92話 ロキと傭兵
うらぶれた港の倉庫街。倉庫街でも、荒くれ者が多く、危険な裏世界の者たちが使うと噂されている倉庫と併設されているビル。その一室、綿が飛び出て古びたソファに座り、傾いているテーブルに足を乗せて、鷹野嵐、いや、今は名を変えてゼピュロスと名乗る男は、機嫌よく酒を呷っていた。
ぐびぐびとワインを呷り、口端から赤い液体が零れ落ちていく。飲み干したワイン瓶をテーブルに放り投げると、口元を乱暴に拭う。
「ブハッ。なかなか面白い戦闘だったぜ」
「ダーリンが楽しんでくれて良かったわぁ」
隣に座り、しなだれかかるのは妻の寛美だ。今はフローラと名乗っており、楽しそうにゼピュロスの顔を眺めていた。
「………嵐さん、芳烈たちを殺して、美羽を攫ってくる約束では?」
対面に座るスーツ姿の男が僅かに顔に苛立ちを見せて尋ねる。
「ん〜? そうだったか? あぁ、そうだったかもな。だが、あのちびガキ、見た目と違って、かなり凶暴だったぞ」
多少酔った頭で、対面の男とそんな約束をしていたなと、ぼんやりと思い出す。屋敷で『アネモイ』が見つかった時から、そんなことはすっかり忘れていた。
「油断をしたからでしょう?」
「たしかに油断しちまったが……あのちびガキは危険な目をしてやがった。あの歳で戦闘を楽しんでいやがった。普通じゃねえ」
非難の目を向けてくるが、気にすることはない。あのちびガキは危険だった。なにか底知れぬ光を瞳に宿していたのだ。ゼピュロスを見ているようで、まったく別の何かを見ているような異質な光を宿していた。とはいえ、説明してもわからないだろう。
「たかだか10歳の子供では………。はぁ、まぁ、良いです。これからの仕事はしっかりとしてもらいますからね?」
諦めて溜息を吐きながら、自称男爵は話を続ける。
「明日にはここを出ます。船が迎えに来る予定です」
「ああ、任せる」
「貴方の部下は用意してあります。皆、凄腕の魔法使いです。これからの貴方の傭兵活動の役に立つでしょう」
「俺が団長でいいんだな?」
胡乱げな目つきを向けてくるゼピュロスに、男は頷き返す。なんだかんだ言っても、この男は凄腕の風魔法使いだ。『アネモイ』を操作できるほどの風魔法使いはそうはいない。
「もちろんです。『アネモイ』を使いこなせるのは、嵐さんだけですからね。ただし、基地に帰ったら『アネモイ』の解析はさせてもらいます。量産型を作りたいのでね」
「あぁ、せいぜい頑張って作ってくれや。フローラの『アネモイレプリカ』を作った奴は殺したんだろ?」
「研究所ごと事故で焼失しましたよ。『飛行系魔導鎧』の技術は金になりますのでね」
金のためだからと、あっさりと答える男の顔には罪悪感など欠片もない。当然のことだという表情だった。その態度を気にすることもなく、ゼピュロスはせせら笑う。
「では、後ほど部下と顔合わせをして頂きます。出来れば最初の仕事は今月中にかかりたいので、しっかりと手綱を握ってくださいよ?」
「任せておけよ。たしか、東京のドルイド攫いだったか? 本当にあんな廃墟地帯に人が住んでるのかよ?」
「えぇ。すぐに破壊されてしまいましたが、ドローンで確認しています。あの地域は危険指定地域ですが、だからこそ自然と共に生きるドルイドたちが住んでいるのです。彼等を高く買ってくれる人たちがいるのでね」
「はーん、まぁ、良い。たっぷりと報酬さえ貰えればな。おい、新しい酒を持ってこい。それと俺の名前はゼピュロスだ」
「わかりましたよ、ゼピュロスさん」
適当な受け答えに、話し合いを諦めて立ち上がり、ドアを開けると大声を出す。
「おい、酒だ! 誰か! おい、誰か持ってこい!」
コンクリート打ちっ放しの薄暗い通路。チカチカと蛍光灯がまたたく中で、男の声が響くが返事は返ってこず、シンとした不気味な静寂が返ってきた。
「ん? おかしいな……寝てやがるのか? 夜中でも夜番は起きてろって」
怪訝な表情の男だが、タタッと小さな足音が聞こえたかと思った時には、首元に衝撃を受けて、何かが通り過ぎていった。
「あ? な、にが」
男の視界はひっくり返り、ドスンと鈍い音を立てる。なぜか自分の身体が視界に映り………男の意識は闇に落ちていくのであった。
「な、あんた!」
ドアを開けた男は首を落とされて、床に崩れ落ちていった。その光景を見て、フローラが蒼白となり立ち上がる。ゼピュロスは目つきを険しく変えると立ち上がり、身構える。
「あん? ……ちびガキか?」
短剣に付いた血を軽く振って落とすのは、小柄な体格の人間だった。ローブを着ており、フードを深く被り口元も隠している。サングラスを着けており、顔は分からないが、その体格から間違いない。
「俺の名前は『ロキ』。ゼピュロス、今度は反対の立場になったな」
その声音は小鳥の鳴き声のように可愛らしいが、漂わせる空気は、昼間に戦ったちびガキとは違う危険な空気を纏っていた。立ち方一つ見ても、まったく違う達人のものだと、ゼピュロスは理解する。
「『ロキ』………。たしかちびガキの姿を盗んだと聞いていたが……俺を殺しに来たのか?」
昼間のちびガキとは、腕が違う。ゼピュロスは内心で舌打ちしながら、部屋の片隅に置かれている『アネモイ』をチラリと確認する。着込む時間は貰えそうにない。
「ゼピュロス、お前をここで殺しておく」
『ロキ』は淡々と告げてきて、強大な魔力を纏わせている短剣を横に構える。隙を探そうとするが、まったく隙がない。
「こちらは片付いたぞ、お嬢」
「本当にこの世界の人間って、潜入に弱いのね。あぁ、私たちが強すぎるのかしら」
しかも最悪なことに、さらに二人。明らかに強大な力を使う魔法使いらしき爺と、見たこともない美しい女が通路の奥から歩いてきた。どうやら、ビル内の人間は皆殺しにしたようだが、害虫駆除でも終えたかのように淡々としている。
「ゼピュロス。ここで殺しておく。生かしておいても、ろくでもないことしかしないしな」
ふたりをちらりと見てから『ロキ』は僅かに身体を沈ませる。だが、一瞬だが隙ができたと、ゼピュロスは行動に移す。
「ちっ! だが甘ぇ!」
『疾風』
ゼピュロスは風魔法にて、己の身体を加速させる。突風が巻き起こり、『アネモイ』に辿り着くと、鎧に手を乗せる。
「ハニー!」
「えぇ、ダーリン!」
『疾風』
同様の魔法を発動させて、フローラがゼピュロスに飛び込むように抱きつくと、『アネモイ』の神器の力を発動させる。
『風転移』
身体が風に溶け込み、マーキングしてある他の隠れ家に転移を始める。
「ハッハー、どうやって、俺を見つけたか知らないが、あばよ!」
視界が移り変わり、転移をした。……はずであった。しかし、風が消えても、転移は発動せずに3人は目の前にいた。
「な! なぜ!」
「そのリアクションはもう『ロキ』がやったわ」
驚くゼピュロスに、つまらなそうな表情で、美女が自分へと銃を向けてくる。
「大魔導の力を見せなくとも良さそうだな」
老人が膨大な魔力を込めて、手を翳してくる。
『大地炸裂弾』
1メートルはあるだろう槍のように鋭く尖った岩の弾丸が、銃口に描かれた魔法陣から発射される。動揺していても、ゼピュロスはすぐに防壁魔法を発動させる。
『風嵐防壁』
瞬時に物理的な攻撃をも弾き返す暴風で作られた防壁が、弾丸を阻もうとする。
「な!」
「キャアッ!」
だが、岩の弾丸は暴風の防壁を貫通した。威力は僅かに減衰したが、1メートルの大きさの弾丸はゼピュロスたちを吹き飛ばす。
『大地龍Ⅱ』
吹き飛ばされて、コンクリート床に叩きつけられたゼピュロスは、目の前が暗闇になるのを見て、口元を引きつらせる。
「たしか、舌なめずりは日本流だったか、容赦のない野郎め!」
ゼピュロスたちの眼前には、大きく口を開けた岩肌の竜の頭があった。全てが岩でできているようだが、恐ろしい魔力を秘めており、ゾロリと生えた牙はいかなる魔力剣よりも鋭そうだった。
ひと飲みでゼピュロスたちは飲み込まれて、グシャリと鈍い音が響き渡るのであった。
「むぅ、あっという間だったね」
クイーンダガーを仕舞い、美羽は倒したログを確認する。
『ゼピュロスたちを殺した!』
あっさりだったねと、放り投げられている『アネモイ』とレプリカを回収して、アイテムボックスに仕舞う。この『アネモイ』を解体すれば、『アネモイの翼』を手に入れることができるはずである。
小説ならば、『アネモイ』を装備する時間を与えてやるぜというところだったが、俺はモブなので気にしません。
気にするところは別にある。
「お爺ちゃん、もしかして、俺のために一撃で終わらせた?」
「ふむ、血族なのだろう? 我らは気にしないし、お嬢も気にしないと思うのだが、フリッグが気にしたのだ」
つまらなそうな顔でオーディーンのお爺ちゃんは、フリッグお姉さんへと視線を向ける。ありゃ、意外だね。フリッグお姉さんが気を使ってくれたのか。
「これでも父親の兄なんでしょ? 貴方のこれからを考えたのよ」
「………ありがとう、フリッグお姉さん」
フリッグお姉さんらしくない気遣いだ。オーディーンのお爺ちゃんが言うとおり、まったく気にすることはないと思うけど……。あれは家族を危険に晒す相手だった。ひょんなことから、両親が殺されるイベントが発生してもおかしくないからな。
ん〜、でも、たしかに父親のことを思うと、わだかまりがもしかしたら1ミクロンほど生まれたかもね。たまには良いことをするな、フリッグお姉さん。
「フリッグお姉さん………トランクケースを開ける姿でなければ、もっと感謝したんだけど」
「なによ? 手早く逃げないとまずいわ。だからこそ、話しながらもトランクケースを、あ、宝石にインゴット! ビンゴよ、やっぱり金目の物を持っていたようね」
ヒャッホーと、ソファの横に立てかけられていたトランクケースを開けて、小躍りするフリッグお姉さん。アクセサリーやプラチナや金のインゴットが詰まっていたので、大喜びだ。これさえなければ完璧な女スパイなのにね。
「ゼピュロスがいた形跡は残しておくか?」
ゼピュロスがいた形跡がなければ、これからのやばいこともゼピュロスのせいにできそうだ。なので、お爺ちゃんは尋ねてくるけど………。迷うな。
「うーんと……。この夫婦の息子はどこかにいた?」
たしかお馬鹿な息子が一人いたはずである。
「いえ、いなかったわね。ここには傭兵が何人か、それに怪しいチンピラたちがいただけよ」
「………あの僕ちんは捨てられた?」
少しだけ可哀想だと思うが、この場にいたらその人生はお先真っ暗となるので、幸運だったのかもしれない。
「息子を大事にする男には見えなかったな」
「だよねぇ……ということは、どこかに捨てられたか。うん、ゼピュロスたちが死んだ形跡は残しておこう。これからやることを『ロキ』のせいにしても、ゼピュロスのせいにはしない方向で。親がやってもいないことで、息子が苦しむのはどうもね。まぁ、放置していても自爆しそうな僕ちんだったけど」
無駄に罪を被せる必要もないだろ。『ロキ』がいるしね。
「復讐に燃える男になるかもよ?」
「殺しに来たのを殺したんだ。勝手に復讐に燃えてくれ。俺はシンみたいに優しくないんだよ。それじゃあ、撤収〜。誰に殺されたのかはわからないようにしておいてね」
からかう女神の試すような目を見返して、ちっこい舌を出して、べーっと答える。そこまでの罪悪感はないよ。
殺しに来た相手を救うほどに、俺は優しくない。前に言われた通り、傲慢なる神様『ロキ』だもんね。




