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現世の魔法使い  作者: yuki
第二章
46/56

8人目の被害者

 光輝は道中、鳴に電話をかけて事のあらましを伝える。

 香奈が実は裏でエイワスと通じていて、優衣を攫ったこと。

 言葉を失う程の大きなショックを受けていたが今は構っている暇がなかった。

「そういう訳で1度切る。鳴のせいじゃないから安心しろ、優衣は必ず取り戻す」

 一方的にまくしたて、最後まで返事のなかった電話が終わる頃には優衣の家についていた。

 時間的には非常識極まりないがこの際構っていられない。

 呼び鈴を幾度か押すとドアの向こうに近づく人の気配を感じた。

 寝ていたのか、甚平姿の父親が眠り眼を擦りながら憮然とした表情でドアを開けると見慣れた2人の、それも魔法使いの衣服そのまま、異質と言っていい姿を見て目を丸くする。

「2人とも、一体どうしたんだい? 優衣が一緒に泊まりだって聞いてたけど」

 道中でどういう方向性にするかは既に話し合っていた。魔法の存在は匂わせない。

 でなければ相手にしてもらえない可能性が高いからだ。

「優衣が攫われたの。相手は磯野宝治っていう、15年前の……」

 相手が過去の連続誘拐犯の主犯だとわかっているのは大きい。警察に通報する際の説得力が違う筈だ。

 ところがこの名前は優衣の父親にとっても衝撃だったようだ。みるみるうちに顔面が蒼白に変わっていく。

「一つ聞きたい」

 最後まで言い終わる前に、父親が香澄の肩を掴むと躊躇う様に尋ねる。

「相手はまさか、エイワスなんて名乗っていないだろうね?」

 今度は光輝と香澄が驚く番だった。

 優衣の父親が沈痛な面持ちに変わる。

「上がっていかないかい。詳しく話を聞きたいんだ」


 リビングにはメモや地図、古い新聞やバインダーで山になっていた。隣には大きなキャリーケースまで鎮座している。

「散らかっていてすまないね。実は取材から帰ってきたばっかりなんだよ」

 山を幾つかにまとめてから端に寄せ、どうにか会話ができるスペースを作ると2人を席に促してから缶入りの紅茶を3つ取り出して勧める。

「突然こんな事を聞いておかしな人だと思うかもしれないけど、君たちは魔法とかオカルトを信じるかい?」

 微妙な質問に2人は戸惑いを露わにした。

 信じるも何もどっぷり浸かっているのだが話して良い物かどうか躊躇いが生まれる。

『悩んでいる暇などあるまい』

 突如、火の気など欠片もない机の上に炎が立ち上ると父親は驚いて身を引いた。といっても炎には温度がない。

 渦を巻いて1つに収縮されると小気味いい、ぽんっと弾ける音がしてサラマンダが顕現した。

『エイワスに反応した時点で何かしらの知識は持っているのだろう? ならばもう隠しても意味などあるまい』

『僕もそう思うなー』

 今度は足元にふわふわな毛の感触に驚いてテーブルの下を見ると狐が一匹足元をうろついていた。

「これが"せいれい"か……」

 父親が驚いてはいるがどこか納得したように2匹をみて光輝と香澄は驚いていたが、サラマンダにとっては予測できていた事なのか、やはりな、と小さく頷く。


「僕が知っている事を全て話そう。その後で君たちが知る事を僕に教えてほしい」

 双方に異議などなかった。

「君たちは優衣の性別が変わったことを知っているかい」

 2人が頷くのを見て、父親はどこか嬉しそうな雰囲気に変わる。

 変わってから上手くやれているのかずっと心配していたのだ。

 昔から仲のいい2人がそのことを知っていてなお友達でいてくれると言うのは心強いことこの上ない。

「僕はここ最近、15年前の誘拐事件について調べていたんだ。優衣の性別が変わってしまった理由や、元に戻す方法がそこにあるんじゃないかって、ね」

 優衣が女の子に変わった。

 超常現象、オカルト、この際何だっていい。目の前の現実は理解できる範疇を超えている何かだ。

 普通ならここで匙を投げ出し起こったことを受け入れしかないのだろうが、父親には理由となり得る情報が手元にあった。


「優衣は、僕の子どもじゃない。僕の姉さんの子どもなんだよ」

 妹の雫と言う名前を付けるのに、父親も母親である桜も随分と苦労した。なにせ、それが初めての名付けだったのだから。

 母親は強く生きてほしい願いから、どうしても男の子っぽい名前しか浮かばなかった。

 だから"優衣"と言う名前は他の、優衣の父親の姉が生みの親としてつけた名前だった。


「これは優衣の出生届と母子手帳だよ。中にある性別欄を見てほしい」

 手の平に収まるくらいの小さな手帳は随分と年月の経った物なのか、表紙は色あせている。中には生まれてくる子の成長が細かく記述してあった。

 その中の1ページに、母親の名前と父親の名前を記入する箇所がある。

 母親の欄には優衣の本当の母親であり、優衣の父親にとっては姉に当たる"月島 愛美"という名が。

 しかし父親の欄は全くの無記名だった。

 何より光輝と香澄を驚かせたのは性別の欄だ。

「これ、間違いじゃないんですか?」

 光輝の質問に父親はゆるゆると首を横に振った。

 書かれた文字はたった一文字。「女」とだけ記載されている。

「でも優衣は確かに……」

 つい最近までは間違いなく男だった。それは父親も知る所だ。

 小さかった時に一緒にお風呂に入った事も数多い。優衣が男だったことは決して間違いではない。

 

「そこは複雑なんだ。優衣は15年前の誘拐事件の時に救出されたんだよ。性別が変わった原因がこの事件にあるんじゃないかと思ったのも、これが一番の理由さ」

「けど誘拐された中の7人に優衣の名前はないはずです」

 光輝の言葉に父親が感心したのか、ほう、と小さく漏らす。

「良く知ってるね。確かに、優衣は誘拐されたわけじゃない」

 誘拐事件の被害者は7人。これは報道されたから有名だが、救出された2歳児が実は8人居たことはあまり知られていない情報だ。

 数の合わない一人はどこからかつれてこられたわけじゃない。そこで生まれたのだ。

 優衣は誘拐事件の始まりとなった年に誕生し、魔術結社によって育てられた。

 正確には、そこに属していた優衣の母親によって。

 

「僕の姉は色々と不遇な人生を歩んでいて音信不通だったんだけど、いつの頃からか魔術結社に入信したらしい。そこで子どもを生んだという連絡が来たんだ」

 魔術結社の本質は発足当初から変わっていない。居場所のない者に居場所を、虐げられた者に安息を。

 誰でも自由に集まって、気ままに仲間を見つけて、お茶を飲み、将棋を指し、井戸端会議に花を咲かせられる場所。

 優衣の母親が歩んだ人生は裏切りの連続だったと言っていい。

 本人に非がなかったわけではないが、なにより男運がなかった。

 元よりほんわかとしていた彼女は何人もの男性に騙され、いつしか行方不明になり探していたが見つかる事はなかった。


「優衣が生まれた知らせを聞いたのは15年前、つまり生まれたすぐ後だね。感極まった行方不明の姉が電話してきたのさ。流石に驚いたよ」

 思い出そうと思えばすぐに思い出せる。あれは冬の寒い日の事だ。

 まだ記者として働いていなかった彼の父親は普通の会社員だった。

 休日、ぐっすり寝ていると朝早くから電話が鳴り響き一向に収まる気配はない。

 仕方なしに起きて受話器を取ると第一声は「子供が生まれたの」だった。

 間違い電話かと思った父親だったが、それにしてはどこかで聞いたような声だ。

 どちら様ですか、と尋ねる彼に向かって、受話器越しの女性は悪戯っぽく笑うと隠しておきたかった過去の失態の数々を朗々と語り始めるに至り、それが姉であることを知ったのだ。

 父親が誰であるかは頑なに答えなかったが声は幸せそうで、偶には実家にも帰ってこいと言うとその内帰るからとも話していた。


「姉は元気な女の子が生まれて、優衣という名前をつけたって言っていた。それから、もしも自分に何かあったときは優衣をお願いとも頼まれた。縁起でもないと思ってたけど、姉は酷く本気だったように思う」

 それから1年経っても姉は実家に帰ってこず、相変わらず音信不通のまま。

 連絡があったのは翌年。魔術結社の事件が発覚する僅か1週間前のことだった。

 

「これは推測だけどね。魔術結社がしていた誘拐事件に姉は深くかかわっている。それを通報したのも多分姉なんだ」

 その時の電話は今なお父親の耳にこびり付いて離れない。彼が記者を目指した最初の契機。

 突然電話してきた姉は1週間後に会いたいと言って場所を指定した。

 絶対に、何があっても来るように、しつこいくらい何度も告げて。

 言われた通り指定された場所に行くと、そこには大量のパトカーが詰めかけていた。

 指定された場所は魔術結社のあったビルの前。

 何があったのか尋ねた父親に、周りの人は誘拐事件があった、監禁事件があった、生贄が殺されたと好き勝手にまくしたてる。

 父親は恐ろしくなって、邪魔だと邪険に追い払おうとする警察官へ姉の名前と優衣という2歳の子どもがいなかったか詰め寄った。

 すると警察官は顔色を変え、身分証を求めると手早く確認し、黄色く"KEEP OUT"と書かれたテープの内側に父親を引きつれたのだ。

 

「そこには助け出された8人の幼児が居た。みんな喧騒に驚いて泣いてたりしてたね。その中に、姉の免許証と母子手帳を持っていた幼児が居たんだ。それが優衣だよ」

 DNA鑑定の結果、紛れもなく姉の子であると証明された物の、母子手帳の情報と食い違う点が1つあった。

 優衣は女の子ではなく、男の子だったのだ。一体どういう事なのだろうかと頭を悩ませたが真相は誰にも分からない。

 可能性としては、この母子手帳が真実を記していない偽物であること。

「もう一つについては、すまないね、話したくないんだ」

 そう言って父親は目を伏せた。

 もし母子手帳が偽造でない本物なのだとすれば、父親の空欄はどういう意味を持つのか。

 父親はとっくに、法の書がどういう理念で書かれた物なのかを知っている。

 一つは既存の神についての批判と、人の生きるべき道についての示唆。

 それ以外にも著者であるクロウリーが実績していた性魔術に関する項目もある。

 閉じられた信者たちだけの世界で何があったのか、もはや誰にもわからない。

 父親の欄が空白なのは隠したかったか分からなかったかのどちらかなのだ。

 姉が産んだ子供が優衣一人だったという証拠はどこにもない。

 女の子だった"優衣"は別に居て、救出された男の子は双子だった可能性すらある。

 では女の子だった優衣はどこに行ったというのか。

 父親は母子手帳が偽造された物だと願い、優衣の名前を救出された男の子に付けた。

 姉には何か理由があって、生まれた子の性別を偽ったのだと思いたかったからだ。


「その後も姉は見つからなかった。残された優衣は他に身内が居なかったから僕が引き取ることにしたんだよ。丁度1年前に愛した妻が死んでしまって随分悲しんだが、僕には雫が居たことで救われたんだ。優衣にとってもそうなってくれればいいって思ったのもあるし、姉に頼まれていたからね。もしかしたら姉はこうなる事を初めから知っていたのかも」

 優衣は大人しかったが、2人分の子育ては苦労の連続だった。

 会社に勤める事なんてとてもできず、一念発起して退職すると家でもできるライター家業を始める。

 幸い、前に居た会社の上司が事情を知っていたからか、仕事を優先的に降ろしてくれたことで食べて行くには困らなかった。

 

「でも最近、優衣は本当に女の子になってしまった。きっと15年前の事件に何か関係がある。そう思って調べていたら、同じ時期に優衣も興味を持ってたみたいでね。内心焦ったよ」

 15年前の事件の真相を知れば、優衣は血が繋がっていない事を知るだろう。

 既に半ば以上気付きかけている節はあるが、言う時は自らの口でという父親の想いがある。

「この調査が終われば全てを話そうと思っていたんだ」

 当時、父親は自分なりに事件について調べて回っていた。その時に貰った証言は数多いが、オカルト的な物に関しては全て省いている。

 魔術結社と御大層な名前がついているが、この世にオカルトなんてありえない。そう思い込んでしまったのだ。

 でも現実には優衣の性別が変わるというオカルトがあった。

 そこで父親は13年越しに方向を転換し、オカルト的な意見ばかりを集める為に当時の関係者を回っていたのだ。

 

「当時、秘密結社が何をしでかそうとしていたか、たった一人だけしか話してくれなかったけれど聞くことが出来たよ」

 期待に満ちた眼差しが一斉に向けられる。この事件の核心は彼らではどう頑張っても辿りつけなかった物だ。

「"せいれい"の降臨による理想郷の実現。詳細は分からなかったけど、異世界にある力をこの世界に降ろして皆が幸せになるという内容らしい。世界は愛に包まれると言っていたが、具体的に何が起こるかは誰も知らなかった。この手の宗教はどうしたって終末思想が蔓延ってるし、あんまり良い未来ではなさそうだけどね」

 全く笑えない話だ。

 その為に4桁にのぼる信者を集めて毎日願いを溜め込み精神世界の穴を開けたのだとしたら努力の方向性を間違っているとしか言えない。

 だが同時に、危険極まりない思想であることも確かだ。

『まさか精神世界との境界を完全に破壊する気か』

 サラマンダが愕然と言い放つ。

「異世界は精神世界と言うのかい。それは一体どんな場所なのかな」

『あらゆる形あるものが存在できない代わりに、あらゆる願いは叶えられる』

 境界が完全に破壊されれば2つの世界は融和し、形あるこの世界は全てを失う。文字通り、完全なる消滅だ。

「それでどう幸せになれるのか僕には理解できない。けど、エイワスと言う男はきっと諦めていないんだろうね。この名前は彼等の教典でもある法の書に出てくる神様の物だから」

『しかし何故優依を攫ったのだ』

 分からない、と父親は首を振った。

 光輝や香澄に対する邪魔するなと言う意思表示なのかもしれない。

 甘い性格をしている上に魔法使いとしても半人前以下の優衣が一番扱いやすく御しやすいのは誰もが知る所だが、光輝にはエイワスが最後にはなった一言が不安で仕方ない。

 

「これで僕の話は終わりだよ。今度は君たちの話を聞かせてもらっていいかな」

 光輝と香澄が小さく頷くと、今まであった全てを包み隠さず話し出した。

 長い話を終えると父親が難しい顔をする。

「なるほど……。彼は最重要人物だからね。居場所は僕も探していた」

 そこへ突然携帯電話の着信音が鳴り響く。光輝の物でも香澄の物でもない。父親がディスプレイを一瞥してからすぐに取る。

 通話は二言三言交わすだけという短いものだったが、表情はいつになく真剣なものだった。

「居場所が判明したよ。かつて魔術結社の本部があった場所の地下に潜伏しているらしい」

 魔術結社はその後なし崩し的に崩壊し、所持していたビルや土地も売り払われた。

 けれど裏の顔を知る信者達を住まわせていた秘密の居住区である地下は余りに広大すぎて更地に直すのは困難とされ放置された経緯がある。

「それはどこにあるんですか!?」

「近くにある大型食料品店だよ」

 初めて優衣が魔物に出会った場所。

 エイワスが屋上で悠々自適に待ち構えていた場所。

 なんてことはない、無駄に広大な駐車場はその下にかつて魔術結社が作った地下居住区があり、建造物を建てるのに不安があった結果だ。

 地下に秘密基地があるという噂は本当だったのだ。

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