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ヴェルナーの話だけだとちょっと短くなってしまったので
半分閑話になっています。
ヴェルナーが表の業務に携わる日に、リリーは細々とした書類作業の手伝いをすることもあるが、ツェアフェルト伯爵邸で様々な貴族としての勉強をすることが多い。
ヴェルナーの前世中世よりも女性の社会進出が進んでいるこの世界では、ダンスや刺繍、食事や茶会のルールや、貴族的な言い回しの注意、流行のドレスに関する話題といったマナーに属する部分の他にも覚えなければいけないことは多い。
領の収入、地所の面積、牧場の状況、水車小屋や森林の状況、生産物の多寡や裁判からの収入、近隣領地のと関係などのほか、魔物の出没状況や冒険者の出入りなども確認しておく必要がある。
それらの座学を学ぶ時間にいち段落がついた短い休憩時間の間、さすがに大きく息を吐いているリリーの前にノルベルトが紅茶を置いた。
「あ、ありがとうございます」
「いえいえ。リリーはよくやっておりますよ」
ノルベルトはお世辞ではなく真面目に勉強をしているリリーを素直に評価している。「ヴェルナー様の幼い頃より覚えがよろしいですな」というのは冗談なのか本心なのかよくわからない。
紅茶を飲んで一息ついたリリーが何かを思い出したようにノルベルトに視線を向けた。
「あの」
「なんでしょうか」
「あの、クラウディア様について色々教えていただきたいのですが」
リリーの立場で言えば、最も親しい貴族夫人というのは間違いなくクラウディアである。また、今現在これだけの仕事をこなしている事に関して率直な尊敬があることも事実だ。生まれつきの貴族様は違うという感想を抱いていることも否定できない。
そういった興味から何気なく聞いた質問ではあったのだが、ノルベルトの返答はやや斜め上であった。
「そう言えばリリーは知りませんでしたな。伯爵様と奥方様は、そうですな、世間一般では略奪婚という方が近いのかもしれませんな」
「…………はい?」
きょとんとした表情を浮かべたまましばらくの沈黙ののち、リリーはこてん、と首を傾げた。言葉の意味は解っているのだが、リリーの知る伯爵夫妻と略奪婚という意味がどうしても繋がらないのである。
そんなリリーに目だけ微かに面白そうな表情を浮かべ、ノルベルトは口を開いた。
「と言っても既婚者ではありません。ですが、婚約者から意中の相手を奪う事は貴族では稀にある事ではあります」
「え、あの、どちらが」
「伯爵様が、ですな」
「……あの、え?」
リリーの見ているインゴは言葉は少ないが沈着で思慮深く、文官系貴族の典礼大臣として、いわば人間としての重みを感じさせる相手である。やはりどうしても想像がつかない。
貴族としてのマナーを学ぶ時よりも混乱した表情を浮かべたまま、ノルベルトに視線を向けている。
そのようなリリーを見ながらノルベルトが説明を始めた。元々クラウディアは子爵家の長女である。子爵家と言ってもかなり没落しており、村一つしか領地を持っておらず、下手をすると豊かな男爵家にも劣るような家柄で、かなりの借金もあった。
子爵家には弟がいたこともあり、クラウディアは女性騎士として身を立てようと王都に来訪。そして女性騎士見習いとして学園の警備任務補佐の業務中に伯爵家令息であったインゴと知り合ったのだという。
「伯爵様の一目ぼれであったそうです」
「は、はあ」
もっとも最初の頃はクラウディアに全くと言っていいほどその気はなかったらしく、インゴが訪ねていくたびに『自分は女騎士として身を立てる』『貴族としてふさわしくない』『ダンスも踊れない、マナーも礼儀も詳しくない』と言って追い返すことが続いたそうである。
ツェアフェルト伯爵家の方も最初のうちは令息の火遊びだと静観していたそうだが、それが一年続き、二年続くとさすがにインゴの父も困り始めた。
当時のツェアフェルトは地方の一伯爵家でしかなく、同じ伯爵家の中でもどちらかと言えばその他大勢の側であった。そのため、可能であれば中央に近い、より良い家柄の女性と関係を作りたいと考えていただけに、嫡子の態度には困惑せざるを得なかったのである。
またクラウディアの実家の方も、ヴァイン王国の例にもれず武官系の家との関係を望んでいた。クラウディア本人が結婚に興味を見せなかったこともあるが、文官系伯爵家の火遊びに付き合うなど御免だと考えもしたようだ。
「そこで伯爵家と子爵家で相談し、奥方様にお相手を探して来たのです」
その相手は武官系伯爵家の三男坊で、一応騎士として身を立てていた。もっとも、弱小であっても子爵家と縁を繋ぎ、自分の立場も固めようという意図がなかったと言えば嘘になるだろう。また相手の伯爵家も三男坊を押し込める相手先があるのは好ましい。
クラウディア本人は抵抗していたが、相手側の伯爵家も子爵家の借金をかたにしてこの婚約を推し進めていた。
だが、そのような実家の行動を聞いたインゴの方が苛烈な行動をした。自身、まず子爵家に乗り込み、クラウディアの父である先代子爵に娘との結婚を認めさせるための決闘を申し込んだのだ。
「あの、伯爵様、が、です、か?」
脳が理解を拒否しているのかもしれない。リリーの言葉がとぎれとぎれになってしまっているが、ノルベルトは気にした様子もなく話を続ける。
「さようですな。ご自身の父君に当たる先代様とは殴り合いになりながらも納得させ、最終的には当時の子爵家当主、相手の婚約者、それに奥方様とも騎士としての実力があると証明させるとして決闘をし、最終的に結婚を認めさせたのでございます」
もっとも、結婚式の日にクラウディアは『私は負けてさしあげたのです。旦那様の粘り勝ちですわ』と言ったそうであるが、それが事実かどうかはクラウディア本人にしかわからないであろう。
もはやリリーは言葉も出せず、目を白黒させている。
「当時もあまり話題にはなりませんでしたが、ツェアフェルトも大きくなく、地方貴族の嫁取りであったからでしょうな」
「信じられません」
思わずぽろりと口から出た感想に、ノルベルトは笑みを浮かべる。
「もっともな事ですな。この件はご存じないはずですが、ヴェルナー様も信じないでしょう」
その後、父や相手の子爵家を納得させるためにインゴは伯爵家としての仕事に熱心に取り組み、内政面での功績を認められて王都の外務次官に就任。
そこでの剛直さと武官系貴族の横槍にも毅然として応じる様子を王に評価され、現在の地位につく事になったのだという。
「なので、奥方様も決して貴族夫人として詳しかったわけではありません。後から学んだ結果です」
恐らく、ヴェルナーがリリーを妻に迎えるという事を宣言した時に、インゴはかつての自分を、クラウディアは当時のインゴの表情を思い出すようなこともあったのであろう。
リリーに対する評価も低くはない一方、拒否しても無駄だと思わせるような印象があったのではないか。そう話をまとめたノルベルトに対し、まさかの内容に茫然としていたリリーの耳にクラウディアの声が飛び込んで来た。
「ノルベルト、こんなところにいましたの」
「これは奥方様、何かございましたか」
「後日になりますが、先日の御礼を兼ねてシュラム侯爵夫人をご招待するので、手配を任せたいのだけれど」
「かしこまりました」
恭しくノルベルトが頭を下げる。それに頷いたクラウディアの視線がリリーに向いた。
「リリー、貴女も同席しなさい」
「ひゃ、はいっ」
リリーの反応に一瞬妙な視線を向けたが、一つ頷いてすぐに部屋を出て行った。ノルベルトが笑いをこらえるような表情を浮かべる。
「もと女性騎士であったためか、あのような用件の時にはご自身で足を運ばれるのが欠点と言えなくもありませんな」
「……はい」
そう言いながら部屋を出て行ったノルベルトに対し、少ししてから我に返ったリリーは慌てて後を追った。
なお、この話はリリーもヴェルナーに語ることはなく、わずかにクラウディアの弟である子爵家当主の日記にのみ記されて後世まで残ることになる。
夕刻の酒場はいつでも盛り上がっている。話の内容はしばしば入れ替わる物ではあるが、この日はボーゲル子爵の一件が庶民の話題となっていた。
無論謎の薬の件に関してはまだ極秘ではあるが、それ以外は冒険者たちが包囲に参加したこともあり概要部分はすでに知られている。その上、噂という物には尾ひれがつくものだ。
「そんな悪辣だったのかあ。そりゃヴェルナー様でも怒るだろうなあ」
「あの人は本当に騎士様だからな」
本人が聴けば抵抗するだろうが、現状の世評はまさにこれである。勇者である友人とその妹の為に、他の貴族から憎まれてもおかしくない代理人を引き受けたという、先の決闘裁判の一件は噂にも大きな影響を与えていた。
また、世の中の人間は善悪を分けたくなるものである。
「父親が殺されて母親と弟を人質にされたって話じゃないか」
「そんでヴェルナー様に色仕掛けをしてどさくさに毒を飲ませるよう脅迫していたとか。外道もいたもんだよなあ」
「犯人の何とか子爵ってのは勇者様の妹に横恋慕していたらしいぜ」
時として善意の噂も暴走するものだ。いつの間にかクララの実父が殺されたことになっている。しかもやり方に色仕掛けまで加わっているのだから、ヴェルナーやクララどころかボーゲル子爵が聞いても驚いたかもしれない。
決闘裁判の直後に起きた事件という事もあり、リリーまで巻き込まれているのだから噂に尾ひれが生える一方だ。
「その上、自分を殺そうとしたその子の家族も無事救出したんだろ」
「それどころか、家族全員を安全な伯爵家領に引き取ったとか」
「伯爵家の関係者から聞いたんだが、ヴェルナー様はその脅迫されていた子からの告白も婚約者がいると断ったそうだぜ」
「貴族だってのに真面目な方だなあ」
伯爵家の関係者だがそんな話は聞いたこともない、とフレンセンは酒場の片隅で肩を竦めた。伯爵家関係者とか知人とかから聞いたという噂話が随分広まっているものである。
その前に座ったラフェドは楽しそうにジョッキのエールをあけている。
「いやいや、ヴェルナー様もすっかり有名人ですなあ」
「お前がやっているのではないのか」
フレンセンが半眼で確認を取るが、ラフェドは首を振る。
「噂を広めているのはツェアフェルト伯爵様でございますよ。尾ひれの方は市民に任せているご様子ですが」
驚いた表情を浮かべたフレンセンに、今度はラフェドが肩を竦めた。
この一件は単純にヴェルナーの評価を上げることに繋がっている。代理人として決闘に臨み、犯罪者確保の為に参加した全員に酒を振る舞うような気前のいいところがあり、自身が暗殺されかけたにもかかわらずその犯人にも同情し救いあげる寛大さもある。
民衆が期待する貴族とはこうあってほしいというような姿でさえあり、事実であるにもかかわらず浪費子爵という噂は本当なのか、と疑問を持たせるには十分だ。他の貴族がこの点を攻撃することは難しくなった。
「黒幕側は大慌てでしょうな」
「名は出ておらぬだろう」
「名が出た途端に批判が巻き起こりますよ」
ボーゲル子爵の黒幕が誰であるかはこの際関係はない。あいつが黒幕だ、と名が出た途端に王都での肩身が狭くなることが請け合いなのである。
その意味ではボーゲル子爵も随分と間の悪い時期に動いたものだ、とフレンセンは思うが、ラフェドの見方は少々異なる。
「足手まといになりそうなところを切り捨てた感がありますなあ」
「尻尾切りか」
なるほど、とフレンセンも頷いた。ボーゲル子爵を後ろから煽った人物がいるのだろう。その人物を探すのが一つの目的になるが、それにもこの噂が有効だとラフェドは言う。
「こんな噂は聞きたくないと今まで顔を出していたところにさえ顔を出すのを控えるか、噂を打ち消すために別の噂を流そうとするか。進むにしても退くにしても動きがありましょうからな」
「それでお前はここで噂を聞いて回っているわけか」
「まあそれもありますが、単純に面白がっておりますよ」
澄ました表情でラフェドはそういうと、フレンセンに魔皮紙を差し出した。
「イェーリング伯爵家の件はご存じで?」
「聞いている」
「そのイェーリング伯爵家は某国との交易も行っておりましてな」
ラフェドは小声になり、話を聞いたフレンセンは魔皮紙に記されていた内容を読んで難しい顔を浮かべた。
「……解った。ヴェルナー様にはお伝えしておく」
「よろしくお願いいたします。気前のいい雇い主は生き残ってもらわないと困りますからなあ」
渋い顔を浮かべているフレンセンの前で、ラフェドは屈託なく何杯目かのエールを注文した。
誤用に関するご注意、ご教授ありがとうございます。
気をつけます。




