏というべきでしょうか」
状況が不利になっていると判断したのだろう。王家側が用意した寝返る理由を素早くつかんでの転身。今までの経緯から好意的な目で見るのは難しいが、貴族としては正しい判断をしていると言うしかない。
王家側も調査を進めていたところでイェーリング伯爵家から提出された証拠を根拠に大掃除が始まったわけだ。
「新伯爵から我が家やリリーにも届け物が来ている。リリーに対してはセイファート将爵経由でな」
「それはそれは」
皮肉な口調になるのは避けられない。わかりやすい賄賂だなおい。わざわざ将爵を通して来ているあたり、事情を大体承知したうえで妥協点というか手打ちを希望しているという事か。
一方で他人を経由しているという事実そのものが、裏で終わりにするのではなく、公的に謝罪の意を込めているという事にもなる。王家の前でというわけでもないから貴族流公的というか半公的というか、そんな感じではあるが。
前世で言えば裁判ではなく弁護士を挟んでの示談と言ったところか。
「どう思うか」
「不本意ですが王室が認めているのであれば受け入れざるを得ないのでは」
「そうだな」
だがまだ信用も油断もできるわけがない。とりあえずは休戦というレベルで警戒しておくべきだろう。
それに、これはいささか皮肉な理解になるが、俺にだけ特別な立場が与えられているわけではない。非常に逆説的な見方をすれば、国からは俺みたいに勇者とべったりな人間でもうまく使おうという意図を感じる。だとすればイェーリング伯爵家も上手く使おうと考えているはずだし、うちがイェーリング伯爵家との関係をどうするのかという点も国側は見ているはずだ。
ゲームなら全部が主人公に都合よく動くだろうが、現実には一カ所を動かすと玉突き的に他の所に影響が出る。貴族社会のパワーバランスってのも複雑だから、即処断、はいおしまいとするわけにもいかない。政治ってのは面倒くさいなと思うが、俺はそもそも主人公じゃないが。
「ボーゲル子爵が保有していたという例の毒物らしいものに関しては?」
「それに関しては後日話があるだろう」
今の段階では俺が口を挟むなという事ですね。これは国の側の好意があるな。最初からずっと俺が関わると、その毒物を手配した何者かが俺だけを目の敵にしてくる危険性もある。
まだ相手が何者かはっきりつかめていないのであれば、相手の攻撃対象を分散させて、捜査担当者の危険性を下げるのは一つの手段としてありだ。
「コルトレツィス侯爵家の次男は領に逃亡したことが解っている。長男は行方不明だが王都から逃げ出せたかというと怪しい」
「確かにそうですね」
何となくわからなくもない。どっちかと言えば問題を起こして回っていたのは長男だから、そっちをメインに据えていたんだろう。長男・次男とも本当に逃げられたのか、あえて泳がせているのかもわからんけど大臣という立場の父がそれを口にするはずもないか。
少なくとも国側が証拠を並べて次男を引き渡せ、と言った時に侯爵家がどう動くかは一つのターニングポイントになるだろうな。
「その他の有象無象は」
「何人かはとりなしてほしいと我が家に泣きついてきている」
父上、人が悪い顔になっていますよ。恩を売って派閥の力を強くする事を考えるのもこの世界では普通だ。そのあたりは父に任せておけばいいだろう。王都襲撃の時にはうちの指揮下に入る兵力が増えることを期待しておくことにする。
そうなると、差し当たっての問題は教会の方になるだろうか。案の定、父にそっちの話を振って聞いてみると状況はよろしくない。
「神殿内の調査は自分たちの役目だ、と言って聞かないところがあるようだ」
「そうなりますよね」
思わずため息を吐いてしまった。言いたいことは解るんだが本当にこの件では面倒だ。宰相閣下や王太子殿下だけでなく国王陛下もいろいろ手を回しているようだが、いかんせん神殿の壁は厚くて高い。
元々神殿には一種治外法権的なところがある。これ自体は別段珍しくはない。すべての宗教施設がそうじゃないにしても、中世日本にも縁切寺なんてものがあったように、法や権力の届かない避難所という一面がある。
そもそも決闘裁判なんてものが通用するように、法体系の整備が進んでいないからこそ、危機的状況に於いて民衆が逃げ込める場所の存在が必要不可欠な一面があるわけだ。
どうしても王様って言うと絶対王政の印象があるが、中世世界、この世界では中世風だが、ともかく国家権力と法制度が確立していない政治体制における避難所の存在は避けては通れない。もちろん、宗教施設が独自に武力集団を抱えているというのも大きいだろう。
前世でも歴史的には国家権力が確立されるようになって避難所はその力を失ったが、それまではそこに踏み込むのは難しいという、国内に存在する自治領のような存在となる。
その点、前世でしかも二十一世紀に生きていた日本人の俺だとどうしてもその辺りに対する感覚が鈍いんだが、宗教権と避難所の部分に強権的にメスを入れようとすると抵抗が凄い。
日本でそれが薄かったのは戦国時代に織田信長が抵抗勢力と断じて本気で交戦を行い、敵味方合計で十万人にもなろうかという死体を積み上げたうえで結果的に政教分離を進めたことが大きい。
そんな日本でも縁切寺は明治になるまで存続していたわけで、避難所というのは中世風社会では必要性が高く、国家と敵対こそしなくてもどこかに特権を許す物になる。
「国と神殿との関係が悪いとなると、どうしても民からの評判が下がる」
「はい」
この世界では信仰の象徴でもあるほか病院的な部分もある。身も蓋もない言い方をすると、医療面での発展が遅れている関係で、王室でさえ病気になると神殿を頼らざるを得ない事態さえ発生するため、どうしても手心を加えざるを得なくなる。
まして教会、というか神官の魔法に親族を救われたことがある貴族や民の中には、神殿に頭が上がらない、というより最初から上げる気もない家さえあるだろう。
なにより、何のかんの言っても地方にいる末端の神官とかには真面目に人助けをしている人間も多い。そして残念なことに国と神殿の関係が悪化するとそういう真面目な人たちにも影響が出てしまう。
目に見えるところを理由に相手を潰せばいい、というのは独裁者の発想で、強権政治を続けると最終的には自分たちが身動き取れなくなるという事になるんだろうか。社会学はよくわからんなあ。
加えて現状では非常にややこしい事に、第二王女が教会からも認められる聖女であるという事実がある。結果、教会相手に強権を振るおうとすると王室が聖女の立場を損ねるのか、という声が貴族社会からも出てしまう。美少女だからね。
というか、ラウラとマゼルの関係に割り込むのはいい加減諦めろよと言いたいんだが、こればっかりは難しいかもしれない。特にそれに賭けている貴族にとっては。本人の感情の他にお家の浮沈までかかってくるからなあ。
「しかも教会とて一枚岩ではない」
「そうでしたね」
貴族出身と平民出身の派閥抗争がややこしいことになるのは避けられない。権力を欲する野心家が宗教を隠れ蓑にすることも多いし、順序が逆で宗教権を持っている人物が俗世の権力を欲する場合もある。特権の味を覚えている後者の方が面倒かもしれない。
レッペ大神官は教会内の膿を出すのに協力してくれているようだが、派閥が違うと協力してくれないだろうし、同じ派閥でも派閥は同じだが、あいつは嫌いだという意識でのサボタージュも起きる。
いっそ教会全体が王家に対して反抗的であるならまたやりようもあるのだろうが、フィノイの一件もあって最高司祭様は王家寄り。自浄作用に期待してほしいと言われれば無理に割り込んでいくこともできない。ゲームと違って人間関係はクリック一つじゃ進まないなあ。
とは言えツェアフェルト伯爵家の、それも父の執務室の中だけで話をしていてどうこうなる物でもない。とりあえず情報の整理ができたという事で今日の所は良しとしよう。
そう思いながら部屋に戻り、先日気が付いたことを試してみたいと思い、明日実験するから準備をしておくようフレンセンに指示。それらを受けて一度部屋を出たフレンセンがすぐに戻って来た。顔色があまりよろしくない。
「どうした」
「はい、ケンペル司祭の遺体が発見されたそうです」
立ち上がりもしなかったし顔色を変えるようなこともしなかったが、眉をしかめたことは確かだろう。ガームリヒ伯爵に続いて決闘裁判の関係者がまた急死か。
露骨と言えば露骨だし、稚拙と言えば稚拙だ。まるで全く陰謀というものに慣れていない人間が糸を引いているようなこの違和感。陰謀を働いている人間がいますよ、とこっちに教えたがっているような状況だ。うーむ。
「……自殺か他殺かは?」
「外傷はなかったようだと。ですが、まだ伝聞です」
「解った。すまないが明日中にそっちの件も調べておいてくれ」
「かしこまりました」
ネットやらSNSやらがあれば今日中に新しい情報が入手できるだろうが、この世界じゃそれも無理。ひとまず考えるのは止め。
中途半端な噂とかに振り回されるのが一番危険だ。まず情報を確認してから考えよう。




