それぞれの戦い-4-
「理解したか? 君の容姿と名前は元々女として生を受けたからであり、髪の色が特殊なのは聖霊の血が宿る証拠。君は母親によって理不尽な運命を強いられたというわけだ」
エイワスの語った長い昔話を優衣は静かに俯いて聞いていた。
彼の話ならば今の姿も、名前も、髪の色さえも全て説明が付く。それが真実である事も何となく分かっていた。
魔法への親和性が高いのだって、精神世界そのもので生まれたとなれば当然の帰結だ。
「君は生まれながらにして何も与えられず、何かを得ることも許されず、虐げられる運命に立っている。救いなどどこにもない。我々もそうだ。何も悪くなくとも、運命のように追い詰められる人々が居る。私はそれを正さなくてはならない」
大仰に手を掲げていたエイワスは優衣の髪を愛おしそうに撫でつけながら先を続ける。
「精神世界と融和する事で形あるものは全て失われる。人が争う理由も、傷つける理由もなくなり、魂は願いの叶う世界で未来永劫、安息に抱かれ続けるのだ。死も、老いもない。暴虐や殺戮もない理想郷でな」
エイワスの言葉は感慨に浸っていて、彼の瞳には慈愛の欠片さえ見て取れる。
「なに、それ……」
だが、それ以上に満ちているのは禍々しい狂気の色。
優衣が理解できないとばかりに小さく疑問を漏らす。
「そんな理由で、こんな事をしたっていうの……」
「これ以上の理由があるものか。人は誰かと関わるが故に争いを起こす。他者を理解しようとしないうえに滅ぼそうとする。精神世界ならば他者の関わりなど必要ない。ひとりひとりが自らの理想を、夢を、容易く実現できるのだ」
「そんなの……ただの夢と何が違うっていうの!?」
「覚めることなどないのだよ。永遠に、いつまでも、理想の夢を見続けることが出来る。満たされ続けることが出来る」
エイワスの理想はどうしようもなく優しくて、どうしようもなく歪んでいた。
身体のない意識は他者と交われない。
夢は望めばどんな世界でも作り上げることが出来て、どんな矛盾でも孕むことが出来る。
夢の中で誰かを傷つけたところで相手の意識はまた別の夢を見ているのだから傷つくこともない。
それは幸せな事だろう。楽な事だろう。何もせずとも望む全てを手に入れられるのだから。
でも、夢は何も生み出さない。
「夢の中に浸ってるだけじゃ生きてるなんて言えない。死んでるのと何も変わらない」
生きていれば誰かを傷つけることもある。憎むことだってあるだろう。でも、誰だってそうやって"人"になるのだ。
何度も迷って挫けて凹んで、でも時々誰かに助けられながら生きていく。
永遠に覚めない夢の中に浸かっていたって何も生まれやしない。
「人の生き死になど些細な問題だ。幸せを感じ続ける事。それが最も重要なのだよ。同時に、虐げられたものをこれ以上作ってはならないという義務でもある」
「何が義務だ。独りよがりの妄想じゃないか」
悪くなくとも理不尽に虐げられている人が居ないわけじゃない。
でも夢の中に逃避する事に意味があるとは思えない。それが覚めない夢だとしても、夢は夢でしかない。
「理解せずとも構わない。それに、もう後戻りなどできない段階まで進んでいるのだよ」
エイワスが優衣の額へと触れた。
小さな魔法陣が燐光を灯した途端、抵抗していた四肢に行き渡っていた力が唐突に断ち切れ、まるで麻酔でも打たれたかのようにだらりと垂れ下がる。
「っぁ……」
声にならない悲鳴が零れ、同時に身体中に満ちていた大切な何かが外へ漏れていく。
奪われているのは優衣が持って生まれ、今まで育まれてきた聖霊の力そのものだった。
魔法陣が明滅を繰り返すたびに優衣の髪色が本来の色である黒へと変わり始めると、色が移ったかのようにエイワスの髪色が優衣のそれに近づいていく。
「13年前に頓挫した計画を再び修正するのに苦労させられたよ」
投獄された彼は10年の刑期を大人しく過ごし、外の世界へ舞い戻ってきた。
そこにはもう魔術結社はない。信者もいない。だが法の書だけは巧妙に残されていた。
「精神世界への穴を再び開ける事は然程難しくなかった」
一度穴を開けたこの場所は既に世界として歪んでいる。
過去開いていた精神世界の力の影響をエイワスは優衣の次に受けているだろう。
魔力を持ちえた彼には精神世界への干渉に特化した法の書もあった。
「だがその程度の穴を開けたくらいで世界は変わらん。一番の問題は君が男となり、聖霊としての力が封印されてしまった事だよ。こればかりは私にもどうにもできなかった」
エイワスが望む世界を実現するにはどうしても優衣の奥底に眠る聖霊の力が必要になる。
「そこで目を付けたのがかつてこの世界に生まれた精霊だよ。アウローラなら君の奥底に眠る力を目覚めさせる事ができるかもしれない。しかしそれも一筋縄ではいかなかった」
アウローラの特性を知っていたエイワスはまず精霊を目覚めさせるところから始めた。
「精霊が目覚めるのに必要なものが何か知っているかね。精神世界の穴、この世界の歪みだよ。そして、世界が歪む為に必要なものがもう一つある。それが何か分かるかね?」
どこか楽しそうな言葉に、3年前に彼がこの世に放たれて成した事を思い浮かべ、優衣の瞳が大きく震える。
「まさか、魔法使い……」
「その通りだ。魔法使いはただ在るだけでこの世界に大きな歪みを生み出す。彼女の生い立ちが歪んでいるのもその影響かも知れんな」
彼女が香奈を指し示している事はすぐに分かった。
「無理矢理魔法使いにしたって言うの」
「残念だが本人が望まねば魔法使いにはなれんのだよ。可哀想な事に、彼女の父親もまた世界から虐げられるものだった。酷い話だ、事業の失敗の借金を擦り付けられ、危険な集団に追われていた。私が人手さえあれば助けられると言ったところ、彼女は快く快諾してくれたよ」
3年前と言えば、まだ香奈は中学1年生の時だ。
父親がそんな状況になっているときにそんな事を言われて黙っていられるはずがない。
「私の目的が世界の平和を実現するためだといったら、懸命に働いてくれた。最近は大分懐疑的に育ってしまったがね」
香奈が契約した事で連鎖的に精霊が目覚め、時を同じくして光輝と鳴がそれぞれサラマンダとエクリプスに選ばれた。
結果的に精神世界の穴はさらに大きく広がることになる。
「だがまだだ。まだアウローラが目覚めるには足りなかった。故に私は魔物を生み出しては魔法使いの元に運び、世界の歪みを蓄積することにした」
魔法使いと魔物が戦っても世界の歪みは蓄積される。
魔物を見た人が、壊れた町を見た人が、様々な噂や憶測を作り出し、それが更に魔物を生み出す。
終わらない悪循環の中で世界の歪みは加速度的に増し、遂にアウローラが目覚め優衣を見つけ出してしまった。
「とはいえ、アウローラが君を選ぶとは思わなかった。私が欲しかったのはアウローラの契約者であり、君がアウローラと契約したのは大きな誤算だ。そのおかげで計画は更に修正を加えざるを得なくなった」
「何を……。アウローラとボクが契約しなかったら、ボクは女の子にならなかったはずだ」
怪訝な優衣の台詞にエイワスはくつくつと笑う。
「いい事を教えてあげよう。アウローラは性別を転換する魔法など使えん。君に使われた魔法はもっと単純な"封印解除"さ。極光は浄化を司る。とはいえ、聖霊を封じた封印を破るのに、さしもの精霊とはいえ力を使いきったようだがね」
アウローラは1度も"性別を変えた"とは言っていなかった。
そもそも、性別を変えることが出来るのであれば、アウローラは契約を迷わない。
彼がなお迷ったのは、自分の契約条件である、"純然たる乙女であること"の条件を無視して優衣と契約しようとしたからだ。
その過程で偶々優衣の魔力が封印されている痕跡を見つけ、契約の妨げになるとして解除した結果、本来の女性に戻ってしまった。
サラマンダがかつて言っていたように、"人体に副作用のある契約はない"。
だからこそアウローラはあれほど驚いたのであり、"寧ろ正常に戻ったといえるだろう"と語ったのだ。
「君が魔法使いになったことで問題が一つ増えてしまった。一つは君の性別がどうなったのか、だ。アウローラが封印を解除したならいいが、もしアウローラが君の封印の意味に気付いたなら厄介な事になる。香奈を君の傍に配置したのは我ながら巧手だと思ったよ」
香奈は優衣の行動を監視するための駒。場合によっては交友関係を築き今後の計画の潤滑油として機能するように仕向けられた。
「君が女性と分かってからというもの、計画は飛躍的に前進した。アウローラの契約者をどうにかして手に入れ、命を削ってでも封印解除を行ってもらう手順が必要なくなったのだからな。どう成し遂げるかと私とて苦心していたのだ。おまけに君はもう1人の魔法使いという手土産まで作り出してくれた」
魔法使いが増えれば増えるほど歪みは加速する。
誘拐された7人の子どもは誰もが優れた魔法の素質を無理矢理に持たされたが、だからといって魔法使いになるとは限らない。
鳴は認められたいという強い願いを、光輝は目の前で襲われた誰かを助けたいという強い想いを抱いたからこそ精霊は彼等を見初めた。
だが香澄にはそれがない。目の前で誰かが襲われても、光輝の様に自分の手で助けたいと思える人は稀なのだ。
それが優衣を好きになったことで、優衣や光輝がいる場所に手を伸ばす事を望んでしまった。切実に、魔法使いになりたいと思ってしまった。
「その想いが彼女に最も適応しているナムをあの場へと呼んだのだ」
「……香澄は、そんな事の為に願ったんじゃない」
優衣がエイワスを睨み上げようとするがもう首を上げるほどの力さえ残っていなかった。
身体の中から体温を奪われていくような薄ら寒い感覚の中で、誰か、助けてと夢想する。真っ先に浮かんだのは中学の時からの親友の顔。
「こう、き」
小さく零れた哀願に、エイワスは愉快そうに顔を歪めた、その瞬間。
「うらぁぁぁぁっ」
派手な破砕音と共に傍にあった壁が爆砕される。もうもうと立ち込めた煙に、さしものエイワスも優衣から距離をとる。
残された優衣の身体が鎖にだらりと垂れ下がるのを見て、光輝が慌てて隣に駆けつけた。
「おい、大丈夫かっ! ……優衣、その髪っ」
黒く染まった髪に光輝が驚きの声を漏らしながらも鎖に向かって魔法を放ち切断する。
その断面は高温の炎で溶かしたかのように真っ赤に燃えているというのに、優衣に触れても火傷の一つさえ与えない。
崩れ落ちそうになる優衣をしっかりと抱きとめると、微かに胸が上下しているのをみて安堵の息を漏らした。
朦朧とする意識の中で優衣がどうにか自力で立ち上がろうとするが、広がる視界は焦点が合わずぼやけ、指を動かす事さえ億劫だった。
光輝はその身体を優しく床に寝かせるとやや離れた場所まで移動する。
『光輝、覚悟はいいな』
「応。今まで助かった。教わったトレーニングは毎日するよ」
『当然だ。お前はまだまだ未熟なのだからな』
サラマンダが光輝の前に向かい立つと粒子となって身体の中へ溶け込んでいく。ドクン、と心臓が一際大きく波打った。
胸の奥が熱く滾る。噴き出した紅蓮の炎が細かな火の粉となって光輝を周辺を舞い飛んだ。
赤い瞳が燃え滾る敵意で以って離れたエイワスを射抜く。
合図はなかった。床が砕ける程の衝撃を以って飛び出した光輝が腰を落とし渾身のストレートを放つ。
打撃に合わせて膨大な熱量を発した業火の一撃は、エイワスの僅か手前で見えない結界に阻まれるように止まっていた。
彼の手から零れる血が吹き荒れる熱量に耐え切れず数瞬で蒸発していく。捻る様に拳を押し込んでいると言うのに結界は少しも揺らぐ気配がない。
エイワスは結界の向こうで光輝を一瞥するとハエでも払うかのように手を振る。
結界一度、大きく波打った。
手を合わせていた光輝がとてつもない勢いで弾き飛ばされ、コンクリート製の支柱へ鈍い音と共に衝突し細かな破片をぱらぱらと撒き散らす。
支柱は半ばまで陥没しており、無造作な一撃に秘められた威力がどれ程のものだったかを如実に物語っていた。
だが光輝は幽鬼のようにゆらりと立ち上がってみせる。その口から酷く粘着質な咳と一緒に赤黒い何かが吐き出された。
両手が胸の前で小気味良い音と共に打ち鳴らされ炎が再び爆ぜる。彼は先ほどと何ら変わらない眼光でエイワスを射抜いた。
「頑丈じゃないか……だがこれはどうかな」
エイワスが片手を振り上げると同時に複雑怪奇な魔法陣が足元に描かれる。
出現したのは4つの氷柱だった。優衣の魔力の一部を奪い去った結果、そのどれもが先の光輝の一撃に劣らない魔力で作られている。
だがエイワスはそれだけで終わらない。もう片方の手も同じように振り上げると4つだった氷柱は8個まで増大した。
光輝の瞳が僅かに開かれるが、すぐに腰を落とし迎撃の態勢に入った。
氷柱は微妙なズレを伴って射出されると、一呼吸の間もなく光輝へと襲来する。
1つ目を砕き、2つ目を身を捻って避け、3つ目を弾き、4つ目を溶かす。だがそれより先の対処が間に合わない。
5つ目は光輝の足を、6つ目は腹を、7つ目は胸を、8つ目は頭を貫かんと飛来した氷柱が、しかし突然鋭利な刃物で切り裂かれたかのように空中分解した。
「永久の闇に閉ざされた禁断の舞踏会に漆黒の死神は舞い降りる。さぁ、死の輪舞曲の相手をして貰おうか」
全身黒尽くめに黒色のコート。黒のマントを颯爽とはためかせた鳴が剣呑さを隠しもせずにエイワスを睨みつけた。
「俺の名は神無月 鳴! 深淵を知る常闇の王なり!」
鳴の登場にエイワスは苛立ちを、優衣と光輝は歓喜を浮かべる。
「ほう、あれを切り捨ててきたか。最後の最後で役に立たなかったな」
他人事の様にうそぶくエイワスに向かって鳴が激昂した。
「誰が仲間を切り捨てるか! 精々が生まれてきた事を嘆き悲しむがいい。絶望の中でなッ!」
「ふむ、ならば逃げたか? 無駄な事を」
「黙れ。もう二度と生まれてこないよう神に懇願するがいい」
突き放すように否定したエイワスに問答無用とばかりに大剣を構える。話を聞く気があろう筈もない。
『鳴。これでもうお前を束縛する者は居なくなる。契約に縛られる事などない、己の成したいことを成せ』
「なら心置きなく行くがいい。これが俺の成したい事だ」
エクリプスが薄闇色の粒子に変わると鳴へ流れ込む。香奈との戦いで失われていた魔力が上限を超えて漆黒の帳となって溢れ出した。
弾丸のように飛び出した鳴の隣に光輝が並ぶ。足を踏み出したのは完全に同じタイミングだった。
瞬く間にエイワスとの距離を詰めた光輝はしっかりと床に足を打ちつけ、両手を合わせるように組み合わせると渾身の掌底を叩き込む。
打ち合わせた両手には炎の龍が絡み合うかのように爆発的な熱気が立ち上り空気さえ揺らいでいた。
鳴はエイワスの直前に高く跳躍し全体重を以って脈動するかのように深く深く染まっていく闇色の刀身を一直線に叩きつける。
エイワスの展開する結界に食い込んだ2人の攻撃によって地下そのものが大きく揺れる程の衝撃が生まれ、天井から細かい埃や砕けたコンクリートすら零れ落ちた。
さしものエイワスも余裕の表情を崩し腰を屈め堪えるように2人の攻撃を受け止めている。
金属を削りあうような不協和音が結界から響くが、まだ足りない。エイワスが気合と共に拳を押し出すと2人が勢い良く弾かれる。
しかし今度は無様に壁に叩きつけられるような醜態は晒さない。両の足で壁を、支柱を足場にすると衝撃を受け流す。
受け流された支柱は盛大な音を立てて砕け、壁に至っては大きく陥没していたが傷らしいものはない。
再び隙なく構えなおす彼等を見てエイワスは露骨に顔をしかめた。
手を合わせ何事かを呟くと先ほどの氷柱よりサイズの大きいものが2個、4個、8個と次から次へと虚空に出現する。
危険な気配を察知した2人が床を蹴り上げ風の様に駆け出す。
エイワスが作り出した氷柱は計16個。唸りを上げて飛翔する強大な攻撃は、突然横から差し込んだ一条の光が何もかもを巻き込み吹き飛ばした。
エイワスが目を見開き光源に向かって振り向くが、光輝と鳴は少しも驚いた様子はない。
直前に上半身を起した優衣が魔法を発動させたのを彼らの位置からならば覗う事ができたのだ。
聖霊の力を一部分エイワスに奪われ失ったとしても、依然として優衣の身体には膨大な魔力が備わっている。
だが回復しきっていない身体で魔法を使ったせいか、ぐらりとその身体が崩れ落ちた。
光輝と鳴は優衣が身を削ってまで作ってくれた隙を無駄にするはずもない。
といってもただ攻撃したのでは先ほどの二の舞だ。
光輝は隣を走る鳴に目で合図を送ろうとして、彼もまた光輝を見ている事に気付く。
そんな光輝に向かって鳴は不敵に笑ってみせた。
「言っただろう! 死の輪舞曲を踊るとな!」
ぐっと、光輝が親指を突き立てて獣染みた笑みを向ける。それだけで意思の疎通は完璧にできていた。
始めに仕掛けたのは光輝だった。
右ストレートを振りぬいた勢いで身体を回転、勢いを殺さずに左足のハイキックが結界を揺らすができるのはそこまで、一人の攻撃ではこれ以上押し進める事は出来ず、エイワスは先ほどと同じように結界を弾こうとして、しかし間を空けて踏み込んだ鳴の剣戟によって阻まれる。
先ほど香奈に使われた鳴のクロス・スラッシュが光輝を弾くべく身構えていた結界を大きく後退させた。
勿論、エイワスも大技放って出来た隙に今度こそとばかりに結界を弾こうとするが、鳴が稼いだ僅かな間に再び体勢を立て直した光輝の攻撃によって隙は埋められ、結界はさらに大きく下がった。
光輝と鳴によるコンビネーションが結界を絶え間なく押し続け、ついに何かが砕けるような音が聞こえ始める。
「舐めるな……!」
エイワスはそんな2人の連撃を前にして2本の氷柱を射出せんと出現させる。避けることも弾くこともできるが連撃を僅かでも止めるわけにはいかない。
ここで一度でも離れればエイワスは間違いなく対策を立ててくるだろう。
押し切れる時に押し切るのみと攻撃を受けてでも結界をぶち壊すと覚悟を決めた2人に、完成した氷柱が襲い掛かった。
刹那、背後から飛来した紫電の雷撃を纏った槌が2つの氷柱を貫き粉々に砕く。
「私を忘れないでよね」
「忘れてねーよ!」
「輪舞曲の伴奏者か、遅いぞ!」
光輝と鳴が結界を圧倒し続ける。反撃しようと展開される攻撃は後方に構えた香澄が悉く潰していった。
流れるような連携には一部の隙も見つけることは出来ず、エイワスは次第に圧されフロアの端へと追い込まる。
それでもまだ決定打が足りず、後僅かの距離が踏み込めない。
「uRUuUAaAa!」
そこに突然、エイワスが狂ったような咆哮と共に膨大な魔力をあたり一面に撒き散らし始めた。
エイワスの瞳が血色に染まり、髪色がくすんだ銀へと変貌する。
「邪魔はさせん……。世界を作り変える力がどれ程か、その身をもって知るがいい」
軋んでいた結界が嘘のように鳴り止み、ただでさえ強靭だった頑強さをさらに高める。
攻撃を防ぎながらでは数本しか出せなかったはずの氷柱も両手で数え切れないほどの量へと数を増した。
迎撃する香澄の顔に焦りが生まれ始める。まだ今ならどうにか見切れるが、これ以上増えれば処理が追いつかない。
三人は既に限界に近づいているというのにエイワスの魔力は留まることを知らず膨れ上がり、徐々に三人を逆に追い詰め始めた。
そこへさらに背後から扉の開く音が響く。編まれた2つの三つ編みはいつのもままに、けれどあの安心するような、脱力するような笑みはどこにも浮かんでいない。
「香奈か! いいところに戻った。世界の為にこの者たちを排除しろ!」
その声に呼応するように握られた弓が引き絞られ、前方に向けられる。
優衣が僅かに息を飲んだ瞬間、作り出された青い矢は鳴の方向へ吸い込まれ、けれど鳴には向かわずにエイワスが浮かべていた氷柱のいくつかを纏めて吹き飛ばす。
立て続けに数射、今度は発生しかけていた氷柱を一瞬のうちに全て射抜き破壊してみせた。
「……契約はどうした!」
怒気と殺気を多分に含んだエイワスの叫び声に、香奈は弓を引き絞りつつ答える。
「そうですねー、なんていうか、どうでもよくなりました」
いつもの間延びする口調もまた、今の彼女には影も形もない。
「あたしは自分の負債をどうにかしたくて他人に負債を押し付ける道を選んだけど、世の中にはそんな奴にさえ手を差し伸べてくれる馬鹿もいるみたいなんですよねー」
魔力によって作られた水の矢が燐光を灯しながら番えられると、片目を瞑って照準を合わせた。
「そんな馬鹿に負債を押し付けるなんて、あたしでも無理でした。もうみんなに背負わせちゃった負債はどうにもならないですけど」
放たれた矢は再度生成された氷柱の大部分を巻き込んで香澄の攻撃と合わせ1つ残らず破壊せしめる。
「せめて誠意くらい、みせたいじゃないですかっ!」
香奈の言葉に光輝も鳴も香澄も優衣も、自然と笑みを零す。こんな時だというのにどこか清々しさまで覚えるほどだ。
色々あったけれどこうして5人揃ってここにいる。それだけで何でも出来るような気さえ芽生える。
「かすみん、右はあたしが担当するから、左を任せていいかなー」
「撃ち漏らさないでねっ」
無尽蔵に作り出される氷柱は、しかし打ち出すよりも僅かに早く後方で狙いを定めている2人によって叩き落されていく。エイワス自身もそれ以上生成速度を上げられないのか、その表情は再び苛立ちで覆われた。
光輝と鳴は不思議と攻撃の速度と重さを先ほどよりも上げていた。
香奈と鳴が見せたように、互いの攻撃の長所を自らの攻撃に組み込み、互いが互いを越えようと願う力によって際限なく上り詰めていく。
その絶え間ない連続攻撃に感嘆すら覚えた香奈もじっとしていられず、余裕を見つけては結界の攻撃に加わる。
いつの間にか先んじられた香澄も真似するように攻撃に加わっていた。
まだいける、もっと早く、強くなれると信じることによって。それが魔法の原動力なのだから。
そんな光景を見せられて黙って倒れていられる優衣ではなかった。
ふらつく身体を起して一度頬を叩くと気合を入れなおす。いつの間にか笑顔さえ漏れてしまうほど、心は軽くなっていた。
すっと目を閉じると両手を前へ。久しく使うことのなかった封じられた合言葉を口にする。
かつてアウローラと契約した時に成したいことを聞かれ、優衣は咄嗟に答えることが出来なかった。
だからこそ、与えられた杖の名前はアステール。空に煌く希望の星。
「煌きを宿せ 導きの標」
行きたい場所に行こう。見たい物を見よう。成したい事を成そう。
優衣の力の本質は精神世界そのものである、願いの成就。目指した標を空に描きだし掴み取る力だ。
純白の魔力風が優衣を覆い隠す。
着ていた服が弾けとび、かつて光輝にだけ見られたことのある純白のワンピースが風にはためいた。
穢れを知らない純白のノースリーブのワンピースに羽織られた同色のカーディガン。
膝より大分下まで伸びた長めのワンピースの裾は二重構造で、内側にはやたらめったらキメ細かく繊細な素材が、外側にはそれよりも大分頑丈な素材が使われているようでやっぱりこそばゆい。
胸上には襟と胸元の調整用に、腰の少し上にもだぶつかないよう絞って調整するための、どちらも服と同じ純白のリボンが備え付けられ丁度いいサイズに勝手に絞られる。
同様にカーディガンの広がった袖も同じように自動的に調整されていた。
髪は黒色だけれど、二色のコントラストはまるで誂えた様にピタリと符合する。
久々の変身に目を閉じて身体似巡る魔力の感覚を注意深く確認する。
かつて制御が出来ずに暴走してしまった余分な力はエイワスによって取り除かれていた。
身体を駆け巡る暴力的な圧力はどこにもない。今ならば優衣も好きなように魔法が使える。
ならばもう、手加減をする必要性などありはしない。
「みんな……3分だけ時間を稼いで!」
優衣の声に各々が応える。
「3分間だけ待ってやる!」/ 「見せてみろ、お前の力を!」 / 「わかった」/ 「おっけー」
優衣は目を閉じ全身系を集中、杖に魔力を圧縮していく。
構えた杖の正面に四角を僅かずつ、何重にもずらしたような魔法陣と、それを取り囲むように幾分小さいサイズの四角の中に円が描かれた魔法陣が4つ分出現する。
計5つの大小の魔法陣に仄かな燐光が灯った。
(チャージを開始)
遠慮の欠片もなく全開で魔力を篭めても、以前は閉口するほど高まっていた内圧が暴走することはなかった。
豆電球ほどの燐光は拳サイズに、やがて人の顔に近いサイズに成長する。でも、まだ足りない。これだけではあの結界を貫けない。
優衣の魔法が背後で存在感を増していくのを、光輝は高揚感の中で感じていた。
身体がいつもより自由に動く。魔法の制御が何の意識すらしなくても勝手にはまっていく。
かつてサラマンダが行っていた無意識下の魔法制御がどういうものなのか分からなかったが、今ならよく分かると思った。
「好き放題やってりゃどうにかなるって事だろ!」
サラマンダが聞けば卒倒しそうな内容だが小難しく考えるから上手く行かないのだとどこかで思う。
現に今は思いついたままに自由な魔法を次から次へと繰り出している。
こうしたい、そう思った事が現実に書き換わっている。
結界が脈動し叩きつけられたらどうしようだとか、頭上に展開しているであろう氷柱が振ってきたらどうなるかだとか、そんな些細なことはもうどうでも良かった。
いや、心の中ではもう氷柱が自分目掛けて降ってこない事を、押し続けている結界が脈動する事がないだろう事を確信している。
何故かと聞かれれば迷うことなくこう答える。5人揃ってできないことなど、何もない。
目の前で仲間が戦っているのを見て、優衣もまた不安は生まれなかった。
エイワスの一撃が如何に強力な物かは距離を取って魔法の準備をしている優衣にだって分かるくらいだ。
正面から対峙している光輝や鳴の負担は計り知れないものがある。
だというのに、光輝と鳴はどこか楽しそうですらあった。互いが互いを補いながら洗礼されていく2人。
鳴や光輝だけではない。その後ろでエイワスが縦横無尽に作り出す氷柱を完膚なきまでに叩き壊している2人は先ほどから笑い声さえ漏らしていた。
(ボクだって負けていられるもんか)
目の前の4人を見て優衣は素直に羨ましいと思った。同時に負けたくないとも思った。
願いは確実に優衣の魔法へと蓄積され、規模を際限なく膨らませていく。
初めは前髪を凪ぐ程度の風が髪全体を、裾を、袖をばさばさとはためかせるまでに成長を続ける。
でもまだ足りない。もっと先を目指してみたい。
「翼を形成」
頭の中で作りたい魔法のイメージを描き出すだけで現象は後から付いてきた。
優衣の言葉と共に背中からある筈のない薄桃色の羽がまるで天使のように少しずつ広がっていく。
その全てが膨大な魔力の結晶で、生まれた力は優衣を取り巻く風を更に強いものへと成長させていた。
戦う事がこんなに"楽しい"と感じたのは、鳴にとって初めての事だ。
隣で拳を振るう光輝に合わせ、時には合わされ、本当に舞う様に次々と剣戟を見舞っていく。
いつも心のどこかで感じていた不安や恐怖はどこにもない。敵と戦っているという事すら意識の外だった。
ただただ仲間と一緒に際限のない上を目指す。越えられるはずのない壁さえ乗り越える。
勝手に笑い声が漏れた。勝手に手足が動いた。まるで自分が自分でない様な気さえするが、嫌ではない。
「俺の選択は間違ってなどいなかった」
今まで戦う時に心が重かったのは、きっとどこかで仲間を信じていなかったから。
もはやエイワスの攻撃など鳴の目には入っていない。
(だってそうだろう? 攻撃は全部叩き落してくれるに決まってるじゃないか)
なら悩む必要などない。ただ全力を持って目の前の敵に切りかかればそれでいい。
香澄は香奈と違って広範囲の攻撃が得意な属性ではない。
にも拘らず槌と回収した鞭を上手く使い分けて無数の氷柱を見事なまでに撃墜し続けていた。
一番大きな要因は隣に香奈が居た事だろう。彼女の広範囲に渡る魔法の使い方を盗み、応用し自分の魔法へと組み込んでいく。
香奈はまるで香澄に魔法を教えるように、今までの経験で作り出した多彩な攻撃法を余すことなく実演して見せた。
ミョルニールが回転しながら飛来すると篭められた雷撃を周囲に向かって発散する。
一見無造作に見える攻撃方法でも、槌から放たれた雷撃は浮いていた氷柱を重複することなく打ち抜いていた。
優衣を守れる事。光輝と同じ場所に立って負けていないこと。
それが香澄の自信に変わって正確さも規模も高まっていく。
打ち漏らしてしまう事も何度かあった。でもその度に香奈が余さずに拾ってくれる。
逆に香奈が打ちもらすこともあった。そんな時は香澄がフォローする。
香澄が横目で香奈を見ると視線が合った。浮かんだ笑顔は学校で見ているのと同じ、屈託のない物だ。
それを見ているだけで余計な力が抜ける気がした。
香奈にとってエイワスと敵対する事は家族を危険に晒す行為でもある。
元々借金を作ってしまったのは香奈の父親で、エイワスはそれを利用したとはいえ、全てを彼のせいにはできない。
香奈とてどこかおかしいと思った事は1度や2度ではない。でも、いつだって言い訳をしながら有耶無耶にしてきた。
そうやって負債を誰かに押し付けてきた。でも、それももう止めると香奈は決めている。
4人と一緒に過ごした時間がたった2ヶ月ちょっとだとしても、楽しかった事に偽りはない。
それを壊してしまった自分が不甲斐ない。ならせめて取り替えそう。そして全てを終わらせよう。
無事に片付いても今回の事がゼロにはなる訳ではないし、自分の負債が押しかかってくるのだろうけど。
楽しかった日常に戻りたい気持ちにも偽りはない。
(でもやっぱり、誘拐はないと思うんですよねー)
「ぬぅぅっ!」
エイワスも優衣の魔法が危険なものと分かっているのだが、絶え間なく襲い来る攻撃を受けて全く身動きが取れない。
湧きあがってくる暴力的な聖霊の力を制御するのは並々ならぬ集中が必要で、未だ自由に操れているとは言い難かった。
かといって聖霊の力なしで4人の猛攻を防ぐことなどできるはずもない。
光輝は右ストレート、肘撃ち、裏拳、掌底ありとあらゆる箇所を打撃技に流用し流れるように振るい、既に当初行っていた鳴と交代で隙を与えずに殴るという手間すらかけていなかった。
鳴も縦横無尽に本来振り回すような獲物ではない大剣を、それこそ双子で殴っているのではないかという程の驚異的な速度で残像さえ残し振りぬき続けている上に、1撃の重さは増すばかりだ。
その間にも優衣の魔法は肥大化を続け、展開した前方の魔法陣の燐光は人を超える大きさに成長し、背中に生えた天使の如き羽も今まさに羽ばたこうと開き始めていた。
エイワスが氷柱の出現位置を変則的に変更し射出を行う順番もランダムに変えているというのに槌と弓で武装する2人には全く通用していなかった。
「はいはいー、こっちとそれから……あっち! フルスコアだね!」
「さっき1個撃ち漏らしてた、だから私のほうが上」
「なにをー! あれはかすみんの範囲だってー!」
それどころか、まるでゲーセンのガンゲーでもしているかのように和気藹々と笑いながら、ミスショット一つない正確さで叩き落している。
攻撃の余波で壁は抉れ、天井は傾ぎ、穴が穿たれ、床すら爪痕が刻まれ、凄惨な光景を醸し出しているというのに悲壮さはどこにも無かった。
やがて長い長い3分が終わりを告げ、優衣の準備が整う。
「でき、た」
優衣が作り上げたのは契約した精霊から唯一教わった、単純に魔力を射出するだけの魔法だ。
聖霊として生まれた優衣は通常の人間が耐えられないような規模の魔法であっても耐え切るだけの身体を持っている。
それこそ自転車相手に飛行機を持ち出すような比べるのもアホらしくなる次元からして違う力の塊。
単純な魔法であるが故に威力は魔力に直結する。
既に優衣の周囲に吹き荒れているのは烈風どころか暴風といってもよく、周囲にあった椅子や机を巻き込んでは天井に打ち付け、形を歪めさせていた。
「みんな、離れてッ!!」
叫び声に鳴と光輝が余裕の笑みで距離を取り、優衣が作り出した魔法に苦笑いさえ零している。
「NUAaaAAA!」
ようやく怒涛の連撃から開放されたエイワスはよくもやってくれたなとばかりに百に及ぶ氷柱を周辺に際限なく作り出すと間を置かず射出した。
「いっけぇぇぇぇぇ!」
同時に放たれた優衣が作り出した魔法陣の内、前方に展開されている一番大きな四角に蓄えられた奔流が弾ける。
目を開けていられないほどの閃光がフロアを包み、射出された氷柱を一つ残らず巻き込み消滅させていた。
勿論、優衣の作り出した奔流はその程度で終わらない。
エイワスの結界が凄まじい威力を秘めた優衣の魔法を、しかしどうにか受け止める。
それどころか聖霊の力を得たエイワスにはまだ氷柱を作り出す余裕すらあった。
けれど優衣は少しも焦りを見せることなく、余裕さえ浮かべている。
目の前の4人に感化させられた優衣がこの程度で終わるはずもない。
「補助連環起動!」
その言葉と共に中心の大きな魔法陣を取り巻いていた四角い魔法陣が螺旋回転を始め、蓄えられた奔流が先に放った一直線の閃光を引き絞るように纏わり付くと細く圧縮してみせる。
範囲が絞られたことでより密度を増した魔法に結界が嫌な音を響かせた。
エイワスの顔から余裕が失せるものの、しぶとく結界の維持を続けていた。
後もう一歩、ほんの少しで結界が崩れる。最後の1手は既に用意されていた。
「翼……開放!」
刹那、まるで桜の花が空一面に散りばめられたように圧縮された魔力の結晶である薄桃色の羽が細かい粒子へと変化した。
その全ては優衣の放つ魔法に吸い込まれフロアそのものを包み込むほど爆発的に膨れ上がる。
「GauuArAgAAA!!!」
結界が壊れる音はしなかった。膨れ上がった魔力の奔流は溶かすように結界の全てを飲み込み、欠片一つさえ残さず世界から消し去った。
獣染みたエイワスの怒声が室内に木霊する。
どうにか閃光が収まった室内では、エイワスが辛うじてその場に立っていた。




