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現世の魔法使い  作者: yuki
第一章
20/56

旅行二日目 自由時間

 山頂では先についた生徒たちが各々お弁当を食べているようだった。

 優衣達も到着を報告すると別途車で運ばれてきた何種類かのお弁当を1つ選んで昼食にするよう言われる。

 魚介系、肉系、惣菜系と三種類あるお弁当はどれも美味しそうで迷っていると、「班で2つずつ取って分ければいいじゃないですかー」という香奈の意見を採用してそれぞれ2つずつを確保した。

 見晴らしのいい場所や木陰などは既に多くの生徒がひしめき合い大自然の中で舌鼓を売っているようだ。

 陽射しがきつくなってきたのであまり景観はよくないが、少し離れた場所にある大きな木の根元に、一緒に配られたレジャーシートを引いて腰を下ろす。

 お弁当を広げても十分広いシートの上で光輝はごろごろと転がった。

 その顔が端に座っていた優衣の膝の上に乗るなり香澄の顔色が変わる。

「蹴り飛ばすよ?」

 言い放つなり無防備な光輝の腹を素足で何の遠慮の欠片もなく踏みつけた。蛙が潰れた様なぐぇ、という呻き声が上がる。

「これは踏みつぶすって言うんだと思うぞ」

 よろよろと立ち上がりながら光輝は抗議の声を上げた。だが香澄はお望みとあらばとばかりに結構な力で蹴り飛ばす。

「痛ぇ! つーか加減してくれ!」

 シートの端までごろごろと転がった光輝が蹴られた脇腹を摩りながらようやく身を起すと香澄は優衣の隣に座って彼を見てすらいなかった。

 

 円陣を組むように座ると取ってきたお弁当を中心に並べ、その蓋を取り皿代わりに使うことにする。

 施設で出てきた料理と比べてしまうと味は格段に落ちているが、外という開放的な空間で食べるだけで差が気にならなくなるのはどうしてだろうか。

 空腹が最高の調味料であるように、自然の中や誰かと一緒に食べることもよく馴染む調味料の一つなのかもしれない。

 しかしいざ食べようという段階になって香澄が一つの懸念を口にした。

「光輝が全部食べ尽くしかねない」

 初めはただの軽口だったのかもしれなかったがこれが契機となって、なら一人一人順番におかずを選んで食べて行こうというルールが作られる。

 しかしルールが出来ればそこに勝負が生まれてしまうのが光輝と香澄の組み合わせだ。

 幕の内弁当風のお弁当はおかずの種類が豊富なのだが1つ1つの量は少ない。

 これを順番に食べた場合、どうしたって食べる前に他人に取られなくなってしまう可能性がでてくるのだ。

 中にはお弁当に1つしか入っていないおかずもあるから、2つのお弁当を会わせたとしても最初とその次が連続でチョイスするだけで後の人は食べられなくなる。

 それが一体何を意味するのか……。

「そういえばさ、今って筍が旬なんだよな。婆ちゃんが煮物をよく作ってくれるんだけど、これがまた美味しいんだわ。そういえば弁当にも入ってるな、食べてみるといいぜ」

 光輝の言葉にほう、と感心するように声を漏らした影人が筍に箸を伸ばす。すると香澄が光輝に恨めしげな視線を送り、光輝はにんまりと笑みを浮かべた。

「このきんぴらごぼう美味しいから食べてみるといい」

 何を食べようか迷っていた香奈にすかさず香澄が告げる。かすみんが言うなら、と満面の笑みを浮かべながら香奈の箸がきんぴらごぼうに伸び、光輝がまるで世の末とでも言うような暗い表情を浮かべ香澄がしてやったり、と笑う。

 

 光輝と香澄は互いの好物を巧みな話題誘導で他人に食べさせ、相手の順番が来る前になくならせてしまうというレベルが高いのか低いのか分からない壮絶な戦いを始めたのだ。

 2人の間に勝負の質など関係ない。どんなにくだらなかろうが勝つことこそ至高。そしてやるのであれば常に全力。

 しかし付き合わされている4人はたまったものではない。

 ようやく意図に気付いた4人は暗黙のうちに2人が勧める食材を団結して回避する作戦に移った。

 だが2人も馬鹿ではない。

 

「唐揚げとかハンバーグとか、あとそこのスパゲッティなんかもお勧め」

 少なくなってきたおかずを前に香澄がこういえば、影人と香奈は勿論それらを避ける……のだが。

 ほうれん草のバター炒めを選んだ瞬間、香澄の顔に見慣れてしまった勝者の笑みが浮かぶ。

 4人の目論みに気付いた2人は、今度は相手の嫌いなものを話題にあげて間接的に好物を減らすという高度な情報戦をおっぱじめ、ますます4人をげんなりとさせたのだ。

「こんなに食べにくい食事は初めてですねー」

 一体何を取れば傍観者でいられるのか、ロシアンルーレットのような状況になりつつある食事に一番苦しめられているのは間違いなく影人と香澄だろう。

 萌は香澄の好みを、優衣は光輝の好みを互い違いによく知っているのだが2人がそれを知るはずもなく、教えることは勝負のすぐ後に禁止されてしまった。

 香奈は残されたお弁当の中でできるだけ地味な大根の葉を使ったおひたしを取り皿に移すのだが、光輝はあきらかに残念そうな顔をし、隣の香澄は勝ち誇った笑みを浮かべている。

 光輝の好みは和風の惣菜系、香澄の好みは煮物。互いに少し被っている部分はあるが、肉類は然程好きではない。


 それを知らない影人と香奈は定番中の定番である肉類を排して選んでいるせいで被る率が高かった。

 その度にどちらかの残念そうな顔と勝ち誇った顔を見せ付けられていたのでは食事は進むまい。

 元より少食な優衣と萌が戦線から離脱してからは尚更だ。

 影人なんかは厨二台詞を吐く余裕もないのか、二人の箸の先や表情から情報を必死に読み取ってどうにか避けようと涙ぐましい努力をしている。

 優衣は見ているだけでも胃が痛くなりそうだった。

 やがて綺麗に弁当が片付けられた後、お決まりのように2人が勝利発言をするのだが、こんな勝負に勝ちも負けもあったものじゃない。

 4人は苦笑いと共に重い息を吐くのが精一杯だった。



 食事が終わると出発にはまだ2時間近い休憩時間が残されていた。ここを3時に出発し、また6時ごろに施設に戻るらしい。

 戻れば前日配られたシラバスの本格的なガイダンスが始まるとあって生徒たちはみんな現実を忘れるために遊びまわっていた。

 優衣と光輝と影人は同室の3人から20人規模の警泥(ケイドロ)をやらないかと誘われ、暇つぶしにと参加することにする。


 地方によって名称は様々だが、基本は警察と泥棒の二手に分かれて、警察は宝物を設定し泥棒に獲られたら負け、泥棒は全員が捕まったら負けになる簡単なルールだ。

 泥棒を捕まえるにはしっかり3秒数えて離さない事。もし途中で離れてしまったら初めから数えなおし。

 掴まった泥棒が逃げ出すためには捕まっていない仲間に触れてもらう必要がある。

 今回はこれに追加で、開始10分間以内に警察が誰も泥棒を捕まえられなかった場合は警察が職務怠慢でクビ、負けになるという何とも嫌な特殊ルールも付いていた。


 このルールで最も大切なことは宝物の扱いをどうするか、だ。

 選択は二つ。隠すか、肌身離さず持っておくか。

 ルール上隠す際に埋めたり、持っている時はポケットに隠したりしてはならない。何もせずとも見える状態であることが必要なのだ

 肌身離さず持つということは誰が持っているかがすぐにばれてしまうという事になる。

 するとその人物に警護を回さなければならないため警察の拮抗は崩れ泥棒が自由に活動しやすくなる。

 隠せば警護の必要はなくなるが偶然見つけられてしまった場合に対応できない。

 加えて警察は捕まえた泥棒の管理もしなければならない。こちらの見張りに人をどのくらい割くかも大きなポイントだ。

 多すぎては攻めに転じることができないし少なすぎては多人数の突貫で捕まえるのに必要な3秒以内に捕まえた泥棒が開放されてしまう。


 一見運動神経が物を言うように思えるゲームだが考えれば考えるほど戦略も重要になってくるのだ。

 おまけに……ここは電波の通る山の上である。

 警泥(ケイドロ)に文明の利器が加わるとどうなるか……散開していても情報のやりとりが一瞬で出来てしまう為、奇襲や偵察が遥かに容易になる。


 2チームに分かれると優衣は影人と一緒になったが光輝は敵に回った。その後、じゃんけんをして勝った方が立場を決める。

 光輝は警察に、優衣と影人は泥棒になってゲームが開始される。

 チームは事前に全員のアドレスを確保して一斉送信できるように登録しておいた。

 初めに泥棒が建物の陰に隠れている間に警察の一人が宝物に定められた参加者が着ていた長袖のシャツを持って姿を消す。

 やがて準備完了の合図と共に泥棒は一気に駆け出した。

 開始3分は泥棒の準備期間で警察はその場から動けない。泥棒はまず散り散りになって宝物の探索から始める事にした。


「問題はどこに隠したか、だけど……今はまだ拠点の近くにあると思うよ」

 拠点というのは泥棒を捕らえて確保しておく場所のことだ。

 拠点の近くに宝物を配置するのは定石の一つになっている。警察がたまっていても怪しまれないしいざという時に宝物を守れるからだ。

「問おう。何故(なにゆえ)そう思うのだ?」

「隠しに行ってから準備完了までの時間が短すぎたからかな。拠点の近くは見晴らしがいいでしょ? 隠せる場所まではちょっと遠いから、あの時間で場所を見つけて隠すのは無理だと思う」


 物陰に潜まれるような場所を拠点にするのは間違いだ。

 敵が一方向からしか攻められなくなる利点はあるが、もし隠れた何者かが気付かれずに泥棒に触れていたなんて事になれば拠点の中は無法地帯になる。

 警察としてもそれは避けたい。となれば三百六十度、全方位が見渡せる開放感溢れる場所を拠点とするのが合理的だ。

 これはこれで全方向から攻められる可能性はあるのだが。


 優衣はひとまず3分間は絶対に掴まらないルールを利用して拠点をぐるっと確認することにした。

 驚いたような警官役を尻目に、近くにあった木に宝物のシャツが早々に見つかる……のだが。

「なにそれ! 枝に着せるとかありなの!?」

「ルールに枝が服を着てはいけないなんて書いてない!」

 泥棒の勝利条件は宝物を奪うこと。

 あのシャツを奪うには一度ボタンを全て外して木から脱がせるという致命的な一手間が必要になってしまう。

 優衣の叫びに警察役の男子はにんまりと笑ってみせる。確かにルールには隠すといっても見えないようにしてはいけない、というものしかない。

 これは早々から厳しい勝負になりそうだった。


 優衣が全員に宝物の状況をメールで報告すると警察が動き出す時間になる。

 遠目から確認すると4人ほどが纏まって周辺を捜査に向かっていくのが見えた。

 序盤から6人もの警察を拠点に残すということはかなり慎重になっているという頃だろう。

 宝物が簡単に取れてしまうものであれば7人を突撃させ、奪った人が遠くに待機した逃亡要因に宝物を投げ渡せば終わりなのだが今回はそうも行かない。

 シャツを脱がすのに10秒かかるとしても、その間に敵は一人につき3人も捕まえられるのだ。とても間に合わない。

「ふん、奪うには浄化の儀を執り行う時間が必要というわけか。邪魔されずに執り行うのは厳しいな」

 影人の言うとおり、普通にやったんじゃこの勝負は相当厳しいものになる。

「正攻法じゃ無理かもね……でも、うん。良い方法があるかも」

 でも、今の優衣たちは泥棒なのだ。

 相手がルールに定められていないが、限りなくグレーに近い戦法を使うというのならこちらも同じことだ。

 警察が姑息な手を使うというのならば泥棒はさらにその上を行けばいい。

 優衣は早速泥棒仲間に向かって嬉々とした表情で考えた作戦をメールを打ち始めるのだった。


「じゃあ俺たちは一人捕まえてくるよ」

 警察の内4人が誰でもいいから一人を捕まえるために拠点を離れ纏まって周辺を捜査し始める。

 状況は警察にとってかなり有利なスタートだった。

 10分以内に泥棒を一人捕まえるのはさして難しい訳ではない。

 ばらばらに逃げる泥棒から運動が苦手な一人に狙いを定め数人で包囲し追い立てれば数分ともたず掴まってしまうだろう。

 問題は一人を捕まえるために数人を出してしまうと宝物の防衛が手薄になってしまうという点だ。

 故に、咄嗟に思いついた木に服を着せ簡単には取れなくするという警察の作戦は少々際どいグレーゾーンだが見事に成功したといっていい。


 光輝は宝物の警護を行っていた。

 余り動きがなく地味な役割だがどうしても必要になる大切な役でもある。

 基本は運動が苦手な人間が任されるのだが光輝は自分からこの役を買って出ていた。

 他の警察仲間は運動神経の高い光輝に敵を追い回して欲しかったのだがそれをやんわりと断っている。

 警察は周囲を多少警戒しつつもまだ泥棒は攻めてこないだろうと思っていた。

 10分間逃げ切れば勝ちなのだから、序盤はそれを狙うべきなのだ。

 しかし、そんな警察の目論みは開始数分にして破られる。

 

「作戦了解」

 8人の泥棒仲間からの返信は全て優衣の作戦に乗るというものだった。

 普通に攻めても分が悪いというのは彼等も分かっていたのだろう。

 作戦決行まで数分と短いがその間にすべきことが一つある。

 木陰から周辺をきょろきょろと見渡せば目当ての一団はすぐに見つかった。

 無駄な体力を消費しないように歩きながら優衣と影人はその一団の方に向かう。



「いたぞっ 月島の方を狙えっ」

 彼等は先ほど拠点から一人を捕まえるために派遣された警察グループだ。

 泥棒の中で最もターゲットに丁度いい、小柄な優衣目掛けて全力で疾駆する。

 優衣もそれを見て素直に反転、全力で駆け出した。

「食いついた! 影人は右に、ボクは左に。もし敵が来ない様なら、分かってるねっ」

「無論だ! お前もしっかりやれっ」

 互いが頷きあうとパッと二手に分かれて後方を伺う。警察はどうしても一人を捕まえる必要があるため完全に優衣を追尾していた。

 いずれ追いつかれてしまうのは確定事項だが、今は一秒でも長く彼らを引きつける必要がある。

 優衣の作戦は既に始まっているのだ。


 一方、優衣と分かれた影人は警察が一人残らず優衣を追いかけたのを見てくすりとほくそ笑んでいた。

「愚か者どもめ! まんまと罠にかかりおって!」

 思わず彼の口からとめどなく笑いが溢れてくる。

 彼が目指しているのは先ほどの打ち合わせどおり、警察の拠点だ。

 後の作戦は単純明快。警察の拠点の周辺で捕まることだ。……ただし、複数人が同時に、かつ無抵抗で。

「さぁ来るがいい! 煉獄の炎でその身を焼かれていることにすら気付かぬ愚者どもよ!」

 山に響き渡るほどの大絶叫を聞いた警察が驚いて影人に視線を向けた瞬間、拠点の近くでごろん、と横になった。



「ちょっと捕まえてくるから待っててくれー」

 拠点に待機していた数人が突然周囲に現れた泥棒に驚いたものの、彼等がその場に寝転がるという暴挙に出るなり、ひとまず近づいて捕まえることにした。

 勝負を投げたのか、彼らは警察が近づいても一向に動こうともせず、いとも簡単に捕まえることが出来てしまった。

 諦めたのかという問いに、しかし泥棒は何も答えない。

 拠点に連れて行くというとゆっくりと立ち上がってからのろのろと歩き出す始末だ。


(真面目にやるつもりがないのかね……)

 警察グループの運動好きな一人が内心溜息を吐き出す。彼は単純に走り回ることが好きだった。

 周りを見れば同じように転がっている泥棒が数人、拠点に待機していた警察に捕まっていて今引き連れている泥棒と同じ末路を辿っている。

 明らかな勝負放棄に嘆息しつつも、ならば泥棒側になって暴れてやればいいかと思い直した彼はふと拠点を見て、思わず口を大きく開けてその場に立ち尽くした。



 拠点で防衛のために待機していた光輝は突然1通のメールを受け取る。

 見覚えのないアドレスに、偵察に出た誰かからの物だろうと思って開いてみれば、「泥棒と話し合った結果、シャツを全てのボタン止めてしまうのは余りにも卑怯だから1つだけに変更になった。変えておいてくれ」という指示が書かれていた。

 流石にこれはなかったかと苦笑しつつ、素直に指示に従いボタンを外した、次の瞬間。

 数人の泥棒が遠くから一斉に駆け出して来るのが彼の瞳に映り思わず目を見開く。

 だがその人数は4人程度。

 残っている警察と協力すれば止められない数ではないと思い声をかけようとした彼は、今更になってこの場に自分以外にただ一人も警官も残っていないことに気付き、その顔を驚愕に染めた。

 待機していた光輝以外の5人の警官は続々と周囲に寝転がった5人の泥棒を捕まえに行き、のろのろと動く泥棒のせいでまだ拠点に戻っていない。

「あいつら……! 拠点のシャツのルールが改正されたのにまだ気付いてないのか!?」


 光輝が焦ったように漏らすが事実は少し異なっている。

 初めからルールの改正などなかったのだ。

 防衛している光輝のメールアドレスを知っている優衣が、自分が送ったのでは送信者に名前が出てしまうため、同じ泥棒の班の他人に送らせたそれっぽいルール改正の偽装メール。

 彼が良く確かめていれば差出人が先ほどアドレスを登録した人物に含まれて居ないことが把握できただろう。

 だがこのような手段を想定していなかった彼は警泥のルール変更という題名にコロっと騙されて防衛の要であるボタンを外してしまった。

 周辺に転がる泥棒を捕まえに行った彼らが急いで戻ってこないのは当たり前だ。

 彼らにしてみれば拠点のシャツはボタンを全て留めてある状態であり、はずすのに少なくない時間がかかるという計算の元で捕まえに行っているのだから。


 離れていた彼らが気付いてももう遅い。ルール改正を信じきってしまった光輝はボタンを留めなおすことなどせずにどうにか泥棒を抑えようと思ったが2人が限度だった。

 波状攻撃により宝物から引き離された彼を横目に一人がボタンを外してしまう。

 慌てて肩を触って3秒を数えるがその間に丸め投げられた衣服を4人目が拾って颯爽と持ち去ってしまった。

 作戦の考案者である優衣を連れてほくほく顔で戻ってきた4人は蚊帳の外で勝負が決まっていたことに驚きその場に崩れ落ちてしまったほどだ。

「メールの偽装とか……なんてこった、ありかよ」

 昔ならありえなかった、情報ツールを逆に利用した作戦にシャツを木に括りつけた本人が思わず嘆く。

「「「だってルールになかったし」」」

 もっとも過ぎる泥棒たちの言葉に、彼はがっくりとうな垂れて見せた。


 それからはもう少し細かくルールを決めて遊ぶのだが、やはり泥沼化は避けられない。

 捕まえては逃げられのシーソーゲームを繰り返しているうちに結局は勝敗が付かず集合の時間になってしまった。



 帰りの山道は全員一丸となって降りることになり、優衣達は初めて明るい正規の登山道の景色を知ることになる。

 程よい緑の香りに鳥のさえずり、時折吹き抜ける風は陽射しから受ける熱を優しく拭いさっていき、不快指数の高かった裏道とはかけ離れていた。

 登る時とは天と地ほども差のある穏やかな道を歩いて麓までたどり着くと、帰りのバスに揺られて施設へ到着する。

 部屋に戻って荷物を置くと息を付く暇もなく風呂の時間になった。

「ごめん、ボクちょっと頭痛くて……保健室行ってくるね!」

 返事を聞くより先に駆け出した優衣に光輝は苦笑しつつ、大丈夫そうなら来いと声をかけると同室の3人を誘って風呂場へと向かった。


 7時になると晩御飯の時間となり、生徒たちはうきうきしながら食堂へ向かう。

 最後の夕飯は山の幸と海の幸を合わせた、殊更豪勢なものだった。

 火にかけられた小鍋にはホタテや魚の切り身、山菜が薄口の醤油味でコトコト煮込まれ芳しい香りをこれでもかと振りまいている。

 今日は白米ではなく筍ご飯で細かく刻まれた人参と一緒にふんわりと炊かれてこちらも鍋物とは違う仄かな香りが湯気と一緒に立ち上っている。

 旬というだけあって筍は他の料理にもふんだんに使われていた。

 中でもとりわけ美味しかったのはシンプルな筍の煮物だ。もしかしたらこの施設の料理人は煮物が得意なのかもしれない。

 何からだしをとっているのか、薄口でありながら実に様々な旨味を吸った筍を口に含んだ際の至福と言ったら。

 和えてある鰹節も削られたものが袋に入れてあるような出来合い品ではなく、乾燥させた身から削り取ったのだろう。

 手間隙をかけた料理は優衣にとってやはり食べきる量ではなかったものの、幸せそうに頬を緩ませていた。


 それが終われば残っているのは進路ガイダンスだ。

 お腹いっぱいになった後に小難しい話を聞かされ眠気を誘われる生徒の数は数えるのも馬鹿らしい数に登ったが、中には進みたい未来が決まっているのか、選択を真剣に悩む生徒もちらほらと見かける。

 、説明が1時間を過ぎる辺りからどうにか耐え忍んでいた生徒も船を漕ぎ始めてしまった。

 8時から2時間にも及ぶ説明をどうにか終えるころには頭はふらふらで、その日もさっさと床に入り眠ることになる。

 光輝などは講堂でさっさと寝入ってしまい、部屋に戻るなり真っ先に布団に転がって数秒と立たず寝息を立て始めていた。

 優衣を含めた他の5人も眠いのは同感で、今日は早く寝る事にして早々に布団に入る。

 30分もしない内に優衣以外の全員は眠りに付いたのか、静かな寝息を立てていた。


 優衣は誰もおきて居ないことを確認してからタオルと下着をもってそっと部屋から抜け出す。

 その足で向かったのは風呂場だ。電気がつけられていないことを確認すると着ていた寝巻きを脱いでバスタオルに包むと風呂の中へと持ち込む。

 手早く身体と髪を洗うと暖かいお湯に身を沈ませ、歩き疲れれた足を揉んだ。

 湯が注がれる水音と虫の鳴き声だけが夜の闇に溶け込んで、逆に静寂を強めている気がした。

 優衣の手が持ち上げられて水面にぱしゃりという水音が響く。どうしてか、一人で入ることが当たり前の風呂が少し寂しく感じられたのだ。

 考えてみれば誰かと一緒に風呂へ入るなどという機会はそれほどあるものではない。修学旅行か銭湯くらいなものだろう。

 一家に風呂場が1つはある現代となっては風呂が壊れない限り銭湯に行く機会もない。町に銭湯がない事だってあるかもしれない。


 身体がこんな状況でなければみんなと入れただろうにと思わずにはいられない。

 それどころか、これからはもう二度と誰かと一緒にお風呂に入ることは出来ないのだろう。

(それでも、隠し通すことは出来てるんだ)

 湯船に沈めていた身体を早々に引き出すとタオルを羽織って髪の水気を軽く拭った。

 戦々恐々としながらドライヤーで髪の毛を乾かし、急いで部屋へと戻る。

 変わらずにぐっすりと寝ている彼らを見て優衣は強張っていた顔を無自覚に柔らかく変えた。

 布団に潜り込むと目を瞑る。髪はまだ少しだけ湿っていた。


 夢の中で、不意に優衣は自分に乗せられた暖かさを感じた。むずかる子どものように、無意識にそれをぎゅっと抱きしめる。

 優衣は怖かった。性別が変わったことを知られて、数少ない友達に距離を置かれてしまうことが、何よりも。

 それでなくとも精霊と契約したことで異常な力を与えられてしまったのだ。

 その全てを知られて、彼はなお、自分の友達で居てくれるのだろうか?

 優衣にはまだその答えは出ていない。

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