休日のひとコマ
オリエンテーションを終えた優衣はすぐ後に控えていた休日を、他の生徒がそうするようにゆっくり過ごすことはできなかった。
この日は朝から正装に着替えて父親の運転する車に乗る。
地図を見るのが得意な雫は助手席で携帯を片手に道案内をしながら町からやや離れた墓地に向けて走っていく。
……今日は母親の命日なのだ。
行き掛けにお酒と花を買い込むとお寺の境内の裏手に広がるお墓に入る。
薄い雲が一面に広がる曇天の影響もあってかお墓の中は薄暗く、物悲しげな寂寥感が漂っていた。
住宅街の中にあるというのに、ここだけは周りと少しだけ温度が違う。町中に飛び交う喧騒もどこか遠のいているようだ。
年月を経て苔を所々に生やす墓石に水をかけて丁寧に洗っていく。
備えてあった萎びている花は遠方の親戚の誰かだろうか。一度黙礼してからそれを取り除き、買ってきたばかりの花を添える。
お供えとしては少し派手な色合いを含む花束は生前の母親の要望を受けてだ。
線香と一緒に濯いだ湯飲みの中へお酒を入れ、その隣に瓶を丸ごと供えた。
「もう14年になるんだな……」
父親は感慨にひたった声で誰にともなく漏らす。
雫が生まれた後すぐに母親の月島さくらはこの世を去った。
以来、父親は残された子どもを男手一つで育てて、気付けばもうこんなに時間が流れている。
「お母さんは奔放な人だったんだよね」
雫も優衣も母親の記憶はない。残された写真をみて顔を知っているだけだ。
「ああ。僕なんかよりよっぽど男勝りだったからね。何でも豪胆に笑って乗り切る人だったよ」
優衣の性格は父親譲りの穏やかなもので、雫の時折強引な性格と何でも笑って乗り切る性格は母親譲りのものなのかもしれない。
だが身体の方は性格と正反対で、春先に僅かばかり花を咲かせすぐ散ってしまう桜の如き儚さでとても丈夫とはいえなかった。
でもそれを嘆くことはしたくない。
他人と違って出来ないことがたくさんあったとしてもそれを言い訳にはしたくない。
それ故に、そんな性格に育ったのだろう。
雫を身篭った時、医者は母体の体調を優先するためにも諦めるよう再三注意したものだ。
でも彼女はその意見を拒んだ。
この機会を逃したら、もう次はないかもしれないだろうと豪快に笑う彼女を止められる人間など誰も居ない。
たとえそれで命を失ったとしても、後悔などしていないだろう。
「雫の名前を考えた時は揉めに揉めたんだ。さくらは女の子らしい名前を中々決められなくてね……昴とか純とか晶とか、男の子っぽい名前ばかり浮かべてたんだよ」
父親の言葉を受けて雫はおかしそうにくすりと笑う。
「じゃあお父さんが考えてくれてなかったら、私は昴とかになってたかもしれないんだね」
母親であるさくらは自分の名前が体を表すようで、あまり好きではなかった。
だからこそどうか健康に育ってほしいという想いを籠めたところ、初めての名付けという慣れない作業のせいもあってか、どうしても男の子のような名前ばかりが頭をよぎってしまったのだ。
父親もそれは同じだったが変わりに女の子らしい名前の候補をあれこれと考え、長い間相談に相談を続けた結果雫という名前に決められたのだ。
けれどもし昴という名前だったとしても、それはそれで今の快活な雫の性格にぴたりと符合するだろう。
「僕達は元気にやってるよ」
墓前に手を合わせながら父親が静かに語りかける。
五月の優しい風がすぅっと通り、頬と髪を微かにくすぐって空へと溶けていったのは偶然だろうか。
「それじゃ、今日はどこに行こうか」
お墓参りの日は家族揃って遊びに行くのが月島家の恒例だ。
"もしあたしが死んじまったらさ、命日は遊びに出かけてくれよ。きっちりついていくから"
縁起でもないと笑えなかった彼女の言葉は、今も習慣として続けられている。
「じゃあ見たい映画があるの!」
雫の声に二人は笑って車へと向かい歩き始める。
来る時に雫が乗っていた助手席は、今は誰かの為にぽっかりと空けられていた。
町についた3人はファミレスで軽めの昼食を取ってから、雫の希望通り映画館の前へと訪れていた。
放映されている映画は小説が原作の恋愛物とオリジナルの冒険物、それに小さな子供向けのヒーロー物と、あともう一つ。
雫が嬉々として選んだのは最後の一つである……和製ホラーだった。
最近テレビで盛んにCMを流しているのだが、お茶の間の空気に流れてくるCMだけでも相当くるものがあり、世間でも怖いと評判になっている。
「本当にこれ……?」
優衣が渋い顔をしながらもう一度雫に確認するが、勿論とばかりに大きく頷く。
雫はホラー物が好きでよく映画を借りて来たり夏場のホラー特集を見ている。
優衣がそれに付き合うことは多いのだが、どちらかといえば苦手な分類だった。
家で見れるのは煌々と電気のついている和やかなお茶の間で見る上に、好きな時に席を外すことも耳をふさぐことも出来るからであって、真っ暗な映画館の中、しかもやたらめったら凝った、耳を塞ごうとも聞こえてくるサウンドにド迫力の大画面で見ろと言われると流石に尻込む。
おまけに途中で退室するのは好ましくない。
「大丈夫、ただの映画なんだよ?」
「でもこれ、撮影現場で本当に事故があったとかなんとか」
「ただの話題作りに決まってるでしょ。もう、お兄ちゃんは怖がりだなぁ」
雫の苦笑に優衣が呻き声を漏らした。妹にこうまで言われて引くことなどできない。
身長どころか度胸まで抜かれる訳にはいかないのだ。
「分かったよ。お父さんもそれでいい?」
若干救いを求めるような視線を向けるが、父親は軽く頷いただけだった。
記者という仕事柄か、現実主義に生きる彼はホラーというジャンルと対極に位置するといっていい。
挙句、叫んでしまうような恐怖の演出にもっとこうあった方が面白いだろうと、笑顔さえ浮かべて指摘する。
そんな父親が娘の希望する大迫力の映画館でホラーを見ることに抵抗があるはずもなかった。
チケット買うとビルの四階に向かってエレベーターに乗った。
複数の上映場が一緒くたになっているこの映画館はフロアによって上映されている物が違うのだ。
音も立てずに動き出したエレベータがするすると扉を開けた瞬間、優衣は早くも後悔する。フロアその物が映画に出てくる呪われた家を再現したミニスタジオ風味になっていたのだ。
エレベータは扉に該当し、すぐ目の前の玄関には幽霊に扮したスタッフが仮面をつけて半券を千切っている。
薄暗い室内は綺麗に片付いているのに人の生活痕が残っているようでかえって生々しかった。
びくびくしながら半券を渡すと幽霊が機械の様に受け取り破く……のだがその動作がぴたりと止まる。
何事かと幽霊の顔を見上げると仮面の裏からじっと視線が注がれているのが伝わってきた。
「あの……」
沈黙に耐えられず何か、と尋ねようとした優衣の眼前にチケットが差し戻される。恐る恐る受け取ると既に先に行っていた2人の元へ駆けた。
「入口から雰囲気ありすぎるよ……」
カセットでもセットされているのか、辺りから物音が聞こえるたびに優衣は縮こまる。
「大丈夫、ホラーは実際にありえないからホラーなの。地球が滅亡する映画を見て本当に滅びる訳じゃないんだから、割り切ればいいのに」
雫は簡単に言うが、早々割り切れるものではない。
洋画のホラーのように相手が人間や理解できるものならそこまで怖くはないのだが、和製ホラーの場合は対抗できないわけのわからない物、ということが多い。
この映画も類を違わずその分類だ。
だからどうしても、もしもの可能性が頭によぎってしまう。
「自由席みたいだから席取ろう?」
上映場に入ると、さすがにここまではデコレーションをされていないらしく、優衣がようやく一息ついた。
休日ということもあってか席は割と混雑しており、3つ連続で空いているのは数か所しかない。
そのどれもがベストポジンションとは言い難かった。
良い場所も残っているのだが、空いてる座席数は連続2つまでだ。雫はそれを指さして悪戯っぽく言う。
「 お兄ちゃんだけ離れてみる?」
「やめてよっ!」
その言葉に僅かな本気を感じ取った優衣は捨てられた子犬のような目をして叫ぶのだった。
映画は開始早々陰鬱な雰囲気をこれでもかというくらい振りまいていた。
折角の一家引越しの場面だというのに軽快なBGM一つなく、物静かな場内に家族の声だけが虚しく木霊する。
一人、日の当らない台所に食器を詰め込んでいた主婦が排水溝に水が流れにくいのを不審に思って調べると、大量の髪の毛が詰まっているのを見つけてか細い悲鳴を上げる。
自室で荷物を開封していた家族は誰もその声似気付かず、主婦も気持ち悪そうに捨ててひとまずその場は収まったのだがきな臭い空気は一気に加速した。
それにしても長い毛が詰まっているだけで何故あそこまで恐怖心を煽られるのだろうか。
それから誰も居ない時間に音がなる、ガラス越しに一瞬人影が写るなど怪奇現象が起こるたびに観客席から悲鳴が漏れた。
席に座る優衣も多分に漏れず、声は出していないものの明らかに身体を揺らしている。
やがて主婦は度重なる怪奇現象にどんどん正気を失っていき、遂には自殺してしまうのだが本当の恐怖はこれからだった。
おかしくなっていった妻に何があったのかを夫は葬式の手配を行う過程で知っていくことになる。
1時間強の映画が終わり館内に明かりが戻ると、半ば放心している優衣と満足げに笑っている雫の対照的な姿があった。
「そんなに怖かった?」
「夜寝るのに困りそうなくらいには」
ぐったりとしていた身体を起こして外に出れば目の前に広がっているのはあの陰鬱な改造されたロビーな訳で。
「そんなに怖いなら一緒に寝てあげようか」
「怖いからって1歳しか歳が違わない妹と一緒に寝る高校生なんて世界中どこを探してもいません!」
「じゃあ夜中こっそり脅かしてあげる」
「やめてって!」
1歳しか違わない妹に涙目で必死にお願いする高校生も珍しかった。




