回想 全ての始まり -3-
あぁ、死んだんだなぁと苦笑して優衣は目を開ける。
開けた視界に映るのは純白で統一されたどこまでも際限なく広がる不思議な空間で、地獄絵図と化した駐車場の影はどこにも見つからない。
死後の世界って本当にあったんだという感慨に耽っていると、突然どこからか声が聞こえた。
『お前はまだ死んではいない』
男性にも女性にも子どもにも大人にも聞こえる、不思議な暖かさを持つ声だった。
耳元で囁かれているようにも思え、逆に遠くから響くようにも聞こえ、頭の中に直接入ってくるようにも感じる。
何もかもが不確かだというのに存在感だけはやけに大きい。
『その証拠に、目の前を見てみるがいい』
声がそう告げると、不意に白一辺倒だった視界の先が揺らぎ、楕円形のスクリーンのようなものが現れ、先ほどの地獄絵図と化した駐車場が映し出された。
獣が振り上げた爪が今まさに小柄な優衣を襲おうとしている瞬間だ。
よくよく見れば本当に僅かずつではあるものの、爪が動いているのが分かる。
「ちょっと待って、これは一体何の拷問なの!?」
ゆっくりゆっくり自分が引き裂かれ、殺されるところを見るような趣味が優衣に、というより一般的にあるわけがない。
考えうる中で最大の悪趣味の限りを尽くした残虐ショーにさえ思えた。
『こちらとしても死の瞬間を見せ付けるような趣味はない。ただ、現状の把握と、残された時間は少ないということを伝えたかっただけだ。気を悪くしたなら謝罪しよう』
声はそう告げると映っていたスクリーンを空気に溶かすように消し去ってみせる。
「じゃあ、どうしてボクはこんな所にいるの?」
声の目的が悪趣味なショーの開幕でなければ優衣に何か用があるという事だろう。
「ボクを、助けてくれるとか?」
若干の期待を織り混ぜて優衣が尋ねる。
「私が君を助けることはできないが、君が君を助ける手段を与える事はできる」
けれど声は謎めいた答えを口にするだけだった。
「時間がないのなら、結論だけを教えて」
『そうだな……長い話はこの際捨て置こう。あの獣はこの世界にとって害だ。存在するだけで世界すら崩壊させる可能性を持つ因子だ。故に倒さねばならず、我々"精霊"は素質を持つ者に力を与えることでそれを成している』
声の言うことが事実か事実でないかはこの際、優衣にとってどうでもいいことだ。
もう既に科学的に説明できない事態が起こっていることは何となくわかっていた。
であれば、何らかの科学的でない方法を用いない限りあの獣には対処できない。
「それに、ボクが選ばれたって事?」
『そういう事になる。受け入れるかは自由だ。力を受け入れれば否応なしに闘争の世界に身を窶すことになろう。それが人にとって負担になることは言うまでもないが……代わりにお前は現状を打破する"可能性"を手に入れる。だが受け入れれば、お前という存在は歩くはずだった道を大きく変えることになるだろう』
つまり声はこういっているのだ。今死ぬか、力を得てあの獣と似たような意味不明な何かと戦い続けるか。
後者の選択が常に死と隣り合わせの茨の道になることは想像に難くない。
或いは死よりももっと辛い運命を歩く可能性だってあるのだから。
『選ぶといい、もう時間はない』
悩む暇さえ与えられない。もしかしたらこの声はこんな風に後がない人間を好んで力を与えているのかもしれない。
だとしたらこれほど悪趣味なことはないだろう。
それでも、優衣には頷く以外の選択肢はなかった。自分のためではなく、一緒にいる女の子の為にも。
『……別に死にいく者に契約を迫っているわけではない』
覚悟を決めた瞬間に、ふと声はふてくされたような声色でもって心を読んだかのごとく抗議を発する。
『本来ならば契約者としてお前は限りなく"不適合"なのだ。だが、同時にこれ以上ないほどの"最適解"でもある。……遅くなったのは悪いと思うが、悩んだのだ。お前を本当に契約者として良いものか、とな』
世迷いごとと切り捨てるのが難しいほどの苦悩が声から読み取れた。
限りなく不適合とこれ以上ない最適解。矛盾する2つの要素が備わっているのは一体どうしてなのか。
不思議に思いはしたが優衣に考えている時間はない。
『目を瞑れ』
優衣は言われるがままにそっと目を瞑る。真っ白な景色はどちらにしろ変わらなかった。
声は朗々と、昔話のような物語を紡ぎ始めた。
ある所に、友人に酷いことをしてしまった男がいた。
それが原因で友人は男を恨み、一つの呪いをかけてしまう。
男は呪いによって苦しむが、決して友人を憎むことはなかった。
それから長い年月が過ぎ、ある時を境に男と友人は再会する。
友人は男を恐れた。呪いによって長年苦しんだ彼が自分を呪わないはずがないと考えたからだ。
その疑心暗鬼は膨れ上がり、遂には男を殺してしまう。
だが男は刃を突き刺した友人に、友になってくれてありがとう、私を許してくれという一言を残すだけだった。
友人は嘆き悲しみ、世界に満ちた呪いや誤解を解く旅に出る、そんなお話だ。
話が終わるなり、身体がほんの少し締め付けられるような、窮屈な感覚が駆け巡る。
それに雰囲気の演出のためなのか、先ほどまでは眩いばかりだった空間の光量がかなり絞られ薄暗さを感じる様になっていた。
『これは、一体どういう理屈だ……? やはりお前ほどの最適解は存在しないが、それにしたって』
驚愕に歪んだような声色で声が言うのだが、不思議と先ほどよりも声量は小さく、微かに震えすら感じられた。
『……先を急ごう。お前が求めるものは何だ? 力を得て何を成したい』
突然の質問に、優衣は面食らったように首を捻る。力を得て何をしたいと言われても何も思い浮かばない。
そもそも力がどんなものでどの程度のものかすら分からないのに、何をしたいかなどと聞かれても困る。
状況を子細に分析してから結論を出すタイプの優衣にとっては尚更だった。
が、声はその戸惑いに満足したかのように笑ってさえ見せた。
『面白い。お前の行く末に興味がわいたが、余り時間もないな……念じろ、それがお前の武器になる』
声が遂に電波の領域に達したかと半ば呆れた優衣だったが、その言葉の意味を考えた瞬間、一つの"ワード"が脳裏に浮かび上がり、そんな馬鹿なと呆けた。
口にするのを若干躊躇うが、声がその言葉を待っているという確証もある。
(あぁもう、なるようになれ!)
やけくそ気味に覚悟を決めて頭の中に思い浮かんだ言葉を口にする。
「煌きを灯せ 導きの標」
言葉に呼応して身体の中から何かが弾けた。
閉じ込められていた何かが分厚い殻を突き破り、体中を駆け巡り暴れだす。
(ボクは、この感触を、どこかで……)
記憶の奥底にある、身近だったはずの、けれど忘れていた何か。不思議と絶対に大丈夫だという確信が満ちていた。
(解放、する!)
自分を中心に突風が舞うかの如く、暴れ狂う何かが表層に躍り出た。
得がたいほどの開放感と共に全身にひりつくような電流を感じ、思わず恍惚の吐息を漏らすと、目の前の1本の杖が現れる。
中心に添えられた純白のクリスタルはそれ自体が内側から光を零し、それを覆うように翼状の透明なクリスタルが展開され、延びた柄は身長程もあるだろうか。
そっと手を伸ばし握ってみればまるで自分の身体の一部であるかの如く繋がった気がした。
「アステール……」
杖の名前が勝手に唇から漏れる。
時間にして数秒ほどの短い、けれど長い時間を経て、気が付けば既に渦巻いていた突風も暴れ狂っていた何かもひりつくような電流もなりを潜めていた。
だが優衣は胸の内から湧きあがってくる膨大な圧力を確かに知覚する。
『後は実戦あるのみだな……現実世界に戻る。まずは敵の攻撃をやり過ごすために結界を展開するんだ』
「結界……? ごめん、突然すぎてもうなんだか意味が分からないんだけど!」
『何でもいい、攻撃を防ぐ何かを思い浮かべろ!』
せめてこの空間で1回くらい実験させてくれてもいいじゃないかと優衣は思ったが、次の瞬間には現実の、先ほどの場所へと移動していた。
襲い来る強靭な爪を前に無我夢中で言われたとおり攻撃を防ぐための何か、最近はまったゲームでボスが使ってきた透明な壁を思い描く。
聞こえたのは肉を絶ち骨を砕くような柔らかい音ではなく、重厚な金属をぶつけ合わせたような重低音だった。
見あげれば獣の爪が不可視の膜によって阻まれるどころか、あまりにも硬質な結界によって爪の一部を砕いてさえいる。
『初めてにしては上出来だ。術式と属性の相性も悪くない』
どこからか聞こえてきた声は先ほどの空間で聞いた物と同じだったがノイズが酷く、音量も小さい。
加えて言っていることは僅かばかりも理解できないが、今はそれを気にしている暇などなかった。
『これで敵の攻撃は封じた。後はあれの動きを止める方法を考えろ』
「動きを止める方法っていっても……っ!」
獣は優衣を分の悪い相手と思ったのか、僅かに距離をとる。そしてそのまま頭上を飛び越えるべく跳躍の体勢に入っていた。
後方には食料店の入り口があり、何事かとこちらを見ている客が残っている。行かせるわけにはいかない。
攻撃手段を考えている時間はなかった。
本能的に抱いたイメージに身を任せて優衣は手に握った杖を結界に向けて大きく振りかぶる。
『おい、何を……!』
声が止めるのも聞かず、全力で溜めた力でもって結界を内側から粉砕した。




