休息
目の前に広がる光景に、5人はそれぞれ息を飲んでいた。
今、優衣達を取り巻く状況は予断を許さない状況にあると言って良い。
エイワスが何をしようとしているのか正確には分からない上にこちらから打つ手もないのだ。
自由に開閉できるであろう精神世界への穴がいつ魔物を生み出しこの町を襲うかも分からない。
いや、エイワスにかかればこの町に限らずとも標的にすることは可能だろう。
「だからこそ、あたし達から何かすべきだと思うんですよねー」
遥か頭上で大気の爆ぜる音が立て続けに響くと、周囲の人間が声を上げる。
「ほら、人の感情が集まると魔物が出来上がるなら、まさに狙い目じゃないですか」
香奈そういって、今日開園したばかりのテーマパークを心の底から楽しそうに眺めるのだった。
「友達と一緒にテーマパークって学生の定番ですしー!」
今にも踊りだしそうな香奈の横で光輝も負けじとはしゃいでいた。彼等ほどではないが、他の3人もそれぞれ楽しそうな笑顔を浮かべている。
魔物が負の感情から作り出されるというのであれば、テーマパークなんて一番遠い存在だろうという無粋な指摘は影人すらしていない。
幾ら現実に危機が迫っていたとしても四六時中気を張り詰めていれば逆効果にしかならない。
大事なのは何かあったときに動けること。
それに、遊びたい盛りの高校1年生でもある彼等が試験後に遊べなかった鬱憤を1日だけここで晴らそうとしても罰は当るまい。
不運の後には幸運が来るものなのだろうか。香奈が商店街の福引を引いた所、2等をまさかの3連続で引き当てるという強運を見せたことでチケットが6枚分手に入った。
しかも週末に開園する予定のテーマパークで初日限定招待券として様々な特典を受けられる特殊なチケットである。
翌日、興奮冷めやらぬ様子で香奈が優衣たちを誘い、振って沸いた幸運に誰もが歓喜した。反対するものが居るはずもない。
「今日は招待客しか居ないから人数は相当少ないみたいで、殆ど全部のアトラクションに乗り放題みたいですよー」
手に入れたチケットは元々応募した中から抽選でしか買えない為、ネット上では額面の10倍もの値が付いているというのだから驚きだ。
「俺もネット上で狙ってたんだけどな、2枚手に入れるのはやっぱ厳しいわ。諭吉10枚でも足りないとかどーなってんだ」
ここまでプレミア的な値段が付いたの理由には裏がある。
実はこのテーマパーク、とある知名度の高いアニメと提携していて期間限定でイベントが行われている。
内容自体は簡単なスタンプラリーで、テーマパーク内の対象アトラクションに乗る度にスタッフからスタンプを押してもらい、全部揃うと商品を貰える形式だ。
この商品が実にファン心をくすぐるもので欲しがる人は多かった。
とはいえ、それだけならここまでチケットが高騰する理由にはならなかっただろう。
問題はスタッフが狙ってやったとしか思えないイベントの達成難易度にある。
まず期間が短いこと。
オープン直後のテーマパークはそれでなくとも混雑する。
合計10個の定番アトラクションを回らなければ商品に届かないとなれば朝一で入ったとしても厳しいものがある。
休憩の暇もなく夜まで這いずり回らなければならない。
スタンプラリーを1日で終わらせないと翌日にはスタンプが変わって無効になってしまうからだ。
だからこそファンは初日の入場客が限られる招待チケットを何としても欲したのだ。
何度も通って少しずつ集める事が出来ない以上、初日の招待枠を逃せば手に入るか分からない。
次に参加条件があり、"恋人同士"でなければスタンプを押してもらえないこと。
運営がどこまで考えてこの条件を作ったかは不明だが、ファンの間では『テーマパークなんですし恋人同士で来てくださいね、というか男一人で大量に来られたらテーマパークのイメージ崩れちゃいますから』と酷く曲解され騒がれている。
某所では絶望と怨嗟の呻きで溢れ、こんなの絶対おかしいよと何百という人間が呟いたという。
「だから優衣、スタンプ貰う時だけ口裏合わせてくださいマジでお願いします」
深々と頭を下げる光輝に優衣は乾いた笑い声しか出なかったのだが、聞き捨てならんとばかりに香澄が間に割って入る。
「ダメ、商品が欲しいだけなら私と優衣でする。それなら文句ないでしょ」
名案とばかりにふふんと鼻を鳴らす香澄だったが、次の瞬間に光輝の顔色が、目つきが変わる。
「お前は、分かっていない……」
地の底から響く様な声に香澄は何を言ってるんだと眉をしかめた。
誰がこのイベントに参加しようとも対象となるアトラクションは全員で回るつもりだし、結果的に商品が手に入れば光輝も満足だろう。
確かに最終的に手に入るという結果は同じだ。だが、大事な物は過程にだってあるのだ。
「大事なのはファンとして参加することなんだよ。お前が言ってる事は春と夏の聖典のまとめを見て参加した気で居るにわかと同じ。聖地の写真を見ただけで満足する奴等と同じ。最近では某ストリートビュー機能を使って巡礼とまでのたまう輩まで居る始末。嘆かわしい、実に嘆かわしい! 画面の向こうを夢見て聖地を巡るんじゃないのか!? それを画面で見て満足してどうする! その1歩先を夢見るからこそ感慨があるんだよ! 自分の足で歩くからこそ本物が見えるんだッ! 結果だけ受け取って満足するなんざファンじゃねぇっ!」
魂の慟哭が眩いばかりの空に吸い込まれていく。気づけば周囲からまばらに拍手さえ聞こえていた。
しかし香澄や香奈の心には届かなかったのか、若干蔑むような視線を注ぎ込んでいる。
「優衣は分かるよな、この俺の気持ちが!」
理解してもらえないことに悔しさを滲ませた光輝の視線が香澄の背後に立つ優衣を捉え訴えかける。
「あー、うん……。自分でやろうとするポジティブさは良い事だと思うよ……?」
優衣は興奮する親友に向けて困った笑みを浮かべると曖昧に濁すしかなかった。
「悪いがこればっかりは譲れねぇな」
光輝のいつになく挑戦的な視線が香澄を射抜いて、彼女もまた目を細める。
譲れない物があるとき、人は争うしかない。
「土下座で頼まれたら考えなくもない」
挑発には挑発を。香澄が常識の埒外の要求をすると光輝はニヒルに笑って飛んだ。
「お願いします」
途端に周囲から歓声が上がる。誰かが「あれが伝説のジャンピング土下座……!」と感動すら漏らした。
だが一番うろたえたのは香澄本人だ。挑発で口にした事をよもや本気で実行するとは思わず、目の前の光景に呆然と立ち尽くす。
しかしそれが土下座した男を冷徹に見下ろしている様に見えて、何処からか「あれが伝説の女王様……!」という、これまた感動すら滲む声が漏れていた。
一見香澄が優位に見える様であっても、他人に土下座を強要するような人間として見られること、特に後ろに立つ優衣にそう思われてしまうことが苦痛でないはずもなく、慌てて光輝を掴み上げた。
「つーか今気づいたんだけどさ、優衣と香澄じゃ条件満たしてないだろ」
香澄がはっとして背後に立つ優衣をまじまじと見つめてから悔しそうに呻く。
薄いグレーのシャーリングブラウスは半袖までの長さで、白く華奢な腕が惜しげもなく晒され陽光を浴びて輝いていた。
白い薄手のティアードスカートは反対に長く伸びていて、夏仕様で薄く作られているのか動くたびに軽やかに揺れる。
髪の色と似ているけれどそれぞれ違う3色は混ざり合ってほど良く調和していた。
光輝と香澄の漫才も注目を集めていたが優衣に注がれている視線も数多い。
今日の優衣は珍しくも女の子の服を着てやってきた。
当初誰もが感嘆こそすれ違和感など抱かなかったことに本人は未だ凹んでいる。
勿論優衣の趣味であるはずもなく、テーマパークに出かけると知った雫の仕業ではあるのだが。
ここは町から離れているし、クラスメートが数少ない招待枠のチケットを持っているとは思えない。
「雫に友達にばれたって言ったのがいけなかったんだよね……」
学校で男の子として生活する中で何か問題がないか再三尋ねる雫に痺れを切らして、友達にフォローしてもらってるから大丈夫だと答えたことで、じゃあその友達の前なら女の子の格好でも問題ないよね、と押し切られたのだ。
「今の優衣は女なんだし、香澄じゃ無理だろ?」
今も何も常に女の子なのだが、光輝の中では扱いが違うらしい。
だが香澄がたじろぐ気配は少しもなかった。
「女の子同士で何が悪いの」
挑戦的にはっきりと言い切ってみせると再び外野が沸く。「あれが伝説の百合……!」という感動で何度も滲む緩い涙腺と得意な趣向の持ち主が咽び泣いていた。
光輝もこの切り返しは予測していなかったのか驚いてみせるが、意外にもあっさりと納得したようだ。
しかし、だからといって譲れるはずもない。
「お前には一つ足りないものがある」
何よ、とばかりに訝しむ香澄に光輝は酷く真面目な顔で言った。
「愛だ」
「私の優衣に対する愛情が足りないって言うの?」
「ちげーよ! 作品に対する愛だっつの! 何故そこで優衣が出てくる! 本来の目的を忘れてるだろ」
「関係を偽装して参加する人の言葉とは思えない」
一歩も譲らない2人と周囲のせいで何事かと立ち止まる周囲の視線が痛くなってきた優衣が小康状態を保っている2人の間に割って入った。
「いっそ、2人で組むって言うのは……うん、ダメだよね」
何を言ってるんだと無言の圧力が優衣に注がれたじろぐと助けを求めるべく香奈と影人をみやる。
2人は離れて完全な傍観者を気取りつつも楽しそうに眺めていたが、時間が差し迫っている事もあって助け舟を差し出すことにしたようだ。
「2人ともー、とりあえず中に入りましょー」
結局光輝も香澄も最後まで譲ることなくイベントの参加受付まで行き、声を揃えて参加しますと宣言したことで2人が組んでると勘違いした係員が用紙を渡す。
後ろでは面白そうだという理由で香奈も影人を引っ張ってちゃっかり組んでいた。
イベントに関する説明を受けると地図を広げて回る順番を決める。
光輝と香澄は維持の張り合いからか、両端から優衣の手をしっかりと握っていて、真ん中の優衣は早くも疲れた表情を見せていた。
両方から同時に話しかけられ、そのどちらにも的確かつ迅速に答える為に集中を強いられるとなれば無理もあるまい。
それでもどうにか間を取り成していたのだが、流石にアトラクションの制限だけは努力でどうにかなるものではなかった。
目玉でもあるジェットコースターは2人1列となっている為、どうしても誰か一人が別の列に行かざるを得ない。
「勿論俺と」/「私と」
順番が巡って来た所でスタンプを押してもらうと、優衣は無言のまま笑顔を浮かべると2人を勢い良く前に押し出す事にした。
どうやら招待客はかなり絞られているようで、殆ど待つ事もなくすいすいと乗る事ができた。
入園から2時間の間に目標の半数をさっくりとこなした一行はお昼を適当なレストランで済ませてから再びアトラクションに並ぶ。
定番の絶叫系、迷路といった体感系、3D映像と可動式の椅子で見る映画系と次々にこなし、余す所は1箇所だけになった。
「で、これが最後か……」
「そうだねー」
目の前にはおどろおどろしい純和風の定番アトラクション、お化け屋敷がでかでかと鎮座していた。
オープンしたばかりだというのに建物は酷く古びた印象を受ける。どうやら廃墟となった病院をモチーフにしているようで、乗り物に乗って進むライド形式ではなく、自分で歩く歩行式になっていた。
ライド式はどんなに怖くても目を瞑って恐怖に耐えていればいつかはゴールにたどり着く。
しかし歩行式はそうではない。恐怖で立ち止まってしまえばゴールの方から歩いて来てくれる訳もないのでいつまでたっても同じ場所だ。
「なるくんは怖かったらあたしに飛びついてもいいんだよー?」
くふふ、と含み笑いを零しながら腕を取ると影人は鬱陶しそうに払う。
「闇の化身たる俺が紛い物に恐怖心など抱くものか。そもそも俺達は本物の魔物と戦っているだろう」
最もな言い分に香奈が面白くなさそうに呻いた。危害を加えてくる魔物と立っているだけの役者、どちらが怖いかといわれれば前者だろう。
「そ、そうだよな! 魔物と戦ってるもんな!」
「大丈夫、全部作り物。……作り物」
「入るのやめようか!」
光輝は空元気を、香澄は俯いてぶつぶつと自分を鼓舞している様を見て優衣が提案するがスタンプラリーの件もある。
それに、2人は互いに弱みを見せる事などできなかった。
覚悟を決めた2人に、行ってらっしゃいと見送ろうとした優衣だったが勿論はいそうですか、と頷かれるはずもない。
こういう時だけ見事な連携を見せた光輝と香澄にあっという間に建物内まで連れて行かれた。
「何でボクが……」
ロビーを模した部屋はかなり精巧に作られていて既に恐怖心を十分すぎるほど煽っている。
興味深そうに辺りを見渡す香奈と興味なさ気に佇む影人と対照的に、光輝と香奈は辺りを警戒し、優衣はただ俯いて情報を遮断していた。
ホラー映画が苦手な優衣がお化け屋敷を好むはずもない。
某ネズミの王国に行った時も怖くないと有名なお化け屋敷を遠慮していたのだ。
こんな本格的な、しかも自分で歩かなければならないアトラクションはまだ早い。経験とレベルが圧倒的に足りていない。
「大丈夫だって、いつものに比べれば全然怖くない、怖くない!」
「どうして2回言うの」
光輝もホラー物が好きなわけではない。香澄も同様であることは様子を見れば一目瞭然だ。
列が少しずつ動くと入り口が見えてきて、病院のスタッフに扮した係員が陰鬱な雰囲気で諸注意を訥々と口にする。
やけに耳に残る声をなんとなしに聞いていると予想だにしない一言が耳に入ってきた。
「当病院内は2人1組でお願いいたします……」
優衣と光輝と香澄の視線が交差する。
彼等は3人、場合によっては誰かは一人だけで歩かなければならないかもしれない。
殆ど残っていない猶予の中で3人は一様にどうすべきかを逡巡する。
結果として紡がれた言葉は優衣や興味深そうに眺めていた香奈と影人の予想を大いに裏切るものだった。
光輝は香澄と、香澄は光輝と組むと口をそろえて告げたのだ。
優衣が可哀想なくらい動揺してずっと俯けていた顔を上げると泣き出しそうなくらい不安な表情で2人を見る。
勿論2人の仲が急激に発展したわけではない。
これまでの経験から互いに「優衣と組む」と口を揃えても優衣はどちらかを選ぶ事はなかった。
彼等にとって今この瞬間が朝から続く勝負にケリをつける絶好の機会なのだ。
「……ひとりはやだ」
光輝のシャツの裾と香澄の袖が同時に引っ張られる。
一回りほど幼く見える姿にすぐさま一緒に行こうと叫びたくなる衝動を、2人はどうにか嚥下した。
「じゃあどっちと行くんだ?」
選ばれなかった方は一人きりになるリスクを背負ってでも勝負に出た2人を前に優衣の瞳が揺れ動く。
意を決したように手が伸ばされ、2人の手を掴むと近くに居た係員に恐る恐る問いかける。
「あの、3人じゃダメですか」
3人までなら別段問題ないと言われた結果、細部まで作りこまれた廃墟を結局3人で手を繋ぎそろりそろりと歩いていた。
内部にはおどろおどろしい音楽でもかかっているのかと思ったが完全な無音、静寂である。
時折遠くから誰かの悲鳴が聞こえるたびに握られた手に力が篭もった。
「大丈夫だ、脅かし役の場所分かれば怖くないだろ、ちょっと先に1人居るからな」
光輝の言葉に優衣も香澄もなるほど、と得心する。魔力を探る要領で人の気配を探ると光輝の言うとおり隠れている人を発見した。
これなら大丈夫かも、と光明を得た思いで脅かされそうな場所に進むと、案の定人が出てくる。
特殊メイクを施された看護婦の役者は奇妙な動きで通せんぼをすると掠れた囁き声で呪詛の言葉を吐き出すと、途端に3人分の悲鳴が上がった。
手が引っ張られて脅かし役の脇を通り抜けると別室に入る。
「分かってても怖ぇよ!」
このテーマパークのお化け屋敷のエキストラの皆さんはそれなりに驚かす演技の練習をしている。
確かに突然現れて驚かされる恐怖はなくなったかもしれないが、分かっていながら近づかなければいけない恐怖に変わっただけで何の意味もなかった。
それどころか。
窓を力いっぱい叩いたような音がそこかしこから幾度も木霊する。
気配を探知して驚かされる場所が分かると思い込んでいただけにこの現象は完全な想定外で端の光輝と香澄がそれぞれ優衣に抱きつく。
一際大きな音が最後に鳴ると奥の部屋の電気がぱっと付いた。
「っ!」
声にならない悲鳴が喉から漏れる。
ガラスで仕切られた手術室は赤い手形がびっしりと付いていて薄ぼんやりとしか様子を伺い知る事が出来ない。
だが確実に人の形をした何かが身を起こして優衣たちのほうに向き直っていた。
手術中のランプがかちかちと点滅する。誰もそこから一歩も動けなかったが手術室の中に入らねばお化け屋敷が進まないのは明らかだ。
「男なんだから先に行って」
「いや、待ってくれ。それを言うなら優衣も男じゃないか」
冷や汗と強張った笑みを浮かべながら機械人形のようにゆっくりと首を捻り優衣を見る。
「今は女の子です」
しかし優衣は恐怖の前にあっさりと矜持を捨て去っていた。
「いいのかよそんなんで! これからずっと女として扱うぞ!」
「何でもいいから先頭は絶対無理!」
それどころかあっさりと肯定してみせ、光輝の顔を愕然とさせる。
結局光輝が一番初めに部屋に立ち入る事になり、おっかなびっくりドアを開けて中を見るなり、盛大な悲鳴を上げた。
ありとあらゆる仕掛けとエキストラに盛大な心からの悲鳴を上げた3人はある意味で一番お化け屋敷を楽しめたのかもしれない。
初めは手を繋ぐだけだったのが腕を絡ませるようになり、その影響で進む速度は遅くなる一方で悪循環に陥っていた事さえ気づけなかったほどだ。
外の明るい光が見えた時、彼等はまさに天にも昇る気分だったのだから。
後から入った影人と香奈は3人が出てから間を空けずに合流する。
「いやー、優衣ちゃん達のおかげでどこに何があるか大体分かっちゃったよー。最後の方はみんなの悲鳴の方が楽しかったし」
香奈も影人もお化け屋敷は苦手ではないらしく、3人とは対照的に仕掛けとエキストラに1度も悲鳴をあげることがなかった。
「もうやだ、絶対お化け屋敷なんて行かない」
外に出たというのに3人は未だ腕を絡ませたままだった。
「つーか休憩させてくれ……」
「私も同感」
「ボクもちょっと休みたいです」
満身創痍の3人が真っ先にお化け屋敷から足早に立ち去った後要求したのは休憩だった。
腕を組みながら亀の如き速度で歩き回り、ひっきりなしに悲鳴を上げていれば無理もない。
「ならアイスでも食べませんかー? 来る途中においしそうな所がありましたから」
香奈の記憶を頼りに来た道を戻るとトレーラーを改造したようなアイス屋が停まっていた。
20種類ものアイスがあるらしく、何段も積み重ねる事ができるらしい。ただし倒れたら自己責任との事だ。
優衣はバニラを、光輝はストロベリーを、香澄はラベンダーを、香奈はミントを、影人がチョコをそれぞれ注文して近くに作られたオープンテラスに座るとようやく一息つく。
優衣は盛られた握りこぶし並のアイスをちろりと舐める。冷たさの中に程よい甘さが広がって思わず眉尻を下げた。
贔屓にしている日付と同じ種類のアイスが売られている店舗も美味しかったがこのアイスも負けないくらいおいしい。
「ねーねーなるくん」
最近はもうなるくんと呼ばれても撤回しようとする様子はなかった。
アイスを舐めるのを中断してなんだ、と視線を向けたところでアイスを持つ手を握ってそのまま齧る。
一口分欠けたアイスを見て影人が呻いた。
「まーまーいいじゃないですかー。あたしのも一口どうぞー」
差し出されたアイスに若干迷う素振りを見せたものの、そのままやられっぱなしというのが気に食わなかったのか、彼もまた一口分齧る。
「ここのアイスおいしいよねー」
香奈がそのまま何となしに影人が食べた部分を舐め取ったのを見て、影人も深く考える事はやめたらしい。
「そうだな」
ところが無関係なはずの香澄は違ったようで、はっとしたように隣で美味しそうにアイスを舐める優衣を見て息を飲む。
―良かったら一口食べない?―
言うべきか言うまいか、頭の中でぐるぐると選択肢がが渦巻いていた。
そんな香澄の葛藤を知ってか知らずか光輝が持っていたアイスを優衣に向け、
「一口くれ、代わりの俺のもやるから」
快い返事をした優衣が香澄の目の前で光輝のアイスを齧ると、変わりとばかりに持っていたバニラを光輝が齧る。
「バニラは濃厚なんだな」
「いちごは甘酸っぱいんだね。飽きなくていいかも」
競うべきライバルに先を越された香澄も黙っているわけには行かなかった。
「優衣、私のも一口あげる」
互いのアイスについてあれこれ話す2人を引き剥がしラベンダー味のアイスを差し出すと優衣は一瞬驚いた顔をした後、ふんわりした笑顔を浮かべて一口分齧る。
「バニラだけど良かったら食べる?」
差し出されたアイスを香澄が拒む理由などあるはずもなかった。
談笑に戻った4人の中で香澄だけは僅かに欠けたアイスの一部分をじっと見て、やがて意を決したように舌を這わせる。
「かすみんって意外と大胆だよねー」
現場は香奈によってばっちりと見られていたらしく、香澄は大きく咳き込んだ。
ゆっくりとアイスを楽しんでも今日はまだ長い。前半飛ばしすぎたせいか、めぼしいアトラクションはもう制覇していた。
乗っていないアトラクションもあるにはあるが、流石にこの歳になってメリーゴーランドに揺られるような趣味は誰にもない。
どうしようかと話し合ったところ、お城で記念の写真を取ってもらえると書いてあるのを見つけた香奈の提案によって5人はお城に行く事にした。
中に入れば思った以上に盛況で、よくみかける丸みを帯びた階段の中ほどでお姫様と王子様の衣装に身を包んだ子どもが嬉しそうに写真を取ってもらっていた。
「さぁなるくん、記念に撮って貰いましょうー」
初めからそれが目的だったのか、香奈が嫌がる影人を強引にずるずると引きずっていく。
「んじゃ優衣も撮って貰おうぜ。勿論お姫様で」
その後に続くべく、光輝が優衣の腕をしっかりと掴んで同じように受付へと引きずり始めた。
「ちょ、光輝ってこういうのに興味ないよね!?」
慌てて腕を振り払おうとするが逃がすか、とばかりに抱えられ、周りから囃し立てるような歓声が漏れる。
「いや、優衣は女の子みたいだし興味あるんじゃないかと思ってさー」
光輝の物言いに優衣の顔から血の気が引いた。お化け屋敷の一件を根に持っているのは間違いない。
「あれはなんていうか、その場のノリっていうか……」
「じゃあこれもその場のノリってことで」
返す言葉はどうやっても見つからなかった。
係員によって薄桃色のカクテルドレスに着替えさせられた優衣はお先にどうぞ、と香奈に言われ合流した光輝と撮影スポットにいた。
腰はきついくらいに締め付けられているというのに、そこから下は何重もの透けるような布が折り重なり花の様に咲き乱れてふんわりと広がっている。
珍しい髪色も相成って日本人離れした可憐な容姿にお城の中に居た誰もが羨むような視線を送っていた。
「だからってどうしてこうなるの!?」
むき出しの肩を震わせて優衣が抗議の声を上げるが腕の中に居たのでは迫力も何もあったものではない。
「いんやー、女の子ならこう言うのは夢なんじゃないかと思って」
いわゆるお姫様抱っこされて頬を染めるのを見て光輝は満足げに笑いつつ腕を10㎝ほど急降下させる。
「ひゃっ」
可愛らしい悲鳴が優衣から漏れて咄嗟に光輝の肩を掴んだ瞬間、構えていたカメラマンがチャンスとばかりにシャッターを切る。
映し出された写真には頬を赤らめておずおずと肩に触れる姫とそれを慈悲深く見守る王子の図が浮かび上がっていた。
「さて、学校で欲しがるやつが何人居るかなー」
「悪かったから、それは止めて!」
洒落にならない脅しに必死の形相を浮かべて取り付くと光輝が意地悪な笑みを解く。
「流石にそこまではしねーよ。部屋に飾るくらいだな」
「それも止めて!」
「次はあたし達かなー」
順番を呼ばれ香奈と影人が撮影スポットに上がる。
影人は光輝と違って黒を基調とした王子様姿で先ほどから少なくない女性の視線を集めていた。
「さっきのこうくんみたいにやって欲しいなー」
甘えた様子で擦り寄ると影人が露骨な溜息をつく。
「お断りだ」
だが香奈にしてみれば断られる事なんて初めから織り込み済み。
ふふんと鼻で笑うと挑発的に言う。
「闇の化身は女の子1人も持ち上げられないくらい非力なんだー?」
「いいだろう、そこまで言うなら闇の力を思い知るがいいッ」
香奈の体がいとも簡単に持ち上がると黄色い声がそこかしこから漏れ聞こえた。カメラマンさえ小さく驚いてみせる。
「……どうせならなるくんがいいんだけどなー」
「何か言ったか?」
小さく漏れた本音は影人にぎりぎり届かない音量に絞られていて、聞き取れなかった彼が顔を覗き込む。
「意地っ張りだねってこと」
影人がますます怪訝な表情をするが、香奈はお構いなしとばかりに肩へと飛びついて満面の笑みを眼下に向けるとシャッターの切られる音が軽快に響いた。
影人と香奈が着替えて戻ってくると光輝しか居なかった。
どこに行ったのかと見渡すと、すっと目の前の階段が指し示される。
「おぉ……かすみんだー」
先ほどまで香奈が居た場所には真っ赤な顔をした香澄が優衣の腕の中で縮こまっている。
優衣は先ほどまで着ていた姫の装いから王子の装いに変わっていて、魔力による身体強化を利用し香澄を抱き上げカメラに向かい笑っていた。
香澄が身に纏う真っ白なドレスはお姫様というよりは花嫁だろうか。
どこぞの結婚式会場から抜け出してきましたといっても通じるだろう。
「かすみんはやっぱり大胆だねー。ちょっと羨ましい」
微笑ましい2人を見て、香奈が小さな声で呟いた。




