旅行一日目 天下一使用人会 メイド編 -2-
全員が連番で登録したからか、次の名前を呼ばれたのは優衣だ。
といっても登録は当人を介さずに香奈が行っていたのだが。
「って! メイド部門って女性専用じゃないの!? ボクが出るとしてもバトラー部門だよね!?」
まさか登録されているとは思っていなかった優衣が慌てて香奈に問い詰めるが、彼女はしたり顔でこう告げた。
「大丈夫ですよー、確かめましたから。優衣さんは問題ないようですー」
「なんで男性でも大丈夫、じゃなくてボクの名前限定なの!?」
「さー? でも優衣さんを指さしてあの子も大丈夫ですかって聞いたら勿論です。むしろ歓迎しますって答えてくれましたしー」
「勘違いさせただけじゃないか!」
だがなかなか出てこない優衣を呼ぶアナウンスが舞台から漏れ聞こえ、観念しろとばかりに香奈がその体を押し出した。
なす術なくよろめくように飛び出した先は舞台で、既に逃げ道などどこにもない。
優衣が着せられていたのはさしずめ鏡の国のアリスとでもいうべきか、青味がかったワンピースに純白のエプロンという物だ。
過度な装飾もなくシンプルではあるものの、サイズが僅かばかり大きく、元は膝上丈だったものが膝にかかるくらいまで下がっている。
全体的に見ても少しぶかぶかで、それが姉の私服を借りて着ていますといった雰囲気を醸し出し、天性からの幼さをより強調していた。
「お、おおっと! 若い人が続くと思っていましたが、さらに思いもよらない可愛らしいメイドさんの登場です! どことなく犯罪臭を感じているのは私だけではないはず! では早速お題に行ってみましょう!」
本日何度目になるのか、相変わらずやけに気合のこもった手つきで取り出された紙が映し出され文字があらわになる。
紙には短く、ツイスターゲームと書かれていた。
「出ました! これは倍率の高いドキドキイベントになりそうです!」
店員が8面のサイコロ2つとと5*5のマス目に4色の円が塗られた専用のシートを持って舞台に広げる。
サイコロの一つには右手、右足、左手、右手の4つの絵が2つずつ張られ、もう一つは2面ずつ4色に塗られていた。
司会はこのサイコロを同時に振ることで部位と色がランダムに指定され、プレイヤーは出た指示に従って足元にひかれたシートの色付きマスに触れる必要がある。
もし触れられなくなった場合、もしくは指定された部位以外がシートについてしまった時点で負け。
相手に触れてしまっても負けだし相手が使っているマスを使うこともできない。
ただ触れさえしなければ相手を跨いだり潜ったりしても問題はない。
勿論潜られたり跨がれたりした場合、元からいた人も自分から触れてはならない為、辛い体勢を維持し続けねばならないこともある。
勝負が進むにつれ、同時に参加するプレイヤーの体勢に影響を受けてしまうため、実際には思った通りにマス目が触れなくなり酷く無茶な、ヨガのようなポーズを強制されることも少なくない。
相手はビンゴによって選ばれるのだが、観客が己の番号札を見る目つきはいつになく気合がこもっていた。
ガラガラと音を立てる機械からなかなか出てこなかった球が遂に転がり落ち、番号が叫ばれる。
「42番の方、前へどうぞ!」
幾人かがよろめくように札を取り落す中、舞台袖にいた香澄も自らの番号札を見て思わずため息を漏らしてしまった。
貰った番号札に書かれていた数字は43で、惜しくも1つだけずれていたからだ。
未練がましく番号札を眺めていても番号が変わるはずもなく諦めとともに仕舞おうとした時、不意に握っていた番号札が引き抜かれ、代わりに42と書かれた札が差し込まれる。
驚いて背後に視線を向ければ影人が43の札を振りながら香澄を促していた。
「行ってくるがいい」
「……ありがとう」
逡巡していた香澄だったが今回は影人の好意を素直に受け取ることにしたようだ。
深く頭を下げてから嬉しそうに舞台へと上がっていく。
「いいなー」
舞台に立つ香澄の後姿を尻目に、香奈が羨ましそうに吐息を漏らした。
「会場を混沌に落とす気か? それともあいつに今生の呪いでもかけるか? どちらにせよ残念だったな、あの場にお前はふさわしくない」
ただでさえ初日から抱きつきに行った彼女のことだ。
公衆の面前で好きなように優衣をなぶって涙目にさせる姿が易々と想像できてしまう。
「いやだなぁ、あたしだって馬の脚に蹴られて死にたかないですよー」
香奈はそう言って、もう一度だけ羨ましそうに吐息を漏らすのだった。
見知らぬ他人とツイスターゲームをするのに抵抗のある人は当然いる。
だからこのゲームは降りようと思えばいつだって、それこそ初めの一手で終わらせることもできる。
触れるマスをそれとなく間違えてもいいし、わざと体勢を崩してもいい。
罰ゲームもない以上、優衣も適当なところで切り上げ、すぐに舞台袖へ戻ろうとしていたのだが香澄にそのつもりはなかった。
「この勝負にもし私が勝ったらお願いを一つ聞いてほしい」
不思議そうに首をかしげた優衣だったが、受ければゲームから早々に降りる選択肢が失われかねない。
それは困る。断ろうと口を開きかけたのだが、それを見て取った香澄は優衣が言葉を紡ぐより先に続けた。
「同じように月島さんが勝ったらなんでも言うことを聞く」
突拍子もない申し出に会場が俄かに沸いた。
突然の申し出に「はい」とも「いいえ」とも言えなかった優衣の沈黙を香澄は意図的に肯定と捉え配置につく。
釈明の暇さえ与えられずに、優衣は否定する言葉を言い出せない状況に追い込まれてしまった。
強引なやり方に首を傾げつつもなってしまったものは仕方ないとどうしようかを建設的に考えつつ初期位置へと立つ。
初期位置はシートの対角線。互いが一番遠い距離で向かい合う。
「あの、お願いしたいことって何?」
恐る恐る尋ねる優衣に、香澄は秘密と小さく漏らしただけだった。
優衣の中の嫌な予感はどうしようもなく膨れ上がる。
この瞬間、勝負は両者共に負けるわけにはいかなくなったのだ。
優衣は司会役の女性に髪止めのゴムを2つ借りると長い毛を左右2束に分けて散らないように結ぶ。
香澄などはその場で関節や筋肉をほぐし始めた。
喫茶側はあくまでも軽いノリの上で行われるツイスターゲームを想定していたのだが二人の空気はそれを許さない。
いつのまにか出来上がったガチ勝負の気配に会場と、司会の期待が否応なしに高まる。
「というかお二人さん、一応スカートだってことだけは忘れないでくださいね!?」
だが当然というべきか司会の忠告を素直に飲める二人ではなかった。
この変則ルールのツイスターゲームを戦略的に攻めるのであれば相手の場をいかに奪うかが重要になる。
相手に触れる行為も敗北の条件にある以上、上を乗り越えたり下を潜り抜けたりする交差状態はできるだけ避けたい。
自分の背後、触れられる範囲内に全ての色を確保できる配置を的確に探し出し、相手を角に追い詰め選択肢を奪えば勝ちだ。
その際、できる限り自分の身体は伸ばしておき、逃げ道を塞ぐ障害物とするのが望ましい。
今回のゲームに使われるシートは大きかったシートを切り離したのか5*5とマス目も少なく、有利に展開するには初めの1手がとてつもなく重要だった。
じゃんけんによって先行の利を得たのは優衣だ。
まずはどんな色、どんな部位が出ても問題ない。色の指定されていない部位はどこに触れても構わないからだ。
中央に配置された4色のどれかを確保するのが最善手。
できればど真ん中にある黄色が最も望ましい。
黄色さえ取れれば必然的に優衣の身体が障害物となって香澄は選択肢を大きく失うことになるからだ。
確率は4分の1、出た指示は右手の黄色。初戦のキーポイントをきっちりと抑えて見せた。
開始早々の中央占拠、会場が明らかに勝ちを意識した1手に湧き上がる。
香澄も優衣も理詰めの勝負、将棋やチェスは得意な方だ。
相手の居場所から何が出た場合どう行動するかを頭の中で予測していく。
ランダム要素が強いといっても指示の可能性は僅か16通り、シートには赤を除いて6マス分の同色しかなく、攻めを意識した展開となれば必然的に行動範囲は絞られてくる。
香澄の番、指示は左足の赤。香澄のスタート地点から足を延ばせる距離に赤は3つあるが優衣が触れた黄色の上以外は角に近く追い詰められてしまう為、選択肢は一つしか残らない。
優勢の優衣に悔しそうな表情を見せながら先ほど優衣が触った黄色いマスの1つ上にある赤いマスに足を乗せる。
こちらも勝負を意識した一手。どちらにも譲る気配はない。
続いて優衣が引いたのは左足の黄色で、これ幸いとばかりにシートの中段、一番右端にあったマスに身体を伸ばし占領した。
これで香澄が動ける方向は1方向、優衣から見て左側だけになったことになる。
もし右に動いた場合、優衣が次の番で上方向に動くと完全に角へ追い詰められるからだ。
だが左に逃げたとしても、このまま角へ角へと追い込んでいけば触れられるマス目は大きく減り、やがては逃げ場をなくす。
最初に引いた1手は余りにも強力すぎて、正攻法、最善手の打ち合いでは分が悪い。
運悪く同じ部位の同じ色を引き続ければ話は別だが16分の1を期待し続けるのは酷だ。
香澄もその状況はきっちりと把握しているが諦めた様子はなかった。正攻法で無理ならば搦め手を使えばいいだけのこと。
香澄の指示は右手の緑。優衣のすぐ左にあったマスに手を伸ばし蓋をされてしまうことだけはどうにか回避する。
二人の互いの顔を見る表情は真剣そのものでやっているゲームとまるで合っていない。
3順目、優衣が引いたのは左手の赤。
神に愛されているとしか言えない強運だった。まだ使っていない左手は香澄のすぐ目の前のマスを抑え頭を塞ぎにかかる。
元が狭いシートだ。既に逃げ道は横に1マス分しか残されておらず香澄の表情に憔悴が浮かぶ。
このまま続けても勝ち目がないと悟った香澄は次順、ついに勝負に出ることにした。
サイコロによる指示は右足の青。
青は香澄の左足のすぐ上か左上の角にもあるのだが、それを選んだのでは負けが見えてしまう。
逡巡の後に香澄が伸ばしたのは優衣の左手の隣にあった青いマス。
身体を交差する必要のあるマスに向かって右足を滑り込ませた瞬間、優衣が変な悲鳴を上げ頬を赤く染めた。
今の香澄の両脚は優衣の頭のすぐ上下のマスにあって、ただでさえ短い膝上ほどのスカートが際どい部分までめくれ白い大腿部が露わになっている。
観客席からは逆方向なので人目はなかったがさも覗き込むような位置にいる優衣にとっては大問題だ。
見ないように顔を上げるのだが足を完全に伸ばしてしまっている状態の優衣にとって、顔を上げる体勢を維持するのは辛い物がある。
4順目、優衣が引いたのは先ほどと同じ左手の赤。前回と全く同じ目が出てしまった。
既に左手で赤を触れているのだから、勝ちを目指すならこの状態を維持するのが理想といえど、目の前にひらつくスカートの裾を気にしている優衣が選べる手ではない。
慎重に、身体よりも裾に触れないよう細心の注意を払って香澄の右足の下から左手を引き抜くと、反対方向にあった赤マスに手をついて一息漏らす。
どうにか視線を逸らすことができて安堵した優衣だったがこの一手は自らを角に引き入れ、逃げ道を大きく失ってしまう悪手だった。
初めの一手で勝負が大きく動くということは、1手を仕損じるだけでも勝負が大きく動くという意味でもある。
正攻法で勝ち筋を見いだせなくなった香澄の作戦は見事に功を奏し悪手を指した優衣を徐々に、なぶるように角へ角へと追い込んでいく。
どうにか包囲網から逃れようと仰向けになって香澄の下を潜り抜け活路を開こうとする優衣だったのだが、完全に追い込まれてしまった状態からでは逃れるのは難しい。
彼女がこの状態で最善手を外すわけもなかった。
香澄は出た指示を上手に利用して最終的に優衣へと覆いかぶさる。
この状態では前後左右どちらに動いても香澄に触れずに逃れることはできないし、仰向けの体勢を維持し続けるのは難しい。
強運でどうにか、ほんの少しだけ動くだけで触れられるマスを梯子していた優衣だったが伸ばされた手と足は疲労から震えを隠せず、顔も赤く染まっている。
ここ最近はわざと動けるマスを残して必死に頑張っている優衣を上から楽しそうに見守ることにしていた。
さしずめ姉に遊ばれている妹といったところか。
あるいは押し倒しされた少女が逃げようとしているのをあしらっているようにも見える。
どちらにせよ、観客と司会は微笑ましい光景に目元を夜話や隠しながら二人の熾烈な争いを眺めていた。
そして巡った13順目。
それまでどうにか持ち堪えていた優衣が遂に小さな悲鳴とともに崩れ落ちることで勝負は終わりを迎えた。
「私の勝ち」
「一之瀬さんはもうちょっと恥じらいをですね……」
得意げに笑って見せる香澄に対し、優衣の方は息も絶え絶えといった様子で手足を投げ出し弛緩している。
無茶な体勢を長時間続けたツケが一気に襲ってきたらしく、香澄の手を借りて立ち上がる姿はふらつくほどだ。
これが一体何のアピールになったのかはさっぱりわからないが、会場には怒涛の歓声が巻き起こり香澄は優衣を気遣うようにして舞台袖へと下がっていった。




