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前言撤回そしてお終い



矢野様は忙しい合間を見て店へいらして下さっていたが、その時間は本当に短くて、顔を見るだけで帰っていかれる日々が続いた。

まあお顔さえも見られないのと比べれば、どちらが良いのかは明らかだ。

その為に矢野様が無理をして私に会いに来てくださっていることも明らかだった。



伝えたいことを胸の内に抱えたままの状態にもどかしくなり、ついに自分から矢野様に了解を得て、あの池のほとりへ来ていた。

「 楽屋に入って待っててくれたら一緒に来たのに」 

今日も急いでいらっしゃった様子の矢野様は開口一番にそうおっしゃった。

「 うーん。勇気がありませんでした・・・」 

矢野様の仕事場である座の前に群がる、この御兄妹を待っているのであろう女性達の数におののいたのだ。

矢野様は私の表情から理由が分かられたのだろう、苦笑いで答えられた。

「 まあ、あそこは通りたくないかもしれないけど、裏から出れば何とかなるから」 

そうだ、私は建物の中に入ることさえ躊躇われたが、入れば今度は矢野様と二人で出てこなくてはならないのだ。

「 ・・・・ここで待ってるほうが安全な気がします・・・」 

矢野様も苦笑いのまま黙っておられた。同感なのだろう。

「 今日は時間を聞いてましたから、ほとんど待ってませんし」 

「 じゃあ、今度からは夢屋で待ってて。迎えに行くから」  

また来ても良いのだと嬉しくなった。

「 はい」


そして、サエに怒られた話をした。

「 と言う訳で、前言を撤回させてもらえますか」 

矢野様は穏やかに微笑みながらおっしゃった。

「 と言う訳でって、サエちゃんに言われたからってこと?」 

動悸がうるさいがいつものことなので、努めて平静に正直に伝えた。

「 違います。他の人に矢野様をとられたら嫌だからです」 

「・・・はあ。今日も可愛いね・・・」 

しばらく真顔で私を見つめていらした矢野様は、そうおっしゃると何故か両足に肘をついて、がっくりと頭を落とされた。

「 お付き合いはしてもらえないってことですか?」 

矢野様の様子を映した自分の目に水分が滲み出してくるのを感じた。

「 え?どうして?どうしたの!?」 

矢野様は私の顔を見てあわて始められた。

「 だって、喜んで下さるかと思ってたのに・・・」 

「 ごめん!泣かないで!違うんだよ」 

矢野様は私の髪にそっと手をふれられた。

兄さんのがしがしかき回すのとも、清秋様の優しくぽんぽん叩かれるのとも違う、そうっと置くだけのものだったが、酷く胸が鳴った。

「 そうか、こうやってすれ違っていくんだね・・・」

矢野様が私の頭をよしよししながらしんみりとおっしゃった。

「 あ!やっぱりまた何か考えていらっしゃるんですね?だからちゃんとおっしゃって下さいって、」

勢い良く顔を上げ言い募る私を、矢野様が穏やかに遮られた。

「 うん。ちゃんと言うよ」 

私の頭からおろされた手が膝に戻されるのを名残惜しく思っていると、矢野様が静かに言葉を続けられた。


「 君が私のことを好きだと言ってくれたろう?」 

「 はい」 

矢野様はどう言おうか考えるように、一度躊躇われてから、困り顔でおっしゃった。

「 その気持ちは清秋に対するものとどう違うんだろうかと思ってしまってね」 「 え?」 

「 わざわざこんなことを君に考えさせて、振られたくはないんだけれど」 

「 ・・・」 

「 ああええとだね。君はこれまで誰かに惚れた経験はないだろうと、善太郎に聞いていて、」 

「 はい」 

矢野様は私を傷付けないようにだろうか、考え考え話されていた。

「 清秋は兄の様な存在だが他の男より特別に好いているのだろう?」 

「 分かりました」 

「 え?」 

矢野様は軽く目を開いてこちらを見られた。

「 分かったと言ったんです。私が矢野様のことを本当に好きなのか疑っておいでなのですね」 

「 いや、違うよ!君はちゃんと好いてくれてると思っている、」 

「 でも、それが男の方としてじゃなくて、清秋様と同じように兄みたいな種類の好きじゃないかと思ってらっしゃるんでしょう?」 

「 ・・・・・」 

「 そうなんですね?それで、私は男の方を好きになったことがないから、自分では本当に好きだと思ってるけど、結局は清秋様と同じなんじゃないかと!思ってらっしゃるんですよね?」

「 怒ってるね・・・」 

矢野様は椅子の端に寄って私を警戒されているようだ。 

「 当たり前です!私がそんなあやふやな状態で矢野様に好きだなんて言うわけないでしょう!」 

「 前から好きだ好きだ言ってたじゃないか・・・」 

「 ・・・・・」 


私は悩み続けた自分の気持ちを疑われたことに憤慨していたが、矢野様の納得のために良く考えた。

「 言ってましたね。言ってましたけど!清秋様とは全然違うって分かってるんです。だから、大丈夫なんですよ」 

矢野様に信じてもらえるように、疑いを隠せず戸惑うように揺れる矢野様の目をじっと見つめて、洗脳するようにもう一度言った。

「 大丈夫です!」

「 ・・・そんなこと言われたって、信じたい気持ちはあっても、気になるものは気になるよ。気持ちは分かってくれるかい?」

「 はあ。・・・・分かります」 

洗脳には失敗したようで、私も肩を落とした。

「 私が恋心を理解出来てるのかを疑われてると、証明の方法が思い付きませんね。私が好きだっていくら言っても無駄ってことですものね・・・」

「 無駄って訳では・・・・。言ってくれるととても嬉しいよ」 

「 でもその度に、本当に清秋様とは違うのかなとか思ってらっしゃるんでしょう?それならもう言いません・・・」 

「 嫌だよ!やめてよ」

矢野様があわてて子供の様におっしゃった。

「 そんな可愛くおっしゃったって駄目です。・・・あ!」 

思い出した。これならどうだろう。私の恋心の証明になるだろうか。


「 どうしたの?」 

矢野様が怪訝そうにおっしゃった。

「 思い出したんです。うちで倒れられた時に、そんな風に嫌だ、って子供みたいにおっしゃったことがあったでしょう?」 

「 子供・・・」 

矢野様はとても衝撃を受けられたようだったが、今気にしてもらいたいところはそこではない。

「 その前に、熱がおありになって覚えてらっしゃらないかもしれませんけど、矢野様が私を、ええっと、抱きしめられたんです」

恥ずかしい。すごく恥ずかしい。 

「・・・・・覚えてるよ。あの時は悪かったね、君の同意も得ず」 

「 いいえ、私嬉しかったんです。どちらかというと離れたくなくて、」 

「 え?でも、君」 

「 ええ、引止められたけど私が外に出ましたね。でも先に、一人で戻らないでっておっしゃったのは矢野様ですよ。何するか分からないからって。で、その時私も思ってたんです」

言葉を切った私を矢野様が見つめられた。

「 何を?」 

どうして私がここまで言わなくちゃいけないのかという腹立ちもかすかにあったが、矢野様に私の気持ちを信じてもらいたいという思いが打ち勝った。


「 このまま居たら、・・・・・・・私が襲ってしまいそうって思ったんです」  

言った私は、声音こそ平静だったかもしれないが、真っ赤になっていたと思う。

こんなことを言葉にして矢野様に伝えた羞恥もあったし、あの時の扇情的な矢野様の姿を思い出した所為もある。

矢野様は口をわずかに開けて私をみつめたまま、呆けたようにしていらっしゃった。


「 何とか言ってください!矢野様の不安がなくなるように、恥ずかしいけど頑張ったんですから!」 

矢野様は私の声にはっとして口元を引き締められると、そっと私を抱き寄せられた。

ともに腰掛けたまま抱きしめられて、かすかに汗のにおいのする首元に顔を埋めると、大好きな優しい声が耳元をくすぐった。

「 これも嫌ではない?」 

「 当たり前です」 

顔を上げ声を出す余地を確保して、努めて平静に答えた。

内心は胸が高鳴って息苦しいほどだった。

「 私に男を感じてくれるの?」 

吐息のような声にもその内容にも、頭がのぼせてくらくらしそうだった。

「 何かいやらしい言い方ですね・・・」 

「 違うのかい?いやらしい意味でないと困るんだけどな」

からかっていらっしゃるのではなくて、本当に困惑されていらっしゃる様だった。

「うーーー!違いません!・・・・・いやらしい意味でも好きです!あの時も色っぽいお姿を見てもっと触れたかったし、今も、どきどきして死にそうです!もう良いですか!?」 

自分が変態の様な気がしてきて悲しくなってきた。声の震えが伝わったのだろう。

矢野様がぎゅうっと私を抱しめ直されて、おっしゃった。

「 ごめん泣かないで。ありがとう。梅ちゃんが大好きだよ」

身動きもとれないほどに抱きしめられていたが、私も何とか矢野様の腕の下から彼の背中へ手を回した。   

「 ・・・もう、私の気持ちを疑ったりなさいませんか?」 

「 ああ、しない。悪かった」

「 他の人にとられたりしませんよね?」 

「 絶対しない。梅ちゃんが一番可愛い」 

「 それ、妹の感じじゃないですよね?念のために聞きますけど、矢野様も私のことを女だと思ってくださってますよね?」 

「 ・・・そうだね。もう離れようかな」 

矢野様は私の身体をぐいっと自分の身体から離された。

「 よし、今日はもう送ろう」 

 


先日より月の明るい帰り道は、手を繋いでゆっくりと歩いた。

「 梅ちゃん」

「 はい」 

「 私の名前を覚えているかい?」 

「 もちろんです。冬之助様でしょう?」 

冬之助様は私を見下ろすと、とてもお可愛らしいにっこり笑顔を返してくださった。

「 梅ちゃん」 

「 はい?」

「 真っ直ぐで優しい君が、大好きだよ」 

繋いだ手をぎゅうと握りしめておっしゃった。

「冬之助様?」 

彼の笑顔がたくさん見たくて、動悸をこらえてもう一度お名前を呼んだ。

「 何?」 

こちらまでとけてしまいそうな笑顔で冬之助様が答えてくださった。

「 私もお優しくてお可愛らしい冬之助様が大好きです」 

「 ・・・・以前とだいぶ台詞が変わったね・・・・」

ちょっと眉尻を下げられた冬之助様が可愛くてくすくすと笑った。


                           

                      お終い   


 


 


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