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嫡子が突然倒れた、という執事の報告があるとすぐに、館の外側には漏れないようにというインゴの指示があり、ツェアフェルト邸は外から見た限りでは表向きは何事もないように振る舞っている。
だが正門前に馬車が用意され、教会や王宮に行くようにと命じられた複数の使者が走り去るなど、もし監視している人間がいれば慌ただしさを感じる事ができるだろう。
そんな中、密かな騒動と混乱の中で、裏口からそっとクララは抜け出した。周囲に人影がない事を確認し、夜の王都の町中を恐る恐る歩み出す。
いくら王都であっても夜の闇の中では犯罪者もいる。ましてクララがこれから向かう所はどう表現しても治安が悪い方に入る場所だ。妙齢の女性が一人で歩くには不安の方が大きい地域である。
途中、何度か後ろを振り返ったクララだが、一度は冒険者らしい二人組の酔っぱらいが道路に何かを投げ捨てているのを見たり、その後には客を探す照灯持ちと、襤褸を纏った物乞いが歩いているのを見かけただけであった。
ちなみにこの世界での照灯持ちは、蝋燭ランプを持ち歩く者と魔道ランプを購入している者に分かれ、魔道ランプを使う照灯持ちの方が雇う価格は高いが信用度も高い。蝋燭ランプの方は追剥が成りすましていることもある。
それでも夜に出歩く町の住人は、照灯持ちを雇わないと王都の中でさえ目的地にたどりつけない事さえあった。まだこの世界には街灯という考えはない。
幸運を祈りつつ半泣きになりながらクララは王都の闇の中を歩き続け、目的の建物にたどり着いて扉を叩いた。中からの声に返答するとすぐに扉が開く。駆け込むようにクララは室内に入り込んだ。
この建物は家庭の竈や貴族家の暖炉などから出る灰を集めて保管しておく、灰回収屋の建物であったものである。そのため、万が一にも燃えかすの中から火が出ても大丈夫なように丈夫な漆喰で作られており、下手な倉庫より中は広く防音効果は高い。
都市では必要不可欠な業務であったが、重労働な上に健康にもよくないため、しばしば店主が早死にすると跡継ぎがいなくなって廃業してしまう。ちなみに集めた灰は都市の中で洗剤用として売ったり、都市外の農地で肥料として使われていた。
「時間がかかったじゃねぇか」
「うまくやったんだろうな」
「も、もちろんです。子爵様をすぐに教会に連れて行くと……」
中にいた十人ほどの男に睨まれ、クララはおびえた様子で返答する。だがそれでも声を振り絞った。
「あ、あの、お母さんと、弟は、無事なんですよねっ!」
「心配するな、後であわせてやるよ」
互いに顔を見合わせ、へらへらと笑いながら男たちが応じる。だが、うち一人が白い目を向けてクララに問いかけた。
「一人か。女の方は連れ出せなかったのか」
「そう言えばそうだな」
「そ、それが……」
男に睨まれたクララが事情を説明する。「ヴェルナー様がリリーの淹れた茶を飲んで倒れたのだから事情を聴かなければならない」と館の奥に連れて行かれ、そのまま監禁状態にされてしまい接触の余地がなかったのだ、と聞いた男たちが舌打ちをした。
「なるほど。ついでに連れだせりゃいい手土産だったのになあ」
「どうするよ」
「とりあえずお頭には誰か伝えてこい。ここには二人残してすぐに出るぞ」
その声に応じて一人が建物から抜け出すと、残った男たちも武装の確認を始める。その男たちの一人にクララが近づいた。
「あの、お母さんと、弟に……」
「うるせぇ」
そういうと男はクララを殴りつけた。その場に倒れ込んだクララを見て男が更に命じる。
「面倒だ、奥の部屋に突っ込んでおけ。商品の部屋には近づけるなよ」
「へいっ」
その指示の間にほとんどの男たちが武器を手にして建物から外に出ていく。茫然としてクララはそれを見送った。留守番の男が小馬鹿にしたような笑みを浮かべる。
「貴族様には急な病死も珍しくはないが、殺されるのは恥だからなあ。毒で死にかけていれば首を切り落とすことも楽なもんだし」
「首を広場あたりに転がしておけば、ツェアフェルト子爵は俺たちみたいな奴らに殺された、って大恥晒すことになるのさ」
二人がそう言って下品な笑いを重ねた。そしてそのままクララを見下ろして嘲笑を浮かべる。
「心配するな、お頭もお前を殺すつもりはないらしいからな。もっともヴァイン王国の外に売り飛ばすつもりらしいから、そこでどうなるかは知らねぇが」
「お前の家族もみんな別々に売り払うとさ。小遣い程度にはなるだろうって笑ってたぜ」
「そっ、そんな……話が……」
愕然とした表情を浮かべてクララが反論を口にしたが、男たちはただ嗤うだけである。一人がクララを見下ろしながら皮肉っぽく口を開いた。
「はっ、貴族様がそんな約束守るもんかよ。俺たちみたいに役に立っていればともかくな」
「違いない」
もう一人の男が応じて笑ったとたん、扉が外から叩き割られた。
ツェアフェルト邸から教会に向かう最短ルートの途中に駆けつけてきた男たちはそれほど待つ必要はなかった。夜の闇の中で魔道ランプの明かりと馬車を引く馬の蹄の音、それに車輪の音は暗闇の中でもすぐに目立つ。
嫡子の毒殺未遂という事件を知られたくないのか、護衛の兵士や騎兵はない。襲撃犯たちはにやりという笑いを浮かべつつ、道の左右に分かれ、物陰に隠れた。
馬車の扉の逆側にいる男が弩弓を取り出す。御者を射抜いたのちに馬車の扉を開けてヴェルナーに襲い掛かり、止めを刺すつもりだったのである。
弩弓を構えていた男が、馬車の魔道ランプに御者の姿が照らし出され、全身外套姿の相手を確認できるまで引き付けてから矢を放つ。
と同時に、それを見越していたかのように御者席に座っていた男が、御者席の横に伏せてあった盾を取り上げ身を隠した。小気味いい音がして矢が盾にはじき返される。
弩弓を持っていた男が驚愕の表情を浮かべた。
「館から教会までの道ならここが狙うのに一番いい所ですからね。貴族を襲うなら殺気を抑えることと、裏をかくようにした方がいいでしょう」
「き、貴様、御者じゃないな!?」
外套で鎧を隠していた、盾を構えた騎士は小さく笑って応じた。
「相手が騎士ではないので名乗る必要もないでしょうが、一応、応じておきましょう。私はツェアフェルト騎士団のバルケイ。空の馬車を襲撃した愚者相手には騎士団が出るまでもないですが」
そうバルケイが言うのと同時に、ガウターの指揮する衛兵隊が襲撃者たちを押し包むように周囲からどっと現れた。十人程度の襲撃犯に対し四〇人を超える人数の衛兵たちである。
何人かが必死に逃れようとして袋叩きにされ、バルケイが御者席から降りる暇もない。少々残念そうな表情を浮かべていたのは、武器を振るう機会を失ったからであっただろうか。
「ご協力、感謝いたします」
「お疲れ様です。向こうの方もそろそろ終わっているでしょうから、こちらはお願いします」
「承知いたしました」
全部衛兵隊の手柄にしてよい、という事になっているガウターはむしろ喜び勇んで抵抗している賊の一人を引きずるように連行していった。その様子を見ながらバルケイは近寄って来た別の一団にも挨拶をする。
「ご苦労でした」
「いえいえ、この程度でしたら」
屈託なくそう言ったのは冒険者パーティ鋼鉄の鎚のメンバーである。もし衛兵隊の包囲網から逃れた人間がいたら追跡するようにと、ヴェルナーがマックス経由で手配していたのだが、結果的には不要となった。
もっともヴェルナーに言わせれば「無駄になるぐらいでちょうどいい」という配置であったので、バルケイも特に文句を言う気はない。鋼鉄の鎚に約束の報酬をその場で手渡し、バルケイは馬車をツェアフェルト邸に戻る方向へと向きを変えた。
「さて、オーゲンの方はどうだったですかね」
「うぐぐ……」
「少し黙れ」
男二人を縄が千切れそうなほど強く縛り上げると、苦痛を訴える相手を軽く殴る。その二人を従卒が確保するのを確認しつつ、オーゲンは不満そうに男二人を睨みつけた。
「まさか二人しかいなかったとはな。こちらははずれだったか。バルケイの方に行くべきだったかもしれん」
残念そうにオーゲンはそう口を開き、次いで床の上で震えているクララを見下ろした。
「クララだったな。子爵閣下の暗殺未遂犯として捕縛させてもらうぞ」
「は、はい、でも、あの、母と、弟が」
「それはそれだ。大人しくしてもらおう」
オーゲンが面倒そうな顔を浮かべたのはこの世界の人間としては当然の反応である。貴族と貴族でも毒殺などの犯罪では相手に厳しく対応するが、平民以下の人間が貴族に手を出そうとしたのであればその罪はさらに重い。同情の余地があっても許されるものではないのだ。これは騎士が女性に礼儀正しく接するのがマナーというのとはまた違う次元の話になる。
無論、騎士団としては忠誠を誓う家の嫡子を殺害しようとした相手に優しくする理由もないというのもあるだろう。クララも男たちと同様に衛兵隊の詰め所に連行するよう従卒に指示を出した。
それでも手荒なことをしなかったのは、ヴェルナーが黒幕に繋がる糸だからちゃんと安全を確保するようにと指示を出していたからである。もっとも、手荒なことをする必要もない状況ではあったのだが。
「分隊長、鍵のかかっていた奥の部屋に妙な包みがありました」
「妙? 何だ」
「中身は何かの草のようです。かなりの量が部屋に積んであります」
建物の中に残党がいないかを確認していた騎士の一人がそうオーゲンに報告をしてきた。一瞬考えたオーゲンは渋い表情を浮かべる。
「それが毒かもしれん。そのまま触れずに衛兵隊に引き渡せ。触ったりして疑われるような真似をするな」
「はっ」
この場に毒物の専門家はいない。余計なことをして被害が出ては主に申し訳もたたない。そのまま衛兵隊に任せるのが一番だと判断し、オーゲンは騎士が走り去っていくのを見送る。
もしその包みが全部毒だったとしたらどれほどの量になるのか。どこでどのように使う気だったのか。そう考えが及ぶと憮然としてオーゲンは小声でつぶやいた。
「この問題、意外と根が深いのではないか? 面倒なことにならなければよいが」




