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番外 何もしてないの?


「何もしてないの?」

怪訝な顔のサエに聞かれた。

「え?何もって?」


「だーから、あんたの彼氏とよ。付き合い初めて随分経ったでしょ?何もしてないの?」

うーん。最近涼しくなってきたなあ。今日はお日様がぽかぽかして気持ちいい。

真昼間だ。しかも人通りは少ないとはいえ、往来だ。

「真昼間からする話?」

縁台に座るサエを見下ろし呆れて言うと、サエが子供みたいに頬を膨らませた。

「あたしの他に客いないじゃないのよ」

「まあ、そうだけど」

「あたし、恋人になったらそういう事するものなのかと思ってたけど、そうでもないのかしら」

この話題を引っ込めるつもりは無いらしい。

「そうでもない人もいっぱいいるんじゃないの?人それぞれだと思うけど」

サエは片手を頬に当て考え込んだ。

何で悩んでいるのか分かるような気もするが、身内のこういった話は正直あまり詳しく聞きたくない。嫌々尋ねてみる。

「どうしたの」

「うーん。あんたも何もしてないんだ。祝言前だからって、唇くっつける位何が問題なんだって思うんだけどね」



「この間サエちゃんと真昼間から凄い話してたね」

今日は待ちに待った大雨だった。

前回の大雨の日がすごく楽しかったので、本当に首を長くして待っていた。でも今日は、冬之助様の休演日ではなかった。

昼までの舞台を終えた冬之助様がうちに顔を出してくださった時は、いらしてくださると思っていなかったのでとても嬉しかった。


「え?あ、あれはサエが勝手に!」

慌てて否定したが、きっと真っ赤になっている。

あの後冬之助様がひょいと顔を出された時は、心臓が止まるかと思うほど驚いたのだ。サエもそそくさと帰って行った。流石のサエも恥ずかしかったのだろう。

冬之助様は可笑しそうにくすくすと笑われていた。

「分かってるけど、君がそんな風に人のせいにするのも珍しいね」

「・・・だって!」

冬之助様は、狭い小屋の中に押し込んだ二つの縁台で斜めに向き合う様に座っていた私の頬に手を伸ばされた。

「真っ赤だよ。よっぽど恥ずかしかったんだね」

指の背で撫でられて、綺麗に微笑まれて、物凄くどきどきした。

この間の事も確かに恥ずかしかったけど、今赤いのは、どう考えても冬之助様が近すぎるせいだ。


「いや、でも分かる気がするよ」

「え?」

私の顔から手を下された冬之助様がそう呟かれた。

「サエちゃんはたかが口付けって言ってたけど、男にとっては一大事だからね。特に好いた子に口付ける場合はね」

あ、この話続けるんだ。サエの時と似たような気分になった。

「そうなんですか?」

何となく相槌程度に尋ねると、冬之助様がにっこり笑われてちょっと驚いた。

「そうなんです。梅ちゃん、経験ある?」

「え?いえ、ないです」

「そう。良かった。清秋としたことあるとか言われたらどうしようかと思ったよ」

「いえ。ないです」

清秋様のことに関してやけに思い悩まれがちな冬之助様に誤解させてはならないと、もう一度きっぱり否定すると笑われた。


「ありがとう。確かにね、それだけなら大事には至らないと思うんだ」

「へ?」

意味が分からず思わず間抜けな声が出てしまった。

「問題は、それによって男が興奮して、結局口付けだけじゃ済まなくなっちゃうことにあると思うんだよね」

あ、ああ。成る程。たかが口付けでも、そこから子供が出来ちゃう行為に繋がってしまう可能性が高いと。

「それは、一大事ですね」

サエに教えてあげよう。


真面目に納得していると、冬之助様の身体が近付いて来た気がした。

あれ、と思っているうちに、少し傾けられた綺麗なお顔が目の前まで迫っていた。

「え」

唇に柔らかい感触が押し付けられ、ついばむ様にして離れて行った。

冬之助様が、いたずらっ子のお顔で可愛らしく笑われていた。


「忍耐には自信が有るんだ。サエちゃんの相手はどうなのか知らないけど、私は口付けだけでも耐えられるよ。梅ちゃんもしたくなったら遠慮しないでね」

唇を押さえて固まる私に、冬之助様が少しずつ顔色を悪くされて行くのが分かった。

「ごめん!嫌だった?ああ、参ったな。ごめんよ梅ちゃん。もう二度とこんな勝手なことはしないよ。許してくれるかい?サエちゃんの話を聞いたらどうしても梅ちゃんに口付けたくなっちゃって」

いつにない焦ったその様子がおかしくて、耐え切れずに噴き出した。


冬之助様が安心したように息を吐かれて、それから苦笑された。

「忍耐に自信がおありだったのではないのですか?」

「本当だね。言いながら自分でもおかしいなと思ったよ。ごめんね。もうしないから」

ちょっと寂しそうな冬之助様の膝の上の両手に私が手を重ねると、不思議そうなお可愛らしいお顔で私を見つめられた。

すぐそこにある形の良い綺麗な唇に、ちょんと自分のそれをくっつけた。

「びっくりしただけです。全然嫌じゃありませ、」

最後まで言い終わらぬうちにぎゅっと抱き締められて、冬之助様の可愛らしいびっくり顔が見えなくなった。

「ああ、駄目だ。やっぱり梅ちゃんからするのは禁止だよ。耐え難い欲求が・・・・」

凄くどきどきしたけど、冬之助様の声は優しく落ち着いていて、彼の腕の中は安心だった。

背中に回した手で冬之助様の肩をぽんぽんと叩く。

「我慢ですよー」

「・・・・・・・」

私の為に欲求に抗う努力をなさっているのかも知れない優しくて可愛い冬之助様の、微かなうなり声さえ愛しかった。










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