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現世の魔法使い  作者: yuki
第二章
38/56

邂逅

「何か作戦がある人はいる?」

 光輝も影人も香奈の声に難しい顔をする。

 目の前の魔物は攻撃力も速度もずば抜けて高いが動きには不自然さが滲み出ていた。

 今だって素早さを生かして翻弄すればいいのに立ち止まったまま動かずにいる。

『感情の制御が完全ではないのだ。人を取り込もうとしたはいいが、攻撃したくないという迷いも取り込んでいるのだろう』

 サラマンダが優衣の隣で分析してみせるが迷いがなくなるのは時間の問題だ。

 魔物の力をいつまでも抑えきれるとは思えない。

『心が食われたら終わりだ。食われた人間も元には戻らん』

 魔物が再び動いた。今度は光輝へにじり寄ると無雑作に腕を振るう。

 細腕ではあるが威力は身を持って知っている。上体を反らして腕を交わして距離を取る。魔物の追撃はなかった。

 しかし十数秒後、今度は影人に向かって踏み込み、右足が胴目掛けて振るわれる。

 しっかりと待ち構えていた影人は危なげな様子もなく回避して見せたが、目の前を通り抜けた右足が地面を叩いた瞬間、今度は追撃に右肘が迫ってきた。

 手にした武器でどうにか受けるが重い衝撃は抑えきれず、影人は後方に跳んで受け流す。

「まずいな……動きが活発化してきている」

 魔物を見据える影人には隠し切れない焦りが滲んでいた。活発化しているということはそれだけ心を食われ始めている事に他ならない。

「そこのトカゲさん、何か方法はないの!」

 爬虫類の名前で呼ばれたサラマンダが背から火を吹き上げるが今はそんな事を言っている場合ではないと弁えた。

 考え込むように蹲ってから、あるとすれば、と口にする。

『その者の魂をこの世界に執着させるのだ』

「もう少し具体的にっ!」

 香奈は叫ぶが、影人は倒れている優衣をちらりと視界に入れる。

 サラマンダは取り込まれつつある香澄の意思とこの世界の結びつきを強くしろと言っている。

 だとすれば適任は優衣以外に居ないだろう。

 とはいえ優衣は他人に対しては我侭なところがある。香澄が取り込まれたのを見て感情を抑えるのは無理だ。

 精神世界の穴がこれほどまで近くに開いている状態で強い感情を流し込んだら何が起こるかわからない。

「優衣を起こそう」

 影人の判断は迅速だった。何が起こるかわからなくとも悩んでいる時間はない。

 まして香澄を放置することなんてできるはずがなかった。

 光輝と香奈が小さく頷くのを確認してから優衣に使った魔法を解除する。

 小さく震えた優衣が場違いなほどのんびりと上半身を起こし、優衣からしてみれば場違いなほど緊迫している3人を見て愕然としていた。

 ようやく何が起こったのかを思い出したのだろう、起き上がった優衣は拳を強く握って震えている。

「優衣、香澄を助けたいなら落ち着いて行動しろ」

 影人が油断なく魔物を見据えながら忠告すると優衣が戸惑いながらも頷くが、湧き上がる感情は抑えきれるものではない。


 優衣が当然のように契約文言を唱えることもなく包囲網の一端に加わると、魔物が怯えるように1歩後退した。

 魔物が優衣を意識しているのは明らかだったが、次の瞬間にはその優衣目掛け突進し右腕を振るう。

「香澄!」

 優衣は迎撃も防御もしていなかった。争うつもりなどないと言うかのように、両手を広げて名前を叫ぶ。

 光輝が慌てて優衣の前に躍り出ようとするが、名前を呼ばれた魔物は振りかざした拳を静止させていた。

 何事かと様子を伺う4人にどこか遠くから懐かしい声が聞こえてくる。


「紫電の絆をこの胸に」


 その場に居た4人が、サラマンダやエクリプスを含めると追加で2匹が何事かと瞠目する。

 香澄を覆っていた魔物が小さな欠片を剥がれ零しながら光を外に迸らせ、次の瞬間には爆散していた。

 中から香澄が飛び出してくる。軽快な音をコンクリートの床に響かせて着地するとロングスカートがふわりと風に揺れた。

 取り込まれた時に着ていたはずの制服は影も形も見当たらない。

 普段着ている物より幾分少女らしさを全面的に押し出しているメルヘンな服装は、絵本の世界から抜け出てきたと言われても信じてしまいそうだ。

 薄い紫と白を基調とした長めのオーバードレスはどこかのお姫様といってもいい装いだった。

 膨らんだスカートはフリルとレースで飾られて、頭にはドレスハットがちょこんと乗っている。

 しかし手には可愛らしい服装と正反対の、不釣合いな鞭が握られていた。

 

「えーっと、これは一体どういうことー?」

 香奈がどこか緊張感の欠ける声で香澄に声をかけるが、世間話ができるのはもう少し後になりそうだった。

 爆散した筈の影が再び香澄の形を取って構える。

「なんか良くわかんねーけど、とりあえずあれをぶっとばせば解決ってことでいいのか?」

「だろうな、実に分かりやすい」

 香澄が中に居ないと分かれば遠慮する理由などあろうはずもない。

 フラストレーションを溜め込ませやがってとばかりに光輝と影人が一転、凶悪な笑みさえ浮かべてみせる。

 優衣と香奈はまだ混乱が抜け切らなかったが、香澄が無事ならそれでいいかと考える事を先送りにした。油断なく相手を見据えて構える。

「優衣は下がって結界を頼む。なんか校舎が無事で済む気がしねぇ」

 物騒な光輝の台詞に苦笑いを漏らしつつ、優衣は素直に後ろへ下がると魔法を展開した。

 音もなく不可視の結界が周囲を包み込んだのを確認した瞬間、光輝と影人が遠慮の欠片もなく拳と大剣を振りぬく。

 魔物は迷いを生み出す香澄が居なくなったことで行動が先鋭化しているが先ほどまでの俊敏さは失われていた。

 力いっぱい振り抜かれた漆黒の大剣の一撃を跳ねてかわした位置へ光輝の右腕が的確に迫り、避けきれない魔物は腕をクロスさせて受け止めんと腰を落とす。

 だが右腕が触れた瞬間に爆ぜた衝撃は直接触れても居ないはずの結界を揺るがしつつ魔物の身体を軽々と吹き飛ばしていた。

 空中で体勢を整えるよりも早く、香奈がいつのまにか作り出していた弓をひくと魔物目掛けて射る。

 番えられていたのは普通の矢ではなく、魔力によって圧縮された水だ。

 心臓を狙った矢だったが魔物が身を捻った事で脇腹へとずれ、深々と突き刺さった瞬間、留めていた膨大な体積を解き放ち傷を内側から破裂させる。

 地面に崩れ落ちた魔物は上半身と下半身が千切れかかるほどの損傷を受け、絶え間なく黒い粒子を空中に撒き散らしていた。

 そのすぐ前に、鞭を持った香澄が無表情で魔物を見下ろし、手に持っていた獲物を振りかぶる。

 鞭が魔物に触れた瞬間、激しい火花が幾つも散って紫電に包まれ体を細切れに分解してしまった。


「かすみんがお姫様って言うより女王様ー……」

 香奈の言葉に影人と光輝が乾いた笑みを浮かべる。無表情のまま魔物を鞭で仕留める様は確かに女王様のそれに近い。

 香澄にも自覚はあるのか腕を組んで視線をそらす。しかし澄まして見せる装いもまた、香奈の言うイメージに近かった。

『娘、お前も契約したというのか?』

 サラマンダがちょこちょこと這いより香澄の前に立つと、何もない空間から狐に似た生き物が出現する。

 細長い胴、つぶらな小さな瞳、全体的に金色の毛並みだが足先だけは靴下を履いたような白で、時々青白い火花が身体を覆っていた。

『お、サラマンダじゃん』

 子どもっぽい声がしたと思えば狐がサラマンダに纏わり付きながら懐かしそうに名前を呼んでいた。

 触れられると痺れるのだろうか、サラマンダは迷惑そうに尻尾を振り回して追い払うものの、狐は諦めることなくじゃれ付き、終いには疲れたサラマンダがされるままになってしまった。

 一通りサラマンダを弄り倒した狐はくるりと優衣たちに向き直り声をかける。

『やぁやぁ皆さん始めまして。僕はナム。見ての通り属性は雷撃だよ。いやぁびっくりだねぇ、なんか目覚めたら目の前に僕好みの子が困ってるんだもん』

 どうやらナムと名乗る精霊は随分とフランクな性格をしているらしい。はしゃいでいるのか、せわしなく動き回っていた。

「気づいたら真っ暗な場所で動けなくて、そしたら優衣の声が聞こえて会いたいって思ったら、その子が出てきたの」

 香澄がそう言うとにナムは嬉しそうに跳ねていたが、サラマンダだけはむぅと唸り声を上げていた。

「なんつータイミングの良さだよ」

 光輝が呆れつつ漏らすがこの際些細なことはどうでもよかった。

 誰もが香澄が無事でいたことに安堵の息を漏らす。


「それに、お前も魔法使いだったのか」

 影人が香奈をまじまじと見つめると他のみんなも釣られたように香奈へ向く。

 突然増えた魔法使いといえば彼女も同じだ。香澄と違って今さっき契約したわけではなさそうだった。

「あれには驚いたぜ。先に言ってくれりゃよかったのに」

「いやー、あたしも優衣さんの話を聞いたときに言おうーって思ってたんですよー? でもその後かすみんは泣いて出てっちゃうわ、優衣ちゃんは泣きそうだわ、こうくんは怒ってるわ、なるくんは行っちゃうわ……。あの場でもしあたしが"みんな聞いてー、あたしも実は魔法使いでーす"とか言えると思うー?」

「……すまん」

 どこか疲れた様子でしみじみと述べる香奈に光輝はつい謝っていた。

 もしあの場で香奈がそう言っても冗談としか受け取れなかっただろうし、空気はもっと悪くなっていたかもしれない。

「しかし偶々集まった連中の内5人が魔法使いって、どんな確率だ……?」

「分からないよー。もしかしたらめぐみんも魔法使いかも!」

 いやそんなまさか、と5人がそれぞれ顔を見合わせるが笑い飛ばせそうもなかった。

 すっかり和やかな雰囲気が流れていたが、しっかりしろとばかりにエクリプスが輪の中心で飛び跳ねた。心なし怒っている。

『まったり会話している場合か! 先にあの穴をどうにかするべきだろう!』

 3人の顔がしまったと穴に向くが、香澄と香奈は何のことだとばかりに首を傾げるだけだった。

「細かい説明は後にするけど、あれがあると魔物が次々湧き出しちゃうの」

 穴は魔物を倒しても依然空に浮いていたが優衣はどこか違和感を覚えた。

「ねぇ、あの穴、広がってない?」

 サラマンダがじっと穴を観察した後戦慄く。

 20センチ程度だったはずの穴は優衣が言ったとおり一回りほど拡大していた。

「何にせよ急いで閉じた方がいいんだよな。サラマンダ、どうすりゃいい? ……って、割とあっけないな」

 光輝が何をすればいいのか尋ねるのとほぼ同じく、空にあった穴がすっと掻き消えた。

 皆はサラマンダが消したのかと思ったのだが、当人のサラマンダは溶けるように消えてしまった穴を見て茫然としている。

「どうした、消したんじゃないのか?」

 ただならぬ気配を感じ取った光輝がサラマンダに尋ねるが口をぱくぱくと開閉するだけで言葉になっていない。

『何も、しておらん』

 ようやく声になった一言に一同が怪訝な視線を投げかける。

『穴を消してなど居ない。ましてそう簡単に開閉できるものでもないのだ』

「でも、穴はないよ?」

 空を幾ら眺めても探しても、先ほどまで確かにあった穴は影も形もない。

 誰かが消したのでないとしたら、一体どういうことなのか。

『優衣、お前の想像が当ったのかもしれん。……恐らく誰かが故意に開閉する術を見つけたのだ』

 サラマンダの声は震えていた。

「じゃあなんだ、あれがこの瞬間、どこか別の場所に開く可能性があるってのか?」

 光輝の問いにサラマンダが無言で頷く。

 奇妙な沈黙が場を支配した。あんなものが自由に作れるとすればこの世界がどうなってもおかしくない。

「どうするよ……」

「エクリプス、穴を探ることは出来ないか」

『厳しいな。穴から直接魔力が漏れているわけではない』

 危険な状況だというのに打つ手が見つからず苛立たしげな声が誰ともなく聞こえる中、優衣だけは何かを考え込んでいるようだった。

「あのさ」

 おずおずと、考え込む彼等に向かって優衣が小さく手を上げる。

「もしかしたら、犯人が分かったかも」

『それは、穴を開けた犯人という事か?』

「分からないけど、限りなく近いかも。影人の言ってたこと、あながち間違いじゃなかったんじゃないかな」

「どういうことだ?」

「昨日まで学校に異変がなかったのなら、昨日ボク達が帰った後に何かあったんだと仮定するのが一番自然だよね」

 優衣達3人が下校したのは最終下校時刻を少しばかり過ぎていてほぼ全ての生徒が下校した時間と言っていい。

「図書室で例の法廷画を見たとき、誰かに雰囲気が似てると思ったの。でも法廷画を見るより先にその人にあってたから気づけなかった」

 影人と光輝が目を見張る。

 老紳士と法廷画の雰囲気、特に柔和な人当たりのいい部分は良く似ているし、年齢も一致する。

「それに一番重要なこと、見落としてた。落し物を届けに来るならあんな時間に行くべきじゃない。校舎を閉める準備もあるし、気の利く人ならもっと早い時間を選ぶはずだよ」

『だがたった一人の人間を見つけ出すなど無理がある』

 サラマンダはそう言ったが優衣は任せてとばかりに力強く頷いた。

「大丈夫。もし本当に穴を自由に開閉できるならその人は魔法が使えるんだと思う。魔物を探す魔法でこの町から魔力の高い人を探してみれば見つかるかもしれない。……というより、あるの。ボク達以外に凄く強い魔力の反応が」

 エクリプスとサラマンダが立て続けに探索の魔法をかければ優衣の言ったとおり、人にしては強い反応が一つ返ってくる。

 場所は学校から然程遠くなかった。

『今から行けるな』

 

 

 こそこそと、結界を利用しつつ外から姿を見えなくした5人は学校を抜け出すと坂道を全力で駆けていた。

 まだ魔法使いになりたての香澄だけは肉体の強化を覚えておらず、光輝の腕の中で不満げな顔をしている。

 戦闘に慣れていない香澄だけは置いていこうかという話し合いももたれたのだが、当人が全面的に否定したのだから、移動手段について文句を言えないのだ。

 近接格闘を得意として一番スタミナのある光輝が適任と合理的に判断した結果ともなればなおさら。

 だがそのおかげで目的の場所へは10分もかからず到着することができた。

 無駄に広い駐車場の敷居には大きな穴と危険、立ち入り禁止の黄色いテープが張られていた。

 初めて優衣が襲われた食料品店の屋上に老紳士は居た。

 まるで自分の部屋で寛いでいるかのごとく、屋上にはパラソルと椅子、芳醇な香りを振りまく紅茶がセットされていた。

「ほう、気づかれましたか」

 老紳士の声には動揺も警戒もなかった。相貌に浮かんでいるのはいつもと変わる事のない柔和な笑み。

 5人がこの場所に到着したことを純粋に喜んでいる節さえあった。

「精神世界の穴を操っていたのは貴方ですか?」

「左様。目的の為に必要なのだよ」

 否定はなかった。影人が敵意を剥き出しにして詰め寄る。

「俺がここに来る前に住んでいた町に魔物を呼び出したのはお前か」

 酷く冷めた目にはどろりとした憎しみが渦巻いていた。

「そうだとも」

「何の為に」

「君を魔法使いにする為にだよ」

 刹那、影人の右腕が虚空から漆黒の大剣を躊躇うことなく引き抜き、持てる全ての力で老紳士の首に向けて振りぬかれた。

 大剣からは濃密な闇が溢れ出して周囲の空間を塗り潰していく。

 紛れもない本気の一撃に優衣達が驚くのも束の間、老紳士は胸に抱いていた1冊の本を開くだけで攻撃を受け止めた。

 結界と刃が交差し甲高い音を響かせる傍ら、噴出した闇も結界へと群がり魔力を貪り始める。

 老紳士の姿は際限なく湧き上がる黒に塗り潰され完全に覆われてしまった。

 だが結界はまだ断ち切れていない。

 それどころか結界の内側から膨大な魔力が溢れ出すのを感じて、優衣が咄嗟に影人の前方に結界を展開した。

 無音の衝撃が中から打ち出される。

 老紳士を包んでいた闇が一瞬にして空中に四散し、刃を打ち付けていた影人が驚愕に彩られる。

 衝撃は優衣の作り出した結界に突き刺さるが勢いは消えないどころか増長するばかりだ。

「影人、逃げて!」

 今までどんな攻撃でも歪まなかった優衣の結界が僅か数秒でたわみ、悲鳴を上げる。

 光輝が無言で地面を強く踏み込み驚異的な加速を得て影人に近づくと、なりふり構わず襟首を掴んで床に転がった。

 殆ど間を空けずにガラスが砕けるような硬質な音が響いて、展開していた結界が砕け散る。

 受け止められなかった衝撃は光輝と影人のすぐ近くを突き抜けると、直線上にあった貯水タンクの一つを根こそぎもぎ取って遥か彼方に吹き飛ばした。

 留めるべき器を失ったことで水音が辺りに響くが引きちぎられたタンクが地面に落ちる音はいつまで経っても聞こえない。

『何故魔法を使える』

「契約は精霊とだけするものではないからね。私にはこの法の書がある」

 風もないのに老紳士が手に持った本のページが勝手に捲くられる。

「君たちと戦うつもりはまだないんだ、失礼させてもらいますよ」

 法の書が青白い光を溢れさせ、地面に魔法陣が浮かび上がる。

「待てっ!」

 影人が立ち上がり逃げようとする老紳士目掛けて再び剣を振るおうとするが、魔法陣から湧き出てきた魔物によって阻まれた。

「貴方は何なんだ。一体何をするつもりなんだ」

「私はエイワス。この歪んだ世界を愛で正すのだよ」

 優衣の問いにエイワスと名乗った老紳士があの柔和な笑みを浮かべたまま告げるとそれっきり掻き消えた。

 変わりに魔法陣から湧き出てきた魔物が不気味な鳴動を始める。

『考えるのは後だ! 目の前の敵に集中しろ!』

 出てきた魔物は人型の騎士だった。

 余すことなく肌を包む中世風の甲冑は鈍い銀に光り、右手には槍を、左手には盾を持っている。

 被せられた刺々しい兜に開いた小さな穴から漏れる赤い光がじっと、眼下に立つ優衣達を見据えている。

 身長は5メートルはあるだろうか、槍にしても神殿の柱と表現した方がしっくりくる程太く大きい。

 真っ先に切りかかったのは影人だった。あらん限りの力で振るわれた漆黒の大剣が騎士の脛の部分に打ち込まれるが僅かな傷をつけるだけでダメージはない。

 けれど影人はその場に留まり手に持った大剣を何度も振るい続けていた。

「影人、一度下がれ!」

 光輝が叫ぶが声は届いていないようだった。騎士が忌まわしげに影人を見やると槍を無造作に振るう。

 優衣が再び結界を展開した。屋上から槍など突きたてられたら階下がどうなるか分かったものではない。

 本来点を突くはずの槍は優衣達からすれば面と言っていいほど広い攻撃範囲を持っていた。

 影人の上空で展開された結界と槍の鋭い先端がぶつかり火花と金属音を掻き鳴らす。

「うそ……」

 結界が攻撃を止められたのは一瞬だった。

 槍の先端が頑強なはずの優衣の結界を軽々と穿ち地面に接するかに思われた刹那、穂先を留めるため一段階太くなっている部分によってどうにか再び阻まれる。

 刃部分に対しては結界でも防げない。

 先ほどから絶え間なく続く影人の攻撃でも鎧は僅かな切れ込みを作っただけで本体まで届く気配はない。

 それに影人の様子がエイワスと会った時からどこかおかしかった。

「光輝は一度影人を下がらせて。槍の刃より高い位置に結界を展開すれば攻撃は暫く防げると思うから」

 無言で頷くと未だ攻撃を続けている影人に駆け寄る。

「ボク達はあれをどうするか考えよう」

 香奈と香澄が大きく頷いた。

「物理攻撃に対する耐性は異状だねー。あたしの水もどっちかといえば物理寄りだから難しいかもー」

 言いながら作り出した弓を引き絞って水の矢を飛ばす。宣言通り水流の矢は鎧を穿つことができず、身体に水を浴びせただけだった。

「あれが見た目どおりの銀ならかすみんの攻撃は通るんじゃないかなー。でも近づくのは止めといた方がいいかも」

 優衣も香奈の意見には全面的に賛成だった。初めての戦闘で異常な強さを誇る騎士に接近するのは得策ではない。

 特に結界すら一撃で貫く槍は契約文言により変身している姿であっても防げるかは怪しいところだ。

 完全に生身の優衣も言わずともがなではある。

 かといって、優衣が契約文言を使うわけには行かない。もしまた暴走すれば足元にいる人達にどれ程被害が出るか。

「後はこうくんが火だよね、熱攻撃ならあの鎧を溶かせるかも」

 銀の融点は凡そ960度。不可能な温度ではない。そうしている内に光輝が影人を引っ張って戻ってきた。

 上空では騎士が何度も槍を突き立てているが貫通する様子は今のところない。

「光輝、あの鎧溶かせる?」

「その手があったか!」

 光輝が早速両の手の平を打ち合わせた後、火球を作る。

 普段はすぐに放つそれを、今は維持し続けて魔力を注ぎ込み続けていた。

 人の頭ほどに成長した火球を豪快なモーションで振りかぶって投擲する。火球が騎士の腹を正確に捉えた瞬間、目を開けられないほどの閃光と凄まじい熱波が吹き荒れ、思わず顔を覆った。

「こうくんやりすぎっ!」

 香奈が前方に水のヴェールを作り出して襲い掛かる熱の余波を防ぎにかかる。

 くぐもった、地響きに似た苦悶の絶叫が大気を震わせた。

 閃光が収まった先では着弾した場所を中心に炭化したのか黒い地肌が見え、銀の鎧がどろりと溶けて垂れ落ちていた。

 赤い相貌が苦しみと憎悪に歪み今まで以上の勢いで猛然と槍を突き立てる。だが再び光輝が攻撃のモーションに入ると攻撃をやめ、持っていた盾を構えた。

 紅蓮の火球が再び飛来し、盾の中心に着弾し炎上する。しかし今度は盾を溶かしきるには至らず、表面を猛烈な炎で炙るだけに留まっていた。

 騎士の攻撃が再開され、優衣の表情に疲れが見え始める。

 穂先の攻撃で結界が貫かれるせいで攻撃の度に展開し直さないといけない分魔力消費は激しい。

 光輝の火球は生成までに暫く時間がかかる。盾で防がれてしまうことを考えると状況は好ましくなかった。

「ねー、ここって食料品店なんだよねー?」

 辺りを見回した香奈が場違いにも思える質問をすると、優衣が頷いてみせる。

「5分持ちこたえられる? そうすれば勝てるかも」

 5分。秒数にして300秒。長くはないがこの状況では短くもない。

「分かった。絶対どうにかする」

 優衣の返事に香奈は満足げに頷くと、香澄と影人の手を引いて施設の中に駆けて言った。

「なにをするつもりだっ」

「必要なものがあるから揃えるの! 手伝って!」

 

 階段を飛び降りて1Fの食料品売り場まで降りた3人は特異な服装から視線を集めまくるが気にしていられる状況ではなかった。

 香奈が引っ張ったのはその内の調味料売り場、白い粉末が袋に詰められ売られている、というと怪しいがなんてことはない、ただの塩だ。

「持てるだけ持って」

 何の為に、という疑問はなかった。3人で出来るだけの量をレジに持っていく。

「会計はしておくからさっさと運べ!」

 影人は香奈が何をしたいのか察したようだ。この作戦に必要ない自分をこの場に残して2人を促す。

 ただならぬ様子に会計をしていたパートの女性が目を丸くするが構っている暇はなかった。

 

 再び階段を跳ね上がって屋上に戻るまでにかかった時間は4分程度。

 2人して大量の塩を床にばら撒くと壊れた貯水タンクの水を香奈が操る。

「水の性質は自在な形の変異ですからねー」

 集められた大量の水が床に散らばった塩を身の内に溶かし込んで全方位から騎士を包み込む。

 一方向からしか防げない盾ではあらゆる形を作り、どこからでも自由に迫ってくる水を防ぐことなできない。

「かすみん、全力でやっちゃえ!」

 香澄が唯一銀の身体を持つ騎士に直接攻撃できるなら使わない手はない。

 近づけないのだとしたら遠くから攻撃が通るように道を作ってしまえばいい。

 問題はどうやって道を作るかだった。ただの水道水は案外電気を通さず、香澄の力の大部分を伝えることが出来ない。

 なら食塩を使って伝導率を上げてしまえばいい。

 

 作り上げられた水流に香澄が鞭を触れさせる。

 膨大な雷撃が水流全体を取り囲みながら青白いスパークを迸らせ銀の騎士を包み込んだ。

 光輝の時とは比べ物にならないほどの苦悶に満ちた絶叫が響き渡り、遂に膝をつく。

「なるくん、遅い!」

 地面に近づいたガラ空きの胴目掛けて黒い風が突き抜けた。

「パートの人がカード払いに慣れてなかったんだっ」

 虚空から再び引き抜いた大剣が鎧のなくなった胴に寸分違わず打ち込まれる。

「闇に飲まれろっ」

 突き刺さった大剣に影人が魔力を流し込んだ。膨れ上がった刀身が内側から騎士をずたずたに引き裂く。

 ぐらり、と騎士の身体が揺らいだ。轟音と共に床へと身を沈ませ、やがて黒の粒子となって大気へ掻き消えていく。

 後はもう、何も残っていなかった。

 倒したことに安心してか、優衣がその場に崩れ落ちる。

「疲れた……。ちょっと休みたいかも」

「大丈夫か?」

 光輝が手を貸そうとしたのを目ざとく見つけた香澄がそれよりも早く優衣の身体を抱き起こすと、間に合ってますとばかりに光輝を見た。

 その光景に影人と香奈が思わず小さく笑う。

『問題はあの者をどうするかだな……魔力の反応はもうないようだ』

 結局老紳士、エイワスは取り逃がしてしまった。魔力を隠す術でも知っているのか、或いは探査できる範囲にいないのか、今となってはどうすることも出来ない。

『片手に持っていた書籍、法の書と言ったか。あれは何なのだ』

 誰に聞くわけでもなく漏らした一言に、優衣が反応する。

「確か、宗教団体が使ってた教典だったと思う。そういえば内容を纏めた物が家にあったかも」

『一刻も早く内容を知りたい。今すぐに……』

 向かおう、と言おうとしたサラマンダだったが、突然光輝がこよなく愛するアニメのオープニングテーマが鳴り出した。

 どうやら彼の携帯に電話があったようだが、ディスプレイに表示された名前を見るなり顔を青くしている。

「やべぇ、先生からなんだけど……。学校忘れてたわ」

 エイワスの事も法の書の事も気になるが学生の領分は勉強だ。

「ごめん、法の書は放課後で……」

 5人は慌てて学校に向かい走り始めるのだった。

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