陰謀
放課後、授業が終わると急ぎ教室を飛び出した5人は優衣の家へと向かった。
リビングに4人を待たせ、優衣は一人父親の仕事部屋に向かうと本棚の中から最近見つけた魔導書に関する資料を持ち出す。
色々な種類の魔導書に関する概要や、関連する事件などが分かりやすくまとめられていたが、中でも法の書に関する部分は膨大で本文と訳文までしっかりと載せられていた。
箇条書きで書かれている幾多の項目が法の書の本文だと知って驚きつつも最後まで目を通してみたのだが、5人はお手上げとばかりに曖昧な表情を浮かべるばかりだ。
酷く抽象的、象徴的に書かれていて何が何を意味しているのか、文章は読めるのに少しも頭に入ってこない。
狐につままれたような奇妙な感覚は魔導書というより惑う書だろうか。
『なんという事だ……』
だがサラマンダは何度も本文を読み返した後、信じられないとばかりに驚嘆の吐息を漏らす。
『極めて抽象的にに書かれているが間違いない、これは精神世界について記されている』
小さな足が微笑ましくも一生懸命に伸ばされて第一章の上から準に節を辿っていく。
節の中には意味のある節とそうでない節が意図的に混じっているようでそれが読む者を混乱させているのだと語った。
『これを書いた人間は余程の気狂いか妄想癖の人間か……偶然精神世界との波長が一致して存在を認知したのだ。常人であれば無視する筈の物をこうして書籍にまで残すとは』
口惜しそうに法の書のコピーを睨みつけ憤然としているサラマンダに誰もが首をかしげた。
精神世界と現実世界は密接な関係にある。
互いに不干渉ではあるものの、時々波長の合う、所謂電波系の人―世界に不思議があると信じ実績している―は時々存在を感知できることがあるのだという。
ただ感知できたとしても得られる情報は曖昧で意味不明、普通は白昼夢の類と思うか正気を疑うのだが、この書を記した人間はそれを高次元生命体からのお告げのようなものだと解釈した。
厨二病が極まって逆に正解に近づいたといえる。
『残念だが内容までは判別できん。大まかに精神世界への干渉、穴を開けようとしているのは掴めるが』
電波な本は電波な人にしか意味が伝わらない。
この本は元々、本能で読み解ける人でなければ全く別の物語を見出してしまうよう、精巧に作られていた。
エイワスが法の書にかかわっていたという事前情報がなければサラマンダとて書の意味に近づくことは出来なかった。
『一つ分かるのはこの情報をもたらした存在の名が本の中でエイワスだと語られていること、くらいか』
老紳士は自分の事をエイワスだと名乗っていた。
法の書の内容を正確に読み解き実行する者としてこの名前を自分に付けたとみて間違いないだろう。
『問題は奴が何を成そうとしているのかだが……碌な事には使われんだろうな』
穴が開けば感情によって魔物が湧き出る。
けれど魔物が湧き出るのは副産物でしかない。穴がもたらすのは願いを叶える力、魔力だ。
あの時本によって召還された桁違いの強さの魔物も人の想いから作ったのではなく、エイワスが穴から得た魔力で作り上げたものなのだろう。
「そうだ。それからこれ、本に挟まってたの。いつ書かれたかは不確定なんだけど、13年前の日付が書かれてる」
優衣は切り離された1枚のページを抜き出すと4人の前に滑らせる。途端に驚愕の表情が各々に浮かんだ。
書かれている名前の内4つは目の前に居て、しかも魔法使いという特殊な条件を持っている。
「隠匿の闇に屠ることは難しくないが、状況が状況か。いいだろう、永久の闇を暫し晴らそう。俺は15年前の事件の被害者だ」
被害者の名前は誰一人として公開されていない。不自然なほど厳重に、完璧に隠匿されていた。
今となっては15年前の事件の被害者と言えば都市伝説化されてしまっている。
曰く、実は全員死んでいて、真実を掴んだものを呪い殺す。
曰く、実は全員洗脳されていて新しい教団を作っている。
曰く、実は全員が宇宙人に攫われて実験台にされた。
検索すれば幾らでも見つかる無責任な都市伝説から分かるように、15年前の被害者だと知られて良い事など何もない。
故に、もし目の前の誰かが被害者だと知れば大抵の人間は驚く。優衣のように予測できた立場にある者以外は。
しかしこの場に居る光輝も香澄も香奈も多少驚いてはいたようだったが声を上げるほどでも表立って反応するほどでもなかった。
「私も、被害者」
「実はあたしもなんですよねー」
「俺もだな。力を手に入れたのと何か関係あったら都市伝説モンだとは思ってたが、マジかよ」
香澄が、香奈が、光輝がそれぞれ肯定の意を表した。
「なんだ、じゃあ優衣もなのか?」
けれど、優衣は一人だけ申し訳なさそうに首を振った。
「分かんないんだ。教えて貰った事とかないし、気にした事もなかったから。でも紙に名前がないから、多分違うのかも」
「いいじゃねぇか、事件に巻き込まれてなかったならそれに越したことなんてないだろ?」
項垂れた優衣に光輝が言えばその通りだと香澄と香奈も頷く。
『しかし、これで優衣の想像はほぼ全て的中していたことになるな。お前達の親和性が高い理由はそこにあったのか』
15年前、魔術結社は恐らく以前より法の書に書かれた精神世界への干渉を一部の熱心な信者と続けて精神世界への穴を作り出した。
恐らく空いた穴の近くで攫ってきた子ども達を育てたのだ。何らかの目的の為に。
しかし誘拐事件は露呈し警察の介入を受け子ども達は解放されることとなった。
『2年間とはいえ、小さくとも精神世界に繋がる穴の傍で育てば魔力も親和性も劇的に向上する』
今となっては魔術結社が何をしたかったのかは分からない。
本物の魔法使いを欲したのか、それとも何か別の理由があるのか、深窓は闇の中だ。
けれどエイワスは投獄生活を経た後も目的を捨てきれなかった。
「確か、最後に"歪んだ世界を愛で正す"って言ってたよね。どういう意味だろう」
エイワスは影人の攻撃を受けてなお笑っていた。影人に攻撃したときもあの柔和な笑みを浮かべ続けていた。
悩んでも答えは出そうになかったが、言い知れない不安と不気味さが優衣の心にこびり付いた。
『だが取れる手立ては少ない。各自探知魔法を適宜行い反応を見逃さぬようにする他あるまい。ナム、自分の領分を忘れるなよ』
先ほどから会話には参加せず香澄の足へと纏わり付いていた紫電の狐に向けて咎めるような視線を送ると、彼はむっとしたように机へ飛び上がる。
『酷いじゃないか、領分を忘れるなんてことする筈がない。こう見えても僕はアウローラの次くらいには職務に忠実なんだ』
ふふんと胸を張るナムだったが、出てきた名前に数人が嘆息する。
『残念だがアウローラは職務に一番不誠実だったようだがな』
どういうことかと首をかしげるナムにサラマンダは今までのあらましをかいつまんで話す。
『君が元男の子で、アウローラが性別を変えた……?』
優衣の周りをぴょこぴょこ跳ねながら触れたり身体を擦り付けたりするたびにふわふわの毛がこそばゆいのか、優衣から妙な声が上がる。
終いには鼻をひく付かせ始めるに至り優衣によって捕縛されるともう一度不思議そうに傾げた。
『性別を変えるなんて本当に出来るの……? 少なくとも僕はそんな魔法知らないけど。あぁでもアウローラは制約あるんだっけ。でももし性別を自由に変えられるなら制約とか要らなくなーい?』
真面目な物言いにサラマンダが唸る。
確かにその通りではあるものの、代償として魔力を全て失い消えてしまうのではとてもつり合わない。
どうしても他に方法がない緊急用の手段として用意していたのかもしれない。
『今となっては知りようがない。……そういえばもう一人の娘はオンディーヌと契約しているのだろう? あやつは今居ないのか?』
聞きなれない言葉に唯一香奈だけが曖昧な表情を浮かべた。
香奈の使っていた属性は水、精霊は水面を司るオンディーヌになる。
「ある日突然居なくなっちゃったんだ、大分前に。今はどこに居るのか全然分からない」
サラマンダにとっても予想外の言葉だったのだろう、返す言葉もなく唖然としている。
『オンディーヌは義理堅いところあるから、自分で対処しようとしてしくったとかもありえるかも』
精霊にもある程度戦う力はある。現実世界に身体を持たない概念である以上、人より持てる魔力は多いくらいだ。
だが現実に肉体を持たない精霊が魔物に干渉するには相応の魔力が必要になる。だからこそ現世に身体を持つ人と契約しているのだ。
サラマンダはもし現時点の光輝では勝てない難敵が現れた時に、自身を代償にしてでも切り抜けるつもりで居る。
もしかしたらオンディーヌはそのタイミングが少しだけ早く訪れたのかもしれない。
「しっかし、敵から動いてくれねーと何も出来ないってのも癪だよな」
せめて目的が分かればまた違うのかもしれないが、現時点ではエイワスが精神世界の穴を開けた張本人であることくらいしか判明していない。
次に何をするか、いつ現れるかも分からないのでは手の打ち様がない。
「ヘルズゲートが開きつつあると言ったな。早急に手を打たねば魔物がひっきりなしに湧き出るぞ」
「今日みたいのが沢山でるの?」
「あれは特別だと思うなー。でもかすみんに取り付いたのだって結構強かったし、油断は出来ないねー」
とはいえ魔法使いが5人も居るのは心強いの一言に尽きる。
今まで一人で戦うことが当たり前だった光輝や影人、香奈にとってこの状況は嫌ではなかった。
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明かり一つ届かない暗闇の中でエイワスは柔和な笑みを絶やすことなく浮かべ続けていた。
眼前には小さな円形の穴が開き、奥には宇宙空間めいた無数の煌きが瞬いている。
その淵を愛しそうに指が這った。
「もう少しだ。もう少しで夢は実現する」
15年前に第一目標を果たし、13年前に失敗の果てに拿捕され釈放されるまでの10年間、揺らぐことなく求め続けてきた夢の欠片。
初めはただの掘っ立て小屋のような場所だった。
それがビルの中の一室に変わり、小さな事務所になり、そこそこ大きな家になり、最後には巨大なビルとなった。
今はもう跡形もなく消えてしまったけれど彼の心の中には残り続けている。
魔術結社(仮)。
「理想の世界はもう少しで実現する」
慈愛に満ちた、柔和な、人の良さそうな、ありとあらゆる善良という2文字で修飾されたような笑顔は別の2文字で言い換えることができる。
即ち、"狂気"と。
エイワスはどこか人として狂っていた。
今月がもう残り少ない……!
幾つかイベントの消化が残ってるのに。
とかいいつつ新作書いてました。
こっちも連載を開始したので宜しければ。
TS、恋愛、学園、王道モノになります。




