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寒いですが皆様もお体にはご注意くださいませ。
「つ、疲れた」
「お疲れ様です」
私室の机に突っ伏している俺にリリーが茶を差し出してくれた。嬉しいんだが、なんかもうティーカップを持ち上げるのさえ億劫。
今日は予想通り数日分の書類作業……だったはずなのに。いやはや、この世界で縦割り行政の弊害を見ることになるとは思わなかった。
例えばA伯爵家の領地からB伯爵家の領地を通って王都まで荷物が届く予定であったが、数日遅れたとする。するとまずどこで遅れたのか、A家の出発が遅れたのか、A家とB家の間で遅れたのか、B家から王都までの道中で遅れたのかが問題になる。
次になぜ遅れたのかを調べる必要が生じる。書類審査が遅れたのか、道路の不備か、賊や魔物の出没による安全性の確保の問題か。その次に遅れたことによる補償問題や品質が悪くなった場合の賠償問題の有無。そこに再発防止策まで関係してくる。
つまり貴族のA家とB家、道路行政の担当部署、法務関連の担当部署、状況によっては軍部にまで足を運んでそれぞれの報告を聞き状況を確認しなきゃいけない。王城が広すぎるんだよこんちくしょー!
繰り返しあちこち足を運んで事情を聴くのなんぞ面倒くさいと、担当地域内の町がどうつながっているのか、それぞれの道でどんな問題が発生しているかを鉄道路線図のようなものとセットにして一覧表にして、再発防止対策用として提出。
そうしたらそれを一読した担当者が某町のギルドが関係している荷だけが特におかしい事に気が付いた。どうやら流通を故意に遅らせる形で、早く納品してほしいなら賄賂をよこせという態度に出ている可能性が高い、と。製品ならともかく材料だとそういう強引さもできなくもないのは確かだ。
さらに調べていくとどうやらギルド長が交代したあたりから荷の遅れが発生していたらしい。対症療法に近い形だったので時系列で調べる暇がなかったんだそうだ。城内を行ったり来たりする作業をなるべく減らしたい気持ちはよくわかる。
結果、法務関係者が総出で王都にあるギルド支部に強制捜査のような事をする事態になり、俺も現場に同行することに。見事に藪蛇で王城の中だけでなく町まで足を運ぶことになった。うん、やりすぎた。反省してる。
ちなみに前世の事務所強制捜査とかって、テレビで見てるとライトバンに段ボールを一杯詰め込んでるけど、片手で持っていたり、二つ重ねて車まで運んでくる段ボールって中が空の事も多いらしい。
どんなに小さい事務所からでも大量の証拠を押収するぞというアピールを兼ねているんだそうだ。まあそれは余談。
「あの、ヴェルナー様。お疲れのところ申し訳ないのですが……」
「何かあったっけ」
疲労困憊の脳がエラーメッセージを吐き出していたんで、しばらく無心にお茶をすすっていたら申し訳なさそうにリリーが声をかけてきたんで顔を向ける。脳細胞の再起動まで随分待っていてくれたみたいなんでちょっと申し訳ない。
「はい、ヴェルナー様に見ていただきたいものがあるのですが」
「俺に? いいけど。持って来れるようなものかな」
それとも俺が行く必要があるのかと思ったがそうではないらしい。少々お待ちください、と返事をして一度部屋を出て行ったリリーがすぐに戻って来た。何かトレイの上に乗せているようだ。軽々と持っているようだから重さは大したことはないみたいだが。
「これです。まだ厚みとか、いろいろ問題はあると思うのですけれど」
何だか少し自慢げだ。漫画だったらじゃーんとかいう擬音が背景につきそうだな、とか思いながらリリーが机の上に乗せたトレイの上を見る。そこには白い紙束が……って、紙。え、紙?
思わず一枚持ち上げてみた。なるほど確かにまだ結構な厚みがある。手触りも必ずしも俺の知る紙じゃない。表面はざらついていて、前世でいえばこう、ざらっとした壁紙みたいな感じだが、それでも間違いなく紙と言っていい代物だ。
俺自身は経験がないが、学校の体験学習とかで作る和紙のイメージに近い。例えば招待状に使われる高級魔皮紙とかと比べると手触りはよくないが、試作品なら十分な水準じゃないかと思える。
「どうしたのこれ」
「以前ヴェルナー様から作り方をお伺いしたので、似たようなものが作れないかと思いまして。頑張りました」
頑張りましたってそんな簡単なものじゃないだろうと思ったが、事実ここにあるのは確かだ。自分の主観でいきなり否定するのは駄目な奴のやる事。前世のブラック企業の上司になったらいかん。
ここ数日、俺は決闘に対しての訓練だったから、その間リリーはずっと伯爵邸で勉強だったはずで、それなりに時間はあっただろうけど。裏返したり撫でたり透かしてみたりしてからリリーに視線を向ける。
「よく紙漉きとかできたなあ」
「母と一緒にいろいろ試してみました。あの時ヴェルナー様が動作そのものは見せてくださいましたから。道具は木の枠に布を張って作りました」
そう言えば紙漉きってこうやってやる、みたいな事をしたような記憶もある。逆に言うとあの程度の物真似でやったからこの厚みになったのだろう。もう少し丁寧に説明するべきだったかなあ。
「材料は?」
「繊維質の植物を使って作るとお伺いしましたから、ケーテ麦の麦藁と木綿布の屑、それに少しだけレーフトルの繊維を混ぜて蒸煮してあります。父が時間を見つけて作業してくれました」
石臼か何かで磨り潰したんだろうか。リリーの両親は料理人だから普段から火を使っているのもわかるし、蒸煮のための道具もあっただろう。俺の方が詳しくないぐらいかもしれない。何となく納得してしまった。
ケーテ麦もそうだがレーフトルって木もこの世界独自の植物、だと思う。少なくとも前世では見たことがないが、前世でも植物に詳しかったとは言えないんで断言はしない。
これを素材にしたものは貴族はあまり使わないが、レーフ布という手ぬぐいなんかに加工される。前世で言うと亜麻布が近いかもしれない。そう言えば前世には麻紙があるぐらいだから案外近い植物なのかも。
ケーテ麦の麦藁は俺の知ってる藁より色が白い。ついでに言うとこの世界の農村住居は前世での中世同様、藁で藁葺屋根を作っている事も多い。だから麦の種類はともかくとして、藁そのものは村落の生活では身近だ。
藁から作る紙は藁葉紙として奈良時代からあったし、木綿屑を混ぜるのも説明したような記憶もなくもない。ただそれにしちゃ随分白いな。
「よくここまで白くなるなあ」
「あ、それは……」
数種類の植物からとる果皮に灰と歌詠鳥の糞になんかの鉱物を砕いて加熱したものを混ぜて作る漂白剤があって、それで材料を洗ったのだという。作り方も聞いたが、材料の方が全く聞き覚えのない固有名詞ばっかりだったので理解はあきらめた。植物は詳しくないんだよ。
この世界にも前世の植物、例えばケシやトリカブトもある。桜は見たことないけど。そして俺はというと、ケシの花を見てもそれがケシだと気が付かないんじゃないかというぐらいのレベルだ。
ケシからアヘンができるとかトリカブトから毒が取れるとかは知っているが、その辺は知っているという程度で実用水準じゃない。とは言え前世の知識で作り方を知っていたら問題がありそうな気もするし、この世界でも貴族の一般知識じゃないのは確か。
それにしても、ここまで白くなるのはいっそ白く染めてるんじゃないかと思ったが違うらしい。色物を洗うとものすごく色落ちするので普通は白い布にしか使えないのだそうだ。
「結構使いにくそうだ」
「そうですね。宿でもベッドのシーツとかにしか使いません。でもお客様のつけた汚れが綺麗に落ちるので、そういう所では良く使っていました」
思わず変な声を上げそうになった。よく考えてみればRPGではダンジョン脱出直後とかに泊まった宿のベッドシーツでもいつも真っ白だったもんな。まさかこの世界限定の超強力洗浄漂白剤があったとは。
もともと業界独自の技術なんてものは簡単に外には流出しない。ネットもないし、子供のころからそれを普通に使っていると世界中どこででもあると錯覚してしまい、話題にしないから逆に広がらなかったりする。これもそういうものなんだろう。
貴族が洗剤に詳しい方がおかしいと自分を慰めておきたいところだが、この世界にはこの世界の動植物があり、経験則であってもこの世界独自に発展してきた技術がある。前世の知識が何でも優れていると思い込んでいた。ちょっと反省だな、これは。
ちなみにこの世界では前世と違い、寝具には法規制がない。前世の中世では平民のベッドに使うマットレスは藁の上に布を被せたもの限定で、布の端切れさえ入れることは許されなかったこともある。
寝具でも階級を差別化していたわけだが、この世界だと平民が布地を使っても許される。魔皮紙に使えないような魔物の皮を有効活用するためという目的もあるあたりがこの世界らしいとも言えるだろうか。
「その辺の材料もだし、レーフトルとかよく手に入ったな」
「相談に乗っていただいたノルベルトさんが手配もしてくださいましたから」
「ノルベルトが?」
「はい。繊維質の木の種類とか、いろいろ助言もしていただきました。試作品は念のためヴェルナー様に見ていただいてから伯爵様にお見せしたほうがいいでしょう、とも」
ノルベルトめ、まず俺がリリーを褒めろと、こういうことだな。その一方で父に見せろというのは領の新しい特産というか製品にしたいと言う意図もあるんだろう。うーむ。とりあえずは。
「よくやってくれたね。凄いよこれは」
「ありがとうございます」
花の咲くような笑顔は俺にとっても目の保養だが、製品にできるかどうかとなると別問題だ。何より問題になるのは専門の紙漉き工がいないと量産はできんし、そもそも安定供給が今のツェアフェルト領で可能かどうかわからない。
売るためには市場を準備し数を整えるのが難しい。市場という意味で言うと、そもそも識字率が高くないから紙を使う層が限られているというのがある。前世では紙も羊皮紙も高価だが、識字率が低いので需要と供給としてそれで成り立っていた。
この世界では前世の中世より識字率は高いと思うが、羊皮紙より安い魔皮紙が普及している。代筆業者もいないわけではないが、書く道具として紙を普及させるには、識字率を向上させて新しい市場を作り出すぐらいでないといけないだろう。
いい製品でも時代が早すぎて市場が成熟していないと売れないということは往々にしてある。前世のココ・シャネルは優れた人物だったが、民衆でも香水を使えるようになっていた時代に生まれていなかったらあそこまで名前を残せたかどうか。
「これ、数を作るのは難しいよな。リリーも忙しいだろうし」
「そう、ですね。藁や木綿屑とかを磨り潰すのも大変みたいです」
予想通りの返答。細かくするのは前世だと水車とかでやっていた部分だしな。手作業でやるのはさすがに非効率すぎる。
いや待てよ。珍しい物で数が少ないという事は希少価値があるという事だ。しばらく考えてから口を開く。
「リリー、悪いけど画材を用意してくれないかな。柑橘系の果物の皮とか厨房に残っていたらそれも何種類か持ってきて」
「え? は、はい」
文中のレートフルという植物も作中限定です。
歌詠鳥はウグイスの別名です。でもこのファンタジー世界では違う鳥かも。
江戸時代あたりまで、ウグイスの粉こと鶯の糞を漂白剤や化粧品として使っていた事はご存じの方も多いかと思います。生地の染料を落とすのにも使っていたそうですね。
植物はムクロジやサイカチ、オリーブや葡萄の皮あたりのサポニン系をイメージしています。
「なんかの鉱物」と言うのは異世界版のトロナかもしれません。
トロナから炭酸ナトリウム(ソーダ灰)が採れて、その炭酸ナトリウムを薪の上で加熱させることで、湿気と二酸化炭素の反応を起こし、炭酸水素ナトリウム(重曹)に変化させたそうです。
ただ何でも真っ白にするのはファンタジー世界だからです。




