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俺の手を借りて馬車から降りたリリーを見てシュラム侯爵家の人たちから小さな声が漏れた。気持ちはわかる。借り物のドレスでも元がいいのがあって、そこらの貴族令嬢より綺麗に見えるからな。俺も最初に見たときは思わず見とれた。
今日は招待元が侯爵家で伯爵家の客人を招いたという形になるので、伯爵家の馬車だが母が使う第二馬車の方。
貸し馬車だと伯爵家という家柄なのに“侯爵家の茶会に招待されるほどの客”に馬車も用意できない、と貴族社会でうちが軽んじられることになるため、今日は伯爵家の馬車を使う事になる。貴族に面子は大事。
当の本人は馬車の中で色々注意事項を忙しく復習していたのは忘れてあげることにする。まさかあの試作品の紙を使用する最初の用途が社交マナーと礼儀作法の注意メモになるとは思わなかった。
ちなみに今日リリーと同行しているメイドは母の信頼しているベテランで、リリーのフォローの他にどんなやり取りがあったのかを報告するお目付け役でもある。
「終わるぐらいの時間に迎えに来る」
「はい」
リリーを送り出しながら気配を探り、周囲に怪しい人間がいないかを一応確認。門前で侯爵家の執事らしい人に一礼をしてから馬車を返し、俺はここまで乗ってきていた勇敢で王城に出仕だ。
これが父や母なら馬車を侯爵家に預ける事になるんだが、リリーは現時点ではあくまでも伯爵家の客だから馬車を返す必要がある。母が乗る女性用の第二馬車で俺が王城に出仕するわけにもいかないし、侯爵邸の前から徒歩で王城に向かうのも外聞が悪い。
ノイラートとシュンツェルは前後にちょっと離れた位置で周辺の警戒をしていたが、侯爵邸から少し離れた所で二人も寄って来た。これから王城に出仕だけど、時間があまりないから今日は表の仕事に終始するかな。
「問題はなさそうですね」
「侯爵家が何かをしたり、客に危害を加えられるようなへまをする可能性は低いからな。うちよりマゼルが怖い」
ついでに言えばマゼルを公然と庇うようになった国も怖い。この国と正面から戦って勝つには相当な戦力と時間が必要になるだろう。内部が腐っていればともかく、ヴァイン王国は公平に見てもかなりきっちりした国家だし。
それでもはぐれ者が一定数出るのはこの際どんな組織でも仕方がない事だ。俺も方向性が違うだけで、組織から見ればはぐれ者と言えなくもない。
「その意味では往復の警戒を怠らないようにしておけばいいだろう」
「はっ」
今日はそのまま王城へ向かう予定だったが、途中で見覚えのある斥候と落ち合った。フェリ経由で頼んでいた件らしい。魔皮紙を受け取り代金とチップを支払う。
ついでに別件を依頼したが、そっちは手間と予算がかかりそうだと言われた。ひとまず手付金を追加で渡し、残りは後日という事にする。そういえばいずれベルトの爺さんにはいつぞやの礼をしに行かないと。こういうのは直接顔を出しておくのが大事だ。
「暗躍していますな」
「何とでも言え」
シュンツェルの言い草に思わず苦笑してしまった。そう言われても反論はできないけど、貴族社会からしか見えないものがある一方、市民からしか見えない事ってものもある。
本当は俺自身が町の酒場とかで飲み食いとかしながら情報収集したいけど、最近それも難しいんだよな。子爵なんて地位についたら予算に余裕はできたが自由がなくなったなあ。そのうち自由が亡くなったとかいう冗談を口にしたくなりそうだ。
思わず溜息を吐きながら王城に出仕。城門の所で馬を降りて城内の馬場に預けると俺宛の伝言というか呼び出しがあった。
いやいや、そういうのは先に言ってくださいほんとに。自覚できるぐらい顔色を蒼白にして指示を出す。
「俺はこのまますぐにいく。ノイラートとシュンツェルはすまんが俺の執務室で待機していてくれ」
「はっ」
「解りました」
無駄に広いと内心で王城を罵りながら目的の部屋にたどり着く。廊下を走らなかっただけまだ常識を守っていた方だと思う。
「来たか」
「お待たせしてしまい申し訳ございません」
「かまわん。礼儀も不要だ。急がせて悪かったな」
「当然の事でございます」
ヒュベル殿下が俺を地下書庫で待っているとか、ありえん。螺旋階段を駆け下りるわけにもいかずいろんな意味で疲れた。見覚えのある騎士さんが書庫の前に一人と書庫の中にも一人いるが、どちらかと言えば警護は少ない方だろう。
「まず、決闘裁判では卿らには苦労をかけたな」
「いえ、そのようなことは」
「優先順位を変えることはできなかったが、卿らに負担がかかった事は紛れもない事実だ」
溜息を吐くのはかろうじて堪えた。そういう事か。あの決闘が予定通りの演出であるからこそ、俺を呼ぶのではなく殿下の方から場所を改めてという形をとったわけか。
国にとっては魔王討伐が最優先課題。魔王が斃れ魔物の活性化している状況が沈静化しないと、色々な政策や人的・物的被害など、多くの面で差しさわりが出る。そのためにも勇者の足を止めるような事は避けることが第一。
一方で統治面を考えてコルトレツィス侯爵家を孤立させるような演出も同時に行った。だがそれは同時にマゼルの妹であるリリーをああいう形で見世物にするような形にもなったわけで、その点では多少の遠慮があるわけか。
貴族で臣下という立場の俺はともかく、リリーには気を使っているようだ。かといって王族というのは簡単に謝罪していい立場じゃないからこういう間接的な対応になったわけだな。マゼルやラウラの反応も気がかりという一面もあるだろうけど。
何となくマゼルよりむしろラウラの方が怖いのは気のせいだろうか。顔だけにっこり笑って怒っていそうな気がする。いかん想像したら背筋に寒気が。
「臣下として当然の事でございます」
そう返答すると殿下が軽く苦笑を浮かべて頷いた。我ながら貴族的なやり取りだよなと思う。
この場合「殿下の御意のままに」と応じるなら「部下なので当たり前でございます、何も問題はありません」という意味だが、俺の返答は「ご命令なのでやりましたけど大変でした、できれば二度はご勘弁を」というニュアンスを込めている。
この辺は語気や口調もあるんで毎回そういう意味でもない。本当にやり取りの流れで判断するしかないんだが、今回は意図が通じているのは確かだろう。その表情のまま殿下が口を開く。
「リリーには卿から伝えておいてもらいたい」
「かしこまりました」
「それと、まずガームリヒ伯爵の件だ。卿はどこまで知っている」
「伯爵が病死されたという事までは聞き及んでおります。ご家族も危ういとか」
「この場には卿のみだ。迂遠な言い回しは避けてかまわない」
正直ありがたい。遠慮なくそうさせていただこう。そう思っていたら殿下が言を継いだ。
「それと卿が疑われているわけでもない」
「はい」
どっちかというと俺の方が相手に襲われてもおかしくない側だし。というか、実際に逆恨みされる可能性は考慮していた。その警戒していた相手がいきなりいなくなったっていうのは何が起きているのやらと言いたくなる。
まず最初に考え付くのはコルトレツィス侯爵家が何かしたんじゃないかという疑いだが、今の段階で口にするわけにもいかない。
「死因は判明しているのでしょうか」
「ワインに毒が入っていたようだな。伯爵夫妻とその弟夫妻、それに伯爵家の跡継ぎであった息子と伯爵の甥も同様で、唯一命を取りとめた伯爵の末娘は王宮の侍医団が診ている」
弟が俺と決闘した相手のはずだな。六人死亡で一人重体、それも貴族の邸内で。えらい大ごとだ。
この世界で毒を入手するのは難しくない。蛇などから取れる生物毒、ある種のキノコとかから取れる植物毒、砒素などの鉱物毒も貴族社会ではある程度知識として知られているが、その他に魔物の毒まである。
その反面、魔法のある世界という事で解毒魔法もあったりするんで、貴族家なら毒の事故で死ぬことは比較的少ない。魔法だとどんな毒でも解毒してしまうからだ。夜営中に蛇に噛まれて神殿に行くのが間に合わなかったとかはあるらしい。
とは言え実の所、俺はそこに疑問を感じている。魔法での解毒ってのは何を基準に毒として判断しているんだろう。薬だって飲み過ぎれば毒になる事もある。魔法で毒を判別することはどのような基準で行われているんだろうか。
とはいえ今はまずこの一件だ。貴族なら自害するための毒を持っていてもおかしくはない。おかしくはないんだが、そもそも自殺する理由がない。
何度でも言うが、ガームリヒ伯爵側が俺に毒を盛ったという事ならまだ理解できる。あの決闘裁判で貴族としての面子は丸つぶれだから俺が恨まれていてもおかしくないし。だが起きた事実は逆だ。この程度で自殺するようなひ弱な貴族もいないだろう。
となると、やっぱり自害に見せかけた殺害だろうなあ。
「あの決闘の際に、相手側に不自然な点があったことはご存じでしょうか」
「耳にしている。そのあたりも詳しく調べる予定ではあったが、後回しにした結果失敗したことは否定できんな」
それはしょうがないだろうと思う。決闘裁判で俺が勝った結果、優先順位で言えばまずデリッツダム、次に教会、ガームリヒはその次になるのは避けられないはずだ。
俺があのおかしな様子の相手に負けていたらあの場で殺されていた可能性はあるし、そうなれば優先順位も変わったのだろうけど。
「先ほど別れたばかりだが、セイファートが憮然としていた」
「閣下が?」
確かに黒幕、というか恐らくコルトレツィス侯爵家に繋がる調査の糸がぷっつり切れたのは確かだが。
「現在、当主である伯爵と家騎士団の団長であるその弟が急死した一方、直系の末娘が生きているという状況だ」
「はい」
「つまり、ガームリヒ伯爵家の貴族家騎士団を指揮するのはまだ十歳にもならぬ末娘という事になる。誰が代理になるとしても伯爵家のためなら貴族家騎士団も働くだろうが、王都防衛時の戦力としては遊兵に近い」
「あっ……」
盲点だった。確かにその通りだ。うちでさえ魔物暴走の緊急時に一〇〇人ほどの人数を動員できたんだ。質はともかくガームリヒ伯爵側もほぼ同数ぐらいは動員できるだろう。
その人数が指揮官の交代と士気の低下でいきなり計算に入れられなくなったのか。いっそ一家全員死亡していれば丸ごと解体して再編成できたかもしれないが、末娘が生き残っている以上そうもいかない。
よく考えてみるとクナープ侯爵をヴェリーザ砦で失い、フィノイ前に落城したヴァレリッツのフリートハイム伯、フィノイ攻防戦の後にあったレスラトガと手を組んだバッヘム伯、そして今回のガームリヒ伯と、魔物暴走後に伯爵以上に限定しても四つの貴族家が無力化、あるいは消滅している。
当然その貴族家騎士団はよくて再編成、悪ければ解散だ。戦力にならない。ここにヒルデア平原、フィノイと王都内部の魔族討伐、アンハイムでの戦闘、俺がいなかったそれ以外の戦場もあるだろう。魔物暴走直後と比べても一〇〇〇人分近い戦力が失われているんじゃないだろうか。
相手が魔物か人間かに関係なく、じりじりと国内の戦力が削られているのに対し、魔物はどこからともなく湧いて出てくる。無限に近い回復力の相手に消耗戦を強いられているようなものだ。
思わず嘆息した。なるほど、マゼルの行動に可能な限り制限をつけないという殿下の考えは正しい。今の国際関係は魔王という共通の敵を前にしての不可侵同盟のようなものだ。極論を言うのであれば、魔王が斃れた時に我が国の実働戦力が消耗していれば、今度は他国がどう動くかわからない。
そして王都襲撃という事がある以上、我が国が引き続き魔軍のターゲットになっていることも確か。魔王討伐後まで考えれば、マゼルに一秒でも早く魔王を斃し魔物の狂暴化を止めてもらわないとならない。
ゲームだと国の邪魔とかはなかったが、ひょっとすると裏では似たようなサポートがあったのかもなあ。ちょっと遠い目をしてしまった。
「ガームリヒ伯の件は王室の方で調べを進めるが、当面は身辺に気を付けておくように」
「かしこまりました」
待てよ。確かラフェドが血縁関係を調べてくれていたな。記憶を引っ張り出す。
ガームリヒ伯爵の妻はイェーリング伯爵の妹。そのイェーリング伯爵の妻は確かコルトレツィス侯爵家の女性だったはずだ。ガームリヒ伯爵の親族としてイェーリング伯爵が後見人になると、間接的にガームリヒ家騎士団はコルトレツィス侯爵の派閥に吸収されることになる。
「イェーリング伯爵にも注意すべきでしょうか」
「卿の父には既に伝えてあるが、その通りだ。よく気が付いたな」
感心されたけどあんまりうれしくない。それにしても相手が貴族家か。気を付けるのは俺だけじゃなくて、家族全員という事だな。
相手が来たら噛み付く気は満々だがどうしようかねえ。




