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現世の魔法使い  作者: yuki
第二章
42/56

悔恨

 翌日、影人と香奈が学校に来ていない事を不審に思った3人が担任に問い詰めたところ、香奈は家庭の事情で暫く学校に来れなくなるという連絡が、影人は体調不良で登校できない旨の連絡がそれぞれ本人から来ていた。

 初めは渋々ながら納得したものの、もう3日も経ったたというのに2人が来る気配はない。

 既に幾度となくメールや電話をしているが連絡がついた事もなかった。

「影人の家に行ってみる」

 待つことを我慢できなくなった優衣がそう切り出したのは当然といえよう。

 光輝と香澄も付いていくと言い出したが優衣はこれを拒否した。もし本当に体調不良なのだとしたら大勢で押しかけるのはかえって迷惑だ。

 何かあったら連絡するという条件の元2人に納得してもらい、夕飯の材料になりそうなものを買い揃えてから影人のマンションへ向かう。

 光輝と香澄にはその間香奈に何があったのかより詳しく担任に話を聞いてもらうことにした。

 影人の住所は一度訪れた事があるから知っているが、香奈の住所は誰も知らない。もし教えてもらえるようならそっちも確認する手はずになっている。

 問題は影人が家に居るのかだったが、拒絶される可能性はあっても居ないとは思っていない。

 ついでにいえば体調不良になっているとも思っていなかった。

 魔法使いの身体強化があれば軽度の病は効果がない上に、もし体調を崩してもすぐに回復するようになっている。

 翌日に休まなければならないほどの病気になるなどありえるはずがないのだ。

 

 マンションにたどり着くとひとまず呼び鈴を押してみる。やはりというか、反応はなかった。

 普通ならここで回れ右をする所なのだろうが、物は試しとばかりにドアノブを捻ってみると抵抗もなくすっと開く。

 既に時刻は五時を回っているが初夏のこの季節ならまだ外は十分明るい。にも拘らず、部屋の中は真っ暗で開いたドアから射し込んだ光が照らす部分以外は良く見えない。

「影人、居るの?」

 返事はないが人の気配はしっかりと感じられた。意を決して中に入ると扉を閉める。

 あらゆる窓を遮光カーテンで締め切っているのか、入り口が閉まると本当に真っ暗だ。

 買物袋を玄関脇に置くと足音を殺しながら気配の方に向かう。壁一枚向こう側、隔てられた扉はかつて香奈が家捜しを始めた影人の部屋だ。

 ゆっくりとドアを開けるとベッドの上で膝を抱えている人影が見えた。暗い上に俯いていて顔がよく分からなかったが間違いない、影人だ。

 優衣がそっとベッドに近づくと影人が顔を上げた。ようやく確認できた顔は3日間録に寝ていないのか酷い事になっている。

「何があったの」

 隣に腰掛けても影人は何も言わなかった。

「何を見たのかボクには分からないけど、それは全部悪い夢だよ」

「夢なんかじゃない!」

 優衣の言葉に影人が激しく反応する。

 エイワスが見せた何かが今もずっと影人を苦しめているのは何となく予想できた事だ。

 影人が学校を休む理由なんてそれしかない上に、元からエイワスに対して、というより自分が魔法使いになった事に対して余り良い感情を持っていないことに気づいている。

「話してみない? もしかしたら楽になるかもしれないよ」

「楽になどなるものか。元から俺は呪われているんだよ」

 吐き捨てられた言葉は酷く切なげで、諦めの混じった自嘲のようにも聞こえた。

 優衣はそれ以上何も言わず、ただ隣に座って話してくれるのを待ち続ける。

 人には誰かに言っても解決しない悩みとする悩みがある。影人の場合は、きっと誰かが聞かないと解決しない気がしたからだ。

「この力を捨てたいと思っても、捨てられるものじゃないだろ」

 強い力には代償が伴う。光輝がかつて話してくれたように、力を手に入れれば普通の人ではいられなくなる。

 魔物と戦わねばならない時もあれば自分を犠牲にしなければならない時もある。

 優衣にはお目付け役であるはずの精霊が居ない。だから契約した後も割と自由に過ごすことができた。

 光輝は毎日サラマンダに魔法の練習をさせられていたようだが、それを苦痛に感じてしまう人もきっと居る。

 影人も今まで魔法使いとして生きてきて少なくない何かを犠牲にしてきたのだろう。



「俺の両親は子どもは一人って決めてたんだ」

 早々と結婚した影人の両親は子どもを欲しがっていたが、始めたばかりの事業は安定しているとは言えず、経済的に1人が限界だろうと結論を出した。

 事業が大きくなったら弟か妹を作ろう、そう決めて影人は生まれてきた。

 だが待ち望んだ我が子に喜んだのも束の間、影人は15年前の魔術結社連続誘拐事件の被害者となってしまった。

 両親は悲しみに暮れ、毎日影人が無事に帰ってくることだけを祈り続けたが、手掛かりは見つからず、予測されていた犯人からの身代金の要求や声明さえ来ない。

 結局何の進展がないまま1年という時間が過ぎ去ってしまった。

 人を生かし続けるには労力が必要になる。食事の世話、病気の世話、それが新生児となれば尚更だ。

 半年が過ぎれば影人の生存は絶望視され、1年後には本格的な捜査も打ち切られてしまった。


「だから俺を諦めたんだ」

 悲しみに暮れていても人は生きていかねばならない。

 両親が踏ん切りをつける為に、影人を過去の事にする選択を取ったとしても責めるのは酷というものだろう。

 沈んだ気持ちから立ち直るためにも両親は新しく子を作る事に決め、翌年、影人の妹が生まれた。

 

「あの時俺が死んでさえいればこんな事にはならなかったんだ」

 15年前の被害者は欠けるどころか全員が理想的な健康管理をされていた上で生還した。

 被害者の親は泣きながら我が子の生還を喜んだと伝えられているし、それは間違っていない。

 でも、心中複雑な思いだった親がいることも確かだ。

 両親も影人が見つかった事が嬉しくなかったわけではない。けれど、タイミングが悪かった。

 経済的な理由から子どもを一人にしようと決めていたのに、現実には2人になっている。

 その差を埋める為に父親は身を粉にして仕事に邁進し、驚異的な速度で会社を成長させ経済的な問題はどうにか解消された。

 けれど、その代償として父親は家庭を顧みる暇を失うことになる。

 母親は初めての育児を2人分行わねばならず酷く疲弊していた。

 しかし毎晩遅くまで、時には居残ってまで仕事に没頭していた父親はその事に気づけなかった。

 影人が生還した事や妹が生まれた事が悪いわけではないし、父親が家族の為に仕事に没頭した事も間違ってはいないだろう。

 かといって、慣れない育児に疲弊していた母親が悪いわけでもない。

 悪者なんていなくてもこの世界はどうしてか歪んでしまう。間違っていなくともどうにもならない事ができてしまう。

 影人は15年前の事件のせいで、そんな世界の中で生きていく事を余儀なくされたのだ。

 心労に苛まれた母親は原因を欲した。

 一番の元凶は影人を誘拐した魔術結社だが、組織を恨んだところで今の生活が改善されるわけではない。

 最終的に鬱憤の対象となったのは目の前にいて手の届く存在だった影人だった。

「俺が物心付いた時にはもう母さんと父さんの仲は悪かったよ。母さんは妹の事ばかり気にして、俺に話しかけてくれることは殆どなかった」

 家庭が裕福になりお手伝いさんを雇えるようになった後も、母親と影人の関係が修復する事はなかった。

 当時、どうして自分が疎まれているか分からなかった影人は母親に認めてもらおうと沢山の努力をして、全てが徒労に終わっている。

 自分の過去を知ったのは中学に上がって父親に問いただしてからだ。

 

「初めてエクリプスに出会って契約を求められた時、これしかないって思った。世界を守っていると知ったらきっと受け入れてくれると、そう思ったんだ。だから俺は誰かを助ける為に力を願ったわけじゃない」

 けれど、現実は真逆に働いた。

 影人から話を聞いた両親、特に母親は特異な能力を恐れ余計距離を取るようになってしまう。

 魔物の討伐は影人の思っていたよりもずっと恐ろしいもので、あわや大怪我という場面も少なくなかった。

「自分を特別だと思っていたのは自分だけ。結局はそれも幻想で、俺はただの一般人でしかなかった。辞めたいと思った事は何度もある。けど一度手に入れた力は手放せない。かといって何もせずに見ている事も出来なかった」

 魔法使いと魔物が戦うのは魔法使いに戦闘の意志があるからだ。精霊になんと言われようとも逃げ続ける事は出来る。

「怖かったんだ。魔物をどうにかできる力があるのに何もしないで見ていたと知られる事が。責められる事が。そのせいで距離が今以上に開いてしまう可能性が」

 酷く後ろ向きな理由だろうと疲れた顔で笑う。

 契約したのも魔物を狩るのも全部自分自身のため。

 良かれと思った事は何一つ功を奏せず、より悪い方向へ転り続ける。

 その先にあったのは修復不能な溝を作る、とある一つの事件だった。

 

 影人はその日、一際強い反応を持った魔物と戦っていた。

 両者の実力は拮抗していて、影人は死に物狂いで刃を合わせる。優衣のように結界を展開し、外部の人間を遮断するなど到底できる事ではない。

 運の悪い事に、その場所は影人の妹が、今頃の時間に通る場所だった。

 影人の力のことを知っているのは両親だけで、妹には知らされていない。

 2人は母親から与えられる愛情に差異はあれど、仲は悪くないどころか、妹からすれば何でもそつなくこなす兄は自慢でさえあった。

 影人からしても2つ年下の妹の事が憎いわけではなかったから、少々甘やかすきらいがあったとしても、嫌いではなかった。

 その妹に現場を見られた事で影人は酷く動揺し身を硬直させ致命的な隙を作ってしまう。

 同格の魔物がその隙を逃すはずもなく、受ければただでは済まない威力を持つ一撃が避ける事も防ぐことも出来ないタイミングで放たれた。

 あぁ、終わったと思った彼を守ったのは、よくあるお話のように咄嗟に駆けつけてきた妹だった。

 けれど、現実はもう少し残酷な色合いが強い。

 

 影人は庇おうと迫ってくる妹を跳ね返す事くらいならできたのだ。

 選択は二つ。妹を弾き飛ばすか、当初の想定通りに多少なりともダメージを軽減する魔法を展開するか。

 短い時間で同時に2つの魔法を発動させる事はできない。流れる時間も止まってくれない。

 妹が自分を庇おうとするなんて思わなかったから、ここで弾き飛ばしても自分がやられれば水の泡だから。

 言い分が幾ら作れたとして、ダメージを軽減する魔法を使っていた事実は変わらない。

 結果、敵の攻撃は展開された防御魔法の上から妹を貫くだけに留まり、無傷の影人が怒りに狂い魔物を引き裂く事で幕を閉じた。

 勝利の変わりに失ったものは大きい。それから今も、妹は目を覚ますことなく延々と眠り続けている。

「俺がここに引っ越してきたのもそれが原因だ。元の町にいれば家族に被害が及ぶ。何かあっても事件のあったこの町ならっていう酷い理由だよ」

 事件の後、母親は影人に変な力があるから妹が巻き込まれたのだと影人を責めた。確かに間違っていない。

 もし影人が魔法使いでなかったならば、彼の家族が被害にあうことはなかったのだから。

 埋められなくなった溝の結果として、影人は1人でこの町で暮らす事になった。

 

「今までずっと、俺なりに普通じゃない特別な人間を演じてきた。鳴ではない影人として」

 影人の物言いが本人の素ではない事くらい暫く一緒に過ごしていればすぐに分かる。

 彼は今まで一度だって一人よがりになったことはなかった。それどころか常に他人に気を配ってさえいる。

「でももう無理だ。どんなに演じたとしても所詮は偽り、幾ら努力したところで影人にはなれない。あの時目が覚めてお前に庇われてるのを見て、結局俺は何もできなかった。見せられた夢の中で何度も後悔したっていうのにな。俺の本質はどう足掻いても自分しか見てないんだよ」


 契約文言は契約者の在り方を表す。

 光輝の「想いを炎に、願いを糧に」が誰かの為に自分の願いを消費している事を表すように。

 影人の「闇より這いいずる絶望よ 世界を食らえ」が食らっている世界は影人そのものだ。

 魔法使いとして力を使うたびに絶望が彼を覆って、いつか影人の世界そのものを食らう。


「俺は、お前たちみたいにはなれない……」

 長い話を聞き終わってから、優衣はそっか、と小さく零した。

 3年間は長い。その間、ずっと1人きりで戦ってきた影人がどんな気持ちで日々を過ごしたのかを知る事は出来ない。

「魔法使いにならなくてもいいんじゃないかな」

 だけど今は3年前じゃない。

 影人が何を言ってるんだとばかりに、まじまじと優衣の顔を見つめた。

「ボク達は今、日常の外にいるんだと思う。そうなったのはボク達のせいじゃないよね。だから影人が無理に付き合う必要なんてない。普通の人として過ごしたって誰も文句は言えない。ううん、ボクが言わせない」

 頼りないかもしれないけど、と付け加えて小さく笑う。

「契約した後ね、実は不安だった。突然魔法が使えるようになりました、魔物と戦ってくださいって言われても実感なんてないし、怖いのは好きじゃないし、痛いのも嫌。だからね、光輝が魔法使いだって分かって嬉しかった。多分光輝も同じだと思う。ボクは幸運なんだよ。すぐに同じ境遇の仲間が出来たから。でも光輝や影人は今までずっと誰かの為に1人で戦ってきた。それって凄い事だと思う。だから辞めたとしても誰も責めたりしないよ」

「俺は誰かの為になんて……」

「影人がどう思って戦っても、それで救われた人は沢山いるはずだよ。だからやっぱり、それは誰かの為」

 あー、でも、と最後に一つだけ優衣は照れくさそうに付け加える。

「学校には来て欲しいな。影人じゃなく"なるくん"として」

 優衣が作ったとびきりの笑顔は影人に何の遠慮も、何の軽蔑も含まれていなかった。

「どうして……」

 合わさっていた影人の視線が下に向かう。声は心なし震えているようだった。

「影人と友達になったのは魔法使いだからじゃない。ボクは"なるくん"とも友達になりたいって思ってる」

 そう言って、未だ俯いている鳴を優しく抱きしめた。

「どうして抱きしめる」

「泣いてる子はこうすると良いって聞いたからかな?」

 ご丁寧に頭まで撫でながら悪戯っぽく笑う。影人が抵抗する様子はなかった。

「それからね、ボクが言えることじゃないけど、今までお疲れ様でした」

 

 

 

□□□□□□□□□□

 

 白で統一された清潔な病室の一角に断続的な甲高い電子音が木霊していた。

 ベッドに寝かされた男性には至る所に電極が付けられ、口にマスクが付けられて胸の鼓動にあわせて白く曇る。

 投げ出された手は病的なまでに白く、隣で心細げにその手を握っている少女の物より細い。

「お父さん……」

 香奈は1日の殆どをこの狭い病室で過ごしていた。隣に作られた簡易寝台では彼女の母親が浅い眠りについている。

 携帯の充電はとっくに切れているがそんな事にさえ気付いていなかった。

 

「菅原香奈さん。お客様がいらしていますが、どうしましょう」

 ぴくり、と香奈の方が震えた。そっと握りしめていた手を布団の中に戻すと看護師に返事もせず外へ出て行く。

 深夜の待合室は廊下の非常灯くらいしか明かりがなく薄暗い。

(こんな時間にお客なんて来るはずがない。来るとしたらあいつだけだ)

 ロビーに到着すると、整然と並んだソファーの一つに見慣れた白髪の紳士が穏やかに微笑んでいた。

「どうかね、設備としては申し分ないと思うが」

 周囲に人目はなかった。本来ならば夜間でも人がつめている筈の受付も今は電気が落とされ誰かがいる様子はない。

「話が違う」

 香奈の周囲に大気中から集められた水が微細な針を作り出しエイワスを取り囲んだ。

 剣呑な表情からこれが冗談などではなく、返答次第では即座に蜂の巣にしてやると物語っていた。

「君との約束に倒れたお父さんを救うなんて物はなかった筈だがね。この病院を手配したのは日頃の働きに対するサービスだよ」

 互いの敵意という名の魔力が激しくぶつかり合うと、閉じられた病室の空間内に激しい風が生まれた。

「何もしなくて良いのならそうしよう。だがどうにかなるのかね」

 ぎり、と香奈が悔しそうに歯噛みした。それを合図にする様に、生じていた突風もふっと収まる。

「何を、しろっていうの」

「簡単な事だよ。しかるべき時に最後のピースを集めて欲しい。それで君は救われる。私も救われる。この世界は愛に包まれる。安心しなさい、私は誰も傷つけない。彼女を殺すつもりなんて初めからないよ」

「優衣に何をするつもりなの……」

「それは君が気にする事ではないし、話すつもりもない。嫌なら受ける必要もないのだよ」

 詭弁を、と思わずにはいられなかったが、エイワスは要求を呑むであろう事を確信していたし、香奈も拒むことはできなかった。

「そうだ、この仕事が成功すれば君の役目は終わりだ。約束どおり全てこちらで片を付けよう。今までご苦労だったね」

 役目の終わり、それはエイワスからの解放を示す。

 待ち望んでいたはずの言葉だというのに、香奈は少しも嬉しいと思えなかった。

 寧ろこのタイミングでその言葉を口にすることにきな臭ささえ感じている。

 だが、やはりエイワスからの提案を拒む事などできない。

「今の言葉、忘れないで」

 唯一できるのはエイワスに向かって強がることだけだった。

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