――168(◎)――
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決闘裁判当日。空はよく晴れており、会場には早朝から観客が詰めかけている。全体として貴族席が多いのが通例ではあるのだが、今回は市民に開放された席も広い。決闘裁判の内容が内容である。多くの市民が気にしているため注目度が高い。
どこの世界にもそういう人間はいるもので、非公式かつ会場の外の話ではあるが、どちらが勝つかの賭けも行われているようだ。
会場で審判席になる所に教会代表としてのレッペ大神官が座り、左右に告発者と被告人が座る。名義のみであっても告発者となったガームリヒ伯爵が憮然とした顔を浮かべ、代理被告人となったリリーはと言うと、会場のあまりにも多くの人に緊張して落ち着かない様子である。
これは観客の態度もあるかもしれない。大多数の市民と貴族の半分近くはリリーの側に好意的、あるいは同情的な視線を向け、残りの一部はガームリヒ伯爵に目礼はするが近づこうとはせず席に座っている。今現在、そんな真似をすると国に睨まれるという深刻な理由もあっただろう。
決闘裁判を王太子の名で行う事にするという形で、国を挙げて勇者を庇う意向を示したのだ。勇者が危険だと思っている貴族であっても、判断力が平均並みにあれば今の段階では口を閉ざすことを選ぶ。
そして主犯のコルトレツィス侯爵家はこの件では表向き隠れているため、結果的には告発に手を貸したガームリヒ伯爵など数名の貴族が孤立しているのに近い状態となっていた。
この事態にはヴェルナーも多少加担している。ラフェドに指示をして、この裁判の件では偽造書類による誣告を教会も不快に思っているらしい、との噂をガームリヒ伯爵に近い貴族に流したのだ。
根拠は全く示さない噂レベルではあるが、元々国王が勇者に期待していたのは貴族社会では周知の事実である。そこに教会まで不快に思っているとなると、ガームリヒ伯爵に加担するのはリスクが高くなりすぎる。結果、ほとんどの貴族が自然とこの一件には距離を取って様子見をするようになっていた。
このため、ガームリヒ伯爵は武勇に優れた貴族や騎士に何人も代理人の打診をしたのだが、すべて断られてしまっている。中には断る理由ができた、と思った貴族もいたに違いない。
当日のこの決闘場においては、告発側と被告側には互いに声を交わしてはならないという規則があるが、他人が話しかけてはいけないという事はない。とは言え平民は話しかけることができる席はなく、貴族たちの多くはあえてどちらにも近づこうとはしていない。
そのような空気の中で、貴族服を着た若い男が高圧的な態度を隠そうともせずリリーに向かって近づこうとした。理由は解らない。ヴェルナーからリリーの傍にいるように頼まれていたアネットが立ちはだかったためである。
男はむっとした表情を浮かべてアネットを睨みつけた。
「あの平民に用がある。女、そこをどけ」
「申し訳ありませんが応じかねます」
「貴様、この俺が誰だか……」
「誰であろうと、そのような態度と表情の方を近づけることはできません」
アネットのその反応を受け、男が怒鳴りつけようとした直前、男の後ろから別の声が割って入った。
「ここで騒ぐと大神官殿の耳にも入る。卿の方が引いたほうがよいのではないかな、クヌート卿」
「セイファート将爵……」
地位を振りかざそうとしたところで、さらに上位の人間が声をかけてきたのである。男が目に見えてひるんだ。セイファートの方はというと、もはや相手にもしないという表情でアネットに声をかける。
「やれやれ、遅くなったの。向こうの席は空いておるかね」
「は、はい、空いております」
「ではそこにするかの」
そう言ってクヌートと呼ばれた男の横を通り過ぎたのはセイファート一人ではない。ダヴラク子爵やクレッチマー男爵ら、地位は決して高くないが実戦指揮官として勇名を馳せた貴族たちが何人もセイファートと共にその近くの席に座る。
「一度ツェアフェルト子爵とは手合わせをしてみたいものだ」
「卿が相手では子爵の方が逃げるのではないか」
そのまま男を無視して話が盛り上がりはじめた。が、男はその一団を割っていかないとリリーのところまで行くことができない。リリーを睨みつけると舌打ちして男が身を翻した。
「あ、ありがとうございます、閣下」
「気にせんでもよい。騒ぎを未然に防いだのじゃ。よくやってくれた」
アネットの謝礼にセイファートが短く応じた。視線は試合会場の方に向けたまま、小さく口の中でつぶやく。
「あれがコルトレツィス侯爵の長男か。今日はともかく、後日別の騒動が起きねば良いがの」
控室と言う表現でいいのだろうか。待機部屋にまでざわめきというか熱気が流れ込んでくる。考えてみれば魔物やら魔王やらで何となく不安感がある世相の中で、久々のお祭りだし、観客が増えるのはしょうがないのか。パンとサーカスのサーカスってわけだ。
前世では決闘裁判は日の出とともに始まる事が多かったらしいが、少なくとも今回は明るくなってからやることになっている。普通の決闘と同じ扱いだ。ちなみに普通の決闘は日が中天に達してから開催されていた。
早朝ではなく昼開催という事で、何というか見世物にする気満々だな。誰に対して見せるつもりなのかは何とも言えんけど。
そもそも競技としての馬上試合ならともかく、決闘裁判はしばらく開催されたことはない。少なくとも俺の記憶では二十年近くやったことはないはずだ。物珍しさみたいなものもあるのかね。
このあたりはこの世界でのルールという事になるが、決闘では武器の種類さえ守っていれば本人愛用の武器を使う事は許可されているものの、相手を殺してもいいわけではない。死んじゃったらしょうがないけど殺さないようにやれよ、という実に微妙なバランスで成り立っている。
回復魔法とかそういうものがある世界だとその辺がルーズになるのかもしれない。前世みたいに数日後に死亡とかいうことが少ないのは確かだ。
少ない、であってないと断言できないのは、おおよそ一三〇年ほど前に“治療中の事故”で繰り返し問題を起こしていた貴族が決闘後に死亡した例があるから。魔法で事故ってあるのかを聞くのは野暮である。その件では家族でさえ問題にしなかったらしいから相当な鼻つまみ者だったんだろう。
俺が今いるのは戦う人間の待機部屋なんで、俺以外はうちの従卒がほとんど。立会人の一人が部屋の隅にいる。名目は武器に細工をしたりしないかのためにだ。毒を塗ったりするのはさすがに禁止。当たり前か。
食べ物は用意されていないが飲み水ぐらいは準備がある。これも審判、今回は教会が用意したもので、外部からの持ち込みは禁止。食欲があるわけじゃないから気にはならない。
ただ、許可が出ればこの部屋に面会希望者が入ることは認められている。ただしこの決闘裁判の場合、差し入れや持ち込みも禁止。恐らくだが、面会希望者も全部リスト化されるんだろうな。相手側の面会者なんか間違いなくコルトレツィスに近い人物だろうし。
それはそれとして俺の所にもいろんな奴が顔を出してくる。学園のクラスメイト達が何人も顔を出してくれたのは素直に嬉しい。簡単な近況報告会になってしまった。たまに女生徒が「マゼル君のために負けないで」とか言ってきて苦笑するしかなかったりするが。相変わらず人気者だねえ。
あと俺に対して色目使ってくる貴族のお嬢さんがいたが、礼だけは言い丁寧にお引き取り願った。俺は左遷されてはいるがそれでも結構な高官だからそういうのも出て来るか。意外と少なかったのは浪費子爵の評判のおかげかもしれない。
今回は決闘裁判だから余計な物がないのは助かる。競技としての馬上試合だと令嬢から親愛を込めたハンカチなんかが渡されたりするらしいからなあ。俺はそういう競技に参加したことがないんでそんな経験もない。
まあそれでもハンカチぐらいならいいと思うが、前世で本を読んだ時にさっぱりわからなかったのは、中世の一時期、令嬢が「下着に縫い付けていた袖を思いを寄せる騎士に贈る風習があったらしい」というものだ。
前世では手というものが特別視されていた時期と言うのは確かにある。聖人に触れられたところから病が消えたとかそんなところからだが、王の勅使は王から手袋を預かったとか、騎士になる際に剣を肩に乗せられる儀式、あれも元々は王が剣ではなく手を乗せていたとされている。呪術の部類に入るが栄光の手なんかも手の力を魔術的に利用しようとしたものだな。
いずれにしても手袋と同様に袖を贈る風習というのまでは理解できるんだが、下着に縫い付けた袖限定なのは謎。もっともその記録そのものが伝聞形式だったから、書かれた時には既に間違って伝わっていた可能性もあるか。
「ツェアフェルト子爵、準備が整いました」
「解った」
余計なことを考えているうちに時間が来たらしい。接近戦になった時に使う剣を腰に下げ、槍を手に控室を出る。通路は人払いされていて他の人間はこの場にはいない。いたら何かの罠だ。
会場までの廊下が直線じゃなく曲がり角があるのは、何かが飛び込んでこないようにしてあるんだろう。何せこの世界、魔法使い同士による魔法決闘というものもある。流れ弾ならぬ流れ魔法が控室に飛び込んだら困った事態になるはずだ。
決闘によっては火や水といった特定の属性魔法しか使っちゃいけないとか、接近戦距離に入るのは禁止とか、魔法決闘は魔法決闘で複雑なルールがあるらしいが、俺には関係がないんで全く覚えていない。
ともかく控室から少し歩いて会場に出る。急に太陽の下に出たんで眩しい。観客の大歓声が聞こえるが、冷静に冷静に。場に飲まれるのも調子に乗るのもだめだ。一度立ち止まり深呼吸。
「さて、と」
俺が動くことで王太子殿下や宰相閣下の動きが目立たなくなるわけだから、囮役はきっちりこなしますよ。




