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現世の魔法使い  作者: yuki
第一章
19/56

旅行二日目 山登り

 翌朝、起床時間より少しだけ早く起きだした優衣は周りがまだ目覚めていないのを確認してから布団の中で器用に着替える。

 閉まっているカーテンを僅かに開けると射しこんだ陽射しが眩しかったのか、近場にいた光輝が抗議の声を上げた。

 心の中で謝りつつ隙間に身体を滑り込ませると窓を開いて身を乗り出すと小鳥のさえずりがそこかしこの木々から賑やかに聞こえてきた。

 空を見上げれば雲一つない快晴がどこまでも広がり、初夏の陽射しを燦々と地上に注いでいるのだが、山の中とあってか町よりずっと肌寒い。

 その代わり肺に染みこんでくる空気は濁りのない新鮮な物で、大きく息を吸うだけで心が洗われるようだ。

 何度目かの深呼吸と伸びをしていると背後で誰かが起きだす気配がする。

 光が入らない様にそっとカーテンから抜け出すと、影人が立ち上がって身体を伸ばしていた。


「おはよう……早いんだな」

 まだ眠いのか、影人は大欠伸を一つ漏らしながら寝巻を脱いで着替えて私服を着こんでいた。

「うん、おはよう」

 はて、普段の彼と何か違うと思っていた優衣だったが、普通の挨拶をされたことに遅れながら気付いた。

 それを指摘するとしまったという表情の後慌ててポーズまでとって挨拶を言い直す。

「闇の時間は終わりを告げたか……命拾いしたな」

 わざわざ言い直さなくともいいと思うのだが、それが彼の性分だ。若干意味も分からないあたり考える余裕もなかったんだろう。

 どうやら寝起きの挨拶は微睡の中で判断力が鈍っていたらしい。

 

 洗面所が混まない内に顔を洗い歯を磨いてから部屋に戻ると他の4人ももそもそと起きだしてきていた。

「うぉーぃ、おはよーさん」

 布団を剥いではいるものの、ごろごろと転がりながら光輝が言った。目は瞑られたままだ。

 寝る子は育つとでもいうのかまだ寝たりないらしいが起床時間まであまり時間はない。

 優衣は仕方なく布団で簀巻きにして部屋に転がしておくと数分後、「なんじゃこりゃっ」という奇声と共に飛び起き……られずにのたうっていた。

「おはよう」

 既に光輝以外はみんな起きだして着替えている。

 ようやくお目覚めの彼を再び転がして布団から出すと大きく伸びをしながら何度も欠伸を噛んでいた。

 

 教師の合図によってグラウンドに移動するとラジオ体操で身体を動かす。

 運動のおかげか光輝の目も冴えたらしい。その後、昨日練習した校歌を斉唱してから食堂に移動して朝食を取る。

 朝は人によって食べる量がまちまちだからか、バイキング形式が採られていた。

 優衣はクロワッサンとジャム、それからサラダにオレンジジュースを少量ずつ取って座席に移動する。

 一方光輝は朝から山盛りの御飯と味噌汁、全てのおかずを網羅し、山になった大皿を抱えて戻ってきた。これだけ食べれば身体も大きくなるということだろうか。

「朝は一番食べなきゃダメなんだってさ」

「光輝は朝も昼も夜もたくさん食べてる気がするけどね」

 元々朝食をあまり食べられない優衣からすれば、彼のよそってきたご飯の4分の1でも食べればもう満腹だろう。

 しかし彼はそれをご飯一粒に至るまで綺麗に平らげてみせる。

 食後には一口サイズにカットされたフルーツをまた山のように積んで戻ってくるとこれも綺麗に食べて見せた。

 これで8分目だというのだからもはや呆れるしかない。

「それにこれから山歩きだろ? 食べとかないと倒れちまうぞ」

「食べた方が倒れるよ……」

 これだけ食べて山歩きなどしようものなら腹痛に襲われかねないが、光輝の胃は頑強なのか全く問題ないようだった。


 朝食が済めば一度部屋に戻ってハイキングの準備をすることになる。

 といっても標高はさほど高くなく、10時ごろに麓を出発すれば12時ごろに山頂へ到着する予定だ。

 山の天気は変わりやすいというので合羽を詰めた事を確認して集合場所に向かう。

 施設の前には来るときにも使ったバスが並んでいて、これでもって登山道の半ばまで向かうのだそうだ。


 添乗員の豆知識や登山の時の注意、もし遭難した時の鉄則などを面白おかしくしたガイドを聞きながら30分ほど揺られれば目的地に到着だ。

 全員そろっていることを点呼で確認してから事前に決めた班ごとに分かれる。

 優衣たち6人も早速出発の確認をしてから生徒で溢れかえる山道を登り始めた。


「ハイキングっていうか、割とハードな山登りじゃないですかねー」

 序盤からハイペースで飛ばした6人は見る見るうちに他の生徒を引き離し独走していた。

 ところが10分ほど前から突然明るかった登山道に木々が茂り始め木陰を作り出し、その密度は先に進むにつれてより高くなってきている。

 山道はこれまで完全な一本道で迷うような通路は一つとしてなかったし、現在も足元には均され整備された道が続いている上にところどころには道しるべさえ立っていた。

 正規の道であることは明らかだというのに、何故か先ほどから誰ともすれ違わない。


 山を降りるにしても登るにしても、6人のペースなら誰かに追いつくなりしてもいいはずだった。

 頭上を閉ざしている樹木は相当な密度でもって茂っているのか陽の光はほとんど入らず空気は湿り気を帯びている。

 さっきまで暑い暑いと思っていたのに吹き出ていた汗は引っ込んでいた。変わりに温度とは別の嫌な汗が背に流れている。

 心地よかった緑の香りは、今やむせ返りそうなほど濃密なものに変わり息苦しさしか生まれない。

 加えて先ほどから水脈が地表近くに出てきているのか、足元は湿り、苔が一面に広がっているせいで滑りやすくなっている。

 道幅は2m程度あるが、もし滑って急斜面に落ちたりしたら洒落にならないことは想像に難くない。

 気付けば他愛のない会話も途絶えていた。誰もが不安そうな顔で先頭を歩く光輝の後ろをついていく。

 先頭の光輝は何かを探しているのか、或いは警戒しているのか、ずっと辺りを窺いながら時々思いつめたように景色を見ていた。

 優衣はそんな光輝の様子に気づいて、何度か同じ方向を見つめてみるのだが視界の先には鬱蒼とした木しか見つけられなかった。


「なぁ、戻らないか?」

 それから暫く歩いた後に光輝がまた背景の一か所をじっと見つめてから振り返る。

 いつになく真剣な光輝の様子に香澄は不思議そうに首をかしげた。

 萌と影人は光輝の意見にどうするべきか悩んでいるようでもある。

 確かに不気味な場所ではあるが、登っているのは確かだし、来た道を戻るのも億劫なのだろう。

 誰も何とも答えられない微妙な雰囲気の中で唯一香奈だけはあっけらかんとしたいつもの調子で言った。

「大丈夫じゃないですかねー。ほら、携帯のアンテナも立ってますし、案外すぐ近くが山頂かもしれませんよー」

 香奈に言われて各々が携帯を除くと、確かに微弱ではあるが通信に困らない程度の電波は通っているようだ。4人の顔があからさまな安堵に彩られる。

 けれど光輝だけはまだ納得していないかのように周囲を見渡していた。

「何か見えますー?」

「いや……なんでもない」

 既に空気は先へ進む選択を選んでいた。この状態でさらに難色を示すわけにはいかなかったのか、光輝が再び前に向かって歩き出す。


 しかしそれから5分後、押し寄せてきた不安はどこへやら、優衣達は無事薄暗い山道を抜け陽のよく当たる小高い丘に抜けることが出来た。

 周辺に広がる雄大な山々を一望できるロケーションは悪くない。

 萌はその風景を写真に収めようとして携帯を片手に少し丘を下っていく。

 だがその萌から突然甲高い悲鳴が漏れた。

 驚いてすぐ近くまで駆けよると、誰もが小さな呻き声をあげる。

 丘の下、窪んだ土地は元々木々が多い茂っていたのだろうが、今は焼け爛れた大地があるのみだった。

 地面は掘り返されたかのように抉れ、折られ、砕かれた木々はガソリンでも撒いて燃やしたのか黒い消し炭に姿を変えている。

「これは珍しい光景ですねー……焼畑か何かでしょうか」

「焼畑で土を掘り返すの? 山火事にも、見えなくはないけど……」

 香奈と香澄がそれぞれ眼下に広がる状況に解釈を加え始める。けれど、優衣が抱いた感想はそのどちらとも異なっていた。

 それはまるで……。

「まるで、何か怪物が暴れたみたいですね」

 萌の言葉に優衣が驚いたように顔を上げる。優衣も全く同じことを考えていたからだ。

 けれど冗談めかして言う萌と優衣の想像は全く違っている。

 優衣はこの世界に異常な存在、精霊と名乗った声が言う"魔物"が存在している事を知っているのだ。

 眼下に広がる光景はその爪痕なのではないかと思えてならなかった。


「おや、こんな所に珍しいですね」

 そこへ突然、背後から穏やかな老人の声が聞こえ6人は慌てたように振り向く。

 そこにいたのは昨日喫茶店でバトラー一位に輝いたあの老紳士だった。

 燕尾服は登山用のジャケットに変わり、背中には膨らんだデイバッグがかけられ、手には木の棒を握っており、熟練の登山家と言われても素直にうなずくだろう。

「老執事さん……どうしてこんなところに?」

「なに、年寄りは動かねばすぐに動けなくなってしまうからね。こうして休みの日には山に登って鍛えているのだよ」

 そう言って白髪交じりのオールバックを気恥ずかしそうに撫でながら柔和な笑みを浮かべて見せた。

「それよりも君たちはよくここまでこれたね。ここは裏道を通ってしか来れない秘密の名所なんだよ」

「え……でも山道は一本でしたよ」

 裏道という言葉に優衣は不思議そうに首をかしげて見せる。

 ここまではずっと一本道だったはずだ。それたり細い道に入った記憶は全くない。


「むぅ……そんなはずはないのだがね。入口から半刻ほど歩いたところに、本来は右に曲がる所を獣道に従ってまっすぐ行くと先ほどの旧登山道に出られるんだ。水が湧き出してしまい、滑るからという理由で封鎖されてしまったがね」

 かつてこの山には登山道が幾つか作られていたのだが、地表にまで水が染みだしてしまった地面はどうしても地盤が緩くなる。

 すぐそばに危険な急斜面が広がっていることから随分と前に封鎖されてしまった道にどうにかして迷い込んでしまったらしい。

 道が険しかったのも、誰も通らない登山道を整備する人がいなくなったせいだろう。

「会話しながら歩いてたからかもしれませんねー。あたしもなるくんの相手で景色はあんまり見てなかったかもしれませんしー」

「お前はいっそうるさいその口を縫い付けてしまえ」

 二人の言葉に、残りの4人も今までの景色を思い出そうとするのだがあやふやでぼやけてしまう物ばかりだった。

 6人もいれば誰かが変な道に入った時に気付くだろうと楽観視していたのかもしれない。

 揃いも揃って話に熱中して道を見失っていたという可能性は考えていなかった。


「でもここが裏道だと、山頂にはどうやって行くの?」

 香澄が辺りをきょろきょろと見回しながら時間を確認する。

 道が違ったせいで遠回りになっているのか、先を急いでいたアドバンテージは失われつつあるようだ。

 今から裏道に行くための分かれ道まで戻ったとしてもお昼までには到底たどり着けない。

 頭を悩ませていると老執事は微笑ましい物をみるかのように笑いながら言った。

「この道からでも頂上にはいけますとも。どれ、私もお若い方々に混ぜて頂いてもよろしいですかな?」

 道案内、ということだろう。優衣達にとっては願ってもない提案に揃ってお礼を告げると7人は老執事を先頭に山頂に向けて歩き出した。

「ほぅ、学校の旅行でしたか。若いとはいいものですな」

 道中、老執事に身の上を話しながら一丸となって歩く。

 再び濃い緑の森へと突入したのだが老執事の和やかな雰囲気によってか先ほどよりずっと空気は軽かった。

「そういえば、どうしてバトラー部門に参加されてたんですか?」

 メイド喫茶はどちらかといえば若い、特殊な趣味を持つ層に受けているジャンルだ。

 この老執事がそういったジャンルに興味を持っているとはあまり思えない。

「昔取った杵柄とでもいいますかな……といっても執事とは比べるまでもない雑用でしたが、そういう事をしていた時代がありましてね。よく紅茶も飲んだものです。あの頃の紅茶は今よりもう少しハイカラな物で、よく友人と色んな種類を試したものですよ」

 ほっほっほと上品に笑いながら少し遠い目をした老執事は、懐かしい思い出に喜びを浮かべる。

「年を取ると時間だけが余ってしまう物なのだよ。一緒に紅茶を飲んだ友人とも会えなくなって久しい。だからこそ、年甲斐もなくあのようなイベントに参加させていただいた、という所かな」

 そう言って優衣ににこりと微笑みかける。

「おかげでこうして可愛らしいお嬢さん方や元気あふれる少年とも出会い、話すことが出来た。何でもやってみるものだね……さぁ着いたよ。同年代の子どもたちが沢山いるようだが、ご学友かね?」


 先ほど丘に出た時の様に急に開けた視界の先には見覚えのある顔もいくらか見て取れた。時間はまだ十分残っている。

 口々にお礼を告げ何度も頭を下げる優衣達に、老執事は朗らかに笑いながら颯爽とその場を去ろうとした。

「あ、そうだ」

 その時、去ろうとしていた老執事に優衣が声をかける。

「あの、ボクは男なので、エスコートする側です」

 5人がまだ気にしていたのかと可笑しそうに笑い、老執事は驚きつつもそれは済まなかったと腰を折った。

「いえ、そんなに気にしてるわけじゃないので……ええと」

 予想を超えた謝罪に優衣は慌てふためく。分かってほしかっただけで謝ってほしかったわけではなかったからだ。

「では、"お嬢さん"。また会えることを祈るとするよ」

 困らせてしまったことを察知したのだろう、老執事は少し悪戯っぽい笑みを浮かべてからわざとそう告げると颯爽とその場を後にした。

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