旅行三日目 帰路
収穫がひと段落済んだ頃には陽はすっかりと昇りきり時間は正午を過ぎていた。
土まみれになってしまったジャージを叩いて土を落とすと、ずっとしゃがんで芋堀に勤しんでいたせいで腰が鈍く痛んだ。
これで農業体験は終了だ。
採れた野菜の一部を分けてもらいバスに積み込むと最終目的地であるキャンプ場へバスに乗って向かうことになる。
自然公園の中に作られたキャンプ場は古びてはいるものの、敷地面積だけは幅広い上に、屋外にはレンガ造りの自炊設備を数多く有していた。
いつもは家族連れや恋人同士で埋まるのだが、今日に限って学校側が貸し切ったらしい。
そこかしこに設けられたスペースには木製と思われるテーブルと椅子、金網の張られた黒ずんだ竈が設けられ、小さいながらも屋根まで取り付けられている。
ただし水場は共有のものが離れた場所に数箇所あるだけで洗い場はついていない。
運営の人が事前に用意してくれたのか、テーブルの上には使い古された感のある調理器具が置かれていた。
そこに苦労して持ってきた食材の山も一緒に並べる。
土がついたままのじゃがいもや人参、玉葱は優衣達が収穫した物で、大根とレタス、プチトマトは他のクラスが収穫した物だ。
トマトはハウス栽培なのだろうか、まだ時期的には少し早いというのに実は真っ赤に熟れている。
仕入れた食材を元に作るのは飯盒炊爨では定番ともいえるカレーライスとレタスに大根、トマトを使った野菜サラダだ。
珍しいことにサラダに使うドレッシングも市販のものは用意されておらず、学校が用意した材料から作らねばならない。
班員は6人。人員を分担して作業にかかることになるのだが、これが一番悩ましい部分でもあった。
誰でも出来るのは竈に火を起こす作業と野菜を洗ったり切る作業だろう。
皮むき機があれば剥く作業も出来たのだろうが、残念なことに用意されていないので玉葱以外の野菜は包丁で皮を剥かねばならない。
しかし光輝が確認したところ、それが出来るのは優衣と萌の二人だけだった。
ならばと2人に皮むき作業を任せる事にして後の4人で出来る作業を分担していく。
「それじゃ、あたしと光輝くんとで火を起す為の材料を貰ってくるねー」
火を起すといってもガスバーナーなんてものは当然あるわけもなく、割った薪に火をつける必要がある。
マッチ程度の弱い火力では直接薪に火をつけることが出来ないから、藁や新聞紙から小枝を経て順々に火を大きくしていくのだ。
女の子一人では少し重いが光輝が着いていくのなら安心だろう。
「ならば穢れた野菜を浄化する儀式を執り行ってくる」
影人はそう言って土にまみれた採りたての野菜が詰まったバケツを持って洗い場に向かった。
「私は水を汲んでくる」
水道設備は共有で数が限られているため、どうしても並ぶ必要がある。
香澄はカレー用の鍋を手に取ると水道に向かって歩いていった。
「じゃあボクは調味料とルゥを貰ってくるね。春日さんはここで休憩しててください」
優衣はそう言ってキャンプ場の運営テントに向けて走り出した。
光輝と香奈が火を起す為のセット一式を貰いにいくと縄で纏められた薪と小枝を積み上げた山から、教師がバケツリレーのように配布していた。
並んでそれを受け取るとずっしりとくる物がある。光輝はそれを一人で抱えるとキャンプ場に向かって歩き出した。
「持ってくれるのはありがたいんですけど、流石に何もしないのもどうかと思いますから、半分持ちますよー?」
「気にするなって。こういうのは男の仕事だろう?」
女子の中では高い160程度の身長を持つ香奈だったが、男子の中でも身長の高い光輝と並ぶと20センチ以上の差がある。
周りの女子がしているように、二人一組になって端と端を持ち合いながら運ぶのは身長が同じくらいでないと低い方の負担が増えてしまう。
「いやー、でもですねぇー」
なおも食い下がる香奈は会話に気をとられて足元に目が行かなかった。
「おい、足元危ないぞっ」
突然の光輝の声によって香奈は咄嗟に足元に視線を向け、窪みがあることに気付くも時すでに遅し。
はまり込むように体勢を崩すとやがて来るであろう衝撃に身構え、咄嗟に目をつむった。
だが待てども衝撃は来ず、肩には力強い感触が伝わってくる。
恐る恐る目を開けた香奈の司会には、薪を投げ捨てて支える光輝の姿が映っていた。
「大丈夫か?」
「ああ……はいー。すみません、迷惑かけちゃいましたね……」
「いや、それはいいけどな……って、ああぁぁぁぁ!」
光輝は香奈が無事だったことにひとまず安堵の表情を浮かべると放り投げてしまった薪がどこに行ったかなと周囲を探し、キャンプ場に作られた池の中に漂っているのを見つけて愕然とした。
「あぁー……」
水に濡れた薪はとてつもなく燃えにくくなってしまう。新聞紙は別に渡されていたが小枝も水濡れだとすれば着火は難しいかもしれない。
「ご、ごめんなさい、あたしのせいで……取り直してきますっ」
「大丈夫だって。これくらいならちゃんと燃えるからさ」
光輝は今にも走り出そうとしていた香奈を呼び止めると靴と靴下を脱いで池の中へざぶざぶと入って浮かんでいた薪を回収する。
「さ、戻ろうぜ?」
水を滴らせるそれが燃えるとは到底思えないのだが光輝は香奈を促すとそのまま優衣達の待つ調理場に歩いていった。
「これ、燃えるの?」
水浸しになった薪を前に香澄が挑発的に光輝を煽る。
「燃えるさ。薪だからな」
「そう。じゃあ頑張って」
力強く頷くとはさみを使って束ねていた紐を切り、新聞紙をくしゃくしゃに丸めた物を竈の中に幾つか放り込みマッチで火をつける。
本来はここから小枝に火を移し、火力が強くなったところで薪を少しずつ投入するのだが、濡れてしまった小枝を投入しても火が移る気配はない……かに思われたのだが。
火はそんな事関係ないとばかりに濡れた小枝に炎を灯し、それどころか薪にさえ燃え広がって見せた。
煙が立ち上り、安定した状態になったのを確認すると光輝は満足げに頷く。
「火が点いたぞー」
思ったよりずっと早くに燃えた竈を見て香奈は驚嘆の声を上げる。
「凄いですねー。短時間でこんなに燃やしちゃうなんて……経験でもあるんですか?」
「物事は大体気合と根性で何とかなるんだよ」
香奈の疑問に首を横に振ると腕をまくり上げぐるぐると回して見せた。
光輝が火を点けている間に優衣と萌はじゃがいもと人参の皮を剥いていた。
それほど難しい作業ではないのですぐに終えると影人と香澄も合わせて4人で食材を切っていく。
手の空いている香奈はとがれたお米を飯盒の中に入れて強火に調節された竈の火の上にそっと置いた。
初めは出来るだけ強火で中の水分を沸騰させ、その後どうにか沸騰が維持できる程度の弱い火力の場所を探して動かすのが重要なポイントだ。
強すぎると焦げ付くし、弱すぎると水分が飛ばずにびしゃびしゃになって芯も残ってしまう。
だが火力を調節している光輝は火の扱いが存外に上手く、適切な火力を部分的に作り出すという高度な技術を披露していた。
その間に水を入れたカレー鍋も同じように火にかけてお湯を沸騰させる。
煮立ったら煮えにくいじゃがいも、人参を入れた後に玉葱と肉をいれてアクを取り、材料が煮えた頃にルゥを投入すれば完成だ。
水を入れられる容器が鍋しかなかったので、普通は材料を炒める手順を簡略化している。
具材を煮込んでいる間にレタスは葉を適度な大きさにちぎり、大根は千切りにした後皿に盛り付け上からプチトマトを載せれば付け合せのサラダは完成だ。
サラダ用のドレッシングは優衣が醤油をベースにお酢とオリーブオイル、塩胡椒を目分量で次々と容器に放り込みかき混ぜれば和風ドレッシングが出来上がっていた。
飯盒は火加減さえ上手に出来れば失敗は少ない。水分が飛んだのを確認したら竈の端へ追いやって蒸らす過程に入る。
15分ほど待ってから蓋を取ればつやつやとした白米がふんわりと炊き上がっていた。
カレーの方も先ほどルゥを投入し、スパイシーな香りが辺り一面に漂っている。
目立った失敗は何一つもなく、それが美味しく出来上がっていることは間違いないだろう。
炊き立てのご飯を器に盛り、ルゥを流し込むとテーブルに並べる。
全員席に着いたところで揃って挨拶をすると、光輝は早速カレーに齧り付く。
技術も手間も施設で出された料理とは比べるまでもないが、食べる料理の味は同じくらい美味しいものだった。
「これでオリエンテーションも終わりですねー」
香奈が残念だとばかりに漏らす。他の5人も概ね同感だろう。
この行事がクラス内の友好を助けるためのイベントなのであれば、それは大成功だったと言っていい。
片づけを終えて点呼を取るとバスに乗り学校へと帰る。
帰りのバスの中は農業体験で疲れたのかぐっすり眠っている生徒が目立った。
控えめな音量で流されている映画を子守唄に、優衣もそっと目を閉じる。
いつまでもこんな平和で楽しい日常が続くことを彼女は何一つ疑っていない。
その基盤が、あまりに脆弱なものであることも。
どれほどの異質に踏み込んでいるのかも。
或いは、異質そのものにも。
自分自身にも。
彼女はまだ、何も気付いていなかった。
まずは閲覧ありがとうございます。
3日間の旅行をどこまで書くべきか悩んだのですが、1日目を濃くしすぎて2、3の内容が薄く……。
と、とりあえず以上で序章は終了となります。
ここまでで大体10万字くらいですが、物語は始まってすらいません。
今までのは全部ちょっと長めの登場人物紹介だと思ってください。
男性と認識されている優衣の日常を書いておきたくてこうなりました。
次話からは少しずつ物語が展開されていく予定です。




