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現世の魔法使い  作者: yuki
第二章
36/56

お昼とお願い事

 「ごめんね。ちょっと調べられなかった」

 翌日、朝の教室で昨日の顛末を優衣が正直に告げるが、光輝も影人も気にした様子はない。

 優衣としてはもう少し父親の仕事部屋の資料の捜査を続けてみるつもりだったがまだまだ時間が必要だ。

「仕方ないさ。暫くは様子見で魔物が出たら適時討伐って事かね?」

「異存はない。絶望の欠片を闇に還すのは化身たる俺の定めだからな」

 頷き合う二人を尻目に優衣の顔はどこか寂しげだ。

 相変わらずまともに遠距離魔法を使えないせいで戦うこともできず、結界の展開くらいでしか役に立てない。

 相手が前回の猫ほどの大きさであれば結界で覆い、閉じ込めて切断する手段も使えるが、一撃で倒せない大きさとなるとそれも難しい。


 結界によって無関係な第三者を巻き込む可能性を未然に防げる上に街を壊さずに済むのは光輝や影人にとってもありがたい事ではあるのだが、危険な役目を押し付けてしまっているという負い目が優衣から消えることはなかった。

 早く魔法を制御できるようになりたいと思っているのだが、勝手に溢れてくる力を抑え込むのは至難の業といっていい。

 サラマンダの助言から、自身の魔力を少量ずつ開放することで放出の感覚と制御に慣れるという訓練を行っているのだが成果は芳しくはなかった。

 ほんの小さな魔力であれば自由に制御して見せる一方、ある一定の量を超えた瞬間に突然制御が出来なくなり、今まで幾度となく竜巻に近い魔力風を生み出しては周囲に叩きつけている。

 おかげでいつも放課後に練習に使っている山の一部はまだ夏だというのに木々から若葉が消え失せ、冬の様相を呈していた。

 

「まだ日も浅いんだし、その内慣れるって」

 慰めの言葉を口にする光輝に、優衣は曖昧に笑って見せる。今のところ、優衣自身どう制御すればいいのか考えあぐねているところだ。

「それにできれば前には出て欲しくないしな。契約文言だって使えないんだろ?」

 光輝の言葉にどこか申し訳なさそうに頷く。


 契約文言。それは魔法使いとして本来の力を解放するための呪文だ。

 光輝の場合は「想いを炎に 願いを糧に」

 契約の際に願ったことを元に作られるこの言葉によって魔法使いは普段抑えている本当の力を表に引き出す。

 この状態では生身の時よりずっと大きな魔法にも耐えられるようになるし、武器と外装と呼ばれる防具の装着が可能になる。

 武器による魔法の制御力、威力の向上や外装による防御力の強化は戦闘を行う上で必須と言っていい。

 特に大きいのは武器よりも防具、外装の方だ。

 現実世界に存在するどんな鎧よりも強固な防御力を持つ外装があるからこそ、魔法使いはある程度のダメージを覚悟して戦うことが出来る。

 しかし優衣にとって契約文言を使うということは、ただでさえ抑えられない魔力をより多く開放してしまい、逆に魔法を制御しにくくなってしまう足枷にしかなっていない。

 広範囲の結界はそれなりに集中力が必要で、発動と制御自体は生来の異常な素質と魔力によって問題ないレベルで展開できるのだが、契約文言を使って杖を召還すると途端に不安定になってしまうため、相談した結果、戦闘では使わないことに決めていた。

 だが外装を装備できないということは、殆ど生身に近い肉体で魔物と戦闘するという事になる。

 例え軽くとも攻撃を1発受ければ致命傷になりかねないのは怖い、というのが光輝や影人の認識だった。

 

「おっはよー!」

 話し込んでいた3人の背後から突然、朝からこれ以上ないくらい元気な、それでいてどこか気の抜ける声が近づいてくる。

 振り返るまでもなく、それが香奈の物であるのは明らかだった。各々が返事をしようと振り返るのだが、その表情が固まる。

 まるで水面か何かに飛び込むように、香奈の身体は空を飛んでいた。

 その先には驚きから身を固めている優衣がいて、引き延ばされた時間の中でゆっくりと飛びつくべく距離を縮めている。

 光輝も影人も優衣が性別を隠しているのを知っている以上、このまま看過するわけにはいかない。

 光輝はすっと優衣の前に立ちふさがり、影人は飛び込んだ香奈の襟首をあろうことがしっかりと掴んで真上に引き上げた。

 蛙が潰れるようなくぐもった悲鳴が漏れて香奈が顔を青くする。ひっぱられたことで襟に殆ど全体重がかかって首が絞められたらしい。

「なるくん……せめて前から受け止めて……」

 苦しげな咳を幾度か吐き出すが影人は自業自得とばかりに鼻で笑う。

「朝から盛るな、狂犬マッド・ドッグめ」

 心底呆れた口調で告げる影人に、香奈はむすっと頬を膨らませた。お返しとばかりに後ろに廻って首に腕を回して体重をかける。

 香奈は女子にしては身長が高いが、影人には遠く及ばない。背面から飛びついた香奈の足は地に着いておらず、首に巻きついた腕によって、今度は影人が大きく咳き込むことになった。

 身体をくの字に折って荒く息をついているのをみて満足したのか、ふふんと得意げに笑っている。

「犬にじゃれられて泣くほど嬉しいかー」

「嬉しい訳あるか!」

 後はもう、いつもの香奈のペースに完全に乗せられて朝の穏やかな時間は一気に賑やかさを増すのだった。


 試験後の授業はどこか弛緩した空気が漂っている。

 誰もがあまり集中しきれていないなかでも滞りなく進められ気付けば4時間目が終わってしまっていた。

 オリエンテーションの影響か、今でもあの時の班で行動を共にする生徒は多い。

 休み時間ともなれば机をくっつけてお弁当を食べる男女の仲睦まじい姿も良く見られる。

 優衣達6人もオリエンテーションで班を決めた後から何となく一緒に昼食を取るのが日課になっていた。

 優衣と香澄と萌の3人は一足先に中庭にある大きな木の近くに持参したレジャーシートをひいて、光輝と影人と香奈が購買によってから来るのを待つ。

 この季節には人気のある場所だというのに近づく人はあまり居らず、貸しきり状態になっていた。

「光輝の顔も偶には役に立つんじゃない?」

「ひでぇ!」

 原因はお前にあると香澄がさらりと言ってのけ、否定できない光輝は頭を抱えて叫ぶ。

「奇人変人の代名詞、なるくんもいますからインパクトは大きそうですねー」

「女子とあらば飛びつこうとする危険人物も居ることだしな」

 隣ではまぁまぁと香奈が慰めにかかり、その引き合いに出された影人の顔が明らかに歪むが、最近は彼も言われっぱなしで終わらないことが多いようだ。

 良くも悪くもたくましくなっているのかもしれない。


「ねぇ、月島……さん」

 他愛もない話を繰り広げつつお弁当を突いていると、半分くらい食べ終えたところで香澄が何事かを決意したように優衣の名前を呼んだ。

 じゃれ合っていた2人も何事かと視線を香澄に向ける。

「この間の喫茶店の約束、覚えてる?」

 うっと、優衣が言葉を詰まらせる。が、覚えてませんといえる性格ではない。

 神妙な面持ちでこくりと頷くと途端にぱぁっと表情に明るさが増す。

「1つお願いがあるの」

 優衣の肩が微かに震え身体を強張らせる。

 遂にこの時が来てしまったのかと、死刑宣告を待つ囚人のような緊張した面持ちで尋ねた。

「どんなお願いでしょう……」

 思い浮かぶのはこれまで雫に課せられた無茶なお願いの数々だ。

 どうしてこう、とんでもない願いばかりを次から次へと思い浮かぶのか、そういえば今朝も1つ貸しを作らされた事に思い至って今更ながら嘆息する。

 戦々恐々としながらお願い事とやらを待つ優衣に、香澄は何度か躊躇いながらもその内容を口にした。

「……名前で呼んで欲しい」

「へ?」

 そのお願いを一瞬理解できなくて、思わず間の抜けた声が漏れた。

 光輝は香澄の事を名前で呼んでいたが優衣や影人は一之瀬さん、と上の名前で呼んでいる。

 香澄も優衣や影人の事を月島さんや神無月くんと読んでいた。

「光輝が私のことを名前で呼ぶから、そっちに慣れてるの。だからみんな、私の事はできれば名前で呼んで」

 優衣を直視しないよう視線を逸らしながら、心なし頬を染めて言う。

「そんな事でいいの?」

 思ったよりもずっと簡単なお願いに優衣は拍子抜けて思わず安堵する。

「じゃあ香澄さん? 香澄ちゃん?」

 満面の笑みで名前を呼ぶ優衣と裏腹に香澄はますます視線を逸らしてしまった。優衣の方からは見えないが、香奈の方からは赤くなっている頬が見えて楽しげな声を上げる。

「かすみんは時々凄いよねー。それじゃああたしも名前で呼んでもらおうかなー? 香奈でも香奈ちゃんでもいいよー?」

 期待半分、悪戯心半分の眼差しを主に影人に向けてみせるが全く興味がなかったようで香奈には一瞥もくれない。

「なら俺も香澄と呼ぼう。俺のことも影人でいい。それからそこの犬、さっきから邪魔だ」

 それどころか追い払うように手首を振ってみせ、しかも名前ではなく犬と呼ばれた香奈はむっと頬を膨らませる。

「いいよ、ならあたしもなるくんって呼び続けるからっ」

「犬の頭では真名を理解するのも難しいだろうからな。仕方あるまい」

 だが影人もそろそろ名前で呼ばれるのに慣れてきてしまったようだ。

 さして気にする様子もなくさらりと流してみせると、香奈はますますむくれてしまった。

「あの、それなら私も名前でお願いします」

「ボクも名前で大丈夫だよ」

 萌と優衣もそれぞれ追従する。

 それから何度か名前を呼び合ったりする、中睦まじく微笑ましい光景が広がった。

 人気の場所にも関わらず誰も入ってこないのは、きっとこの雰囲気のせいもあるのだろう。

 

「こーくん、なるくん、かすみんにめぐみん」

 中でも一番楽しそうだったのは香奈だった。いつにも増してしまりのない笑顔を満面に浮かべてそれぞれの名前を呼んでいる。

「それから、優衣ちゃん!」

 最後に近くにちょこん、と座っている優衣を指差して朝の時のように飛びつく。

 正座していた優衣が逃げられる暇はなかったが、すぐ隣に座っていた影人がこれまた朝と同じように襟を掴んでその場に留めた。

「止めるならせめて前から……」

 けほけほと苦しそうに咳き込み、恨みがましい視線を向ける。

「首輪みたいなものだろう?」

 しかし影人はこれで何度目だ、と呆れるように言った。

「行ってくれるじゃないですかー。そういうなるくんはこの所優衣ちゃんと良く一緒にいるみたいだけど、何かなー? 想いを寄せちゃったりしてるのかなー?」

「んな訳あるか!」

 とんでもない因縁をつけられた影人が焦ったように叫ぶと、ようやく普段の調子が出てきたのか楽しくて仕方がない様子で続けた。

「えー? でも放課後の遅い時間まで図書室で談笑してたとか噂になってますよー?」

 一瞬、精霊を見られてないだろうかと不安になったのか影人の言葉が詰まる。

 その瞬間、ここぞとばかりに攻撃ならぬ口撃を開始して影人はますますたじろいでいた。

 けれど暫く続くかに思われた香奈のラッシュは突然割って入ってきた香澄によって遮られる。

「香奈はあんまり男子に抱きついたらダメ」

 唐突な一言に香奈は不思議そうに首をかしげた。

「どうしてですかー?」

「女の子は普通抱きついたりしない。特に香奈は刺激が強いから」

「……? あぁー、そういうことですかー。でも大丈夫ですよー小さい子も需要はありますから!」

 また暫く考えてから香澄の言わんとしている事をようやく理解したらしい。

 影人に向けるのとは違った、穏やかな、でもどこか怪しい笑顔を浮かべて香澄へと這い寄る。

「べ、べつに私はそういうことを言ってるんじゃなくて」

「大丈夫、分かってます、よーく分かっちゃってますから。大きくしたい時は誰かに揉んだ貰うのが一番だそうですよー?」

 飛びついた香奈に香澄が悲鳴を上げる中、3人は気まずく視線を逸らすのだった。

 人気の場所にも関わらず誰も入ってこないのは、きっとこの雰囲気のせいが大きい。

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