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現世の魔法使い  作者: yuki
第二章
51/56

それぞれの戦い-3-

 確実にいる。この先に、強力な使い手が。

 厨二病的な意味ではなく、ドアにかかってくる圧力と部屋の中に渦巻く魔力を感じ取ってだ。

『本当に、良いのか』

 エクリプスの言葉に鳴は無言で頷いた。

 精霊の力を取り込むことで一時的に魔力を増加させ、爆発的な力を手に入れられることは道中聞いていた。

 そして、その力を使う覚悟も鳴には出来ている。でも、今はまだ使わないと決めていた。

 勢い良くドアを開け放ち素早く周囲を確認……するまでもなく、正面に脅威の正体が弓を引き絞って立っていた。

 ぎりり、と限界まで張った弓に水流の矢が形成される。

 それを確認するなり鳴も大剣を握りなおし目を閉じると意識を集中した。

 張り詰めた弦が大気を擦る音と剣が振るわれたのはほぼ同時だった。

 剣から放たれた黒いオーラは飛来する青い矢に正面からぶつかると暫く停滞し、互いを巻き込んで衝撃を撒き散らす。

 等間隔に並んだ純白のテーブルクロスがかけられたパーティー用の円卓と椅子が、派手な音と共に壁に向かって吹き飛んでいった。


「これでもこっちは相当チャージしたんだけどなー」

 香奈は全力を篭めた一撃をたった数瞬の溜めで相殺した鳴の剣戟を見て嘆息する。

 遠距離と範囲を主体とする香奈の攻撃の重さは一撃を重視する鳴にはどうしたって遠く及ばない。

「ならば純白の翼を掲げよ、さすれば漆黒の天使は一滴の慈悲を賜うだろう」

「ごめんー、もう最大限意味わかんないよー」

 彼女の瞳に浮かんでるのは、いつもと変わらない笑顔だった。

 にへらっと緊張感のない弛緩した顔にはとても殺すつもりの攻撃を放った人間には思えない。

「復活、しちゃったんだね……。君は"なるくん"のままでいれば良かったのに」

 その表情が、ほんの僅かに蔭った。

 鳴はそんな彼女に普段と変わらない口調で言う。

「宵闇の王たる俺がこんなエキサイティングな舞踏会(ダンス・パーティー)を逃す訳がないだろう? この俺を仲間に引き入れることが出来た幸福を噛み締めろ。それから俺は影人をやめた。この俺も"鳴"に相違ない」

 ばさりとマントを翻し、それらしいポーズを決める。

「あたしにとってはアンラッキーだねー」

 それが始まりの合図になった。


 周辺に遍く存在した20個の弓を介さない矢単体が空中に出現し、鏃を鳴へ向ける。

 鳴は腰を落とし、剣を水平に構えると展開された矢をしっかり見据えながら言った。

「何を言ってる? お前にとってはこれ以上良い目などありえんだろう」

 矢が段階的に鳴に向かって放たれる。1本1本の威力は少ないが、なにせ数が多い。

 1発屋の鳴はなるべく複数の矢を纏めて、剣から放つ衝撃波で纏めて叩き落しにかかった。

 黒と青の波動がぶつかるたびに広間へ振動が走り、床が、壁が、天井が悲鳴を上げる。

「本気で言ってるなら、ちょっと悲しいなー」

 香奈が細かな攻撃で鳴を誘導しつつ、最後に到達するであろう一点に向けて魔法を解き放った。

 鳴は不敵に笑いつつ、わざとその誘導に乗った挙句、伏兵的に放たれたはずの1撃を見もせずに切り払う。

 妥協も躊躇もない、魔法使いの全力による攻撃の応酬だった。


 香奈は範囲と距離で、鳴はその強力な一撃で、互いの攻撃をひたすらにぶつけ合う。

 百にも及ぶ微細な不可視の水の針が鳴目掛けて殺到すれば身にまとうマントをばさりと広げ這い出てきた暗闇が全てを溶かす。

 大剣を振るった軌跡が漆黒の衝撃波となって到来すれば、香奈が予め天井に巡らせておいた激流を利用し高速で回避する。

 面での攻撃は威力が足りず、特化した一撃では捕らえきれない。

 2人は一歩も譲ることなく、張られた細い死線を足場も見ずに駆け抜けるが如く次々と全力で魔法を叩き付け合っていた。

 どれか一つでも被弾すれば大怪我ではすまないだろう。

 現に天井には幾つもの切断痕が巨大な生物の爪跡のようにのたくり、床に転がっていたはずのテーブルや椅子は既に瓦礫のレベルまで分解されている。


 巡らせた激流を使って高速移動した地点から弓を引き絞って射る。

 射った後は再び水流に乗って場所を変え、一秒たりとも同じ位置には居ない。

 常に場所を変え立体的に動きながら攻撃しているというのに、鳴はそれを全て弾き落としてみせた。

 背後からも、死角からも関係ない。まるで、全て分かっているとでも言いたげに。


 香奈と鳴は顔を合わせればいつだって言い合いをしていた。鳴の厨二台詞に香奈が突っ込みや拡大解釈を入れて鳴が怒る。

 でもそんな会話は香奈にとってとても楽しいものだったのだから。

 少なくとも本気で噛み付いたことなど香奈には一度だってない。

 そしてそれは鳴にとっても同じだった。

 今この瞬間も、あの時のノリと同じように会話さえ繰り広げながら戦って見せている。

 傍から見れば酷く滑稽な戦いだというのに、規模だけは異常だった。


「閃闇刃ッ!」

「技に名前付けるのやめようよー」

 360度、回転するように切り裂く事で発生した百にも及ぶ微細な針状の衝撃派が天井に張り巡らせた全ての水流を刺し貫く。

 先ほど香奈が鳴に放った微細な水を射出する魔法をこの短期間で把握し改良したものだ。

 別途結界を展開して致命傷は防ぐものの足や肩に幾つか被弾を許ししくしくとした痛みが香奈に残る。

 だが香奈も鳴の大回転という隙を逃すほど甘くはない。

 高圧縮された水の刃があたかも剣閃のように射出され、交わし切れなかった鳴の脇腹を掠め、漆黒のマントを切り裂いた。

 今までになかった高威力の水魔法。

 範囲を捨てて一点特化した形状は考えるまでもなく、鳴が使う魔法の形を改良したものに違いない。

 

 本来は得意でない魔法の形状を成し遂げるほどの強い想いと願い。絶対にできるという自信。

 だがそれに対する対価は当然発生する。

 急激な運動による体力と魔法による魔力の消費によって二人の集中力は徐々に低下を始め、避けるか防いでいた魔法が被弾を許し始め、身体に傷を刻み込んだ。

 何か一つ判断を間違えて攻撃を受ければ両者の差は覆せない領域まで拡大するだろう。

 鳴も香奈も序盤の派手な魔法を控えて的確に、特化した一発の応酬を始める。

 勝負は佳境へと差し掛かっていた。


(ごめん、あたしの勝ちっぽい)

 終わりの見え始めた勝負の中で香奈は寂しげな心持で確信した。

 鳴の周囲、床には香奈の攻撃を弾いた時に散らばった水がそこかしこに撒かれている。

 香奈は実態のある水を攻撃に使うのに対し、鳴は実体のない闇を攻撃に使っていた。

 攻撃の過程で発生した水は弾かれたとしても再利用することができる。

 だが鳴は空中の香奈を見据えているせいか、床に散らばる水に注意を払っていなかった。

 

 その上、鳴の攻撃には足りないものがある。

 放たれる攻撃には俊敏に反応し迎撃して見せるのに、香奈を直接狙う攻撃には殺意がなくどこか中途半端。

 魔法は想いだ。それが殺意といった負の感情であっても、篭められた魔法は僅かに威力を増す。

 香奈は水の矢を立て続けに放ち、少しずつ作り出しておいた一際大きな水溜りに鳴を誘導する。

 彼がそこに立てば水は鋭利な槍となって避けようもなく全てが終わる。

 淡々と作業をこなす香奈の目には凡そ感情と呼べるものは何一つ浮かんでいなかった。

 どうしようもない、仕方ない、諦めと自嘲が心の中を無に染めてしまう。

 やがて鳴が導かれるように水溜りを踏む、一歩手前。


「香奈!」

 唐突に鳴が名前を叫んだ。

 香奈の記憶の中で鳴に名前を呼ばれたことなんて今まで一度だってない。

 色のなかった瞳が見開かれ、鳴を穿つために組まれた魔法が反射的に止まってしまう。それは余りにも致命的過ぎる隙だった。

 にも拘らず鳴は勝負を決めにかからない。

「俺はお前を連れて帰る! あの毎日が楽しくなかったなんて、そんな事は言わせない!」

 鳴の言葉に初めて香奈が顔を歪ませる。

「もう、遅すぎるっ」

 それは始めて発露した本当の感情だった。堰き止めていた衝動が瓦解して両の瞳に涙が浮かぶ。

 香奈がエイワスと行動をともにしたのは随分と前だ。

 始めは世界を幸せに導くという彼の理想を実現する為に、幼い香奈は努力を続けた。

 だが、いつの頃からかこの行いが本当に正しいものであるのか揺らぎ始め、今はもう間違った事をしていると分かりきっている。

 それでももう止める事なんて出来ない。返事とばかりに弓を構える。

「お前にどんなしがらみがあるのか知らないが、戻りたいなら戻ればいい!」

 放たれた青い矢を鳴は真っ向から受け止め、切り捨てる。

「どうにも出来ない事だってあるの!」

 香奈には両親を諦める事が最後まで出来なかった。それが出来れば、どれ程幸せな事か。


 鳴が切り払った剣閃の向こうには2発目と3発目の矢が迫っていた。

 今までの香奈の射撃速度とは一線を画す連続攻撃に、しかし鳴は少しも臆さない。

 香奈が出来るのであれば、自分にだって出来る。

 魔法が信じる想いだというのなら、自分の想いが香奈に負けているはずが、否、負けていいはずがない。

「クロォォォォス・スラァァッッッシュ!」

 気合一閃。振り下ろした剣が神速で煌き、バツの字に振られ2発目の矢を叩き切る。

 だがそれも香奈にとっては想定の範囲内だ。鳴の足元に広がっている水場に向かって魔力を流し込み、操作を始める。

 しかし、魔法が鳴を捕らえることはなかった。

「自分でどうしようもないってんなら……」

 静かに、唸るように吐いた言葉と共にぐっと、その場に身を屈め力を篭め、

「俺がお前を、誘拐(テイク・オフ)してやるッ!」

「ば、ばっかじゃないの!?」

 とんでもない一言に香奈の制御が遅れ、足元から鳴の身体を貫かんと迫った槍よりも早く、天井に向けて大きく跳んでいた。

 香奈は咄嗟に前方に向けてあらん限りの魔力でもって水の障壁(ヴェール)を作り出す。

 けれどその選択は完全なイージーミス。今まで逃げに徹していたのは鳴の圧倒的な攻撃力を防御する術がないからだ。

 鳴はこれ以上ない位の笑みを見せると遠慮の欠片もなく大剣を振りかぶる。

「チェック・メイトだ!」

 水の障壁(ヴェール)に食い込んだ刃が不気味に鳴動すると殆ど抵抗を感じさせる間もなく真っ二つに切り裂かれた。

 

 やっと終わったと香奈は思った。最後の線引きが鳴であることに不満はない。

 彼に傷を残してしまう事は悲しかったけれど、そうせざるを得ない場は演出できたつもりだ。

 たとえ家族のためであっても鳴を殺す事などできるはずもない。

 今までの攻撃の応酬は何もかも、鳴なら止めてくれると信じたからだ。

 自分の手で家族を裏切る事が出来なかった香奈が取れた選択はこれだけ。

 しかし、恐れていた痛みはいつまで待ってもやってこなかった。

 鳴の手が香奈の身体を手繰り寄せ、しっかりと抱きしめてから地上に降り立つ。剣山に似た水溜りはただの水溜りに戻っていた。

「帰るぞ。誰がなんと言おうが、お前は俺達の仲間だ」

「無理だよ。あたしはもう、色々間違えすぎてる」

 胸の中で小さな涙声が漏れた。

「間に合うさ。香奈は俺を殺さなかった」

 何を言ってるんだとばかりに、香奈が鳴を見上げる。

 今までの香奈の魔法1発1発が、相手の命を奪いかねない威力だったのは互いの知るところだ。

「最後に攻撃されてたらやられてたのは俺の方だ」

 うっと、香奈が言葉に詰まった。

 鳴が今まで香奈の攻撃を裁けていたのは地上で足場があったからだ。宙に跳んだ所を四方八方から狙われれば回避する術も、弾く術も、鳴は持ち得ない。

 広範囲の変則的な攻撃が得意な香奈ならあの場でも意思さえあれば十二分に実行可能だった。

 大振りに持ち上げた剣の軌道を変えることすら出来ない内に串刺しになって終わっていた事だってありえる。

 けれど、鳴は信じる事にした。死ぬ事が怖かろうと、香奈が自分を攻撃しないことに。

「でも、あたしはみんなを裏切った事は……」

「俺にとってはそんな事どうでもいい。ただ傍にいてくれればなんだっていい。俺はあの場所を取り戻したい。もう過去に囚われるのは止めたんだ」

 笑ってしまうくらい単純な理由に、香奈が呆れたように笑い声を漏らした。

 傲岸不遜な物言いに気が抜けたのか、目を閉じて身を預ける。

「幕を下ろすのは自分でしないとダメだよね」

 握られていた弓は青い粒子となって大気へと溶け消えた。

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